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クリエイター名 |
紀水葵 |
サンプル
『悩みの種』
地平線の果てまで続く砂漠と岩山。 視界には常に砂塵が舞う。 薄茶色の岩肌をそこだけ切り抜いたかのように、空だけが青く煌いている。 天には雲ひとつない。この地方では珍しいくらいの快晴だ。 それでも砂漠特有の砂嵐が止むことはないので、あまり良い眺めとは言い難い。 男は、眼下の砂漠を駆け抜ける集団をつまらなそうに眺めていた。 あぐらをかいて、その上に片肘をついている。 次の瞬間、男の双眸が胡乱げに細められた。その瞳は彼が座している岩山と同じくすんだ茶色をしている。 「まさか・・・」 慌てて傍らに置いた荷の中から筒を取り出し、砂塵を巻き上げながら疾走する馬の群れを確認する。その先頭、栗毛色の馬の背に跨った老人に目をとめると、小さく舌打ちした。 「お頭っ」 威勢の良い声が耳朶を打つ。声の主はまだ若い。十五、六の青年だ。左の頬に、斜めに走った古傷がある。 「何の用だ、ヘイル」 男は筒から目を離すと、岩山を駆け上がってきた少年をじろりと睨みつけた。額にかかった不揃いの髪を、うっとおしそうに払う。年の頃は二十かそこらだ。顔立ちは意外にも繊細で、貴族の子弟だと言っても充分通用するだろう。 「お、落ち着いてる場合じゃないっすよ」 ヘイルと呼ばれた少年が息巻く。 「獲物ですって。それも極上」 少年の瞳が輝いている。舌なめずりしそうな勢いだ。 「お前が言っているのはあれのことか? 」 男が親指の先で指し示したのは、眼下の砂漠を疾走する集団。 へイルの視線が急斜面を形成する岩肌を走る。目的の一団を確認すると、旧に表情が和んだ。 「そうそう。なんだ、お頭ちゃんと気づいてるじゃないですか。それじゃ早速襲・・・・・・」 岩山の下に控える仲間達に、襲撃開始を知らせようと踵をかえしかける。 「待て」 抑揚の無い声が呼び止める。その言葉を耳にしたへイルが、怪訝そうに振り返った。 「何で止めるんです? だって奴らは」 少年の瞳が言外に不満だと告げている。だが、彼が言葉を終える前に男が口を開いた。 「・・・プロキオンだよ、わかっている」 彼の発する言葉は、かすかに侮蔑の響きを含んでいる。 プロキオンの一族はこの地方で一番の大地主だ。砂漠と岩山の間隙に点在する、数少ないまともな土地は総て彼らが握っている。その中には当然貴重な水源も含まれているわけなので、一族に逆らう者は誰もいなかった。そして、三カ月前プロキオンの先代当主が死んで、息子夫婦が後を継いだ。二人は先代が定めた重税を一掃し、水源を無償で解放した。たった数ヶ月のことだが一族の評判は、地の底から天の頂まで駆け上がったという。 とは言え、そのような世間の評判や地位などには頓着しないのが盗賊だ。金目のものがあれば奪う、それだけのはずなのだが。 「奴らには絶対手を出すな」 リパ・グリム―――砂漠の死神と恐れられる盗賊団の首領はそう断言した。 「いいか。絶対だぞ」 有無を言わせない男の気迫にたじろいだのか、へイルは不承不承といった顔で頷く。落ちている小石を蹴飛ばして、ふて腐れた声でつけ加えた。 「あーあ、もったいねえの。せっかくいい女もいるってえのにさ」 男の柳眉が跳ね上がった。 「何だと? 」 声が明らかに動揺している。 「え、だからいい女が・・・」 「どこだ」 間髪入れずに聞き返すと、手にした細長い筒を少年に投げてよこす。 しかし、そのようなものは必要無かった。数秒前までは、集団の先頭を行く老人の影で死角だったので気づかなかったのだろう。漆黒の鬣の荒馬を御しているの姿が遠目にもはっきりとわかった。薄栗色の長い髪が風に煽られて翻り、陽光を弾く白い肌が見る者を魅了する。