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クリエイター名 |
tobiryu |
サンプル
<心情描写の一例>
解放の刻み。 教室から喧騒が溢れ、校内を満たしていく。一日で一番ボリュームの大きくなる時間だ。生徒の大半は学校というミニ社会からすぐには出ず、部室や教室、廊下を発声源にした。右手にゴミ箱を従えた池宮真希もまた友達と放課後の一時を過ごしていた。 廊下の日の射す窓際に寄りかかり、雑談に光合成をさせる。日課ではないのに自然と日課になってしまっているこの習慣は真希を中心に行われた。特に予定も無く、学校を出ようと歩けば何人かが集まる。花に集う蝶。知らぬ間に蜜でも塗られてるのかもしれない、と手首を匂っても香るのは朝つけたオーデコロンだけだ。 この日も同性三人の友達が真希を囲んでいた。一人が顔を合わせるなり髪を撫でてきて、自分のものと比較し始めたのには虚をつかれた。羨ましそうにする上目遣いに苦笑してみせる。細く柔らかい髪質は生まれつきだ。セミロングの黒髪にシャギーをかけただけの手軽さ。特別な手入れもしてないのにこの光沢は反則だ、と少女はブーブー言った。ブタじゃないんだから、と指摘する。ムキになった彼女は鼻を鳴らしてリアルなモノマネをした。それで一笑い。 「真希って彼氏いるんでしょ? いいなぁ、私も欲し〜」 「どんな人?」 「私も知りた〜い」 話題の方向転換は天下一品。女三人寄ればかしましい、とはよく言ったもので、話題は尽きようとしない。この車にはブレーキなど初めから付いていなかった。どこかにぶつかるまで止まらない暴走車。誰も止めようとしていないのだから止まるわけもない。 携帯電話の裏側に貼られたプリクラを見せる。ハリネズミのような頭をした無闇に笑顔の青年に肩を抱かれて写る真希の図。名を藤垣康介(ふじがき こうすけ)という。相反して真希は無愛想だ。気分が乗らないのも構わずに半ば強引に撮らされて貼られた一枚だった。ただでさえやや鋭利な双眸なのに、この時は当社比二倍の鋭さになっている。誰も近づかせないオーラが自分の周りに見えた。否、康介に気づかせるために自分で描いた波線だ。肝心の彼は、真希強そう、と言って笑っていた。人生は上手くいかないようにできている。 「すごい、格好いい。大学生だっけ? 大人じゃん」 「私も少しは期待しだんだけどね。全然だよ」 友達はお世辞を言っていない。他の二人も同様だ。確かに康介はそれなりの外見を持っている。しかしそれとは別に真希は確信する。いつからか一目見ただけでその人がどんな感情にあるかを読み取れる特別な能力が備わっていた。自覚はしていないものの、これが人を惹きつける一つの要因なのかもしれない。 三人の手の中で携帯電話がクルクルと巡り続ける。そのうちバターにでもなってしまいそうだ。取り上げようと伸ばした左手をガシッと掴まれた。薬指にはシルバーに光るシンプルな指輪がはまっている。値段の方もシンプルな代物。欲しくもないのにプレゼントされ、はめて来ないものならオモチャ屋で駄々をこねる子供に変身される。 街で康介にナンパされ、試しに付き合ってみたのは失敗だった。最近は幼稚な行動や言動に堪えられなくなっていた。そういうのが良いという人間もいるだろうが、真希の求めるタイプではない。 「じゃあさ、私にちょうだい。このシルバーリングも」 「最っ低、外見良ければ誰でもいいのかよ」 物をねだるような手を差し出す少女に、もう一人が笑いながらすかさず小突く。真希は反射的に、うんいいよ、と言ってしまいそうになる口を慌てて閉じた。言ったとしても冗談になっただろう。そういう空気ができている。悪くはない。 ふと顔を上げると教室から出てきた青年と目線がぶつかった。知った顔だ。相変わらず起床したばかりを想わせる癖毛の青年――橋本亮太(はしもと りょうた)。