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クリエイター名  シマキ
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LOVERS

「無理をする必要はないんじゃないか?」
 ベッドの上で契約者はそう言った。
「ヴィヴィ、俺と契約する時に恋人になってくれ、愛を教えてくれといったよな。そういう風なやつでいいのか?」
 今までの契約者たちの中にヴィオラに対しそういう言葉を発した者はいない。彼女は欲情の性質を持つ悪魔。体を求められるのは毎回の事であったし、彼女自身もそれが当然なのだろうと覚悟していた。
「…それに、ホントに好きでそういうことしたいならそんな思い詰めたような目はしないだろ」
 軽く笑いながら奇妙な契約者は彼女の黒い髪をくしゃくしゃと撫でまわした。
「俺も男だし、無理なことじゃあない。恋愛感情とは別にね。まぁ、こっちはいつでも準備OKなわけだから、そっちの準備が出来たらお相手するよ」
 そういって、今まで誰一人として気付く事のなかった彼女の本音を見抜いた男は軽く笑った。
「まぁ、一人でいるのが寂しいっていうなら、ほら、隣にくればいい」
 そういってシーツをめくり、場所を空ける。
「……うん、ありがとう。草路」
 そっと滑り込むとヴィオラは契約者、いや、彼女の恋人に抱きついた。
「難儀な性格だよな。健康な成年男子が」
 頭上でそう呟いて苦笑する。
 それにつられてヴィオラの顔に笑みが浮かんだ。
 その瞬間から草路、有堂草路という名の人間はヴィオラの中で特別になっていた。


『ヴィオラ、ヴィオラ』
 名を呼ぶものがいる。
 草路ではない。彼は彼女をヴィヴィと呼ぶ。彼がつけてくれた愛称で…。
『ヴィオラ』
 聞いた声だ…。
 ひどく懐かしい。けれど同時に痛みを伴う記憶。
『パルーデ?一体、何事?』
 彼女は彼に向かってそう答えていた。パルーデ…。輝く金の髪と鮮やかな緑の瞳。背には純白の翼。ヴィオラのパートナーだ。
『君は本当に物事に関して無頓着だな。昇進だよ。もちろん、二人一緒だ』
『そう…。でも、私たちのやるべき事はただ一つ、神の意志の遂行。階級自体には意味がないのでは?』
 そう言うとヴィオラは踵を返してパルーデに背を向けて歩き出した。
 背後で溜息をつくのが分かったが彼女にはそんな事を気にする余裕はなかった。
 パルーデと違い、ヴィオラの性別は女だ。人の世に出回る聖書からも分かるように女性は軽視されがちだ。階級が上がるたびに珍しいからだとか、色仕掛けだとかいう流言飛語が彼女の周囲を飛び交う。
 彼女自身はそんな言葉は気にしていないし、自分の実力だと信じている。男であればもっと楽であったかもしれないとも思うが、女性である事を卑下する気もない。それは、いわれのない差別を認めるようなことになるからだ。
 それを否定するためにも彼女は仕事をこなさなければならない。完璧に、だ。何者にも文句をつけさせないように…。
 そのことをパルーデは理解しているのだろうか…。パルーデは確かにヴィオラのパートナーではあったが同士ではなかった。
 与えられた任務を遂行するより他に手段はないのだ。一度力を抜けば、待ち構えていたかのように非難されるだろう。だからこそ、一つ一つ彼女は仕事をこなしていった。
 どれぐらいの責務を果たした時だろう。
『…ヴィオラ』
 彼女を呼び止める声があった。
『パルーデ、何か?』
 ひどく思い詰めたような顔をしたパートナーに声をかける。
『昇進だよ…』
『…如何かした?』
 いつもであればもっと興奮しながら報告に来るはずのパートナーの様子の違いにヴィオラは小首を傾げその顔を覗き込んだ。
『…君だけだ。今度の昇進は君だけなんだよ、ヴィオラ…』
 パルーデの瞳の奥には暗い光を感じた。
 落胆の表情を隠す事は出来なかった。彼もまた女の下にあることで自尊心が傷つけられたとそう感じるものだったのかという思いが…。
『……そう』
 ヴィオラ自身は階級自体には興味を持っていない。ただ、自分が、自分の能力が認められさえすれば。だからといって、それを他の者に強制するものではない。パルーデが気にしているのだとしたら、ヴィオラにはかける言葉がなかった。
 不意にパルーデがヴィオラの細い腕を掴む。
『いきなり、何?』
『…いつもそうだ。君はそうやって全てを超越したような顔をする。僕がどんなに必死で君に相応しくなろうとしているかも知らずに…。僕がどんな思いで…』
 彼女の腕を掴んだ手にさらに力がこもる。
 痛みに顔をしかめ逃れようと振り払ってもそれを上回る力で束縛する。
『…パルーデ?パルーデ、痛いわ』
 振りほどこうとするヴィオラをパルーデは腕の中に閉じ込める。彼女の銀糸のような髪を鷲掴みにすると強引に上を向かせ何事かを訴えるために開かれたその唇に自分の唇を重ねた。
 強引にヴィオラの口腔に侵入しその舌を絡める。頭を振って逃れようとしても髪をつかまれてそれはかなわない。
 ただ、瞳から流れ落ちる透明な涙だけが、パルーデを拒否していた。
やがてヴィオラの唇からパルーデのそれが離れる。
『…いや。……いや』
 ひどく小さな呟きだけがそこからもれていた。すでに頭の中は真っ白といっていい状態だ。思考が停止していた。声はかすれ音にはならず、恐怖のあまり体は自由にならない。
 子供が念願の玩具を手に入れた時のように力強く抱き締めるながらパルーデは彼女の名を呼びつづける。
『ヴィオラ…。ヴィオラ』
 パルーデに名を呼ばれるのが好きだった。心地良い音律。けれど、今は聞き慣れた声をひどくおぞましものに感じていた。
『…お願い…。や…めて、パルーデ』
 途切れ途切れながらも必死で口にする言葉をパルーデは聞き入れることはない。
 強張る頬に、つぶられた瞼に、拒絶を口にする唇に口づける。
『……おねがい、だれか…だ、れか…助けて』
 体を這う指と唇の感触、耳に感じた息遣い、全身に残る痛み、そして裏切り。
 それだけを残して、一方的な思いだけを遂げて、信じていたパートナーは、パルーデは堕ちた。
 
