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クリエイター名 |
笹川瑚都 |
●サンプル:1(男の子視点)
【オリジナル長編 一部抜粋】
――ったく、これだから全校朝礼は。 天井高くに備え付けられているファンはフル回転しているものの、全校朝礼に伴って高等部全員が集まっている体育館内は、あきらかに空気が澱んでいた。 たまらず毒づいてしまう俺をよそに、昨日千春と一緒に書き上げた例の原稿を、理事長として振舞っている学園長秘書の荒石さんが淡々と読み上げていた。 祖母の秘書の中ではまだ若い荒石さんだが、この学園に関する裏仕事を全て任されている辺り、なかなかのやり手なのだろう。 俺も千春も実は意外にも接点があまりなく、事前に用意した書類などは全て祖母に渡しているだけなので、こうやって遠目にするとき以外に彼に会う機会は少ない。 人がそんな苦労をしながら書き上げた文章だったが、それをここにいる奴らが真面目に聞くわけでもなく。 そっぽを向いて考えごとをしているやつ、隣と話をしているやつ、携帯をいじくっているやつ、自分の顔ばかりを鏡で見ているやつ……そんなのばかりだった。 「……になります。では、本日より着任される新しい先生をご紹介します。牧嶋先生、どうぞこちらへ」 他の奴らに漏れず考えごとをしていた俺の耳に、あの転任をしてきた教員の紹介という言葉が飛び込んできた。 開いた襟の立つハイウエストのグレーのワンピースに身を包んだ彼女は、演壇の脇にずれる荒石さんの隣に立ち、俺の見た写真とは対照的に柔らかい微笑を浮かべた。 「皆さんおはようございます。本日よりこちらでお世話になる牧嶋杏子と申します。主に二・三年生の国語を担当することになります。よろしくお願いいたします」 頭を下げると、リボンで結われた緩くウェーブのかかった長い腰元辺りまである髪が、肩から落ちた。 彼女が姿を現したと同時にに静まり返った館内だったが、挨拶が終え、その髪を軽く直す仕草をした途端に異様な盛り上がりに包まれた。 「見ろよあの胸! 飛び込んでみてぇ」 「二・三年の国語ってことは、滝島のジジイの後任だろ? 俺たちのクラスも教科担じゃん。マジで最高!」 それまでの無関心ぶりはなんだったんだ、と問いたくなるほどの喰いつきを示す男どもだったが、にこやかな笑みを絶やさぬまま壇上を後にする彼女の姿を、俺もまた凝視してしまうばかりだった。
牧嶋杏子がこの学園にやってきて一週間。 教室はもちろん学食、トイレの中でまで“牧嶋先生”の話と、名を呼ぶ声が途切れることがない。 未だ頭に引っかかったままのもどかしさにわずかな苛立ちを覚えながら、俺は医務室へと向かった。 あの場所ならばこの手の話題からも開放されるだろう――そんな期待を胸にして。
「入りまーす」 通いなれた部屋の扉に手をかけ勢いよく横に開いた。 「ノックぐらいしなさいっていつも言っているでしょう?」 昼休みだというのにパソコンに向かって熱心になにかを打ち込んでいたまどか先生は、静かにパソコンを閉じると 眼鏡を外して俺の近くにやってきた。 いつものことながら、白衣姿のまどか先生は目の毒だ。 新品のように真っ白なままの糊のかかった白衣を羽織り、ボタンは一つ残らず留められている。 そんなストイックな姿をしているからこそ、裾の間から時折覗かせる白い大腿がなんとも言えないほどに綺麗でしかたがない。 「マナーよ?」 「はーい。すいません」 生返事をする俺を見て肩をすくめながら、部屋の奥に小さく備えつけられている給湯室へと入っていく。 「お茶でいい?」 「あんま熱くないやつ」 「はいはい」 いつものように俺専用の湯飲みに温めの茶を入れ、小皿に黒糖を三つ乗せたお盆を持ったまどか先生が、俺の腰かけているスチールの回転椅子の傍の処置台の上にそれを置いた。 相変わらず、年の割には渋すぎる味覚を持っている彼女だ。 「そういえば最近ここ、人少なくない? いつもは仮病だなんだって転がり込んでくるやつ多いのに」 辺りを見回せば人の気配はなく、この部屋には俺とまどか先生しかいない。 もっとも気楽に羽を伸ばせるから俺としてはそのほうが好都合なわけだが。 「そうね。牧嶋先生のことで大騒ぎみたいだから、そのせいかな?」 さほど気にした様子もなく、まどか先生もゆっくりとお茶をすすっている。 ――牧嶋先生、か。 ここに来てまでその名が出るとは思っていなかった。 「尋貴くん、最近様子が変ね。なにか悩みごとでもある?」 わずかに顔をこわばらせた俺の変化を、まどか先生は見逃さなかった。 「別に、なんでもないよ」 「そうやって一人でなんでも抱え込まないほうがいいわよ? 私で良ければ、話してみて」 俺はどうしてもこのまどか先生の口調に弱い。 千春の性格がああだからだろうか、極端に対照的な姉に位置する彼女には、昔から甘えている節がある。 自分でもそれを分かっているのに、結局は頼ってしまうのだ。 「あの女……牧嶋杏子って、どこかで見覚えがあるんだ」 「牧嶋先生を?」 