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クリエイター名  凪鮫司
雨女と先輩

雨女と先輩


天気予報は晴れだったのに。

「うおおすげえ! 吹き上がるマンホール! 坂を流れる濁流! 間髪入れず響く雷鳴! これこそ人生最後の秘境! 暴風雨ゥー!」
「笑いごとっちゃないですよお! なんで! さっきまでぜんぜん晴れてたのに! ありえん! お菓子も花火もぐちゃぐちゃじゃない!」
「雨女フッフー!」

 悦びすぎの先輩の隣で、私は必死に傘を操っていた。まあ、それはむしろ、骨というか、枝というか、いやいや、持っているだけでもましなのだ。先輩なんか、着の身着のまま、天に拳を突き上げているのだから。

「ていうかマジすごい雨だな。お前、何か悪いことでもしたか?」
「そげん言われても。別に悪いことなんて」
「よーく思い出してみろ。今日、朝起きて、なにをした?」

 朝、毎度のごとく寝坊をした私は、もはや朝一の授業に間に合わないことを悟り、四畳半畳敷きの部屋に漂うかび臭い匂いを吸いながら、とりあえず髪をまとめ、顔を洗い、歯を磨きながらケータイをチェックし、そういえば今日は約束の日だったと思い出して、もう何ヶ月も開けていなかったクローゼットの封印を解いて、シックな黒で統一した一張羅を身に纏い、その傍らで握った工学部御用達のハンマーを、豚の貯金箱に振り下ろした。

「へー。で、それから」

 我ながら貯蓄感覚のなさに絶望した! と天井を見上げながら、それもまた空しい事だと思い直し、とりあえず向かったキャッシュコーナーで軽く借金し、その足で向かった街一番のデパートの地下二階、食品売り場の片隅で、今まで買ったことのない、綺麗な箱に入った、細かい装飾のチョコを買って、ああこんな贅沢なことをしたら、神様に怒られてしまうのではないかと。

「そ・れ・だー!」
「しまったーっ!」

 なんたる不覚。一生に一度の汚点。神様ってば残酷です。

「てめえみたいな貧乏学生が慣れないことするからこんなことになるんだ! いまごろ街の方じゃ浸水でひどいことなってんぞ」
「え、私のせい?」

 そんなに大きく頷かなくても。

「海より深く反省するがよい」
「神様のばかやろー!」
「だーちょっと待てそんなこと言うと」

 遠くで聞こえる轟音は、恐らくは崖崩れ。

「ごめんなさいごめんなさい許して下さい申し訳ありませんだから止んで−!」
「たくよう。神様に対応するのだって作法があるんだぜ?」

 ほう。在学中は神仏なんて信じないと有名だった先輩の口から、そんな言葉が飛び出てくるとは。

「宗旨替えしたんだよ。ほら、まず柏手を打つか鈴を鳴らす」
「鈴は無いし、もはや柏手は聞こえませんよ?」
「じゃあ叫べ! 声の限り叫べ!」

 ご近所の皆さん。私は決して変な人ではありませんから……!

「の、喉が、しぬ」
「水ならいっぱいあるだろが。で、お賽銭を投げる」
「えー。神様ってそんなに現金なんですか?」

 一際大きな雷鳴の後、消防車のサイレンが波のように聞こえてくる。

「わかりました払います払いますだからもう怒らないで!」
「よしよし。ま、金額の多寡というよりは、気持ちの問題だからな。五円とが五十円とか、ゲン担ぎしとけ」

 どうやら、一円ではダメらしい。

「そこでケチるならこんなもの買ってくんな」
「だって先輩、チョコが大好きだったじゃないですか!」
「好きも嫌いもこんなんなったら食えねえだろうが!」

 言われて見下ろす先には、水に浸されバコバコになった化粧箱と、そこから覗く、生チョコの如く溶け始めた高級チョコたちの姿が……。

「いやまだいける」
「いけねえよ!」

 いや、人間の人生というものは、無理を通して発展していくものだ。ライト兄弟もガガーリンも、まだ見ぬ地平を目指して歩んで行ったからこそ、前人未踏の地へ辿り付いたのだから。

「じゃあ食えば」
「遠慮します」

 凡人なんで、自分。

「ああもうそれはいいから。で、次はお願い。色々流派はあるけど、二拍手一礼が基本な」
「二拍手、一礼……」

 そして手を合わせて。
 願うことは。

「先輩」
「ん?」


「ちゃんと成仏してくださいね」


 ……。

「ぇー」
「えーじゃないですよこの地縛霊!」

 そういえば、先輩が消息を絶ったあの日も、こんな暴風雨の夜だった。捜索隊があたりを引っかき回し、見つかった時には、土砂崩れに半ば埋もれるようにして、既に息絶えていた。

「だってさーオレまだ未練あるしー」
「次の未練はなんですか! 地方限定品のスナック菓子が食べたいとか、試験で一番を取りたいとか、あの教授のヒゲをダンディに整えたいとか、もういい加減に未練多すぎです!」

 むしろ未練がしょっぱすぎます。

「そう言うなって。後はなー、そうだなー」
「考えるくらいならさっさと成仏せんかい!」

 それでなくても困っているのだ。ここは大学への通学路だから、知り合いや可愛い子が通りかかると、つい霊障を起こしてしまうし。そのたびに、霊感女で通った私の元へ、やれ除霊だなんやらと、お願いされてしまうわけで。

「今日こそ成仏だと思って塩チョコ買ってきたのに!」
「うわ、ちょ、それ卑怯!」

 それはともかく。今日はもう自分の命が危険だから、もう帰るとしよう。さっきから頭上の崖から、パラパラと小石が落ちてきているわけで。

「別に同棲したっていいんだぜ?」
「全力で拒否させて頂きます」

 もはや杖のようになった傘を肩にかけて、私は、先輩と毎日通ったこの道を、背中を丸めて歩いて行く。

「お前がなんとかなるまでは、成仏しねえしさ」

 雨の帳の向こうから、そんな声が聞こえた。まあ、気のせいだろう。

 雨はしばらく止みそうにない。私もまだしばらくは、彼との思い出を忘れられはしないだろう。

 ……。

 雨女で良かったと。ちょっとだけ、思った。
 
 
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