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クリエイター名  土岐野みゆき
サンプル

 そのとき、小柳千明は全力疾走していた。腕時計が、信じたくない時刻を示していて、彼は高校生、そして今日は平日であり、それにくわえて彼は今日から新しい学校に通学することになった転入生だったためだ。
「初日から遅刻なんて、ものっすごくかっこ悪い!」
 一昔前の少年漫画じゃあるまいし、これから転入する学校に初日から遅刻なんて、かっこ悪いなんてものじゃない、最悪だ!
 校門をくぐり、靴を履き替えて…そこで千明の動きは止まった。
 …俺の教室、どこだっけ……?
 初めて見る校舎は複雑に見えて、適当に歩いて目的地にたどり着けそうにはない。だれか通りかかってくれないかと思っていると、
「……新入生?」
 ささやくような声がして、振り返ると、少し髪を伸ばしたキレイな顔の男が立っていた。
「え…あ、そうです……」
「こっち。職員室…」
 風がそよぐようにいうと、男は目で、ついて来るように促した。

 そうか、はじめに職員室に行って先生に会うんだった。
 千明はいそいそと、男の後ろをついていく。
 職員室は、通えを通って2階にあった。男は、黙ってその扉を開けると、
「智弘」
と、誰かの名前を呼ぶ。
 すると、その名前の教師らしい男が立ち上がって、入り口に駆け寄ってきた。
「おお、よくここがわかったなあ!…って、穣がいたからか。小柳千明だな。俺は西崎智弘だ。今仕度して教室に行くところだったから、一緒に行こう」
 西崎と名乗った教師はよく通る声で、笑いながらそう言うと、自分の席に戻って出席簿やらファイルやらを抱えて、
「さ、行くぞ!」
と、千明の肩を叩いた。千明は、その自然な様子に少し驚きながら、何時の間にか、ここまで案内してくれた男が見当たらなくなっていることに気づいた。

お礼も言ってない。
…先生なのかな…。


 小柳千明の名前は、ある意味で有名だ。
 子供の頃からモデルをやって、最近ではそろそろ映画やドラマ出演の話もあるくらいの人気モデル。
 本人も、自分の容姿についてそれなりに理解している。
 しかし、今まで通っていた学校を離れざるを得なかった事情が、彼にはあった。
「…というわけで、わが鷹見ヶ丘学園芸術科に転入してきた小柳だ。小柳、自己紹介を」
「え…あ、はい。ダブってるんで二年生をもう一回やることになった小柳です。よろしくお願いします」
 ざわざわとクラス内が騒がしいのは、小柳の顔に見覚えがあるせいだ。
「席は斎藤の隣だ。おーい斎藤、頼むぞー」
「はいはいはーい。ここ、ここー!」
 斎藤と呼ばれた生徒がぶんぶん手を振ってみせる。その隣の席は確かに空いている。
 千明はぺこりとお辞儀をして、その席についた。
 途端に、斎藤が机を動かして席をくっつけると、
「教科書揃ってないだろ?ノートもみせてやるから、安心しな」
「ありがとう。…俺のこと、知ってるんだろ?」
「そりゃ皆知ってる。やっぱ写真と同じ顔してんだなーって思ってたとこだ。それに、最近の新聞とか雑誌にはお前さんの顔が一杯だったから、皆嫌でもわかるさ」
 斎藤は、にこやかに笑いながら、千明を見た。純粋な興味がその瞳にはあるが、千明がここしばらく受けてきた、冷たい視線とはかなり違うものだ。
 実を言うなら、千明は前の学校を退学になったのだ。
 原因は、スキャンダルだった。
 ある女優が、千明の人気に目をつけて、カメラマンを丸め込み、まるで密会しているかのような写真を撮らせて、記者会見を開き、千明に捨てられたといって号泣してみせたのだ。勿論千明はそんなことは一切知らなかったのだが、マスコミにとってはいいネタだったらしい。学校も、マンションも、記者がいっぱいで、見かねた学校側が、紹介状を書くから他校に行って欲しいと話をもってきたのだ。
この学園には、映像や美術を専門に学ぶコースがあると聞き、とりあえず美術コースを専攻として願書を提出し、試験を受け、入学が決まったのであった。
 仕事のせいで出席が足りなくなり、二年生を二度やるハメになったのだが、中退しないで卒業したいという千明の意思を、事務所もわかってくれたからこその計らいであった。
「記事読んだけどさ、あれヤラセの売名行為だろ?そんなん、すぐわかる」
「……皆そう思ってるとか?」
「俺の知ってる限りじゃ、そうだよ。ウチの学校、割とそういうとこは突っ込まない奴が多いから、安心してなよ。強引に写真とかサインとかもらおうなんて奴がいたら、俺に言え。絶対させねえから」
「……ありがとう」
 スキャンダル記事が雑誌に掲載されて以来、初めて受ける丁度よい優しさに、千明は自然に感謝を現していた。