眉が「ハ」の字気味で弱々しい印象がある。こちらの姿を認め、強引に体の向きを変えて見て見ぬフリをし、そそくさと行ってしまおうとした。昔馴染み相手にその反応はないだろうと名前を呼ぶ。ため息をつくのが彼の頼りない背中から見て取れた。身長は平均的なのに、やや猫背のせいで小ささが増している。 「そんなに急いでどこ行くの?」 質問に亮太は無言で返してくる。すぐにでもこの場を脱してしまいたいらしい。なにか用事があるのだろう。その腕にはゴミ箱が抱えられていた。掃除当番の最後の使命、ゴミ捨て。一階まで下りて専用のポリバケツに中身を放り、また教室に戻ってゴミ箱を設置する。この面倒臭さから皆に嫌われている役割だ。主にジャンケンの罰ゲームとなる。 亮太の場合、そうでないのは容易に想像できた。 「ついでだから私のも持って行ってよ。いいでしょ?」 脇に置いていたクラスのゴミ箱を上履きの爪先で突っつく。真希の場合もまた例外だ。率先してゴミ捨て係を名乗り、早々に教室を出てきたのだった。誰のためでもない、亮太に運ばせるために。愛の成せる技だ。 しばしゴミ箱を見つめ、亮太は黙ったまま片手に一つずつ持つ。結局一言も発さずに真希の空間から早足で抜けていった。人の頼みごとを断れない、それが亮太という青年。大方、クラスメイトに押し付けられてゴミ捨て係を任命されたのだろう。人間というのは不思議なもので、弱い人間を正確に嗅ぎとれるのだ。 真希は窓を振り返って空を見上げる。飛行機が低いところを飛んで轟音を残していった。 「もしかしたら、大人なんていないのかも」 「え?」 ポツリと呟いた言葉に対して過敏に反応する友達へ、なんでもない、と短く言って鞄を持ち直した。それが帰宅の合図となって、三人が真希にならう。 二十歳になれば大人なのか? 責任能力があれば大人なのか? 堪えれば大人なのか? 思いやりがあれば大人なのか? 道徳をわきまえれば大人なのか? 自立生活していれば大人なのか? 精神的自立をすれば大人なのか? 未来を視野に入れていれば大人なのか? 真希の周りに大人はいない。たった一人を除いて――。
白黒のボーダーシャツへ強制的に顔が埋まった。香水よりもタバコの匂いが鼻の奥にこびりつく。顔をしかめる池宮真紀を抱き寄せた藤垣康介は一人ではしゃいでいた。マヌケな電子音が鳴り、モニターに二人の姿が映る。喜ぶのは康介のみ。グラフィックペン片手に早速ラクガキを始める。ショッキングピンクでなにを描くのかと思えば二人をハートで囲みだした。 堪えられなくなった真希は機械から離れて近くのベンチに腰かける。あちこちに効果音や音楽といった電子音の密集する空間――ゲームセンター。なにをするでもなく歩いていたらここを見かけ、プリクラを撮りたいと康介が言いだして連れてこられた。全身に鉛を付けられたような疲れに襲われる。東京湾に飛び込んだらそのまま海底まで降りていけそうだ。気になるウエストを魚についばまれていた方がいくらかマシだった。 完成したプリクラで宙を扇ぎながら真希の横に遠慮なく座る康介。陽気なテンションで出来ばえを見せつけられる。眼球の痛くなる彩色が実にむごい作品へと仕上げていた。脳内もきっとこのような感じなのだろう。ある意味、希少だ。コレクターはいくら出しても欲しいはず。都合良く現れて彼を連れ去ってもらいたい。いまならプリクラ付きでお得になる。 評価を期待しているようだったので、芸術的だね、と言ってあげると満足げに肯いて自身でも再び鑑賞する。皮肉が通じない相手というのはどうもやりにくくて仕方がない。朝の中年男ならば顔をタコにして頭から煙の一筋でも出しているだろう。真希は表情無く背もたれ代わりの壁に寄りかかり、色とりどりの蛍光灯が眩い無機質な空を仰いだ。遠い天蓋に向かって白煙が昇っていく。何度嗅いでも慣れない匂い付きだ。康介が幸せそうにタバコを咥えていた。副流煙を横で数ヶ月吸い続けた肺はもう黒ずんできているだろうか。 