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クリエイター名 |
匁内アキラ |
サンプル
乾いた風が、ひび割れた建物が両脇に立ち並ぶ広い通りをかけぬけていく。
レイはいい加減うんざりしていた。 ここへ来てからと言うもの、十メートルも歩かないうちに声をかけられ、それが男であれ女であれろくでもない誘いだったりするものだからその度に腕力や話術を行使してその誘いがいかに愚かなものであるのか判らせてやらなければならず。 疲労こそないが、精神衛生上悪い。 「そーんなにオレは扇情的な格好をしてるのか?」 盛大にため息をついて、レイは自分のみなりを見下ろした。着古してくたくたの、大きくて肩が落ちている黒いTシャツと、洗いざらしの膝下までのジーンズ、穴が空いていないのが不思議な程どこもかしこもすり減った上、紐も通されていないスニ―カー。 「きれーなラインの腹を出してるワケでも、キュートなおしりが見えてるワケでも…ねぇんだけど。こんなにサービス少ないいでたちだっつーのに、何をとち狂ってやがる」 顔の造作にしても、格別美しいと言うワケではないはずだとレイは思う。 いくらか整った顔は、それでも十代中盤の少年のものでしかなく、薄い唇に色気は無い。 「シナ作って歩いてるワケでもねーし。あー、ったくなんなんだ!」 納得の行く理由を出せ、と空に右手を突き上げ理不尽な怒りをぶつけて、レイはふと脱力した。 だが、本人は気付いていないが確かにこの少年には人を惹き付ける何かがある。 癖のない真直ぐな黒髪、褐色の肌に、黒い瞳…瞳には強い意志を秘めたきらめきが宿り、澄み切った湖面のようだ。 立ち居に隙はなく、すらりと延びた背としなやかに延びた手足、そして全身が纏う野生に満ちた生命力がどことなく孤高な山猫を連想させる。 あちらこちらに瓦礫が築く山と、砂と半倒壊したビルばかりが続くゴーストタウンのごとき光景の中にあって、生に溢れたその姿に目が行かぬ方がおかしいと言えよう。 己の魅力に気付かぬレイはひとしきり文句を上げ連てからふと、視線を周囲に巡らせた。 「それにしても――ここってこんなモノだったんかねぇ。あんまり久しぶりなんで忘れてる?」 乾いた大地、崩れかけたビルが乱立し、空気には常に異臭が混じる。人々の目には昏い光が点り、健康的と言う言葉には程遠い。希望や、夢と言う言葉と無縁な不毛の土地。 神の加護に見捨てられた地として、名すら与えられなかった、だが恵まれたあの場所よりも多くの人間を抱える場所。 「ドームん中って平和なんだ。やっぱり」 恵まれた、神の加護を信じる地の名を口にしてレイは苦笑をもらした。 「ほんの数年居ただけで、もう、あそこが居場所になってたんだな…。恋しい場所ってワケでもねーのになぁ」 青が薄く灰がかった空を見上げて呟く。目を閉じると、近くに工場でもあるのか、あまり聞き心地のよくはない機械の音が耳をくすぐった。 ドーム、とは人の最後の逃げ場所だ。深刻な環境破壊、度重なる戦争が残した傷跡、それらによって生命の星は本来持ち得る星の力を多大に消費した。結果、多くの土地が植物も育たない不毛の土地と化し、空は、海は、その美しさを失った。 それでも人々は最後の悪あがきか、これまでに積み上げてきた人類の最後のよりどころと言うべき科学を屈指しわずか限られた空間に擬似的に過去を再現した。 美しい海と空と土地と。 穏やかな気候。 全て、機械の制御によるドームと呼ばれる隔壁が生み出す幻。 人類はそれを今、希望と呼ぶ。 選ばれた者だけが享受出来る、希望。 ほんの百年前はまだ、本や映画の中でだけ語られた夢物語の世界。 しかしその夢は徹底した環境の整備により生み出される更なる自然破壊などどこ吹く風の、人間にとって都合の良い、勝手なもの。 選ばれなかった人々は、隔壁の外で搾取され破壊され続ける星に諦めを抱いて生きて行く。劣悪な環境に汚染され命を削られ続け、果てに死が迎えに来るまで。 巻き上げられた砂と埃に目をすがめて、レイはふと笑む。 「ああ…でもやっぱり懐かしいや、ここの風。くっさい臭いと埃っぽい風。でも…、本当の風だ。ドームの中のあの、お綺麗な風じゃない。ホント、懐かしい」 隔壁の中とは違い、ここは美しい空も海も緑も見つけられはしない。多くの物が崩れ、歪み、完全なる破壊を待つばかりのよう。風は常に何処からともなく異臭を運んで来、空気は淀んでいる。だがレイはそれに不快を示すでなく、それどころか鼻歌すら出しそうな様子で歩き出した。足取りは軽い。 