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クリエイター名 |
芽李 |
午後
忘れはしない 僕は 決して 忘れはしない ++ 午後 ++ いつか見たあの風景を 思い出せる日が来たのなら――― 葵は和紙に包まれたほんのり紅い砂糖菓子を一粒摘み上げると、口の中へと放り込んだ。 仄かに甘い蜜の香りがふっと咽を通り抜ける。 その感覚が好きで、葵は何度も小さな粒を口元へ運んだ。 何処か懐かしさを感じさせる甘い香りと、薄らと紅いその色は、ぼやけた記憶と共に何か を思い起こさせる。 掴み損ねた記憶の風景は曖昧で、葵は更にその小さな砂糖菓子を口元へと運んだ。 「そんなに摘まんでばかりいると、指が赤くなる。」 不意に掛けられた言葉に葵はぴくりと肩を揺らした。 「相変わらずだな、葵」 そう言って彼の名を呼んだ少年は、その隣に腰を下ろすと ポケットから何かの包みを取 り出した。 「君、誰。」 「それ、何の冗談だい。今、流行っているのか」 少年は軽く流すと、包みを開いて真っ白な粒をさらさらと風に流した。 「……それはなぁに」 「呆れたなぁ、また忘れたのか、葵は」 「……忘れた、僕が一体 何を」 葵は少年の言動を不審に思って首を傾げると、自分の口に放る筈だった砂糖菓子を少年の 方へと差し出した。 「交換って訳、そういうのが得意だよね、君は」 「……僕は君とは初対面だよ」 葵の言葉に少年は眉をぴくりと動かした。 そのまま押し黙った彼は葵の顔をじっと覗き込んだ。 「……本気で言っているのか」 「本気も何も、事実だろう。如何して僕の名前を知っているのさ、君」 彼は何か思い当たる事があったかのように一瞬目を見開いた。 「……そうか」 小さく呟くと、彼は葵の差し出した砂糖菓子を受け取って唇に軽く押し当てた。 「これは食べるんじゃない、吸うんだ。」 「……蜜を」 「そう、こうして蜜を吸うんだよ」 葵は首を傾げて少年を見詰めると、彼を真似て自分の唇にもほんのりと紅い砂糖菓子を押 し当てた。 「葵、美味しい」 少年の訊ねる言葉に耳を傾けながら、葵は微かに頷いた。 何故か直接口の中に放り込んでしまうよりも、強く甘い蜜の香りが口中に拡がってゆく。 花に直接噛み付いたかのような鮮烈な芳香。 今の葵にとっては不思議な感覚だった。 「 すいみつ というんだよ」 「へぇ、すいみつ」 「そう、何度教えても忘れてしまうんだな、君は」 「なに」 「何でも無い。粉蜜も撒いたし、さぁ、いつもの所へ行こう、早くしないと出遅れてしま うよ」 少年はすっと立ち上がると、有無を言わさずに葵の手をとり、秋葉の舞い散る街道を駆け 出した。 彼らの通り抜けた後を埋めるかのように、舞い降りた葉が ひらり ひらり 吸い込まれ るように後を追っていった。 小高い丘に立っていた。 生まれてこの方見た事も無い丘だった。 見下ろす風景だけは 知っているというのに。 「こんな丘、あったっけ」 「あるよ。毎年ね」 「……覚えていない」 「知ってる」 少年は苦笑すると、繋いでいた葵の手を持ち上げて自分の手の代わりに 小さな和紙で出 来た袋を握らせた。 「あれ、これ……」 「少しは思い出したか、いつものやつさ」 「……いつもの、やつ」 葵は首を傾げると、その手に握った小さな袋をしげしげと眺めた。 先程まで口に放り込んでいた、ほんのり紅く色づいた砂糖菓子を入れていた袋に酷似して いるのだ。 「ほら、いつまで呆けているつもりだ、そろそろ始まるぞ」 少年が葵の肩を軽く叩くと、葵ははっとした様子で顔を上げた。 辺りを取り囲む萩の花が風に凪ぎ、強い芳香を放った。 小さな花弁がふわりと風に舞い上がると、天から降りた真っ白な粒と混ぜ合わさった。 ぽん ぽん ぽん 弾けるように宙を舞う その姿に葵は思わず目を丸くした。 ぽん 再び弾けた花弁が宙を舞い、葵の目の前でふわりと風に乗った。 「あ」 葵が小さく、驚きの声をあげる。 「葵、袋を開けておきなよ」 「うん」 強く頷くと、葵は風に漂っては舞い落ちる、薄い紅色をした小さな粒をその手に受け止め た。 