康介の口から引っこ抜いたタバコを唇に挟んでみた。唾液の染みた紙のしっとり感が冷たい。いきなりの行動に口を開けたままの彼を横目で見る。口をすぼめ、思いきって吸った。それとほとんど同時に咳きこんだ。ストレスが消えるなんて嘘だと思った。 押しつけるようにタバコを返却する。彼は笑っていた。ひどく癇に障る笑い方だ。真希の気分を知ってか知らずか追い討ちをかけるように平然と煙を吸う。格好いいつもりなのだろう。目を細めて自分の世界に陶酔していた。そんなに好きならタバコと同化して煙になって消えてしまえばいい、とささやかな呪いをかけておく。 ゲームセンターを出るとビル間をオレンジの光が通り抜けていた。仕事帰りの人々に混ざってあても無く歩く。幅の広い交差点で立ち止まった。二人と同じように青い明かりを待つ群れが両端にできる。間を幾台もの車が通り過ぎた。 「真希さー、メシ食いに行こうぜ?」 待ちに待った青。康介の誘いに返答をしないで足を動かした。群れと群れはぶつからず、互いの間を器用に抜けていく。交差が一通り終わると信号が変わってまた群れができた。同じ世界にいるのに人生はほぼ交ざることなく通り過ぎていく。 空腹感はあった。問題は彼と一緒に食べるかどうかだ。気分から考え、わざわざ不味くなると予測できる夕飯を食べるわけがない。帰って一人で食べるカップラーメンはさぞ美味しいことだろう。 「じゃあ、このレストランで食べよ」 打って変わって瞳を輝かせる真希は洋風気取りの店で足を止めた。この輝きにはどんな百万ドルの夜景も敵わないと自負できた。康介の承諾も待たずに扉を開ける。例え一人でも入店するつもりだった。いきなりの決定に戸惑う彼はしかしニ・三歩遅れながらもしっかりとついてくる。どこかのロールプレーイングゲームのようだ。ひ弱な魔法使いは常に後列を歩く。満更、はずれてはいない。 ウェイトレスに二人用の席へ案内された。康介は座るなりメニューに目を這わせている。真希の目的はそんなものではなかった。首を巡らせ、興味の対象を探す。厨房らしきところから若いウェイターが銀色のお盆片手に出てきて思わず微笑してしまった。外から見えたのが幻覚ではなかったと証明されたのだ。心の中で拍手せずにはいられない。 近くに来たそのウェイターを呼びつける。康介が、まだなににするか決めてないよ、とうるさいが無視だ。満面の笑みでウェイターを迎えてやる。ウェイターは口を半開きにして動きを止めていた。 「こんなところでバイトしてるんだ、リョータ君?」 意図的に君付けで呼ばれた彼は嫌な予感の警鐘を体の隅々に鳴らした。鐘の音がこちらまで聞こえてきそうだ。真希の感情読術には嘘をつけない。もっとも、ウェイターに化けた橋本亮太の反応は誰が見ても一目瞭然だった。その分、普通よりも読み取りやすいということ。期待に応えてあげるのが同じ高校のよしみだ。 「ほら、早く水持ってきてよ。おしぼりもね」 彼の中で普段の自分とウェイターという役割が対峙しているのが手に取るように分かる。最終的にはスイッチをウェイターに設定して厨房へと戻っていった。開き直ってなりきるつもりだ。 そっちがその気ならこっちはどうしてやろう、と胸を躍らせて正面に顔を向けると康介がなにか言いたそうに口をモゴモゴさせている。この短い時間で、すっかり存在を忘れていた。説明するのが面倒だったが、どちらにしろしつこく追求してくるだろう。どんな関係でどんな人間なのかを簡潔に説明する。いるいるそういう奴ー、などと手を鳴らして彼は爆笑した。真希の、そういうオーバーリアクションする奴もよくいるよ、という呟きは聞こえなかったようだ。 そこへやって来た亮太が、お待ちどおさまでした、と固い口調でお盆からテーブルへコップとおしぼりを移す。白く清潔なワイシャツに黒いズボンはこのレストランの制服なのだろう。動作もなかなか様になっていて感心した。