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クリエイター名 |
不二香 |
サンプル
『探し物探します。何かを探しているはずなのに何を探しているのか分からない方、歓迎。 南探偵事務所 赤司ビル3F Tel XX-123-4XXX』
渓(けい)は握りしめたそのチラシ──あちこち破れて見るも無残な姿になっている──を見、目の前に立ちはだかる扉を睨んだ。 『南探偵事務所』 灰色の扉には、そう書かれた小さめの看板がかかっている。 どこか内部をうかがえる受付小窓や扉はないものかと見回せど、このひんやりした薄暗い直線廊下、扉はここひとつだけで他に部屋はないらしい。もちろん、受付小窓なんていう洒落たものは探すだけ無駄。 大体ビルそのものが相当に胡散臭いのだ。 表通りから一本入っただけでこんなに寂れるのかという場所に立っていて、外見は陰気な灰色。それも長年の雨筋がホラーなアートになっている。一階は駐車場になっているのだが、停まっているのは最奥に一台だけ。見上げれば、ブラインドの降りている三階部分以外、全て無人であろうことが直感で分かる。実際、最上階である五階まで昇ってみたが、表札が出ているフロアは三階だけだった。 「なんでこんなことになっちゃったかなぁ〜」 探偵事務所にしては軽薄な字体で描かれた看板をもう一度見やり、渓は小さくため息をついた。 受験を控えて高校に居残り勉強した帰り、横を歩いていた友達のひとりが、風に飛ばされてきたこのチラシをパッと掴んだのだ。そしてその後はなんとなくノリで話が進み──ジャンケンで負けたひとりが、この探偵事務所の扉を叩くことになった。 “何かを探しているはずなのに何を探しているのか分からない方って──なんだか意味深じゃない? 子供っぽい悩みみたいで近寄りたくないけど、馬鹿にして放り捨てられないっていうか……” 「だったら自分で行けっつーの」 今ごろ友人達はこのビルを遠巻きにして渓が出て行くのを待っているはずだ。きっと自分をネタにして笑っているに違いない。そう思うとどうしても回れ右できなかった。ここで、“行ってきた。普通の探偵事務所っぽかった。あんなの人を呼ぶための飾り文句だって言われた”と嘘をついたって、彼女たちに真偽は分からないだろう。けれど、なんだかそうしたくはなかった。 「誰もいないのかしら」 渓は扉に肩を寄せ、耳を済ました。中からは物音ひとつしない。 「繁盛してなさそうだし、店じまいの時間かもね」 もう外も暗くなり始め、廊下の影も濃くなってきている。腕時計を見れば六時。 「店じまい店じまい」 これは正統な理由だ。 自分を納得させて彼女が身をひるがえそうとしたそこへ── 「おねぇさん、ウチに何か用かい?」 階下から声をかけられた。 「ひぇ!」 飛び上がって振り向けば、カラーサングラスをかけた若い男が、片腕に近所のパン屋の紙袋を抱えてこちらを眺めていた。くすんだ銀色っぽい髪が印象的で、けっこうな長身だ。……ちょっと好みかもしれない。 「よ、よ、よ、よ用っていうか、あの、えーと、そーだ! コ、コレ見て!」 渓は慌てふためいて自分でも何を言っているのか分からないうちに、チラシを前に突き出した。 「あー、コレね。うわぁ、コレ見て来てくれたなんて感激ー」 男は言いながら空いている方の手でひょいとその紙切れをつまむと、片足で事務所の扉を蹴り開けた。 そして奥に向かって叫ぶ。 「南センセー、お客さーーーーん」 返事はなかったが、彼は足で扉を押さえたまま肩越しにこちらを向き、 「入って」 言う。 「は、はい」 渓は促されるまま入ってしまった。
部屋の中は、まるで竜巻が通っていった跡地のようだった。 空気には、埃っぽさが漂っている。 入って右の応接セットとおぼしきソファとテーブルの上には、写真だのファイルだの紙束だの、とにかくありとあらゆるものが乗っていて、とてもじゃないが本来の役目が果たせているとは思えない。 左には簡易キッチン。流しの中はきれいで食器の類もきちんとカゴに納まっているが、ガスコンロの上に鳩時計と植木鉢が乗っているのは理解に苦しむところだ。 紙屑に埋もれた床を伝って奥に視線をやると、化学の実験装置を完全装備したデスクが見えた。そしてその複雑な硝子装置の向こう側には、片眼鏡(モノクル)をかけた男がひとり座っていた。夜色の髪は長く、眼鏡をかけていない方の目は前髪の奥で見えない。彼は紫の液体が沸騰するフラスコを一心不乱に凝視していて……社会からつまはじきにあったか、社会というものの存在すら知らないか、そのどちらかの人間ですという雰囲気を発していた。そうでなきゃ、魔王を倒してもらうために勇者を召喚しようとしたんだけど間違って私が呼ばれちゃいました──という類の異世界人だ。 