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クリエイター名  尾崎ゆずりは
サンプル

■I don't be...(仮)■
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 逢魔が時。
 近くに人家もないこの峠にあっては「誰そ彼」と言うに相応しく、日の入り前をして闇の霧をかけられたかのように世界は虚ろに霞み始めていた。昼間も行き来する者の殆どない峠道は、日の入りと共に一種の異界を形成しようとするかのように闇にうねり始める。
 わざわざそんな寂しい道を夜歩きする物好きも滅多になく、道はまさに静寂と暗闇に閉ざされようとしていた。
 だが、その峠の闇にひらりひらりと舞う蝶のように白く閃くものがあった。
 ────女だ。
 雅な被衣を目深にした女が、峠向こうを目指すのか、足早に歩を進めている。
 女が歩むたび、その被衣がひらひらと翻り、彼女を闇の中頼りなく飛ぶ蝶のようにみせているのだった。
 女のその出で立ちや立ち居振る舞いから見るに、このような田舎に住む賤の女とも思えない。京の貴族について地方の荘園までやってきた女房、といったところなのだろうか。被衣で顔は見えないが、その筋の通った鼻筋やふっくらとした紅い唇を見るに、極上とは言えずとも、かなりの美女のようだ。
 女は被衣を強く掻き合わせ、一心不乱に走っている。
 この峠ではかねてより、夜は物の怪の類がでて誑かされると言われていた。最近は更に恐ろしいことに、異形の鬼が出て美しい女を拐かし、喰ってしまうという噂まで立っていた。実際、打掛一つを残して失踪してしまった女もいると聞く。
 こんな時刻に女が一人でこんな薄暗い峠を越すというのは滅多にないことであった。主人に用足しを頼まれて、手間取ってしまったのだろうか。それにしては、辺りには牛車も供の者もない。隠密の用足しだったのだろうか。
 何にせよ、件の鬼にとってはこれ以上ない好都合であった。
 女が妖しい気配を感じたのか、ひたりと歩みを止める。被衣が揺れ、女の髪がふわりと靡く。その女の目の前に、いつの間にか一匹の鬼が立っていた。
 その頭には拗くれた太い角。肌は焼けただれたかのように赤黒い。
 女は恐怖からか、意味のないことと解っていただろうに、被衣を更に掻き合わせた。その可憐な様子に、鬼は下卑た笑い声をあげる。
「女、知らなんだか? この峠には鬼が出て、お前のような美しい女を、取って喰ろうてしまうのだぞ?」
 破鐘のような鬼の声。
 だが、女は被衣の中で口の端を歪めると、反対にころころと笑ってみせた。少し掠れた、艶やかとは言えぬものの、慎み深い女房にはかえって好ましい声音。
「勿論、知っておる。だからこそ、わたくしはこの峠に来たのだ」
 その堂々とした女の態度に、驚かされたのは鬼の方だった。恐怖に戦いているのだと思っていた女は、今目の前で微笑んでいる。
 瞬間、鬼の方が、何か得体の知れないものに捉えられたような気持ちになる。ここは薄暗い峠道。供もつけずに歩く身なりのいい女。
 「迷ひ家」…そんな言葉が鬼の脳裏に浮かぶ。暗い峠に出る身なりの良い娘。辿り着く峠の小屋。淋しい峠にはあるはずのない小屋。誰もが不審に思うはず。だが、光に吸い寄せられる昆のように迎え入れられ、もてなされるのだ。
 末路は様々である。無事に帰る者、億万長者になる者、そして…圧倒的に多いのは「迷ひ家」と共に消え失せてしまう者…。
 鬼は一瞬、言葉を失い息を呑んだ後、あるはずもない妄想を振り払うように首を軽く振る。誤魔化すように、または勇気を振り絞るように震える声で笑う。
「…は…は…豪気な娘よ…。そうか、そなたはわしに喰われに来たか…」
 だが、女はゆるりと首を振る。
「いいえ、わたくしはこの峠に出るという鬼を退治に参った」
 女がそう言った瞬間、女の被衣がぱぁっと鬼の眼前に広がり、間を置かず、鬼の腹に激しい鈍痛が走った。
 鬼には一体、何が起こったのかを理解する暇もなかった。
 ただ、内臓を圧迫される苦しみに目を見張った鬼が意識を手放す寸前、はらりと地に落ちた被衣の向こうに見たのは、髪を女がするように肩に垂らした一人の若い男が、見事な拵えの刀を鞘ごと自分の腹に喰い込ませている姿だった。