「そう。でもどうしても思い出せなくて、それでここ数日イライラしっぱなしなわけ。俺がこんなんだから千春がキレてさ。もう牧嶋杏子を目の敵にしてるよ」 先日の千春の姿を思い出し、たまらず手元のお茶を一息に飲み干す。 見事なまでに俺の心中を表しているかのように、苦かった。 「彼女に直接聞いてみればいいじゃない」 「前にどっかで会ったことありませんかって? んなこと聞けるわけないよ」 「どうして? 気になるんでしょう」 気にならないと言ったら嘘になる。 このことだけにすでに一週間以上悶々と引っかかっているのだ。 だが下手なナンパみたいな台詞をいきなり口に出せるわけがない。 「いや、いいんだ。変なこと言ってごめん」 これ以上深く考え込んだところで、今までなんの結論も出なかったのだから、今更良い案が浮かぶわけでもなかった。 目の前のまどか先生にそう言い終えたところでタイミング良くノックの音が響き、医務室のドアが開いた。 「森宮先生っ。冴凪くん、いますか?」 音と同時に大声で自分の名を呼ばれ、声の主のほうを向いた俺は、現れた人物の姿を見て思わず顔を強ばらせてしまった。 「げっ、川元先輩っ!」 「あらっ、やっぱりここにいたのね〜。さ、え、な、ぎ、くんっ」 真面目さを絵に描いたような眼鏡をかけ、色の抜けていない黒い髪の三つ編みを腰元辺りまで下げた化粧っ気のない川元由香里先輩が、俺のそばへとにじり寄ってくる。 「今日こそ、良い返事を聞かせてもらうわよっ。次期生徒会長選!」 生徒会副会長をしている川元先輩は、次期生徒会長のポストに俺を置こうと、ここ数ヶ月しつこいくらいに追いまわしてくる人だ。 なにを根拠に俺に白羽の矢が立ったのかは分からないのだが、彼女の執念深さは本当に敬服したくなるほどにものすごい。 何十回、何百回と断ったところで諦めもせず、毎日毎日言って来るのだ。 次期生徒会長選に出馬してくれ、と。 そんなもの現行の生徒会役員がなればいいものじゃないのかと思うのだが、彼女の考えはそうではないらしい。 副会長の川元先輩は、病弱な生徒会長に代わって役員業務をこの一年間担ってきた人だ。 表向きは副会長でも、その仕事振りは会長以上のものである。 そんな彼女の目に適ったのが、ありがたくないことに俺だったというわけだ。 「いい加減しつこいですよ、川元先輩! 俺はそーいうのには興味ないって何度も言ってるでしょう!」 ほとほと参りながら言い張る俺のことなど気にも留めず、川元先輩は覗きこむようにして俺の前に立つと、腰に手を当てて大きく息をついた。 「君しかいないと思うからこそ、こうやって何度も頼んでいるんじゃないの。分かって欲しいわ!」 返答に困ったままでいると、今度はノックもなしにドアが開かれ、機嫌の悪そうなままでいる千春が入ってきた。 俺の隣にやってきた千春は川元先輩の側から引き剥がすように俺の腕を引っ張ると、そのまま後ろにあるシーツの整えられたベッドに俺の身体を押し倒してくる。 「もうっ!! 尋貴、いい加減はっきりと断りなさいよっ!!」 本当に、今日も機嫌が悪いんだから。 いつもであれば川元先輩にはさらりと嫌味を言うくらいで済ませるはずの千春だというのに、今日はむしろ俺に絡んでくる。 ったく。当たられる俺の身にもなってくれ……。 千春の苛立ちの原因を知っているだけに、俺には返す言葉もない。 川元先輩に対して怒っているわけではなく、心ここにあらず、な状態の俺に対しての怒りだ、これは。 千春のめずらしい態度に驚いて口元を押さえているのは川元先輩だ。 それはそうだろう。 俺の目の前数センチのところに、千春の顔があるくらいに接近しているんだ。 こんなベッドの上で。 一方のまどか先生は、いつもの姉弟喧嘩だと思っているのか、微笑ましい光景だと言わんばかりに悠長に眺めている。 「先輩が見てるだろ! 離せよっ、千春!」 「なによ、尋貴が優柔不断だから付け込まれるんじゃない!」 「ちょ、ちょっと冴凪さん。私は別に付け込んでなんていないわよ!?」 そんなことで言い争っている俺たちの元に、最悪なことに、この千春の不機嫌の最大原因である牧島杏子がやってきた。 さらにややこしいことに、千春の信者でもある高月果林までも、だ。 「あーっ。千春お姉さまってばー。果林も混ぜてー」 「もうっ! 果林はちょっと待ってて! 今は尋貴と、この人と話してるのよっ!」 ややこしい状況になっている俺の周りを見ながら、まどか先生がゆっくりと立ち上がる。 「あらあら。今日は千客万来だわね」 そう言って再び給湯室へと入っていったまどか先生は、皆に呑気にお茶を出しながら笑っていた。 千春はというと、とっさに顔をしかめてしまった俺の顔と、ドアの前に立つ牧島杏子の顔を交互に見つめ、ますます眉間にしわを寄せていく。 今の俺の状況は、まったく笑いごとでは済まないようだった。
【サンプルにつきここまで】
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