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クリエイター名 |
哉色戯琴 |
言葉遊び・詩系
ギャグ系? ―――その靴高慢に付き。
「…………」
うんざりした顔で、蓮はそれを見る。
先日のオークションで接戦の末に競り落としたそれは、靴だった。ただの靴ではない、金糸銀糸の刺繍が施され、錦もあしらわれている。宝珠が幾つも連なった飾りが踵から垂れ下がり、水引きのように広がっていた。 アジア風の、古い靴である。骨董的価値も、金銭的価値も高い。歴史的価値も。そして、おまけに気位も高い。 いらないおまけだった。
「あのねぇ……あんたが誰の持ち物だったかは判ってる。だからちゃんと上等なケースに入れてるだろう? ビロードだって敷いてる。あたしはあんたを評価しているんだよ、そうすることで。だから――」
毎朝毎朝、その靴は玄関に向かうのだ。 ケースをどけて、外に出ようとするように。 自分のあるべき場所へ、帰ろうとするように。
「西太后の靴、ねぇ――まったく、本人と一緒で気位が高いにもほどがあるよ。こんな場所にはいられないってかい? 失礼だねぇ。他の商品からも総スカン食らって孤立中ってとこまで、持ち主にそっくりだよ」
蓮は毒づき、受話器を取った。
「もしもし、あたしだけれど。突然なんだけどさあ、あんた女王様って好きかい?」
■□■□■
「まあ、そのような遺物を眼にすることが出来るなんて光栄ですわ――女王様なんて素敵ではございませんか、わたくしうっとりしてしまいますわ」
呼び出されて二つ返事でやって来た透蓮姫に、蓮は少し引き攣った笑みを向ける。 無邪気な仕種で両手を合わせほくほくしているところ悪いが、今回の商品は本当に癖が強い。なんと言うか、自分と元持ち主を同一視している傾向もあるし――蓮の一室に彼女を通そうとドアを開ければ、そこには喧騒が満ちていた。
『なんなのよなんなのよ、あんたってば新入りの癖に態度でかいのよ! そりゃー蓮は偏屈で横柄で自己中心的で偏った嗜好してるけどねぇ、あたし達骨董品に対してはちゃんとした扱いしてくれるんだからね!?』 『飾って眺めてしかしてくれない奴よりずっと良いんだから! あいつら滅多にドレスの染み抜きもしてくれないのよ!? 客に見せびらかすために居間なんかに飾っちゃってさ、そんな日当たりの良いちころに置いたら黄ばんじゃうってーの!』 『そーよそーよ、そりゃこっちだって悪霊にもなりたくなるってもんなんだから! 乙女の肌にシミなんか作るような連中より、少なくとも蓮は1.000001倍ぐらいには良い奴なのよ!』 『やかましいやかましいやかましい、ええい誰ぞ居らんのか、彼奴らの首を落とせ! 腕も脚もじゃ、達磨にしてしまうが良い!』 『……私、呪いの達磨ですが何か』 『手も脚も無い奴がしゃしゃり出るでない、誰ぞあの異人らを叩ッ切れー!!』
…………。 女の戦い?
「あんた達、好き勝手言ってくれてるじゃーないの……」
ひくひくひくっと口元を引き攣らせた蓮は、靴と言い合いをしていたビスクドール達にニッコリと笑い掛ける。二人の存在に気付いた人形達は途端に黙り、済ました顔でガラスケースの中でポーズを取っていた。一方の靴は、未だぎゃあぎゃあと喚いている。ぱたぱたと靴だけで地団駄を踏む様子に、まあっと蓮姫は歓声をあげた。
「まあ、まあまあまあ――お聞きになりました、蓮さま! この靴、確かに西太后さまのものでいらっしゃいますわ!」 「だからそう言ったろうに……」 「西太后はライバルであった威夫人を殺す際、眼を抉り出し耳に硫黄を流し込んで多数の男に陵辱させた後、その両手両足を切断して厠に放り込み、豚のように汚物を食わせたという逸話がございますもの! 先ほどのこの靴さまの物言い、まるでご本人のようでございましたわ……何と言うことでしょう、わたくし、胸がドキドキして参りましたわ!」
…………。 何か凄いこと言ってますよ?