 被害者であるはずだった。
 けれど、そこにはいたわりというものは微塵もなかった。
『女などをパートナーにしていたから…』
『哀れなやつだよ、パルーデも』
『情のない女を好きになったばかりに…』
『なんにしろ、隙があったんだよ』
『煽情して置いて自分には罪がなかったと言い張るつもりらしい』
『女は男を堕落させるためだけの存在だ』
 絶えられなかった。耳をいくら塞いでもヴィオラの耳に入ってくるそれらの言葉。
 ヴィオラは神の愛を見失っていた。
(平等ではなかったのですか?このような目にあっても相手を許せと、口さがない者達を許せというのですか…)
 女である事に誇りを持ってきました。
 けれど、それを捨て去りましょう。
 私は悪夢を見ることにします。
 彼らのいう女として動いて見せましょう…。
 
 そっと笑い掛ける。媚態を作る。期待を持たせるような言葉を口にする。体を許す。
 ひどく容易なことだった。
 それだけで次々と自分を侮蔑したものたちが堕落してゆく。女である事を非難するだけしか出来なかった愚か者。自分の意志の脆弱さを認めようとしなかっただけ…。
 ヴィオラの口に笑みが浮かんだ。それは嘲笑だった。けれど、その瞳の奥に悲しみが宿っていた。
 彼女は神の愛を見失った。けれど、もしかしたら他の形があるのかもしれない、そうどこかで信じていた。だが、それは見つかることがなかった。
 もういい、こんなところには興味がない。
『神よ!矛盾した摂理を生み出した愚か者!私は貴様を呪おう!体ではなく女としての心を踏みにじった者達と共に!』
 瞬間、彼女は堕ちた。
 淡い藤色の瞳は鮮やかな紫に変わる。銀糸のようであった髪は漆黒へと染まった。
 けれど、ただ一つだけ…変わらないものがあった。
 光の届かない地の底へと堕ちた彼女に近づく者がある。
『あぁ、羨ましい。貴女はまだ翼をお持ちなのですね』
 そっとヴィオラの背の白いものに手を触れた。
『貴方は天使だったころに未練があるの?』
『……』
 彼女の質問にそれはうつむく。その様子を見てヴィオラは嘲った。
『貴方は自分の意志を持たずに堕ちたのね。引きずられて落ちる。情けないわね』
 それの顔が強張るのが分かった。けれど、彼女には自信があった。自分の意志で放棄した者とそうでない者。その意志力の強さから、どちらの方が強いかなど明白のはずだ。
『欲しければあげるわよ。こんなもの。私には、いえ、あたしには必要ないわ』
 白い翼に手をかける。手が届く範囲で根元に近い部分を両手でしっかり握ると力任せに引っ張った。
 ぐきりと鈍い音がする。
 その痛みにヴィオラの口から思わず息が漏れる。だが、その力を抜こうとはしない。骨の砕ける音、折れる音、腱の千切れる音それら全てを耳が拾い、身体が感じる。
 やがて鮮血にまみれた白い翼がその手におさまった。 
 投げ捨てるようにその翼をそれにむかって放る。
『羨ましかったんでしょ、あげるわ』
 口に浮かぶのは艶やかな笑みだった。


「ヴィヴィ…。ヴィヴィ」
 目を開ければ眼前には琥珀の瞳があった。いつもは黒眼鏡で隠されたその瞳が心配そうな色を湛えている。
「…草路?」
「少し、うなされているようだったから…」
 寝汗をかいた額に張り付く髪をそっと草路の手が掻き分ける。
「ありがとう」
 ヴィオラは小さく草路に向かって微笑みかけた。それは媚態ではない、強がりでもない、自然とこぼれた笑み。
「ありがとう、草路」
 再度呟いて痩せすぎともいえるその身体に抱きついた。
 本当は怖かったのだ。どんな相手でも、それでも、自分が壊れないですむよう、欲情の悪魔として振舞ってきた。
 かすかな期待があった。もしかしたら神の愛は失ったかもしれないけれど、天使として地上に降りた時に垣間見た人の愛が自分を癒してくれるのではと…。
 でも、誰も彼女の本質に気付く事はなかった。見かけだけで判断し、そういうものとして扱っていた。
 今回もそうだと思っていた。
 ただの契約で終わりかと思っていた。
 けれど……
「あたしね、あなたに会えて良かったわ。大好きよ、草路」
 軽く自分の唇を草路のそれへと重ねる。それはひどく軽い、鳥がついばむようなキスだった。
 だが、今までの中で一番満たされていると感じているのは決して錯覚ではない確信があった。
 
 
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