「さって、何処に行くかな。…しばらくの寝ぐらを探さないと。んー、ここずっと贅沢してたからな。あんまり粗悪な場所は耐えられないかなぁ」 腕を組んでシリアスに数回肯いて、ふっと見上げた先に見えるは何やら言い争う人々。 否、声を荒げているのはどうやら二人。 少年は興味を引かれ、そのやりとりに耳をそばだてた。 「っざけんんじゃねぇよ! ヒトサマに怪我ぁさしておいてばっくれようたぁ、ずいぶんと礼儀がなってないんじゃねぇのかぁ?」 「ぶつかってなんかいねーじゃねえか、はなしやがれこのゴリラ!! オレはきっちりよけたっつってんだろーが、だいたい何処に怪我してるってんだよ見せてみろやオラ!!」 首を傾げつつ近付いてみれば、人だかりの中央にスキンヘッドの大男が見える。人々に囲まれて更に頭二つ分程飛び出ている事からしてかなり大きい男と言える。 その、大男が何かを目の前にぶら下げて、それに向かって怒鳴っているようだ。 更に近付けば、男の手に首根っこを掴まれ釣り下げられているのがまだ十代前半か、下手をすれば十にも満たない少年である事が知れた。 「この色男サマを捕まえて誰がゴリラだ、アァ?!」 「は、色男ォ? ハゲエロ下衆ゴリラがよく言うぜ!」 レイは人だかりの間近まで来ると足を止めた。少年は男に釣り下げられたまま、だが恐怖に怯えるでもない。男は少年の言葉に首筋迄真っ赤に染めて怒りに震えている。 「てめ、人が大人しくしてりゃあ…!!」 「どっこが大人しいって? 大人しいって意味判ってんのかよ? っとにバカが。はなせよ、このタコハゲ。てめえのバカがうつるじゃねえかよ」 「こっ……、クソガキャ……!!」 ついに堪え切れなくなった男はジーンズの背から銃を引き抜いた。銃身を少年の額に合わせて、笑う。彼等を取り囲んだ人々から小さく悲鳴のような声が上がる。だが、誰も少年を助けようと動きはしない。 「今そのクソったれな口をコイツで封じてやるぜ」 「たかがガキの戯れ言に、沸騰したりすっからバカだって言われんじゃねえの?」 唐突に掛けられた声は、銃口を突き付けられた少年のものではない。 「誰だ、今のぁ!」 叫ぶ男に、ざっ、と音をたてて人垣が割れた。 その先には黒髪の少年――レイ、だ。 「詳しいイキサツは判んねえけど、どう見たってアンタのソレはやり過ぎ。その辺で勘弁してやったらどう?」 最早視界を遮る物がなくなり、人で出来た道を通り、レイは悠々と男の許まで歩み寄る。 「んだあ? てめえは…関係ねえだろう。死にたくなかったらそいつらみてえにどいてな!」 手にした銃でぐるりと周囲を指す。人々は更に後退った。 「死にたくはないけど。退くつもりもないね。アンタがその物騒なもん、しまってくれるって言うならそれこそ「大人しく」引き下がるけど?」 大人しく、の部分に妙なアクセントをつけ、斜め下から見上げる角度に、男の顔が赤みを増す。 先ほどまでの威勢が嘘のように静かに釣り下げられるままになっていた少年が、レイの言葉ににんまりと笑った。 「兄ちゃんも、中々言うねえ」 「お前程じゃないよ」 状況からすれば和やかに過ぎる会話に、男は再度沸騰した。 「てめえらまとめてぶっころしたらあ…!!」 振り上げた銃口が刹那男の手から離れて、飛んだ。 「なっ…」 状況が掴めず慌てて銃が飛んだ方向へ首を向ける男の腕を何かが叩いた。 「がっ!」 強烈な衝撃に、男は身を屈める、と同時に拘束の弛んだ手から少年が身をねじって逃れる。 男が己の腕を叩いたものの正体を見極めんと目をやれば、そこにはボロボロのスニーカー。 「ちょうど新しい靴が欲しかった所だから。ソレやるよ」 レイは片足立ちになって、挑戦的な笑みを浮かべた。 「おっと、片方じゃ駄目だよな。これもやらなきゃな!」 言うが早いか振り上げられた足から、信じられぬ程のスピードでスニーカーが発射された。 男は寸ででそれを避ける。うなりをあげて左耳のすぐ脇を掠めて行ったスニーカーに、男は身震いした。 たかがスニーカーがうなりをあげて飛ぶか。 先程男の腕を強烈に叩いたものもスニーカーだった。たかが靴を自分の半分も重量の無い少年が軽く飛ばしただけで、ここまでの威力を発するものだろうか。しかもその前に銃を飛ばした物が男には見えなかった。何かを投げる素振りすら見る事が出来なかった。何を何時、銃を弾き飛ばす程に投げたと言うのか……。そこまで考えて急速に背を這い上がった恐怖に、男は慌てて腰を上げようとして、背後に居た誰かに軽くぶつかった。 恐る恐る振り向けば、綺麗な笑顔。 「忠告はしたぜ、俺」 男は声を上げることすら出来ず、振り下ろされた手刀に昏倒した。