 一時間目は数学で、千明を教室に案内してくれた担任の西崎の授業だった。
 千明は早速斎藤に教科書とノートを見せてもらわなければならなかったが、西崎の授業は、思っていたより楽しいものだった。
「だからな、ここに選手を一人代入すると、チームが強くなって、答えはプラスになるわけだ。逆にマイナスだと、オフサイドトラップ食らって負けだな」

…どういう授業だよ、サッカーかよ。

 千明は、ノートをとりながら、数学の成績はよくならないかも知れないが、サッカーのルールに詳しくなりそうだと思った。横で斎藤が説明している。
「あ、西崎はサッカーバカだから。しかも、イングランドサッカーバカ」
「どう違うんだよ」
「日本のだけじゃなくて、イギリスのサッカーも好きだってこと。お気に入りのチームはなんて言ったかな…マンチェスターじゃなくて…」
「シェフィールド・ユナイテッドだ。聞こえてるぞ斎藤!」
「げっ」
「次の問題解いてみろ」
「げげっ」
 斎藤はしどろもどろになりながら問題を解いていた。


「やべ、迷った……」
 千明がトイレに行っているうちに教室移動があり、クラスルームにはもう誰もいなかったので、ノートを持ってとりあえず廊下に出たものの、地学室がどこにあるのかさっぱりわからず、適当に歩いてみたところ、今自分が何処にいるのかもわからなくなったのである。
 特別教室が並んでいるらしい場所まで来たが、表示に「地学」の文字を見つけられず、うろうろしていると、扉が開きっぱなしで何か怪しい匂いが漂ってくる教室があった。
「あ……!」
「おや、君か、また会ったね」
 千明がこの学校で最初に出会った男が、キャンパスに向かっていた。
 扉には美術準備室とある。ということは、この男は美術教師なのだろうか。
 何時の間にか、吸い込まれるように千明は美術準備室に入っていた。
 そこには、デッサン用の石膏やポーズ人形のほかに、無数の絵があって、いかにも美術室という感じだったが、奥に扉があって、教室はその向こうであるらしかった。
 美術教師は、千明が入ってきてもとがめることもなく、絵を描いている。どんな絵なのか興味を持って、千明は後ろから除き見たが、抽象的というか、現代絵画というべきなのか、とにかく何を描いているのか千明には全くわからなかった。
 近づいても、教師は気づいていないのか、気にしないのか。
 よく見ると、黒髪の男の目は薄いブルーグリーンで、見つめていると吸い込まれそうだ。
「……?」
 千明がよほど珍しいのか、男はじっと千明を見詰め、微笑んだと思うと、その肩に手をかけ、そして。
「……!!」
 唇が触れ合うだけの、軽いキス。
 しかし、千明にとっては、なんとファーストキスだったのだ!
「なっ、なにすんですかっ……」
 身体を離してあとじさると、それでも男は静かに笑っている。
「あーいたいた!」
 そのとき、斎藤の大きな声が廊下から聞こえた。
「小柳、地学室向こうだから。移動する時間になっても教室戻ってこないから探しちまったよ」
「あ、斎藤…」
「毛利先生、失礼しまっす。こいつ迎えに来たんで」
 毛利と呼ばれた男は、にっこり笑って、それが了承の合図のようだった。
 斎藤に手を引っ張られて廊下に出た千明は、
「あ、あの人何なんだ?ここの先生?」
「ああ、毛利穣っていって、美術の先生だよ。ちょっと変わってるけど、悪い人じゃない」

 ちょっとどころか、キスされたんですけど。

そういいたい気持ちを必死に押さえて、千明は
「へ、へえ……」
と頷いて見せた。美術教師ということは、そのうち授業で会うこともあるのだろうか。
 そう思いながら、千明は美術室をあとにした。


 あんな衝撃的なことがあったせいか、美術室の場所を千明はすっかり覚えてしまった。
 休み時間になって、美術室に行くと、毛利はまだ絵を描いていた。
「それ、何を描いてるんですか」
「無」
「え?」
「そして、平和。雨があがって、むせ返る緑の中で私は透明になって自由になる」
 ささやくような声で、毛利が言う声が妙に心地よくて、千明は近くに折り畳んであった椅子を持ってきて座った。
「君にわかるかな。この絵のなかには私がいて、今まさにこちらを見ているんだよ」

