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クリエイター名 |
奏みかな |
サンプル
サンプルその1(暗め)
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『玩具』
ぼくは姉さんが大好きだった。 とてもとても、大好きだった。
あれはぼくが6歳の時のことだ。 ぼくと12歳年の離れていた姉さんは、 確か18歳の誕生日を迎えたばかりだったはず。 玩具を買ってあげましょう、と、 姉さんがぼくに、そう手を差し伸べてきた。 電車に揺られて、おおよそ30分ほどのところにある、大きなデパート。 ぼくは姉さんに手を引かれるままに、 心を映して、自然と弾む足取りで、華やかな街を歩いていった。 ぼくは姉さんが大好きだった。 玩具を買ってもらえることも、もちろん嬉しかった。 けれどもそれ以上に、姉さんとふたりきりで、 そうして出かけるということが嬉しかった。
色とりどりの玩具たちに目を奪われていると、 いつの間にか姉さんは、ぼくの隣からいなくなっていた。 涙をためて混み合う店内を走り回り、 ぼくはようやく、店の入り口近くで、姉さんを見つけることが出来た。 姉さんの傍には、知らない男の人がいた。
その男の人と組んでいた腕を、名残惜しそうにほどき、 姉さんはぼくを、黙って見下ろした。
『おねえちゃん』 『……ひとりで、帰りなさい』 『おねえちゃん、だってぼく、まだ』
おもちゃを買ってもらってないよ。 買ってくれるって、そう約束したじゃない。 まだ、買ってもらってないよ。
……どうしても、玩具が買って欲しかったわけではない。 ただ、その時、ぼくを見下ろす姉さんの目は、 いつもの姉さんとは全く違っていた。 優しくて、明るくて、あたたかい、 ぼくの好きな姉さんとは、全く違う、別の人だった。 まるで、ぼくのことを、知らないものを見るような眼差しを向けてきていた。 だから、どんなものでもいいから、ぼくのことを、 交わした約束があることを教えて、 ぼくのことを、思い出して貰いたかった。 おもちゃは、ともう一度繰り返して、ぼくは姉さんを見た。 姉さんがぼくを見る目は、とても冷たかった。 ぼくに答えてくる声は、更に冷たいものだった。
『ひとりで帰りなさい』
『……玩具は、そのうち、家に送ってあげるから』
そうして姉さんは、二度と家に帰ってこなかった。
カケオチしたのだと、父さんが静かに低く、ぼくに教えてくれた。 母さんは何も言わずに、ただ泣いていた。
……それはもう、20年ぐらい前の話だ。
姉さんがぼくを置いていった、それからしばらくして、 ひとりの男の人が、ぼくの家を訪れた。
『妻は亡くなりました』
『わたしは、別の女性と再婚しようと思います』
その人は確かに、ぼくがあの日デパートで見た、 姉さんと腕を組んでいた男の人だった。
『どうか、この子を、お願いします』
そう言ってその人は、ぼくの家に、 男の子を置いていった。 幼く、小さく、白い肌と黒い瞳が姉さんによく似た、 とてもとても、綺麗な子を、置いていった。
ぼくは一目で気に入ったよ。
姉さん、姉さん、ねえさん。 ぼくは姉さんが、今でも大好きだからね。
『玩具は、そのうち、家に送ってあげるから』
姉さん、約束、ちゃんと守ってくれたね。
――かわいい玩具を、ありがとう。
Fin
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サンプルその2(童話風)
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『おおかみさんとちびうさぎ』
ちいさいものの、ちいさなおはなし。
ある日、おおかみさんは一匹のうさぎにであいました。
雪のように白い、ちいさなちいさなこうさぎでした。
やわらかそうなからだ。ふわふわした綿毛にも似た、白い毛並み。 とてもおいしそうだと、おおかみさんはおもいました。
ひとりぼっちで、さむさに耐えるように震えるこうさぎのそばには、 いっぴきのうさぎが、うごかなくなっていました。 からだのおおきさから比べると、どうやら、 こうさぎの親うさぎのようでした。
猟師のしかけた罠にかかってしまったのだと、 おおかみさんはきがつきました。