   †          †

 自分にのし掛かるように崩れ落ちる鬼を見て、乙女から男へ早変わりをして見せた者は、さっと刀と体を退いた。どう、と鈍い音をたてて鬼の体は地に沈む。
 だが、男はまだ油断なく鬼を観察した。
 白目を剥き、渾身の力で腹を突かれた衝撃に吐き戻した胃液と共に口の端に泡を吹いている様はもうすでに意識を失ってはいたが、ここで気を抜いたところを襲いかかられたらたまらない。十分に気を付けて、崩れ落ちている鬼の側に屈み、その汚らしく絡まったぼさぼさの髪から突き出ている角にそっと触れた。
「…あっ…」
 男が焦った声を上げると同時に、その角はぽろりとあっけなくその頭から落ちた。随分と使い込まれた、これまた汚い麻の紐が角に括られ、それが辛うじて鬼の頭に固定されていたらしい。
 それから男は指を鬼の赤い腕にこすりつける。すると、男の指先に赤黒い色が付着した。何と言うことはない。泥だ。
 男は嘆息して、やっと警戒を解き、完全に気絶している元鬼──多分夜盗や山賊の類だろう──の肩口を転がすように蹴り上げた。
「…やっぱり、ただの人間か。角は牛の角で作った紛い物。肌は…土を塗りたくってたんだな。ちゃちな仕掛けだが、この暗闇なら見抜かれる心配も少ない」
 少し掠れた…だが若さと張りのある若い男の声音。
 月がその微かな光で男を照らした。歳は二十歳程だろうか。だが、それにしては幼顔をしていて、背も幾分低い。体つきもどこかほっそりとして、被衣をしていれば女に見えるのも道理だろう。
 男は垂れた髪をそっと取り出した紐で仮に束ねると、転がっている元鬼の山賊を被衣の内に隠していた荒縄で厳重に縛り上げ、側に生えていた木の根本に座らせる。
 その時、男の耳がまだ小さな、馬を駆る地鳴りを捉える。振り返る男の目に、小高くなっている峠の下方に松明の灯火が見えた。それは見る間に近付き、一人の弓を携えた公達を乗せた馬が男の肉眼でも捉えられる。その公達を見て、男の眉が小さく顰められた。
 公達は、年の頃なら男より多少年上という程度だろう。だが、その優美と言ってもいい顔立ちのせいか、男よりは多少落ち着いて見える。
 馬の手綱が引かれ、公達を乗せた馬は男の目の前にぴたりと止まって、二、三歩の足踏みをする。見事な馬捌きだ。だが、その正確な馬捌きとは裏腹に、公達はその美貌の顔を引きつらせ、掲げる松明を投げ捨てんばかりの勢いで鞍から飛び降り、男に走り寄った。
「…綱(つな)っ!無事か!?」
 公達の慌てた声音に、綱と呼ばれた男は眉間に皺を寄せ、片手で口元を覆う。その動作に公達は文字通り泡を喰って綱の肩を抱き、矢のように早い口調でまくしたてた。
「そ、そんな…まさか、綱、鬼に人には言えないようなことをされてしまったのか!?だから僕は女装するなんて案には反対してたんだ!男のままでも綱は十分可愛いのに、女装だなんて。女しか好きになれない様(ヘテロセクシャル)な奴らにまで綱の可愛さを知られてしまったら、僕の敵は十倍にも二十倍にもなってしまう。…い、いや、今はその話ではなかった。鬼に玩ばれた綱の傷心をどうやって癒してあげられるか。なんなら慰めに僕が抱いて…ぐべっ!?」
 ぐべっ、のところは、綱がかの公達の顎に強烈な肘鉄(エルボー)を喰らわせた箇所である。綱はひるんだ公達の手から自分の肩を取り戻し、正常な距離を保つように離れる。
「おれがこれっぱかしの相手程度に遅れを取るとでも思ったか、季武(すえたけ)?おれが嫌な顔したのは、迎えがお前だと解ったからだ!」
 すげなく言われてしまった両刀遣い(バイセクシャル)の公達、季武。じんじんとする顎をさすりながら、ご立腹中の綱を見定める。照れ隠しの色が伺えれば、まだ自分にも分が…と思ってみるが、残念ながら綱の表情には怒りの色しか見えない。
 がっくりと項垂れ、季武は呟いた。
「…さすが、鬼払いの綱だ。猛々しい。そこも素敵だよ…」
「まだ言うか、貴様…」
 綱は半分呆れ、半分感心しつつ、嘆息する。それから、ふと二の句を継いだ。
「だが、残念だったな。今回も鬼払いの綱の出番ではなかったよ。単なる山賊だ。一味が多分この峠のどこかに隠れていると思うんだが…」
「ああ、それなら問題ない。貞光の奴に連絡しといたから、もうすぐにでも奴の部下が山狩りを始める。それに、遠くから様子を見ていたその鬼の仲間らしき奴らを、すぐそこで二人ほど射てきたからな」
 季武の言葉に、綱は目を丸くした。
「…あの短い間に二人も射たのか?さすが、四天王の名は伊達ではない、な」
「まぁね。弓持たせたら、右に人を出すことはしないよ。例え、綱でもね」
 そう言って、悪戯っぽく片目を瞑ってみせる季武。仕草は軟派であるものの、その口振りには武士としての確固たる誇りがうかがえて、綱は知らず引き結んでいた口元を弛めた。
 だが、次の瞬間。
「な、僕って格好いいだろ?綱も惚れちゃうだ…ぐぼっ!?」
 世迷い言を呟きながらすり寄ってくる季武の腹に二回目の肘鉄(エルボー)を沈めながら、綱は諦めとも言えるため息をついた。
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