…ちょっとパラノイアなのかな、この先生。

 千明はそう感じたが、毛利が狂っているようには思えない。ただ、カーテンの向こうからゆるく差し込む光りがゆらゆらと優しくて、この場所は時間が止まっているようだと感じた。
 休み時間の終了を告げる鐘が鳴るまで、千明はただ、そこにいた。
「また、来てもいいですか?」
「いいよ、千明ならいつでも」
 名乗ってもいない自分の名前を毛利が知っていたことに多少は驚いたが、なんだかこの人なら納得してしまいそうだった。この人は、普通の人ではないと感じた。


「千明、お前最近美術室入り浸ってるんだな」
「…入り浸ってるってほどじゃないけど」
「あの先生はやめとけ。前お前みたいにあの先生にくっついてた生徒が報われなくて自殺未遂起こして転校してるんだ。毛利先生は悪くないけど、あんまり近づきすぎないほうがいい」
「そんなの、余計なお世話だ」
 斎藤の忠告は、年寄りのおせっかいのように聞こえて、千明は無視することに決めた。
 あれから毎日のように、千明は美術室で毛利が絵を描くのを見ていた。ときどき、よくわからないことを話し掛けてくるほかは、毛利は黙って絵を描いていたし、千明もただ見ていた。それだけでよかった。絵はまるで、絵の具を適当に塗っているように見えて、意味がわからなかったけれど、混ざり合う色はきれいだと思った。
 モデルとして、子供の頃から大人に囲まれて過ごしてきた千明は、子供らしいことをあまり知らない。
 毛利のいる空間にいると、なぜだか子供の頃に忘れてきた色々なものがあふれるような気がして。
「子供はコドモ。消費することがその存在意義。でも、それでいい」
「それって、子供はなにも作らないってこと?」
「そう、生産することはないし、そこにいるだけで存在が説明される。…君はそういう時代を少しばかり大事にしなかった。だからここにいるんだね」
「そうかも知れない。俺、昔から仕事してたから…」
 モデルの世界は、一見華やかだが、実際には地味な仕事だ。一日かけて撮った写真が全部ボツになったり、真冬に夏の服装をして外で撮影をするのに、吐く息が白くなるといけないという理由で、氷水を飲まされたりもする。体力勝負でもある。最近は、スキャンダルのせいで仕事があまり来ないので、それをいいことに学校に真面目に来ているが、一番仕事が多かったときは学校にも殆どいかれず、そのために留年してしまったくらいだ。
 毛利の側にいると、時間が止まったような静けさを感じる。子供の頃にやりのこしたようなことを思い出せそうな錯覚をする。その感覚が心地よかった。
「あっ……」
 毛利の手から、筆が落ちた。落ちるときに絵にぶつかって、赤く色がついてしまった。
 その赤のリアルさに、千明はどきっとした。
「あ……ああ………」
「毛利先生?」
 毛利はまるで寒さに震えるように身体を抱いて立ち上がる。様子がおかしい。
「先生、どうかしたの?先生!」
「あ…あああっ!」
 突然大きな声を上げたかと思うと、毛利はそこいらにあるものを全部手で払い落としていく。絵の具も、テレピン油を入れた容器も、全部床に落ちていく。
「先生!どうしたんだよ!」
 千明がおろおろする間に、毛利はパレットナイフを取り出して、自分の腕に切りつけた。
ざっくり切れた左手から血が流れている。見ている千明は、気持ちが悪くなった。
 ふらふらと、毛利が、それまで描いていた絵の前にたつと、パレットナイフを上から構えて、振り下ろそうとした、そのとき。
「穣、やめろっ……!!」
 声の主は西崎だった。絵に切りつけようとしていた毛利の腕を掴んで止めるが、毛利は激しく抵抗して、西崎の手が血だらけになっていた。
「小柳、お前は早く教室に帰れ。何も言うな」
「え、だって……」
「いいから、早くここから離れるんだ!」
 強い口調で言われて、千明は美術室から転げるように駆け出した。

 何だ?あれは何?俺が見たものの意味は何?

 …自殺未遂して転校した奴が……

 毛利が自分で自分の腕に切りつけたときの姿が、何度もくりかえし脳裏に浮んだ。
 教室に戻った千明を見た斎藤は、
「お前、顔真っ青だぞ。保健室行かなくて大丈夫か?」
 顔が真っ青なのは体調のせいではないのだが、今はもう頭がパニックで、授業どころではない。
「うん…ちょっと気分悪い。保健室どこかな」
「つれてってやるよ、本当、死体でも見たような顔してるもんな」
 死体……死。
 毛利の描いていた絵に筆の赤。
 切りつけた赤い血のいろ。
 なんだか色々なことで一杯になって、斎藤につれられるまま、千明は保健室に向かった。