「……って言うかそれ、呂太后じゃなかったかい?」 「ああもう、本当にどうしましょう、こんなところでこのような遺物にまみえることが出来るなんて!」 「こんな所ってどういう意味だい」 「本当に細工も素晴らしくて、玉の連なりも見事ですわ――まるで夜店の玩具のようにしゃらしゃらと!」 「と――とりあえず、じゃあ、頼んだよ! あたしは店を見てなくちゃならないからね!」 「はい、おまかせ下さいませ! 私、この身を窶してでも説得に当たりますわ!」
部屋を出て行く蓮の顔が引き攣り冷や汗まみれだったことに一切気付かず、蓮姫は元気に返事をした。ぱたん、と扉が閉じられると同時に、台に載せられた靴へと振り向く――その眼には尊敬が込められているのに、靴はたじろぐように文字通り一歩退いた。
何か、何か違う。確かに尊敬や服従を求めてはいたが、このオーラは何か違う。と言うか今までの問答からするに、かなりやばい。小生意気な西洋人形達よりも、はるかにこの雰囲気はやばいと言うか、違う――そんな靴の心情など知らず、靴に駆け寄った蓮姫は膝を付いた。台に乗せられた靴と視線の高さをあわせ、ほぅっと溜息を付いてみせる。
「ああ、本当に……見れば見るほど見事な細工ですわ。踵から垂れているこの玉、翡翠でしょうか」 『瑪瑙じゃ』 「年月を経てなおも輝く金糸銀糸。さすがに絹の光沢はすばらしいですわね」 『錦じゃ、絹で靴など作らぬ』 「爪先の金具もまったく錆が見られません、なんて素晴らしい保存状態でしょう。五百年も前のものとは思えませんわ」 『清朝が滅んだは百年前じゃ!!』
靴、突っ込み頑張りすぎ。
しかし蓮姫はまったくそんなものを気にする素振り無く、ただほぅっと靴を眺めていた。確かに客観的に見れば、その細工は美しい。百年前、贅沢と権力を手にした女帝の持ち物という経歴ゆえの輝きではなく、その靴に施された独自の魅力が何よりも心を惹く。 歴史上の偉人の持ち物など価値も無いのに無意味に高値だ、とは蓮の言葉である。だがその蓮をしても購入したいと思わせるだけのことはある。美術的価値、歴史的価値、骨董的価値。そのどれも詳しいところなど判らないが、根源的なことは自明だった。 それは、美しい。それで充分である。
「しかし靴さま、どうして蓮さまのお手元を離れようとなさいますので? ビスクドールさん達も仰っていましたけれど、蓮さまは自分の所有物に対しては本当に敬意を払った扱いをなさってくださいましてよ?」 『妾は、妾はこのような場所にいるべき身分ではないわ。いかに大切に扱ってくれようと、それは当たり前のこと。妾は清朝最後の女帝、かの西太后陛下の足下を飾り民衆を見下ろし続けたものぞ? それがこのような薄汚い店に、西洋人形達と一緒に並んでいるなどと――』 『だから! 誰が汚いんだってんのよ、あたし達の方があんたなんかより高いんだから!』 『そーよ、あたし達ジュモーよジュモー!』 『あたしだってケストナーなんだから! そこのキューピーちゃんなんてローズ・オニールよ!?』 『だまらっしゃい白人どもが!』 「と仰いますと、靴さまは庶民に囲われているのが気に入らないのでしょうか……」
うぅん、女の戦いを完全に聞き流して、蓮姫は困ったように首を傾げた。 さてどうしたものか。根源的な問題だ。このご時勢王侯貴族などそう身近にいるものでもないし、日本は華族制度も廃止されて久しい。と言うかこのレンで大人しくしていてもらうには、どうしようもない問題点だった。 だが、逆に言えばその一点のみを納得させてしまえばいいというもの。苦笑して、蓮姫は立ち上がる。ビスクドールと靴の壮絶なる東西女の戦いはヒートアップしているが、シャン、と彼女が腰元に差した短剣を抜くと――それも、静まった。
一振り、短剣を長剣に転じさせる。身に纏った薄布を閃かせ、彼女は軽くリズムを取るように脚を鳴らした。そしてそれに乗り、風に乗るように、舞う――布がふわりと、靴を包んだ。
絢爛なる宮廷の風景。高い階段の上から跪く貴族達を見下ろしている。彼女の足下にあることが誇りで、価値だった。愚民を見下ろす。一段高い、高次の存在。下々などに引けは取らぬ、庶になど落ちぬ。ここにあり、豪華なる宮廷の中、静々とした衣擦れと張り詰めた空気のなかにこそ。 だが、持ち主は階段を降りていく。下々に下っていく。視線は下がっていく、高みにいることが出来ない、高見していることが出来ない。 何故ですか、陛下。 貴族の時代が終わったと、王の時代が終わったと? 陛下、そのようなことは――
「ほら――」
蓮姫の声は優しく、ふわりと響く。薄布のように滑らかに、響く。
「夢は終わっていますよ。ここにはもう、王様なんていらっしゃいませんわ、靴さま」 『違う――妾は、妾はこのようなところで』 「んー……納得していただけないのでしたらやはり、焼き捨てるぐらいしか方法はございませんかしら……」 『――ェ』 「だって、そこまで意固地な魂でしたら、いつ悪霊と化してしまってもおかしくはございませんわ。炎は浄化の意味もございますし、大人しくして下さらない品物でしたら不要ですし。靴さま? どうなさいましたの、心なしか顔色が優れませんわ?」 『それは瑠璃を散りばめているからじゃ、と言うか――わ、判った、大人しく、しようぞ』 「まあ、それは何よりでございますわ! 蓮さま、蓮さま! 靴さまがお話聞いて下さるそうですわー!」
いやはや、天然とは。
『怖いものですなあ……うむうむ』(呪いの達磨・談)
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