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クリエイター名  山崎あすな
めろめろメトロ

 毎朝の日課。
 それは、通勤電車で――名前も知らない青年の枕になること。


 今日も市営地下鉄の終着駅であるここは、大変な賑わいを見せている。ため息が漏れてしまうほどの人ごみも、社会人三年目となればなれたものだ。
 俺は毎朝同じ車両の、同じドアの前で電車を待ち、同じ場所に座り込む。見渡す面子も毎朝同じようなものだ。
 しかしこの春から、変わったことが一つだけあった。
 それは、俺が乗り込むこのドアの前に並ぶ面子に新入りが加わったこと。
 見たところ大学生だろうかと思うが、今は私服で通勤を許す会社も多いという。もしかしたら、学生ではなく立派な社会人なのかもしれない。
 一番前の左端に並ぶ俺の隣、毎朝欠かさず見せる姿を最初は気にも留めていなかった。
 しかし。
『どうぞ、ご乗車ください。整列乗車にご協力いただきありがとうございます』
 乗り込んだ車内。座ったドア側の席。隣には――青年の姿。
 人間、不思議なもので端っこというのはみな好きだ。しかも、通勤ラッシュの時間となれば、出入りがしやすいようにドア側が一番人気となる。
 最前列に並んでいた青年が、俺の隣に必ず腰をおろすのは極めて不自然だった。
 向こうのドア側も空いてる。正面のドア側だって座れるはずだ。
 それでも、彼が選ぶのは決まって俺の隣の席。毎日それが続いて、気にならないほうが、難しい。
「はぁ」
 今日も、か。
 別に不満があるわけではない。必ず自分に隣に彼が座る、など、たまたまという可能性だってある。ただの自意識過剰かもしれない。
 しかし、もう、そんなこんなで何ヶ月経ったか……。
 その間、視線だって交わったことはないし、彼は毎朝同じ電車で顔を合わせているというだけで名前も知らないのだ。
 できたら異性が隣に座ってくれたほうがスペース的にはありがたいが、青年は線が細く、女性と見間違えることはないものの、男性にしては暑苦しさを一切感じなかった。
 プルルルルル……。
 発車ベルの後でドアが閉まり、地下鉄が出発した。
 俺は手にしていた本を広げつつ、隣の青年に視線を向ける。電車が出発するとすぐこっくりをはじめる彼は、相当疲れているのか、次の駅に到着する前に眠りに落ちる。
 電車の揺れが心地よいのは認めるが、早すぎるのではないか。そして決まって、左側に腰をおろしている俺の方へ身体が傾くのだ。
 身長差から、彼の頭はちょうど俺の肩に当たる。そこが定位置。
 心地よさそうな寝息が聞こえてきた。そして、彼の髪からはいつものいい香りがする。使っているシャンプーの匂いなのだろうか。
 清潔感ある髪型に良く合う色は、今時珍しく黒。市営地下鉄は何度か地上に出る場面があるのだが、そのとき窓から差し込む朝日を浴びて、天使の輪ができてるのだ。
 その瞬間が結構好きだったりする。
 今日も、あと少ししたら一度地上に出るから――
「……あ」
 よく晴れていたため、俺と青年のその向こう側にいた女性がブラインドを下げてしまった。光が遮られては天使の輪は見えない。
 残念だ。
 ん? 残念?
 いやいやいや、何を思っているのか。彼の天使の輪が見えなかったからといって、どうして残念に感じなきゃいけない。
 どこか後ろめたい気持ちが湧き上がり、俺はすかさず意識を本へ戻した。気持ちの意味は――考えなかった。
 読んでいるものは、今日は小説だ。世界に入り込んでしまえば思考を止められる。
 止められる――はずなのだが。
 電車が揺れるたびに、動く彼の頭が気になる。いっそのこと、頭だけではなく、身体全体で寄りかかってしまえばいいのに。
 そうしたら、いちいち揺れのたびにぶつかってくる頭を気にしなくてすむ。
 しかし、そうなったらなったで、きっと常に感じる体温が気になって仕方がなくなるのだろう。
 揺れが収まるとまた、彼の頭は俺の肩で留まった。
 車内空調が吹かせている風がふわっと、髪の香りを運ぶ。それが無性に、ムラッとする。
 いやいやいや、落ち着け、俺。
 俺は地下鉄を端から端まで乗らなければいけない。青年も俺と同じ駅まで乗っていく。その間、この髪の香りに包まれながら彼の重みを感じなければいけない。
 それが最近、どうも……憂鬱で仕方がないのだ。
