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クリエイター名  東麻
旅人の家


「今年ももう終わりね。」
母はそう言いながらコタツの上のミカンをひょいと手に取った。
それを真似るかのように僕も小さめのみかんを手に取る。

新年まで残すところあと一時間といったところか。
先ほどから母は「可愛い男の子たちを物色するの!」と言いながら
リモコンを離さず、年末の若い男しか出ない女性向けの
特別番組にかじりついている。

僕としては今年の出来事を特集にした番組が
他のチャンネルでやっているらしいので、
そちらを見たくて仕方がないのだが、
あの子供のようにはしゃいでテレビを見ている母の顔を見ていると、
とてもそんな事は言えない。

「慎ちゃん、年越しそばはもういい?」

CMになってから母が聞いた。
先ほど食べたばかりであったので僕は「いい」とぶっきらぼうに言う。
その一言にはテレビが見られない恨めしさも少し含まれていた。
母は何も言わずコタツから抜け出ると台所に向かったようだった。

今がチャンスとリモコンをこっそり奪い取り、
今年の出来事特集のチャンネルに変える。
一番見たかったスポーツニュースの特集は丁度これからのようだ。

「あ、慎ちゃん。子供っぽいことしないの。」

頭上で母の声がした。
実際僕は十二歳のお子様なのだからいいではないかと心底思った。
母は手にお椀をひとつと箸を手に再びコタツに戻って来た。
お椀からは白い湯気が立っていて、そばのいい香りがした。
腹はいっぱいのはずだったが、その香りには食欲をそそられる。

「おソバまた一玉多く買っちゃって、まったく癖って抜けないものね。」
「・・・・・・。」

母は苦笑しながらお椀を片手で口元に運び、
もう片方の手で器用にチャンネルを戻した。
母はそれから特に何も言わずにソバを食べ続けた。
僕も何も言わなかった。
テレビだけがガヤガヤとした賑やかな音を奏でる。

ソバを食べ終わるとふうと息を吐いてお腹をさする。

「食べた食べた。また太っちゃったかな、まぁいっか。」
「ソバ三玉も買ってくるからだよ。」

―――買うのはニ玉で良いのに。
という意味を込めて言った。
我ながら意地悪なセリフだ。

「・・・そうね。」

母は一瞬だけ酷く悲しい顔をして言った。
時刻は間もなく十一時五十分、今年も残すところあと十分だ。

やはり帰ってこなかった。


「やっぱり帰ってこなかったわね。」

僕は今丁度考えていたことを母が言ったのでびくりとした。
ね、と言って母がこちらを見て笑う。
しかし僕の目線は母の笑顔には向いていなかった。
母の後ろの戸棚に飾ってある写真立て・・・。
そこにはまだ二つ、三つの僕と母。
そして僕を抱きかかえる男。

「どうせどっかで道に迷いやがってるんだ、泉のやろう。」
「こら、なんて言葉を使うの。泉じゃなくてお父さんって呼びなさいって言ってるでょ?」

母はぷんぷん怒った。
昔から泉の事を悪く言うと、母は必ず僕をたしなめた。
僕はその母の態度がいつも気に入らなかった。

泉は冒険家だ。

僕が幼い頃からふらりと旅に出てしまって、
帰ってくるのは忘れかけたころだった。
家の中にいる泉を見た記憶はほとんどない。
最後に泉の姿を見たはいつのことであろうか、
確か僕が四つの誕生日を迎えた日であったからかれこれ八年も前だ。
正直泉がどんな人間だったかは当に忘れてしまっていた。
ただ、僕は兎も角として母を置いて八年も家をあける男の心がまったくわからなかった。
そして、それでも泉を愛している母の心もまたわからなかった。
大人の考えは子供の僕にはわからないというのだろうか、
たとえ百歩譲ってそうだとしても僕はこんな大人になる位なら
お伽の国ででも一生子供をやっていようと僕は本気で思っている。

「でも有り得るわね、泉さん天然さんだし迷っちゃったのかしらねぇ。」

うーんと本気で考え始める母を見て、
二度目のチャンスと確信した僕は再びチャンネルを回した。
母は気付いていない。
それにしてもこの母が他人を天然呼ばわりするとは・・・
僕としてはまず自分の天然ボケぶりに気が付いてほしいものだと思った。