「助かっぜ、サンキュー」 がろっ、と音を立てて蹴るのはスケボーの上。 レイが助けた少年のはラックと名乗った。 「喧嘩売るのもイイけど、相手を見ろよ」 レイは暢気にスケボーを操る少年に苦笑を零した。 男が昏倒した後、少年は何事もなかったかのようにけろっとして、レイを誘った。住む所がないなら暫く来い、と。 「俺の名前ね、そのまんまラック(幸運)からとったんだぜ」 いきなり何?と首を傾げたレイに、少年はにかっと人好きのする笑みを見せる。 「俺ね、むっちゃくちゃ運がいいんだ。今迄いろんな危ないメに遭いそうになったけど、その度に「何か」が起きて助かった」 「だからって……」 「さっきだって、レイが助けてくれたろ?」 「そりゃあ、そうだけど」 肩を竦めるレイの反応がお気に召さなかったのかラックは不満げに言い募る。 「助かるのは俺だけじゃない。俺の傍に居る人間は、運良く助かるんだ。ホントだぜ?」 「ふうん」 ここまで言い切るからには、その「幸運」とやらは余程のモノなのだろう。レイは少年に興味を持ち始めている自分に気付く。 「これから行く所は俺の仲間達もいるんだ。皆で住んでるとこ。レイ人見知りする?」 「いや。どっちかって言えば大勢の方が好きだなあ」 少し前まで身を置いていた場所が脳裏を過る。大好きだった人達。でも今はまだ思い出すと胸が痛くなる、傍には居られない人たち。 「じゃあ、ちょうどいいや。そう言えばレイって本名? オレのは…そうだなあ、コードネームみたいなもんなんだけど」 「オレのも似たようなもん。知り合いの名前からとったんだ。気持ち、分けてもらおうと思って」 「気持ち?」 「ん、いや…それが、何?」 「なんか意味あんのかな、って思って」 「ああ…俺のは確か…『王』って意味じゃなかったかな」 王と言う単語がレイから出た瞬間に、ラックの目が輝き出す。 「なに?」 「やっぱ俺って運がいいぜー!!」 ひゃっほーう、と奇声を上げてラックはスケボーのスピードを上げた。そのまま近くの瓦礫に突進する。 「おい!」 危ない、と声をかけようとしたところへ、ラックは器用に瓦礫の直前でターンして、止まった。 「俺達、ついこないだ集まったばっかりでさ。まだリーダーが居ないんだ。そんで、皆でリーダーになってくれそうなヤツ、捜してた」 ラックのうって変わって真剣な瞳。 「なあ、レイいきなりだけどさ、俺達のリーダー、やってみない?」 「え…」 予想はついたもののそれでも唐突な申出に、レイは思わず言葉に詰まる。 「俺、運もいいけど、勘もいいんだ。レイならイイリーダーになれるよ。行く所ないんだろ? 特にやることもないって言ってたじゃんか」 「そりゃ言ったけど……。でもさっき会ったばかりだぜ?」 リーダー…、人の上に立つ事など、今迄のレイの経験の中にはない。どちらかと言えば使われる立場にあった。 「関係ないよ。絶対レイはリーダーが向いてるって!」 「そんないいかげんな」 まるで根拠のないそれに、レイの出来る事と言えば苦く笑うことしかない。 「なあ、レイ。俺の『幸運』信じてくれないか」 縋るような、眼差し。 レイは言葉をなくして立ち尽くした。 ここへ来た理由を思い出す。 大切な人たちを傷つけた。悲しませた。自分が判らなくなって、バカな事をした。 繰り返したくなくて、彼等から離れ、今迄の全てを捨てて生まれ故郷であるここへ戻った。 何も無い所から、もう一度始めてみたかった。 今度こそ、後悔をしないように。 探す為に来たのだ、この瓦礫の世界へ。 「……判った。やってみるよ」 「ほんとかよ!」 「ああ」 途端にラックが首に抱き着いて来る。 「ちょ、ちょっと!」 「俺、あのハゲに釣られてた時にレイを見た瞬間、絶対、レイだ、って思ってたんだ」 「……そ、か」 全てを捨てて、探したかったもの――それがラックの言う仲間達の許にあるかは判らない。 「でも、試してみる価値はある、か」 「え?」 「早く、行こうぜ、って言ったんだ」 「ああ、そうだな。皆待ってる」 ラックは嬉しそうに言うと、再びスケボーを駆る。 勢いのままに、数メートルも行くとレイに向かって手を振った。 「早く来いよ、リーダー!」 この先に何が待つかは、まるで見えない、予想もつかない。 でも、とにかく歩いてみよう。 レイは一つ深呼吸をすると、ラックを追って駆け出した。 「今、行く!」 澱んだ空気を巻き上げて、今、風が奔る。
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