男はタートルネックとジャケットという姿だったが、絶対に魔導師か錬金術士のローブの方が似合う。 「センセー、お客さんだって言ってんだろ」 「雅(みやび)君、もう少しだから。座って待っててもらって」 異世界人が口を利いた。意外と普通の声である。 「まったくもー」 若い男は口を尖らせ化学実験デスクの横、彼のデスクなのだろうゴミの山の上に紙袋を置く。そしてつかつかとこちらに歩いてくると、 「散らかっててごめんねー」 豪快にソファの紙束を床に押しのけて座る隙間を作ってくれた。 「あの怪しさ大爆発なのがウチの事務所のお頭、南センセーなんだけど、あの人薬剤師の免許も持っててねー、あーゆーこと好きなの。趣味」 薬剤師って次元じゃないだろうとツッコみたいが、喉元でどうにか堪える。 「俺はアシスタントの雅。雅 朔哉(さくや)。おねぇさんのお名前聞いてもいい?」 「東雲(しののめ)……渓です」 「渓さん、渓さん、ね」 男──雅は復唱し、サングラスを取る。露わになった双眸はアイスグリーンだった。……外人さんなのだろうか。 「えーと、コレ、ウチのメニュー。どれでも好きなモノをお選びくださーい。タダだから」 ずいっと突き出されたのは高給料理店顔負けのメニュー本。紅の厚い地に、金字の流れるような書体で『Menu』とある。変なところに金をかけてあるらしい。 「…………」 けれど中身はコーヒーと紅茶とココアと緑茶だけだった。しかも異様にコーヒーの種類が多い。 ・コーヒー(B) ・コーヒー(M) ・コーヒー(MS) (Bってのはブラックよね。Mはミルク? Sは砂糖のことか……? でも……) ・コーヒー(MS1) ・コーヒー(MS2) ・コーヒー(MSDV) 視線を下げるにつれ、意味不明なカッコ書きになってゆく。 「あ、あのー、雅さん」 「何? 決まった?」 「このMSっていうのは」 「ミルクと砂糖」 「じゃあMS1っていうのは……」 「南スペシャル1」 「…………MSDVっていうのは……」 「南スペシャルデラックスバージョン」 「…………」 「デラックスバージョンはお勧め。効くんだコレが。センセイあぁだもん」 気安い口調の雅が、まだデスクでぶくぶくやっている異世界人を指差す。 「……はぁ」 何に効くのかはあえて聞かない方がいいのかもしれない。 「じゃあミルクと砂糖で……」 「はいよ」 デラックススペシャルを売り込む気はないのか、案外アッサリ雅が背を向ける。そして彼は山をかきわけ奥へ進むと、別室へつながっているのだろう扉の向こうに消えた。 そりゃ、ここのキッチンあんまり使えなさそーだもんねー、とジャングル状態の植木鉢を見て思う。 それから数分、ぼーっと部屋を眺めながら雅の帰還を待っていると、 「渓さん……とおっしゃる」 ふいに異世界人……じゃない、南先生から声がかかった。 「あ、はい!」 妙に緊張して声が裏返ってしまった。無意識に背筋がぴんと伸びる。 「そんなに固くならないでください。緊張してみたところで──結局何も変わらない。疲れるだけです」 「……はぁ」 ぼそぼそとしゃべっているらしいのだが妙に通る、柔らかい声音だった。自然と肩の力が抜ける。それを読んだかのような間合いで、質問が続けられた。 「アナタが探しているものは何ですか? 形あるもの? ないもの? それとも、何を探しているのか分からない?」 「えーと……」 言葉に詰まって南を横目で見やると、片眼鏡越しの視線はこちらを向いていた。半分寝ているような、物憂げな目。見かけは雅より年上だろうなくらいの年齢不詳なのだが、その目だけは埃にまみれた古書のように色褪せて深い。 「アナタは、形あるものを探しているわけではなさそうですね。人は、何か絶対的なものを探している時には、それ以外のものなんて何も見えていないものです。眼の前には探し物の幻影しかない。だから灯台元下暗しなんて言葉が作られるわけです。……幻影を強く願い見つめ過ぎるあまり、どんなに近いところであっても現実が目に映らない。しかしアナタの目は幻影を見てはいないようですね」 「…………」 渓は南に向き直った。いつの間にか天井の白熱灯が灯っている。しかしガスコンロ上の鳩時計は六時過ぎを指したまま止まっていて、使い物になっていなかった。 「……南センセイ、ひとついいですか?」 「どうぞ」 「“何かを探しているはずなのに何を探しているのか分からない”ってどういうことですか」 「…………」 南が薄っすら笑みを浮かべた。 教師が平均点の悪い答案を返す時の嫌味なかんじではなく、敬虔な神父のような笑み。 「心あたりがありますか」 「言葉にはできないんですけど……」 渓が語尾を濁らせると、南がそれを掬(すく)ってくれた。 「それまで何でもなかったのに、突然胸にぽっかり穴が空いたかんじがする。