バイトを始めてから結構経っているのかもしれない。こんなに面白いことを教えてくれなかったなんてあんまりだった。小学校高学年からの付き合いだというのに亮太は冷たい人間だ。 ご注文がお決まりでしたら、という決まり文句を言って行ってしまおうとする彼を引き止める。「ハ」の字の眉が一度だけ痙攣を起こすのが見えた。このまま行かせてしまえば、きっと今日は二度と戻ってこないだろう。康介の持つメニューをテーブルに広げさせ、オーソドックスなハンバーグを指差す。もう片方の手は亮太の死角になった。汗をかくコップに指を引っかける。傾いたコップから透明の液体がこぼれ落ち、注文を機械に入力する彼のズボンが部分的に色濃くなった。奇抜な模様が流行りそうだ。ひんやりとした感覚に、あ、と短い声を発してこちらを一睨みしてくる。冷たい人間には冷たい物が似合っていた。 「ごめんねぇ、私ってドジだからさぁ」 至極反省しているかのように演技する。女優も顔負けだ。亮太は、いえ、などとウェイターのスイッチをONのまま床に転がったコップをお盆に載せた。厨房に引っこんで、さすがにもう戻ってこないかと思っていたらタオルを何枚か持ってきて濡れた絨毯やテーブルを念入りに拭いていく。その間、あっちもそっちも拭けてない、と姑のようにうるさく指示してあげた。ひざまずいて感謝してもらいたい。 それから何度も不必要に呼び出してはからかって遊んだ。もちろん、ハンバーグは胃に収めた。お腹も膨れて焦る亮太も観察できて今日はなんていい日なんだ、と余韻に浸る。 食後のバニラアイスを口にしていると流行りのメロディーが近くで鳴った。聞き慣れた曲だ。康介が迷彩色のズボンからランプの点滅した携帯電話を取り出す。画面を見て、ちょっとごめん、と一言。席を立ってトイレの方に向かった。真希はなんの反応もせず、口内に冷たく広がる甘みを楽しむ。冬なのによくそんなの食べる気になるよな、と康介に言われたのを思い出す。暑かろうが寒かろうが美味しい物は美味しいのだ。このぐらいならいくらでも食べられる。もう一つ注文してやろうと、軽くなった皿を置いてメニューを開いた。種類は充実していてカラフルなアイスの写真に目移りしてしまう。 どれにしようか迷っているところに康介が戻ってきた。見上げると不自然な笑顔をしている。真希はメニューに顔を隠し、誰からかかってきたのかを自然な感じで訊いた。 「友達からだよ。真希も知ってるだろ、ヨシカワ。アイツが夜飲み行こうってしつこくてさ」 「行くの?」 「おう、あんなんでも友達だし、借りとかあるし。付き合いってやつ? なんなら真希も来る? なんちゃって、高校生だから無――」 「私も行こうかな」 メニューに焦点を合わせていない。ボヤけたアイスがページを埋め尽くした。美術室の石膏像のように固まる康介の顔が見なくとも見える。初めから誘うつもりなどなく冗談を言ったつもりなのに、まさか本気にするとは思ってもいなかったのだろう。言葉をどもらせながら、真希は未成年だからダメだよ、と必死になっている。嘘をつくならもっとマシな嘘をつけないものかとため息をついた。音を鳴らしてメニューを閉じ、立ち上がる。 「帰る」 「え? なんか注文するんじゃねぇの? 食べたいならオゴるし、俺。てか、マジで飲み行くの?」 「行くわけないでしょ。もう帰るから、じゃあね」 だよなぁ、とホッと胸を撫で下ろす康介に背を向ける。後ろからまだなにか言ってくるのは耳にせずにレストランを出た。せっかく陽気だったのが康介のせいでぶち壊しになってしまったのだ。一秒たりとも憎々しい顔を見ていたくない。他の女とアルコールを浴びるように飲んで騒いでホテルで寝るのを想像したら、それは楽しみで表情の一つも歪むだろう。勝手に楽しむのは構わない。しかし気分を害されるのは許せなかった。
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