 理由は考えないようにしている。先ほど感じた後ろめたい気持ちと一緒だ。これはたぶん、考えてはイケナイものだ。
 深みにはまる。絶対にまずい。
『次はー……』
 アナウンスではっと意識を取り戻す彼と、盗み見るように彼を見つめていた俺は、目が合ってしまった。
 ――なっ。
 今まで一度だって途中で起きたことなんてなかったじゃないか。出発から終点までおやすみ状態で、人を枕にしていたくせに。
 どうして、どうして今日に限って途中で目を覚ましたりしたんだ。
 しばらく硬直してしまったが、駅に滑り込んだ電車の揺れで不自然のないように視線を本へ移す。
 彼は自分が俺に寄りかかっていたことにもちろん気づいただろう。普段は、それがわからないように、終着駅に着きそうになったらそっと身体を起こさせているから。
「あの、すいません、でした」
 話しかけてきた。
 音楽を聴くためのイヤフォンなどはしていないため、ここで無視するわけにもいかない。
 なぜだと戸惑う気持ちを押しとどめて、放ったのは
「いや」
 なんて、ぶっきらぼうな一言だった。不機嫌であるととられたに違いない。
 その証拠に、彼の顔に不安の色がさす。
 それから、彼は顔をうつむかせると、それきり何も話かけてこなくなった。
 やわらかい印象を与える目元を裏切らない、少し高めの声だった。寝起きだからだろうか、どこかかすれているようにも感じる。
 そこに色気を感じてムラッとしたことを必死に忘れようとする。
 綺麗な髪、柔らかな表情、高めの声、いい香り。
 それ以上は何も考えるな。考えたら負けだ。自分に言い聞かせて活字に目を滑らせる。本当に、滑ってしまって内容がまったく頭に入ってこない。
 あー、もうダメだ。
「……大学生?」
「え?」
「いつも同じ駅から乗ってるだろう?」
「あ……はい。国立大学に通っています」
 国立大学といえば、県内有数の国公立大学だ。確か、この市営地下鉄の終着駅から徒歩十分ほどの場所にある。
 頭、いいんだ。
「でも、大学にしては時間早いだろう」
 指摘は的を得ているはずだ。俺もその国立大学出身者なのだから、時間帯は大体頭に入っている。
 この電車で駅に着いてしまったら、一限目から講義を受講したとしても一時間以上余裕がある。
「教授の手伝いがあるので」
「毎日? そりゃ、大変だ」
 俺も経験があるのでわかるが、教授の手伝いといえば聞こえはいいが、単なる雑用でかなり面倒なことが多い。
「あ、の」
「ん?」
「西岡さんも、教授の手伝いしてたんですか?」
「ほんの少し。じじいにこき使われるのが嫌で、すぐにやめたけど……」
 って、おい。
 今、ナチュラルすぎて気がつかなかったが、こいつ、俺の名前を呼ばなかったか?
 しかも、教授の手伝いしてたんですか?って、普通そんな質問してくるか?
 混乱に固まってしまった俺の思考など気にもせず、電車は終着駅に着いてしまう。
 聞かなければいけないことが、あるはずだ。なんで、どうして――と。
 しかし。
「それじゃ、西岡さん。また」
「え? お、おい! ちょっ」
 次々に降りていく人波の中に飲み込まれて、彼は姿が見えなくなってしまった。追いかけて問いただすには、時間がない。
「……なんなんだよ、あいつ」
 今年の春から突然同じ電車になって、同じ車両になって、同じドアに並んで、隣に座るようになった――大学生。
 俺を散々ムラムラさせてきた匂いが、なんとなく右肩から香ってきている気がして、火照った顔を手で仰いだ。
 すっきりしない苛立ちを胸に抱えたまま、俺は会社に向かって足を向けた。
「はぁ」
 ため息が漏れる。
 明日の朝、彼はまた同じ電車に乗るだろうか。同じところから乗ってくるだろうか。そのとき、このモヤモヤを解消できるだろうか。
 職場に向かいながらも、思考いっぱいに彼のことを考えてしまっている時点で、もう、ダメだと思った。
 重症だ、こりゃ。


 そんな俺の背中を見つめる視線が一つ。
「――よーやく話しかけてきやがった。んったく、おせーっつーの」
 口元に浮かんだ小さな笑みも、乱暴な言葉遣いも。
 俺はまだ、何一つ知らずにいた。


 通勤ラッシュの市営地下鉄。
 一つの恋が、走り出そうとしている。
 
 
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