「ふうん、君があの千明くんかあ…」
 保健室の先生は、千明の顔をじっくりながめてから、一言。
「うん、かわいい、合格点!」
「先生、生徒に妙な成績つけないでくださいよ、ベッドいいですよね?」
 斎藤は千明の代わりに色々と説明をして、とりあえず一時間はベッドに横になることになった。
「僕も鬼じゃないからね、こんなかわいい子なら何時間眠ってくれても構わないよ」
 保健の先生は性別でいうなら女性なのだが、男装の麗人というか、男っぽい服を身に付け、言葉や仕草も男のソレと違わない。そして、かなりの面食いで、かわいいか、かっこいいか、とにかく見目のいい生徒には優しいのである。無論、保健室は平等に利用の権利があるから、たとえ二目と見られぬ顔の生徒が来たとしても、仕事は仕事と割り切るところはしっかりしているのであったが。
 洗いたての匂いのするシーツに身体を横たえて、千明は眠ろうと努力した。とにかく、今は眠ってしまったほうがいいような気がしたのだ。
「本当はいけないんだけど、これを飲みなさい。よく眠れるよ」
 先生が、水と錠剤を持ってきてくれた。
 錠剤は毒々しい青色をしていて、千明は不安になったが、
「大丈夫、一錠飲んだくらいで副作用なんか出ないから」
「なんの薬なんですか、これ」
「ハルシオン。睡眠薬だよ」
「なんかそれ、聞いたことある名前…ヤバいんじゃなかったでしたっけ?」
「沢山飲めばね。一錠が怖いなら、半分に割って飲むといい。気休めにはなるよ」
 すすめられるままに、千明は水でその錠剤を飲み、ベッドにもぐりこんだ。


 何時間くらい眠ってしまったのだろう。
 千明が目覚めて起き上がると、もう夕方だった。午後の授業を全部バックレて寝ていたことになるが、多分あの薬のせいだろう。千明は起き上がると、靴をはき、ベッドを離れた。
 保健の先生はいなかったので、そのまま保健室をでて、教室に戻ろうと思ったが、ふと気になって、美術室へと足を向けた。
 なぜ美術室だけは迷わずに行けるのだろうと思いながらも、あのあとどうなったのかが気になって、 千明は少し急ぎ足で美術室へ向かった。
 いつものように準備室の扉は開いていた。
 いつものように覗き込んだ千明の目に映ったもの。

毛利と西崎が、抱き合ってもつれ合う姿。
二人はもつれ合い、何度もキスをして、ひとつになろうともがく。

 ふと肩を叩かれ、びくっとして振り向くと、斎藤がいた。
「だから言っただろ?やめとけって」
「…知ってたのか」
「ていうか、学園内に知れ渡ってんだよあの二人は。そのくせ毛利先生、甘いとこあるからな。かわいいと思うとキスしたりするって。お前もやられたか?」
 場所を変えようと斎藤が言って、二人はもう誰もいなくなった教室に戻ってきた。どの道帰り仕度をしなければならないから、丁度よかった。
 自分の机に座った斎藤が、話しはじめた。
「毛利と西崎は、一緒に暮らしてるらしい。幼馴染らしいんだけど、誰も詳しいことは知らないんだ。ただ、毛利は本当は心の病気だとかで、今も通院してるらしいってことと、西崎はこの学園出身だってことしか俺も知らない。二人ともいい先生だと思うけど、割って入ろうなんて考えないほうがいいぞ。前に言った自殺未遂の奴も、狂言自殺で毛利の気を引こうとしたって言われてるし。お前モデルだから見目いいじゃん?色々危ないから気をつけたほうがいいぜ」
「気をつけるって、何を?」
「わかんねーんならいい。てか、聞くな」
「なんだよ、わかんねー奴」

 選択美術の時間に、千明はこの選択が間違っていたと気づいた。
 デッサン、写真、ともに成績は大変悪かったのである。
 絵を描くことなんてしたことがなかったし、写真はその才能以前に、ピントがずれていたり、感光させてダメにしたりで、まともな作品は作れなかったからだ。
「あのよ、ウチの芸術選択、演劇もあるんだ。お前そっちのほうが向いてるんじゃねえか?」
「…来年、そっちいく…」
 斎藤の言葉に、千明は力なくこう答えながら、課題の油絵をぺたぺたと描いていた。描いているのは林檎なのだが、どうも上手に色が乗らない。
「…この林檎は、世界のゆがみとつながっているのか?」
 毛利が、千明の描いている絵を見てそういって笑う。
「んな大層な絵、描けるわけないでしょうが!イヤミですかっ」
 千明が力んでも、毛利は表情不明の笑顔を浮かべるだけで、聞き流してしまう。

 実はこの人、結構いい性格してるんじゃないのか?

 千明は、そういいたい気持ちを筆にこめて、ぺたぺたと絵の具を塗っていく。



鷹見ヶ丘学園は、今日も楽しく平和に、そして愛を育んでいくのであった。
 
 
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