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クリエイター名 |
シマキ |
サンプル
落日
従業員数二十名程度の町工場。夏は窯に熱され,冬は隙間風が吹き込む。決して良好とはいえない環境で久士がガンを握るようになってすでに5年が過ぎた。 シンナーで板金についた油や汗を落とし、サンドペーパーで磨き、吊るされた金属片にガンで塗料を吹き付ける日々。現場に入るようになってはじめて、漠然と親の後を継ぐのだと考えていた自分が甘かったことに気がついた。 自分の手を見つめるとそこには労働者の手。指はつまり、節くれ立ち、爪の間には暗い色の塗材がこびりついている。汚い手だ。このまま、俺はこんな生活を続けていくのだろうか。 かつて父と共に出かけた時、街中にある大型モニターを見上げ、父はあのモニターを塗ったのは自分なのだと誇らしげに語った。早朝に起き出し、帰宅は8時過ぎ。汗まみれ埃まみれで、疲れきった様子で帰宅する父からは、けれど自分の仕事に対する卑下など感じたことはなかった。高度成長期、日本を底辺から支えていた自負があったのかもしれない。 しかし、こんな時代だ。自分にはそんなもの望むべくもない。友人達がスーツを着て、仕事をする姿に羨望を覚える。汗水垂らして単価数十、数百円単位の品物に執着する自分が惨めにすら思った。
久士は車を北へと走らせた。県内にある観光温泉地へと続く道だ。小一時間も走らせると道路沿いに背の高い木々に囲まれた鉄塔が見えてくる。草むらに車を寄せ、駐車すると久士は車を降りた。 フェンスの張られた中に立つ鉄塔を見上げる。 目を細めるようにして塔の天辺の方を見つめた。いくら目を凝らしても久士の視界には入ってこない。けれど、そこには機械を収める金属で出来た箱があるはずだった。 久士が鈍い銀色に塗った金属の箱が。 容赦なく風雨に晒される場所に置かれた箱。塗膜は剥がれていないだろうか。錆びてはいないか。そこからでは分かるはずもないのに見上げ、考える。 次はもっと次はもっと、次はもっと。こうしている瞬間は全てが忘れられた。不安も卑下も何もかも。 だからこそ、休日だというのにこんな辺鄙な場所へ足を運ぶのだ。 明日は月曜。また、仕事の日々が始まる。けれど、まだ大丈夫だ。まだ続けられるだろう。 鉄塔を見上げつづける久士を、落ちかけた日の光だけが鈍く照らしていた。
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