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クリエイター名 |
龍宮真一 |
電子の海で
題 : 電子の海で
カタカタと言う小気味良い音が、私の部屋を満たしている。 私の部屋からこの音が聞こえない日は、そうはない。 私はお気に入りのB'zのアルバムをBGMに、少し大きめのディスプレイに向かっていた。両の手は、踊るようにキーボードの上を動いている。 電子の手紙……。それが、私が毎日のようにパソコンを使って書いているもの。この、広ささえ測れない電子の海を渡って、私の何気ない言葉を届ける、形のない、手に触れることのできない手紙。私が書いたのは、これで何通目になるのだろう。いまさら数える気には、とてもじゃないがなれない。 「これでよし、っと」 送信ボタンを押して、相手に私の言葉を送る。この相手から返事が返ってくるのを、私は最近、一番の楽しみにしている。 「さてと。そろそろ行くかな」 私は呟いて、音楽を止めてCDコンポの電源を切り、机の脇においてあった自分のかばんを手に取って肩に掛けた。 今日は日曜日。外は気持ち良く晴れ渡っていた。
私の名前は久遠香織(くどう かおり)。高校二年生だ。いつの間にかクラスの代表にされてしまっていて、部活との両立で忙しく毎日を過ごしているけど、私はこの上なく楽しい学校生活をおくっている、と思っている。 それに、家ではパソコンが私を待っている。既に、私の生活の一部と化してしまっているそれは、半年前に私の家へとやって来た。それからというもの、私は毎日のようにパソコンの前に座ってはキーボードを叩いている。 パソコンが世間に普及し、電子メールという手間も時間もかからない手紙が世の中に広まって、かなりの人間がそれを当然のように使うようになった。 メールフレンドはたくさんいるけれど、私は最近、今までになく熱心に手紙を交わすようになった相手が居る。 それは、高校の文化祭の時に出会った他校の男子生徒だ。 名前は……実際のところ、それが本名かどうかは分からない。が、とりあえず、私は彼を「セージ」と呼んでいる。私と同い年だ。出会い方はちょっと変わってて、いまだにあれは何だったのだろうと思うことがある。
「ねぇ、メールフレンドにならない? これ、メールアドレス」 「……は?」 私は思わず、そう言った。何考えてるんだ、この男は? そんな目で男の顔を見る。 目の前に居る男は、目鼻立ちの整った、私の感覚としてはいかにもナンパしそうな感じの男だった。 私の訝しむ目を平然と笑顔で見返しながら、男は私の手に紙を無理やり掴ませてきた。 「ちょ、ちょっとこれ……」 一度その手に目を落として、それから視線をもう一度男の顔の高さに戻した時、男はすでに歩き始めていた。 「とにかく、メール待ってるからさ。詳しいことは、そこで話すよ。それじゃ」 それだけ言うと、私の名前も何も聞かずにセージは走っていった。私は呆然としながら、手の中にある紙を見てこう言った。 「セージ……」 それは、アッドマーク(これです→@)の前に書いてあるローマ字で、私はそれをなんの気なしに口に出していた。 そのあと、私は家に帰ってから、結局メールを書いた。なぜかというと、一言、今日の文句を言ってやろうと思ったのだ。ちょっと腹が立っていたから、なんの挨拶もなしに文句だけを書いた。普段はそんなこと、絶対にしないけれど。 メールの内容は、本当に文句だけだった。名乗りもしないでいきなりメールしろとはどういう了見なの? みたいなことを十行ぐらい書いただけだったと思う。 ところが次の日、返事が来てびっくりした。とても丁寧な文調で、セージが自分のした非礼を心から詫びているように感じ取ることができたのだ。私は苦笑しながら「ま、許してやるか」と呟いたのを覚えている。 そして、セージとのメール交換が始まったのだ。