そのとなりで、ただちいさく震えているちいさなうさぎは、 おおかみさんに気がついたようでした。
「おおかみさん、ぼくを、食べるの?」
こうさぎはその赤い目で、おおかみさんを見上げます。 その声にはおそれもかなしみもなく、 ただ、ふしぎそうに、おおかみさんを見上げます。
おおかみさんは、これまでに、 おおかみを、まっすぐに見つめるうさぎなどに、 出会ったことがありませんでした。
だから、 うさぎの目など見たことのないおおかみさんは、 その赤い目が、とてもふしぎでした。 このちいさなこうさぎは、もしかしたら、 目にけがをしてしまったのかもしれないと、 そんなふうにかんがえました。
こんなにちいさくては、きっと、食べるところもあまりないだろう。 じぶんにそう言い聞かせて、おおかみさんはそっと、 ちいさなうさぎの前から去ろうとしました。
「おおかみさん、どこいくの」
それをこうさぎがよびとめます。
「おかあさんがいつもいっていたよ。 おおかみさんは、ぼくを食べるんだよっていっていたよ。 ぼくを、食べないの?」
そのことばに、なにも言わずに立ち去ろうとしたおおかみさんでしたが、 こうさぎは、ちいさな足でけんめいに、そのあとをおいかけてきました。
まって、まって、 とおいかけてくる、ちいさなうさぎを、
おおかみさんはどうしても、振り払うことができませんでした。
おおかみさんは、なんども、こうさぎを食べようとしてみました。 けれども、あの赤い目で、じっと、 ただ静かに、じっとみあげられると、 どうしても、その白い毛並みに触れることさえためらわれるのでした。
こうさぎの目は、いつになっても赤いままでした。
ある日のことでした。
おおかみさんは食事をとるために、 おおかみさんがこうさぎのためにつくってやった、 あたたかなねぐらを出ました。
こうさぎはそこで、まいにち、 おおかみさんのかえりをまっていました。 おかえりなさい、と、 ほとほとと駆けよる、ちいさないきものを、 とてもあたたかいと、そう思いはじめた、そんな日のことでした。
おおかみさんがねぐらにもどると、 そこは、いつもとは、様子がちがっていました。 らんぼうに地面を踏みつけた、いくつかの足跡。 そしてただよう空気には、なまぐさい、赤い匂いがたちこめていました。
おおかみさんと、白いちいさなこうさぎだけの、その場所に。 野犬が数匹、はいりこんでいたのです。
おおかみさんが一声、低く唸ってにらむだけで、 犬たちは、いっせいにねぐらを逃げだしていきました。 あとには、もう、雪のように白いこうさぎはどこにもいなくて、 ぼろぼろのぬのきれのような、 ところどころに、たくさん赤いしみをつけた、 ちいさないきものが震えていました。
「おおかみさん」
空耳かとおもうほど、ひそやかに、呼んでくる声がありました。 まっ白な、やわらかく、あたたかい、 いとおしいものの、かすかな声でした。
おおかみさんが、それにこたえると、 こうさぎは、じっと、いつものように、 あのふしぎに赤い目で、 おおかみさんを見上げてきました。
「おおかみさん、おおかみさん、ぼくを食べてね。 ちゃんと、ぼくのこと、ぜんぶ食べてね」
きずだらけのこうさぎは、 ちいさな、ふるえる声で、 何度もそうくりかえしました。
やがてこうさぎが、その赤い目をとじて しずかに動かなくなってしまっても、 おおかみさんは、何も言うことができませんでした。 うなずくことすらできませんでした。
ただその小さななきがらを抱いて、 抱いて、 抱いて、 ぼんやりと途方にくれるだけでした。
おおかみさんはずっと、うさぎの目の赤は こうさぎの血の色だとおもっていました。 けれども、 いま、こうさぎのちいさなからだの、 きずぐちからのぞく肉の色はその赤よりもずっと淡く、 きずぐちから流れる血の色はその赤よりもずっと赤く、
もう、二度とひらかれることはないその赤い目が、 なによりもうつくしい色をしていたのだと知りました。
おおかみさんが、こうさぎの頼みをききとどけたのかどうかは、 だれにも、わかりません。
月がまるく、くらい空に、ほの赤くかかる夜。 声高く泣くように、 どこまでも遠くへ響くように、 なにかを呼ぶように、 赤い月に向かって吼えるおおかみさんと、
……ちいさいものの、ちいさなおはなし。
Fin
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