髪と同色の双眸が、砂塵の中に煌く。かなりの美人だ。 「あの美人、なんとなくお頭に似てませんか? 」 返答は無い。黙ってしまった男を、へイルは怪訝そうに見上げる。 「へイル」 少年を呼ぶ男の声が色を無くしている。怒られるのかと首を竦めたへイルの耳に、信じ難い台詞が飛び込んできた。 「撤収だ。すぐここを離れる」 いささか顔色が悪いように見えるのは、光の加減のせいでは無いだろう。どうやら怒っているわけではないようだが男の周囲の空気が張りつめていた。 「聞こえなかったのか? 荷をまとめろと言ったんだ」 突然のことに目を瞬く少年をねめつける。 急げ、と言った声は突然響き渡った歓声に掻き消された。 リパ・グリムと言えば、この砂漠で知らぬものは無い。三カ月前突如として現れた若い男が、散在していた荒くれ者共をあっという間にひとつに束ねてしまった。義賊、とは言い難いが評判はすこぶる悪いわけではない。彼らが好き勝手に振舞っていた頃に比べれば、統率があるために喜ばれる事もしばしばだった。首領が若い上に美形なので、地域の乙女連中にはやたらと慕われていたりもする。 その上わずか一日で結成され、翌日にはもう既に死神の名を馳せていたと言うのだから凄まじい。数々の功績だか悪業だかは総て、首領の人間性と統率力の賜物だろうと噂されている。 というわけなので、勿論彼らの間ではこの男の命令は絶対だ。 絶対のはずだ。 元来の性質が性質だから、致し方ないと言ってしまえばそれで終わってしまうのだが。 リパ・グリムの荒くれ者達が、砂塵の中で雄叫びをあげてプロキオンの集団に群がっていく。 その光景は男の目にもしっかりと映った。 「ありゃりゃ」 間の抜けた声を発したのはへイルだ。しまった、と言いながらもどこか嬉しそうである。 「くそ野郎・・・」 男の口元が引きつった。悪態をつきながら傍らの荷を取り上げ、中から長剣を引きずり出す。その柄に刻まれた意匠は、眼下で襲撃されている老人の纏うローブに縫い取られた紋章と同じだ。 男は剣の鞘を固定するための皮紐を口にくわえると、一気に引きちぎった。 日除けに被っていた麻布をうっとしげに払いのける。 「頼むから、殺してくれるなよ」 誰にとも無く呟いた。 岩肌を蹴って虚空に踊り出る。ほぼ垂直に近い岩壁を、砂塵を舞い上げながら駆け下りた。
乱戦のさなかに飛び込んでも、男の長剣が鞘から抜かれることはない。 「サルク様っ」 男の姿を認めて叫ぶ老人を一瞥して、口端だけで笑った。
「家出? 」 リパ・グリムの頭、プロキオンの老人と女、そして絶壁の岩肌を死に物狂いで降りてきたヘイル。砂漠の中で立っているのは四人だけだ。 少年があげた素っ頓狂な声に、男―――サルクは決まり悪そうに頬を掻く。 「理由を仰ってください。まったく、先代の葬儀がようやく終わったかと思いましたら今度は跡取息子が行方不明だなどと・・・」 老人が憤激した。 「理由? そんな事わかりきっているだろうが」 当然、という表情で断言すると、プロキオンの跡取息子は急に真面目な表情になった。 「親があれでは逃げ出したくもなる」 言って、老人の背後で不敵な笑みを浮かべている女を指差す。 ということは、彼女は当主の妻なのだろう。 「何でそんなこと言うんすか? おふくろさん、美人じゃないですか。それに、優しそうだし・・・」 確かに、代替わりしてからの評判はすこぶる良い。 しかし。 「母親なら問題ないんだ」 サルクは吐き捨てるようにそう言った。 「え?」 へイルが思わず聞き返す。 「紹介してやろうか? あれは先代の息子、俺の親父だよ」 苦虫を噛み潰したような顔で、サルクが告げる。 岩肌が陽光を弾いて輝いた。
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