ぽん ぽん ぽん 葵の顔に満面の笑みが湛えられた。 「わぁ、こんなの初めてだよ」 その様子を見守っていた少年が、満足したように笑った。 「たくさん取っておかないと、葵は食べ過ぎるみたいだから直ぐになくなってしまうよ」 「酷いな、僕はそんなに食べないよ」 「じゃあさっきのは何さ、小鳥の雛のようにぱくついていたじゃないか。」 「そんなんじゃあないってば」 「じゃあどんなだい」 「もう、」 葵が怒ったように頬を膨らませると、少年は可笑しそうに笑い声を上げて駆け出した。 風に舞わされているかのように、くるくると回っては袋一杯に砂糖菓子を詰めている。 触発されたように葵も駆け出した。 彼のようには上手くは行かず、風に遊ばれるように押し返されてはそこで一回転した。 その様子を見て少年は更に楽しそうに笑い声をあげた。 「葵の下手くそ」 少年が大声で葵を茶化した。 「やりなれていないからだよ」 「嘘をつけ」 「如何してそう言いきるのさ」 「まだ思い出さないのか、もう時間が無いぞ、葵」 「……一体何を」 「……僕の事、」 葵の袋が一杯になった頃、風は止み、辺りは急に薄暗くなった。 鳥の鳴き声も消え、家に帰るべき時刻が迫っている。 茜色の町並みに、ぽつり ぽつり 明かりが燈り始めた。 「もう帰らなくちゃ」 「……うん」 先程とは打って変わって、少年に明るさが無い。 「どうしたの、急に静かになって」 「葵がいつまでたっても僕の事を思い出してくれないからさ」 「僕と君とは今日が初対面だって言っているだろう」 「じゃあ如何してあそこで待っていたのさ、君は自分が一体あそこで何をしていたと思っ ているの」 「……僕は、別に誰かを待っていた訳じゃあ―――」 誰かを待っていたわけではないが、何をするためにあの場に居たのかまではよくよく思い 出せない。 葵が言葉を濁したのを見咎めて、少年は顔を顰めた。 「へぇ、そうなんだ」 少年は急に怒ったような口調でそう言い放つと、葵に背を向けて駆け足で丘を下り始めた。 「待って、何処へ行くの」 葵は慌てて少年の後を追いかけた。 「何処だって、葵はもう家へ帰るのだろう」 「……そうだけど、君は」 少年は一瞬足を止めると、思い直したようにすぐさま歩き出した。 「僕は……僕だって、帰るさ」 「家は何処、」 「知っているだろう」 彼は突き放すように言い放つと、葵とは目も合わせぬようにあらぬ方向を向いて黙々と歩 き続けている。 「知らないよ、教えて」 困ったように眉を顰めると、少年が怪訝な顔をして葵の顔をじっと見据えた。 「如何して嘘をつくのさ」 「嘘なんてついていない、君の方こそおかしいよ、どうかしているんじゃあないのか」 「僕がおかしい、どうかしている、好くそんな事が言えるね」 「如何してそんなに怒っているの、ねぇ、僕は君の名前すら知らない。ましてや家なんて、 わかりっこないさ、そうだろう」 「もう、忘れないと言ってくれたのは君じゃないか」 「…………僕が、」 少年は微かに頷くと、急に其の場に屈みこんで、膝を抱えた腕の中に顔を伏せた。 「待って、如何して泣くの」 「泣いてなんか無い」 ぶっきらぼうに答えるその声は、もう既に先程までの少し高慢なまでの明るさなど微塵も 感じさせなかった。 ふと、葵は何かを思い出したかのように瞳を瞬くと、ふわりと優しく微笑んだ。 「僕……僕は、もう一度君の名前を聞いたなら、もう二度と忘れはしないよ」 「そんなの嘘だよ」 「嘘じゃない」 「本当に」 「本当だよ」 「じゃあ……」 『約束』 そこまで言って2人は不意に笑い出した。 「何だ、思い出してくれたのか」 「御免、また……」 「……好いんだ。寂しいけれど、これが現実なのだから」 「また、来てくれる」 「葵が大人にならなければ、ずっと傍に居られる」 「きっと、そうだね」 「そうだよ」 「 約束 だからね」 少年達はどちらともなく くすり くすり と笑い出した。 甘い蜜を御土産に――― 秋の使者は夕暮れに 花を撒き 風を曳き 夜天に 舞い 返る
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