眩しいくらいの青空の下、私は深く空気を吸い込んだ。久しぶりのショッピング。本当に久々の気晴らしだ。 「さってと。まずは何処に行こうかな〜。CDでも見に行こうかな〜♪」 鼻歌混じりに街を歩く。何でもない町の喧騒が、妙に嬉しく感じる。自分がクラスの代表ではなく、一人の人間としていられる時間……それが嬉しかった。 まぁ、決してクラス代表が嫌なわけではないけれど、その仕事とか責任を放り出したくなることはある。それを考えると、社会人というのは気苦労の絶えないものなのだろうな、なんて思ったりする。 いろんなことを考えながら歩いているいと、あっという間にCDショップに着いていた。私は自動ドアから中に入ると、店員の営業スマイルを横目に、とりあえず最新CDの置いてある一角に向かった。 「そう言えば、あいつは音楽ほとんど聞かないって言ってたなぁ」 最新のB'zのシングルCDを手に取ったとき、そのことを、ふと思い出した。
『音楽はほとんど聴かないんです。 それにテレビもほとんど見ません。 小説とか、漫画は良く読むんですけどね(^^) あと、やっぱりインターネットですか。 チャットはよく利用しますね』
メールで、こういう返事が返ってきたことがあった。それからは、自然と音楽の話はしなくなったっけ。 「良い歌、けっこうあるんだけどなぁ」 最新CDコーナーを見まわしながら、つい口に出して呟いてしまった。 私はシングルCDを元の場所に戻すと、しばらくしてからブティックへと足を向けた。あまり買う気はないけど、洋服は眺めているだけでもそれなりに良い気晴らしになるから、私はたまにブティックを利用するのだ。 それにしても……一人ってのも良いかと思ったけど、やっぱりちょっと退屈ねぇ。 通りを歩きながら、そんなふうに思う。どうせなら、あの娘も連れてこれば良かった。私の隣に座っている親友のことを思い出して、ちょっと残念な気持ちになった。ま、言ったところで面倒くさいって言われるのが落ちかもしれないけど。 「んふふふっ……」 面倒くさそうに答える彼女の顔を思い浮かべて、思わず笑ってしまった。とっさに口を押さえて周りを(気づかれないように)見まわしてみる。どうやら誰も気にしていないようだ。よかった。 ブティックに入って、私はゆっくりと洋服を見始めた。洋服を見ながら、頭の中で色々考えを巡らしてみる。クラス代表としてやるべきこと、クラブ活動のこと、セージのこと……。 私は、うじうじするのとか、思い悩むのとかは合わない性分だ。だから、最近私は、自分にはっきりと言い聞かせたことがある。それは、私がセージのことを気になり始めている、という事実だ。これは嘘のつきようがない、自分の気持ちだ。だから、そろそろ直接会って話すのも良いかな、と思っている。 一度、ああいう形ではあるが、私たちは直接会っているわけだし、何の抵抗も無く会うことができるだろう。少なくとも、私はそう思っていた。 「あっ!」 私は大声を出して、そしてとっさに口を押さえた。今度は通りで笑った時のようには行かず、みんなが私を見ていた。 「す、すみません……」 店内の人たちに軽く頭を下げて、私は走り出した。恥ずかしくて店を飛び出したわけではない。約束を忘れていたのだ。 「4時半に例のチャットで、って、今日じゃない!」 声に出してたけれど、今は周りの視線を気にする暇など無かった。腕時計を見ると、時間は4時15分。 「絶対間に合いっこないよ、どうしよぉ!」 私は考えた。何かいい方法は、いい方法は……。そして、思い出した。 「インターネットカフェ!」 確か、このショッピング街にあったはずだ。そう、確かあの区画に……。 私はそう思うが早いか、一目散にそこへ向かった。まもなく店が見つかる。時間は4時27分。まさにぎりぎりセーフだ。 私はさっさと中に入り、適当に飲み物を頼むと、空いている席について早速インターネットにアクセスした。そして、例のチャットへと急ぐ。 チャットで話すのは、ほとんど日曜日とかだけだ。後はメールでやり取りしてる。それぞれ違った楽しみがあって、私はどちらも好きだ。それに、直接会って話をするのとは、明らかに違う何かがあるのも確かだ。 チャットルームに入ると、既にセージは来ていた。「やっほ〜(^^)」それがセージの第一声だった。 セージはどうやら10分も前からアクセスしていたようだ。一対一で話せるこのチャットルームを、私たちはよく利用していた。 ずいぶん早いねぇ。それが私の第一声だった。