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クリエイター名 |
磊王はるか |
ある女性の一日
●ある女性の一日 「……ふう」 私の前にいた彼が、私の顔を見て溜息をついた。今ので10と5回、会って2時間もしないうちからそれだけの数の溜息が、私の前で吐かれている。 「ねえ」 「……なんだよ」 鬱陶しい。そんな色をありありと混ぜ込んだ声で私に、彼は答えた。 何よこの男。会いたいって言うからわざわざバイトの予定を調整して、予定をあわせたのに、一体なんなんだと無性に怒りを覚えた。 言いたい事があるならはっきりと言えば良い。うじうじと、何を言い出したいのかは分からないけれど、延々と溜息ばかり疲れてはこちらの気も滅入る。 ゆったりとしたBGMの流れる喫茶店。テーブルの上には、冷めた紅茶が注がれたティーカップが2つ置かれたまま。 「……別れたいならはっきり言ったらどう?」 私はこの状況に苛立ちを感じていた。多分、彼が言いたい事はそういう事なのだろう。彼はいつも、自分が悪い立場に立たない様に周りの足場を固めてから物事に着手する。面倒な事は特にその傾向が強い。 その彼が切り出さない、という事は足場を固められなかったのだろう。何故分かったのかと言うと、以前にも彼はこんな風にして別の女と別れたのを知っているからだ。 勿論、その経緯を知っているのは当時の彼から交際中の彼女に関しての相談を受けていたから。後で相談相手の彼に情が湧いて、別れた後の彼とくっ付いてしまった、というのは世間的には良く有る事だ。 「別にそんな事言ってないだろ」 彼は反論した。だけど、その経緯を知っている私としては彼の真意がそうでない事くらいは分かっている。いや、分かってしまった、と言った方が正しい。 「顔がそう言ってるわ。ご馳走様、お釣りは結構だから」 テーブルの上に千円札を叩きつける様にして置くと、煮え切らないままの彼に別れを告げて、私は立ち去った。
ち、ちちち――――
閉じられた目蓋に、刺すような光が届く。傷みは無いけど、視覚に与えられる刺激としては耐え難い。眩いのだ。 徐に掛け布団を引いて頭を潜り込ませると、ゆっくりと目を開く。ゆるゆると、現実へと寝ぼけ眼が見ていた情景から引き戻される。 「あ――」 朝だ。掛け布団と枕の隙間から覗くと、そこから見えるブラインドから陽光が漏れているのが分かる。もう朝なんだ。 「うぇ、いやーな夢見ー」 先程見ていたのは2年前に付き合ってた男の夢だった。やるだけやって、後はどうでもいいっていう、価値的にはそこらにいるどうでもいい類の男だ。 「なーんで、私あんなのと付き合ってたんだろうなぁ」 2年前の自分にどうしてだ、と内心ぶつくさ問いかけるけど、当然その答えは返ってこない。あの時の私は確かに彼に参っていた。好いていたのだから、それ以外の答えは無いに決まってる。 「認めたくないものだ、若さゆえの過ちはって奴かしらね」 彼が好きだった、昔のアニメの名台詞。どうでもいい事なのに、いつの間にか私を構築する一部に組み入れられてしまっている。彼の事は正直認めたくないし、今じゃ会う気も無い。一緒に寝るなんて最早有りえない事だ。 「そのくせしっかり、してる時の事は覚えてるんだよね」 憎々しげに、私はぶつくさ呟いている。1人でいる時の私の癖だ。腹の中に溜め込むより、声に出した方がまだすっきりするからというのが理由なのだけど、周りに気をつけていないといけないのが唯一の欠点だ。はたから見て、ただの危ない人のように見られる可能性も少なくないから。 「あづっ」 ぼやけた意識がはっきりしてくると、私の体が信号を脳に送ってきた。その信号は鈍痛、発信元はおへそのちょい下辺り。 「〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!」 断続的に襲う鈍痛に悶絶する。ああ、これか、これが来てたからあんな夢見たんだ、とか一瞬思ったけど、そんな事すらどうでも良くなってくる。 男の人にはきっと、死んでもわからない女の仕組み、という奴だ。イメージとしては重度の虫歯。あのぐわんぐわんと頭に鈍く響くくせにずっきんずっきん来るアレが、へその下辺りから来るのだと思ってもらえると分かりやすいと思う。 「あー……ダメ、ダメ。今日は休もう」 そういや今日で2日目だ。世の中には軽い人も居るのだが、私はどうも重いタイプらしく、定期的に動けなくなってしまうのだ。 「電話、電話と」 もぞもぞとベッドに具えられた棚に手を伸ばすと、ひんやりとしたプラスティックの手触りが感じられる。私の愛用の携帯だ。短縮で手早く研究室へのホットラインを繋ぐと、プルルルル、といつもの電子音がスピーカーから聞こえてきた。3回目のコールが終わるくらいに、かちりと回線が繋がる音がした。 「……あ、すいません、私です。雛木です」 「おはよ、雛木さん。昨日きつそうだったけど大丈夫? やっぱダメそう?」 電話に出たのは、私がいる研究室の助教授であるかすみさんだ。こういう時は教授とか、研究室の男連中に出られるとすっごい恥ずかしいのだけど、女性が出てくれると助かる。 ――恥ずかしい事には変わらないけど、ね。
「すいません、ちょっと無理です。欠でお願いしますー……」 「うん、分かったわ。じゃ、教授には話し通しておくわね」 お大事に、と最後に告げると、かすみさんは電話を切った。私も察しの良いかすみさんに感謝をしつつ、ボタンを押す。そして、ばったりと倒れ付した。もう動きたくない。寝たい。お腹もすいたけど動きたくない。 そうして、雛木・由美(ひなき・ゆみ)の一日は始まらなかったのである。
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