穴があいてしぼんだ風船みたいに空気が抜けていく、風が通り過ぎてゆく。食べても飲んでも笑っても泣いても歌っても遊んでも勉強しても本を読んでも怒鳴っても壊しても何をしても……穴が埋まった気がしない。──それが、“何かを失った”状態です。何を失ったのかも分からないから、探しようがない。必然、失くしたものが見つかるわけもない」 南の台詞は淡々としていて、感情の抑揚がない。 しかし逆にそれが心地良かった。 「大抵の人はその喪失を数日引きずっていますが、忙しさにキリキリ締められて悩んでいる時間さえなくなるうちに、失った状態が通常だという風に慣れてしまいます。そして失われた“何か”は永遠の遺失物となる」 「センセイは、それを探してくれるんですか」 「探したいと望む人がいるならね」 南が立ち上がり、背後のブラインドを上げた。ソファに座る渓に見えたのは、夜に塗られた隣りのビルのコンクリート壁だけだった。 「私には──世界が二重に見える」 こちらを振り返った南は、片眼鏡をはずしていた。渓の視線を吸い込む双眸はオッドアイ。片眼鏡の奥は今まで見ていたとおり、黒。しかしかきあげた前髪に隠れていた片方は、アイスグリーンが鮮やかな爬虫類の瞳だった。 「今アナタがいる世界、今私がいる世界。それがアナタたちの世界です。しかし本当はここに、もうひとつの世界が並存しているんです。世界は二重でできている。アナタが信号待ちをして立ち止まっている横を、車がびゅんびゅん行き交っている車道を、向こうの世界のオフィスレディがお弁当を買いに連れ立って歩いているんですよ。私には、向こうの世界の人々って皆さん透けた灰色に見えるんですけどね」 「もうひとつの世界……?」 同じ一点に、ふたつのものが次元を別にして存在している。そういうことだろうか。同じ場所に立っていても、こちらから向こうは見えないし感じられない。向こうもこちらが見えないし感じられない。 「……もうひとつの世界、ねぇ……」 いよいよ異世界のキ印さんじみてきた。でも、バカバカしいと言って席を立つ気にはなれなかった。面白そうだというのがひとつ。突然胸にぽっかり穴が空いたかんじがする……その感覚が分かるというのがひとつ。 「それは、我々が失ったものたちで形成されている世界です」 突然、鳩時計が鳴った。時計の針はちょうど七時を指している。 「しっ」 南が唇に指をあてて怒ると、鳩時計の鳩は二回鳴いただけで黙り込む。 「向こうの世界には、こちちらの私が失った私がいる。こちらのアナタが失ったアナタがいる。失った記憶、失った心、失った夢、それらすべてによって形作られた者たちがいる」 鳩も渓と一緒になって南の話を聞いている。そんな気がした。 「私たちが失くせば失くすほど、向こうの世界の彼らは色を濃くし存在を強めていく。もし私たちに残ったものと彼らが得たものとの重さが逆転したのなら──」 南が言いかけて言葉を退いた。手の中で遊ばせていた片眼鏡を付け直し、再び化学実験器具の向こうに腰を落ち着ける。 「失われたものたちはこちらの存在を知っています。そしていつでも世界の反転を待っている。私たちが灰色の世界に行き、自分たちがこの彩りある世界に生きることを夢見ているんです。……アナタはアナタに狙われている。私も私に狙われている」 「…………」 まるでアブナイ新興宗教の誘い文句だ。 ……なんだけど…… 「センセイ」 「何ですか」 「依頼金ってどのくらいなんですか」 「お金はいりません」 「へ?」 報酬の話をしているというのに、南の視線はフラスコに釘付けだ。 「依頼完了するまでの期間、ここのお掃除をしてもらえれば……」 掃除。渓は顔を動かさないで室内をぐるっと分析した。少々骨は折れそうだが、やってできないことはなさそうではある。決意を決めて焦点を南に合わせる。その男がぼそっと追加した。 「それと、コーヒーの試飲をしていただければ」 「えぇっ!? 試飲!?」 「センセー、話まとまった?」 さりげなくプラスされた不吉な言葉を問い質す間もなく奥の扉が蹴り開けられ、お盆にカップをのせた雅が入ってくる。コーヒーの芳しい香も彼と一緒に付いて来る。 南が顔を上げた。そして言う。 「はい。商談成立」 「ちょっと待って!! コーヒーの試飲はイヤ──!」 渓は叫び立ち上がり、テーブルに片足をダンッと乗せた。 『…………』 ふたりが声もなくこちらを見つめてくる。 ビビッたかこの異世界人ども──そう思った次瞬、眉間にしわを寄せた南がつぶやいた。 「年頃のお嬢さんが、はしたない……」
それが、女子高生東雲渓と怪しい南探偵事務所との出会いでありました。 彼女、センセイの話を全部信じたわけではないけれど。
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