そこから、何気ない会話が続く。 そして、しばらく経ったその時……。私は、聞き覚えのある声を聞いた。若い男性の声だ。その声は、甘ったるい女性の声と楽しげに話していた。この声は……。 私は小さく深呼吸してから立ち上がり、声のする方へと向かった。音量を押さえて話しているのだろうけど、ここではそれでも大きいくらいだった。場所はすぐに分かった。 「セージ……?」 私は声に出して聞いた。男は振り返ると、あからさまに動揺した顔をした。 それは、確かにあのときの男だった。私にメールアドレスを無理やり手渡した、あの男だ。 画面を見てみるけど、そこには私とチャットしている場所は映し出されていなかった。映し出されているのは、隣街でそこそこ知られている、アマチュアロックバンドのホームページだった。 「どういうこと……?」 とりあえず、説明してもらわないと。大体状況は予想できている。でも、本人の口から聞かないと納得いかなかった。 「ねぇ、なんなのこの女? こーじの知り合い?」 隣の女性が言った言葉。それは、私の予想が当たっていることを裏付けていた。 「まさか本当にこうなるとはなぁ」 ため息混じりに、コージと呼ばれた男が言った。 「詳しく説明してもらいましょうか? それと、本当のセージの居る場所まで案内してくれると嬉しいわ」 私は静かに、反論できそうも無いほどきっぱりと言った。 「そうだな。分かっちまった以上、はっきりさせとくべきかもな。悪いなサヨ、今日はこれで終わりだ」 「え〜っ!」 あからさまに不満を含んだ、鼻にかかった声。コージは女性の頭を軽くなでると、私に頷いた。 「来いよ。連れてってやる」 「変なところに連れていったら、ただじゃおかないわよ?」 「おいおい、信用無いなぁ」 「一回騙されてるのに、信用できるわけ無いでしょ」 「あはは、確かに。でもま、とにかく信用してくれ。セージに誓って、ちゃんとあんたをあいつの居るところに連れていってやるから」 私はかばんの中にある、護身用に持ち歩いているスタンガンを確認すると、一度だけ頷いた。 私たちはサヨとかいう女性を置いて、ある場所に向かった。そう言えば……と、チャットを繋げたままだったのを途中で思い出したけど、今更どうしようもなかった。
行き着いた先。私は思いもよらない場所に案内されていた。 「病院……」 建物を見上げて、私はしばらく呆然としていた。ここにセージが居るというの? そんな気持ちで私は病院を眺めていた。 「行こう」 コージに連れられて、私は中に入っていった。向かったのは四階。部屋の入り口のところに、入室者の名前が書いてあった。三笠星治。この名が、セージの本名、フルネームなのだろうか。 コージはノックをして、そして数秒経ってからいきなりドアを開けた。ゆっくりと入室するコージに続いて、私も部屋に入った。 「んうああぁぁぁあぁぁ!!」 そこに居た男性は、私を見るなり大声をあげた。本当に嫌な時、人間ってこう言う声をあげるのではないか。一瞬そう思えた。 「セージ……」 思いもよらぬ、コージの悲しそうな声。私の目の前に居る男性が、セージなのだろうか。いや、実際そうなのだ。おとなしそうな、優しそうな男性だ。セージは叫ぶのを止めようともせず、布団で顔を隠して叫びつづけていた。 「ちょっと外で待っててくれ。オレ、こいつを落ち着かせてから行くし」 私は半ば反射的に頷き、外へ出て、セージの叫び声を聞きながら、ゆっくりと扉を閉めた。中からセージを落ち着かせようとするコージの声が聞こえてくる。 私はじっと、コージが出てくるのを待った。待ったというよりは、ただ呆然としていただけかもしれない。ほどなくしてコージが出てきて、私に「向こうに行こう」と小さな声で言った。私は頷いて、コージの後を着いていった。 受付前の待合室につくと、コージはゆっくりと話し始めた。 「今のが、あんたといつもメール交換してる、正真正銘のセージだ」 「みたいね……」 私はそっけなく答えた。 「分かるかな、あんたに……」 意味ありげな視線で私を見るコージ。だけど、私は黙っていた。黙って、コージが説明してくれるのを待った。コージは小さなため息をこぼしたあと、話を続けた。 「セージはよ、この世界に、音を忘れて生まれてきたんだ」
