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クリエイター名  黒崎ソウ
サンプル3/(オリジナル)

【彼女の情景 -Her Scene-】

 7日ぶりに訪れた"彼女"の部屋は、以前とは比べ物にならない程に雑然とした姿へと変わっていた。本棚から落ちた本が床を埋め尽くし、届けられた食器が微妙なバランスを保ちながら返却される事なくテーブルの上に積み上げられている。曇ったコップには数食分のナイフやフォークが刺さり、そのどれもが本来持っていた筈の銀色の輝きを失っていた。
「随分と派手にやったね」
 床の上の物を踏まない様に足を踏み出しながらリョウは関心した様子で言葉を洩らす。ソファに腰を下ろし足を組んでいた"彼女"は、彼の言葉に反応した様に眉間に皺を寄せた。
「また来たの? 誰も来てくれなんて頼んでないけど」
「そうもいかないよ。それが僕の仕事だから」
 棘を含ませた"彼女"の言葉をかわしながら小型のテーブルの一角へと辿り着く。積み上げられた本の山を更に高い山にすると、その空いたスペースの上に手にしていた皮製の鞄を置いた。
「最近の調子はどうだい? 何か変わった事は?」
「いつもそれ。あんたそれしか言う事ないの?」
 取り出した万年筆の蓋を外しながらリョウが問い掛ける。答える意思を見せる気は無いのか、"彼女"は視線を明後日へと向けたまま不機嫌そうに呟く。さらに2枚のカルテを手にしたリョウは、"彼女"へと向けていた視線を紙面の上へと落とした。
「勝手だとは思ったけど、さっきキッチンを覗かせて貰ったよ。随分と薬を残していたみたいだね。錠剤は苦手だった?」
「人の部屋のキッチンを勝手に見たの? ……最っ低っ」
 言葉と共に乗り出した体を再度ソファへと沈み込ませる。リョウは"彼女"の仕草に視線を向ける事なくカルテの上に万年筆を走らせている。"彼女"はその様子に苛立ちを覚えると、短い舌打ちをし短い髪を煩そうに掻き上げた。
「あんた医者だか何だか知らないけど、人のプライヴェートを勝手に荒らす権利なんかあるの?」
 吐き出される言葉には敵意が込められている。リョウは手を止めて視線を上げると、カルテと万年筆を鞄の中に仕舞い鞄の持ち手を掴んだ。ソファへと歩み寄る途中、跨いだ本の山が揺れて丸められた服の上へと落ちる。落ちた拍子でページが開き、その一部が黒いインクで塗り潰されているのが見えた。
「そうだね。確かに僕はその権利を持っている。君の状況を把握し、管理をしなければならないからね。君が僕の患者であり僕が君の主治医である限りそれは変わらない」
「冗談じゃないわ! 誰があんたの患者になるって言ったのよ!」
「残念だけど、君がここにやって来た時からそれは決まっていたんだよ」
「ふざけないでよ! あたしは望んでこんな場所に来たわけじゃないわ!」
「君の居場所はここにしかないんだ。……君も気付いてはいるんだろう?」
 数秒の感情的な応酬の後、"彼女"は沈黙しソファの背凭れに顔を寄せた。紫の痣の痕が幾つも残る両足を抱え胸へと密着させる。消沈してしまった"彼女"の様子からは数秒前までの激昂した口ぶりをイメージする事は難しい。
 沈黙した"彼女"の姿を見下ろしながら脱力した腕を取って袖を捲くる。そこにも数箇所、黄色や紫に変色した痣の痕が残っていた。
「ヤマトって言うの? あたしあの男嫌い」
 腕にゴム製の細身のチューブを巻き、腕時計の秒針を見詰めながら脈を計る。"彼女"はリョウの様子を横目で伺いながらも、憮然とした雰囲気を崩そうとはしない。沈黙の時間が2人の間に40秒ほど流れた。
「ヤマト君だね。何かあったのかい?」
 脈を計り終えた後、リョウは鞄の中から液体と脱脂綿の入ったガラス瓶とステンレスの細長い容器を取り出した。瓶の蓋を開け中の脱脂綿をピンセットに挟んで取り出すと、それを"彼女"の2の腕へと擦り付ける。揮発した消毒液の匂いが辺りに漂った。
「あたしの顔を見た時に物凄く嫌そうな顔をしたの。2週間も前の事だけどハッキリ覚えてるわ」
 苦々しそうに呟く"彼女"の表情を視線で伺う。リョウはステンレスの容器の蓋を開け、中から注射器と注射針を取り出した。シリンダに針を取り付けると、空のままの先端を"彼女"の皮膚へと刺し入れる。暫くすると頭の内側で眩暈がし、"彼女"は1度だけ眉を強く寄せた。
