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クリエイター名  辻内弥里
現代・心情中心・同性恋愛っぽいもの(趣味で書いているのはこの雰囲気)

■現代・心情中心・同性恋愛っぽいもの(趣味で書いているのはこの雰囲気)

 育った街は、内海を両腕で抱え込む形をした港町。カブトムシを採りに行った高台で胸一杯に空気を吸い込んだ時も、中学校の教室で退屈な授業中に欠伸をして叱られた時も、いつだって町の普く隅々にまで、潮騒の音が絶えず打ち寄せ続けていた。
 だからあの、ざざああん、ざざああん、という穏やかで限りない星の音は、最早鼓動のように近しいもので。それを“音”だと意識することなんて、極々稀なことだった。
 そう。卒業して、街を離れるまでは。

 高校を何とか3年で終えると、自分は外の大きな都へと働きに出た。小さな頃から一緒に育ってきた同級生達もおおよそが同じ道、特別感傷に浸ることでもない。
 初めの1年はとにかくへとへと、音を上げる暇も無いほど汗水を垂らした。何とかしきたりや柵に慣れた2年目、夏の盆休みにゆっくりと里帰りすることが出来た。
 だからその日の午前中。のそのそと寝床から這い出してきた自分は、着の身着のままで縁側に胡坐をかき、久しぶりにぼーっと、吊り下げられた風鈴なんかを眺めていた。空は見事な快晴、ああ、いい天気だ。
「セイちゃん」
 と。不意に呼ばれて目をぱちくりする。誰かと首を廻らせば、垣根の向こうに、見知った顔がひょっこり覗いていた。 斜向かいに住む2つ年下の幼馴染こと、長年の弟分だった。
「元気?」
 彼は身を乗り出しながら、むすっとした顔で訊いてくる。
 あれは、別に怒っているわけではない。生まれつきの表情だと知っているので、自分はにっかり笑い、「よう」と片手を上げた。
「久しぶり、おまえこそ元気でやってるか?」

 今年大学受験生である彼は昔から背が高く、180ある自分を高校1年で抜いた。しかも異国の血が入ってるんじゃないかと疑いたくなるくらいに彫りの深い、整った顔立ちをしていて、これで愛想が良かったらさぞ女性にちやほやされただろうに、と自分は何度か思ったものだ。
 しかし生憎(もしくは幸運にも?)、彼は生来機嫌の悪そうな表情を面に貼り付けているので、しかも造形が完璧な分余計に強面なので、女子などは怖がって余り近寄らなかった。
 兄貴である自分は彼に説いたことがある。おいおまえよう、偶には爽やかに笑ってみ?
 彼はやっぱり面白く無さそうに答えた。いいじゃん、だってセイちゃんは困んないっしょ?
 何でそこに俺が出てくんだよ、と逆に自分が腹を抱えて笑ってしまう。そうしたら彼のほうがちょっと困ったように眉を寄せて、それから下唇を突き出したっけ。
 俺は真面目に答えてんだよ、セイちゃん。

 ともかくその弟が訪ねて来たので、自分は彼と散歩に繰り出すことにした。彼も勉強の息抜きにと外に出たらしい、ちょうど良いな。
 さして広い街ではないが、海のすぐ傍まで迫った山の中腹に張り付いているため、起伏が激しく小路が入り組んでいる。車が通れるところなんて、海岸沿いの県道だけだ。ぶつかりそうな軒並みの間を縫うように歩きながら、ああ帰って来たんだなあ、と淡い感慨を微笑に載せる。
 鼻をくすぐる潮の香、そして耳に届くは波の音。心臓が打つ規則正しさで、寄せて返す音よ。
「いつまで居んの?」
 石の階段を下りながら、不意に彼が口を開いた。
「ああ、来週頭までだな」
「短けえ」
「シャカイジンってそんなもんだぜ、大学行けるんなら行っとけよ。遊ぶ時間が増えっからよ」
 前方を小太りの三毛が横切る、手前で足を止め自分たちにガラス玉のような眼を向けてきた。どこから盗ってきたのか、口に小魚を咥えているが、赤い首輪から察するに飼い猫らしい。
 しゃがんでちっちっちっ、と舌打ちして呼る。しかし猫はツンと鼻先を逸らし、あっさりとスルー。家々の狭い隙間に身を滑らせて行ってしまったあいつ、見たことねえなあ、ここらなんて庭みたいなもんなのに。変化って、こういう時に実感するんだな。

 やがて県道に出た。ガードレールが隙間無く並んでいるのは、その向こうがすぐに崖だからだ。
 自分たちは右に折れ、道路に沿って進む。先には防波堤があり、そこに腰掛けじりじり陽に焼かれながら水平線を眺めるのが、小さな頃から自分たちの「一休み」だった。
「セイちゃん、もう、」
「あん?」
 汗が垂れてきて、額を手の甲で拭う。
 傍らの彼が、一度ごくんと喉を鳴らしたようだった。
「もう、こっちには戻って来ねえの? セイちゃん、出てきっぱかよ?」
「……だなあ。まあ、今んトコ勤めてる限りは、戻って来れねえだろうな」
「そんな会社辞めちまえ」
 拗ねたような物言いに、自分は盛大に笑った。
「無理言うなよう」
「無理じゃねえ。マジだっつの」
 声音の硬さに、自分は笑い声を収めた。立ち止まり、半歩後ろで立ち止まっていた彼へと肩越しに振り返る。
 自分よりちょっと高いところにある双眸、いつも通りの不機嫌さ────いや、これは本当に機嫌が悪い時の顔だ。恐らく自分くらいが見分けられる、昔から一緒にいる自分だから判る、彼の、怒っている時の表情。
 自分は、多分きょとんとした。彼は、次の瞬間走り出した。
「っておい! 何だってんだよ、コラ!」

 追いかけっこの開始かと思ったが、何のことはない、彼は目的地である防波堤の上で待っていた。自分もひょいと跳び乗って、仁王立ちの彼の横に並んで立つ。
 遠く彼方、白い船が一艘。ボウ、と汽笛の音が波に混じって聞こえてきた。
「……ごめん」
 呆気なく謝る彼に拍子抜けしたが、その視線は自分には向けられていなかった。ずっと遠く、海よりも向こうを見ている目をしている。
 自分は、ほんの少しだが動揺した。長い付き合いの中で、こんな切ない表情は初めてだった。
「どしたんだよ? 勉強、上手くいってねえのか?」
 首をぶんぶん横に振られる。
「違ぇよ。……じゃ、なくてさ。セイちゃん、だって、禄に帰って来ねえ。俺も出るけど、でも俺まで出たらもう、俺、セイちゃんに逢えなくなんじゃねえかって、思って」
 珍しい饒舌に少し驚いた。なんだ、そんな可愛い理由で拗ねてたのかと、わかったから頭をガシガシ撫でてやる。
 彼は、しかし俯いてしまって、それからぽつりとこう呟いた。
「……わかんねえよ、セイちゃんには」

 ────そして。

 ちらり、と見据えてきた瞳の色は、今まで見たことのない男のものだったから。

「わかんねえよ、俺の気持ちは……さ」

 自分は手を引っ込めた。
 彼は顔を上げない。
 波の音がやけに、耳慣れぬ“音”として響いてきて。
 幼い頃から親しんでいたはずのそれが、異質に変わる瞬間を、自分は。
 その時、汗ばむ肌で感じた。



 
 
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