『音楽はほとんど聴かないんです。 それにテレビもほとんど見ません。 小説とか、漫画は良く読むんですけどね(^^) あと、やっぱりインターネットですか。 チャットはよく利用しますね』
私の頭の中に、電気が走ったように思い出された文章……。聞かないのではなく……聞けなかったのだ。 「音が聞こえなくてさ、車にはねられたんだよ。で、足を折ったんだ」 頭の中が真っ白になる、というのを、私はこのとき初めて体験した。 「オレもさ、チャットでセージと知り合って、初めて直接出会ったときは、驚いたぜ? 右手にスケッチブックとマジックの入った袋持っててさ」 私はただ、コージの言葉を聞いているだけだった。 「でもさ、オレ、人間って誰でもダチになれるって思ってるからさ、セージとも長くやってこうって思ったんだ。これは、哀れみでもなんでもないぜ? それをセージは分かってくれた。だから今、こうしてオレはここにいる」 コージがこっちを向いたのが、気配でわかった。私はすこし、顔を上げた。 「これからどうするかは、あんた次第だ。オレはなにも言わねぇ。ゆっくりと、考えな」 「……とりあえず、今日は帰るよ」 私はなんとかそれだけ言うと、コージの視線を背中に感じながら、ゆっくりと病院から出ていった。
纏まらない気持ちと思いを抱えたまま、私は家の門を開けていた。そして、風呂場へと向かう。ゆっくりとぬるま湯の張ったバスタブにつかりながら、考えを纏めるためだ。 脱衣所につくと、手早く服を脱いで籠に入れ、風呂場へ入る。私は軽く湯浴みをして、ゆっくりとバスタブにつかった。そして、ぼんやりと天井を眺め、考えてみる。 確かに私は、コージのことをセージだと思って今まで過ごして来た。けれど、話してた相手は間違いなくあの、優しそうな顔をした、哀しい声で泣いていた、あの病室の男性、本当のセージだ。 ショックなのは確かだ。今もまだ、なんとなく現実味がない。『これからどうするかはあんた次第だ』と言ったコージの言葉が、心に浮かぶ。 「そうよね……」 私はゆっくりと深呼吸して、一人、頷いた。そして、急いでお風呂から上がった。
部屋に戻ってパソコンを立ち上げて、メールをチェックする。そこに、セージからの返事が返ってきていた。それは、今日私がショッピングに行く前に出したメールの返事だった。 題は「これからもヨロシク!」だった。
『今からショッピングかい? もしかして……忘れてる?(^^; とりあえず、今日はチャットで思いっきり話したい気分なんだ。 今なら、言えそうな気がするんだ……なんて、ちょっと謎(笑) そうそう、今読んでる小説がもう最高なんだ! カオリにも是非読んでもらいたいな。きっと感動すること請け合いだよ! さて、じゃあ最後にひとこと。なんだか妙に今言いたいんだ。 これからも、ヨロシク!』
涙が出そうだった。セージはいつも、どんな気持ちでメールを書いていたのだろう。私が音楽の話題を振った時、どんな顔をして読んだのだろう。私の何気ない、数え切れない思いを、彼はどんな思いで受け止めていたのだろう……。 当たり前のこと。手紙って本当は、いつも自分勝手。一方的に、思いを伝えるだけ。だけど、その当たり前のことに、私は今、気づいた気がする。 私は「返信」をクリックすると、指をキーボードに走らせた。 私がどれだけ急いでメールしても、彼がそれを読むのは、今日ではないだろう。あの様子じゃ、すぐに読む気にはならないだろうから。 でも、それでもいいと思った。セージなら、きっといつかは読んでくれる。 今はただ、この溢れんばかりの気持ちを、彼に伝えたかった。今までとは明らかに違っていて、でも本当は変わっていない、私のこの思いを。 話したい。セージと。 私は指を止めると、深呼吸した。そして、送信する……。 私の思いは、必ずセージに届く。私はそれを、疑いはしなかった。 そう……きっとセージの思いは返ってくる。 数え切れない思いの浮かぶ、この電子の海を渡って……。
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