「それは本当かい? だとしたら酷い話だ」
「……。あたしの言葉を疑わないの?」
「疑う事に意味は無いよ。事実が解る時期が早くなるか遅くなるか。あるとすればそれだけの違いだけだからね」
 シリンダの7分目までが血液で満たされると、ピストンの動きを止め針を皮膚から抜いた。チューブを腕から外し、消毒液に浸した脱脂綿を針の痕に当てると半透明のテープでそれを止める。"彼女"はその間、リョウの手の動きを視線で追いかけていた。
「そうやってあたしの機嫌を取ろうとしてるんじゃないの?」
「僕は君を不機嫌にさせる事ばかりしているからね。そう思われても仕方は無いかな」
 ジョークのつもりで返した言葉だったが"彼女"は笑う気配を見せる事は無かった。
 まだ眩暈が続くのか、"彼女"は眉間を寄せたまま顔を背けている。リョウは採血管に血液を移し変えると、シリンダから針を抜き、再度ステンレスの容器の中にそれを仕舞った。
「もし、あいつがアイツを外してって言ったらどうする?」
「状況にもよるけれど、彼がこの場所に不適切だと判断された場合には外れて貰う事になるだろうね」
「何それ。同じ医者なのに酷過ぎない?」
「そうかもしれないね。けど、この場所に欲しいのは医者ではないからね」
「医者じゃなかったら何なの?」
「医療行為が出来る監視者だよ」
 リョウは鞄を手にするとソファから離れた。その様子に"彼女"は弾かれた様に顔を上げると、後を追おうとソファから腰を浮かせる。その仕草に驚いたのか、本を跨いでいた足を止めリョウは振り返った。
「どうしたんだい?」
「ねぇ教えて。本当に、あたしはここでしか生きれないの?」
 言葉を告げる"彼女"の顔が歪む。リョウの表情は困った様な複雑な笑みを浮かべていた。
「君が生きるには、この世界は少し不自由過ぎるんだ。君が世界に居たくても、世界は君を受け入れる事が出来ない。それは、互いに歪みが生まれて互いを傷付けてしまう事を知っているからね」
「あたしが世界を壊しちゃうの?」
「君が壊れてしまうんだ。世界は身勝手だからね」
 "彼女"は目を伏せた。鼓膜の内側で幾つもの音が重なり合い、それが大きな波となって全身を覆い尽くす。指先や唇が麻痺したかの様に小刻みに震えた。
「ねぇ、教えて。……あたしは、ここで何をしたらいいの?」
 か細く弱い声が"彼女"の唇から零れ落ちる。音は衝撃となって頭に伝達され、鼓動と同じ速さの頭痛に変わる。漠然とした恐怖感に襲われ、生理的な涙が瞼の内側に溢れた。
「君が生きていく事。死んではいけない。何よりもまず生きる事が大切な事だよ」
 視線を真っ直ぐに"彼女"へと向ける。中腰のままの"彼女"はリョウの言葉に動揺した。
「生きるだけなの? それって、あたしは何もしなくても良いって事? ……嫌よそんなの。そんな生きてるだけの命なんてあたしは嫌! あたしはここにいるの! ここで生きてるのよ? ……ねぇ教えて! あたしは何をしたらいいの? 何をして生きればいいの? 何の為にここにいるの? あたしはどうして生かされてるの?」
「それは、生きていく中で君が見付ける事だ。その為に僕は手助けをしている。君の世界を守る為にね」
「そんな時だけあたしに自由を押し付けないでよ!」
 叫び声を上げてソファに沈む"彼女"の姿にリョウの表情が一瞬歪んだ。何かを告げようと口を開くが、それが愚答である事に気付くと言葉を飲み込んでしまう。細めた視線の先には"彼女"が体を丸めて嗚咽を堪える姿があった。
 瞼を閉じて頭の中で3秒をカウントする。瞼を開くと共に"彼女"に対し背を向けると、リョウはドアへ向かった。茶色いドアに向けていた視線を一度だけ自分の手元に落とす。腕時計の短針は、部屋に訪れてから2時間が経過した事を告げていた。
「何かあったら僕の所に連絡しておいで。出来る限りの事はするよ」
 冷たいドアノブに手を掛けて言葉を告げる。蝶番を軋ませながら閉じたドアの向うでは、"彼"が腫れた瞼を煩わしそうに擦っていた。
 
 
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