「それか、私たちのこと忘れちゃったかな。」

母が新しいみかんに手を延ばす。
俯いてみかんの皮を剥いているので表情はわからなかったが
また悲しげな顔をしているのだろう、母は何も言わない。
こんな母を見ていると泉が憎らしくてたまらない。

好きで結婚したんじゃないのか、
好きだったから僕がここにいるんだろ、
言ってやりたいことがたくさんあるのに当の本人がいないのでは何も言えない。

所詮待つ者の気持ちなんていない者にはわからないのだ。

母はだんまりな上、未だにチャンネルの違いにも気付かない。
だんだん今年の出来事もどうでもよくなってきた気さえする。
僕は「はあ」と大きな溜息を一度つくと、母に向かってリモコンを放る。
母の丁度隣にカタリと落ちた。

「チャンネル違うよ。」
「あ、いつの間に!」

母はさっとリモコンを手にすると、元のチャンネルに戻した。
テレビには男のアップの表情が画面いっぱいに映し出され、
僕は今教えるのではなかったなと少し後悔。

「まったく油断もすきもあったもんじゃない。」

みかんを次々に口に入れながら少し起こり気味に言った。
ころころと表情を変える母は普通に見ればとても幸せそうだ。

「母さんって幸せなの?」
「え?」

普段からずっと聞きたかったことをこのさいぶつけてみる。
母が幸せなわけがないと僕は思っている。
愛する人は自分を放って旅に出て、ただ一人の息子はこんな生意気なお子様、
幸せな要素なんて微塵もない。
答えが出ている問をして我ながら自分は何がしたいのだろうと
また小さく溜息をつく。
母は突然の問に戸惑っているのか、
色んな表情をくるくると出していたが最後にはにっこりと笑って言った。

「幸せよ。」

最後のみかんを口に運ぶ。僕は驚いて表情が出てこなかった。

「慎ちゃんがいて、泉さんがいて、とっても幸せよ。」
「泉はいないじゃん。」

僕は言い放った。
新年まであと少しだというのにどうしてこんなに自分は火を起こすような話し方
しかできないのだろう、どうして母を悲しませる言葉を吐いてしまうのだろう。
泉のように母を悲しませることは絶対しないと誓った事だってあるというのに。
そう考えているとなんだか目の前がぼやけてきて、
僕はとっさに親指と人差し指で目頭をぐっと押さえた。
そんな僕に気付いているのかいないのか、母は続けた。

「この世界の何処かに必ずいるから、いいのよ。」

瞳を閉じて母は幸せそうにそういうと、
僕のほうを見て再びにっこり笑った。
やはり大人の考えなんてよくわからない。
一緒にいてそれが幸せなのではないのか、
忘れられているのかもしれないと思っても待ち続けるのは不幸なことではないのか。
子供の僕にはやはりわからない。
けれど今日見せた母の笑顔は少なからず今まで見たどんな笑顔より良い顔をしていた。

「泉のやつ、やっぱり絶対何処かで迷ってんだ。」

僕はぼそりと呟くように言った。
母は声は出さずに首だけ少し傾けた。

「三箇日ごろにひょっこり現れるさ。そしたらお年玉八年分もらってやる。」

僕は視線は見たくもないテレビに向けて、
母の顔を一切見ずに言った。
母の表情はさっぱり見てなかったけれど、くすくすっと笑う声がした。
僕は実際泉が帰ってくるなんてこれっぽっちも思っていない。
八年も帰らなかった男が新年だからといって帰ってくるわけがないという確信が
ひそかにあったからだ。それでもそう言わずにはいられなかった。

「母さんもお年玉もらっちゃえば?」
「お母さんは大人だからもらいません。」
「大丈夫だよ、僕より子供っぽいから。」

そういうと母さんはすごい勢いで僕にリモコンを投げつけて、
失礼しちゃう!と声を上げた。
けれど怒っているのに何故か柔らかい雰囲気が心地よかった。
そして二人で顔を見合わせて声を上げて笑った。

『新年明けましておめでとう御座います!』

テレビからそんな明るいセリフが流れ出てきた。
どうやら笑っているうちに年が明けてしまったらしい。
母は『今年は笑いながらの年越しね』と言ってまた笑った。

「あけましておめでとう、慎ちゃん」
「おめでとう。」

僕の家族は相変わらず一人欠けたままだったが、
楽しい年明けで母の幸せの意味が少しわかった気がした。
今少し、大人になってもいいかもしれないと静かに思った。
 
 
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