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クリエイター名  高原恵
サンプル

『月夜の闇』


 新興都市オルキア。約百二十年の歴史を持つルーロンス王国で、約二十年前に造られた都市。その郊外にその屋敷はあった。決して大きいとは言えない。だが、立派な作りの屋敷ではあった。ある神殿の高司祭はその屋敷をこう呼んだことがある――『花の館』と。


「お嬢様。どちらですか、シーラお嬢様」
 屋敷を歩き回るメイド。靴音が廊下を響く。
「あたしはここよ、クレシア」
 近くの部屋の扉が開き、一人の少女が廊下に出てくる。まだあどけなさの残る顔だ。少しウェーブのかかった長い金髪が、廊下の窓から差し込む太陽の光に輝く。
「こちらでしたか」
 安堵するクレシア。前髪を少し掻き揚げる。金髪のシーラとは対照的に、その髪は深く黒く、そしてより長い。
「もう……心配性なんだから、クレシアは」
「お嬢様に何かあっては、御主人様に会わす顔がありませんから」
「……何かあった方が嬉しい人もいるんでしょ?」
 哀しい目をするシーラ。クレシアがそれをたしなめる。
「お嬢様!」
「怒らないでよ……もう言わないから」
「ええ、それが一番です」
「それよりも、あたしに何か用があったんでしょ」
「そうでした。お食事の御用意ができましたので、食堂にお越し下さい」
「分かったわ。じゃ、一緒に行きましょ」
 シーラは扉を閉めると、クレシアの先に立って歩き出した。その少し後を静かについてゆくクレシア。
「まあ……綺麗なお花が一杯ね。あそこの花壇には」
 窓の向こうに、色とりどりの花が咲き乱れている花壇が見える。それに目をとめたシーラが言った。
「ええ、きちんと管理していますから」
「そうよね。クレシアがちゃんとしていてくれるから、父様の御自慢だった花壇も今なお立派なのよね。感謝してるわ」
「いえ……」
 『感謝されるようなことではありません』、後に続くはずだったその言葉をクレシアはぐっと飲み込んだ。


 三年前のことだ。貴族であったシーラの父、ウェイン伯が病死した。たちまち、あまり親しくない親戚たちが集まってきた。シーラの身の振り方を決めるためと言えば聞こえはいいが、その実はウェイン伯が残した遺産目当ての醜い駆引きの応酬であった。
 子供ながらにもそのことは分かっていたのだろう。母親を早くに亡くしていたシーラは、クレシアの側を片時も離れようとはしなかった。安らげる場所がそこしかなかったから。それを分かっていたクレシアも、シーラの側を離れることを極力避けた。
 そんな中、蝋で封をされた遺言状の封筒が発見された。ウェイン伯のつけていた日記帳の間に挟まれていたのだ。そしてその内容は、親戚たちには衝撃的なものであった。
〈シーラが成人するまで、一切の事柄をクレシアに任せる〉
 この内容が読み上げられるやいなや、たちまち騒然となった。
 ある者はクレシアにつめよった。
「何の真似だ、これは!」
 またある者はクレシアをひどく罵った。
「お前が身体で取り入ったんだろう!」
 そしてまたある者は遺言状は無効だと言い出した。
「これはそこの女が作った偽物に違いない!」
 ……筆跡はまぎれもなくウェイン伯のものだったというのに。愚かなることである。
 クレシアは口を閉ざし、何も答えなかった。ただ愚かなる親戚たちを、哀しげな瞳で見つめていただけだった。
 だが、ウェイン伯の親友であった別の貴族が間に入り、この遺言状の内容は一応遵守されることとなった。しかし、親戚たちのごり押しにより、次の一文が加わることになった。
〈成人する前にシーラが死亡した場合、遺産は親戚一同に等しく分配される〉
 シーラが成人するまで、その時点ではまだ七年もあった――。


「ねえ、クレシア。『月巫女』って聞いたことある?」
 食後のお茶を飲みながら、シーラが尋ねた。
「……唐突にどうされました?」
「さっきね、あのお部屋で『英雄譚』を読んでいたの」
「『英雄譚』ですか」
 『英雄譚』――それは昔から伝わる英雄や伝説の者たちの物語を集めた書物だ。邪悪なる龍を倒した隣国の建国王の話『邪龍殺し』や、某国の姫君を危機から救い騎士の称号を拝命した盗賊の話『騎士たる盗賊』をはじめ、様々な物語が収められている。『月巫女』もその中の物語の一つだ。
「月から魔力を引き出すことを研究してた人なのよね」
「ええ、確かそうだと思います」
「で、月の魔力を源とする魔法を作った後で、行方不明になっちゃったんでしょ? 本には不老不死になったってお話も書いてあったけど……」
「そう語り継がれているところもあるようですね」
「もしそうだとしたら、いつか会えたりするのかなあ?」
「……お嬢様は『月巫女』のお話がお気に召したようですね」
 静かに微笑むクレシア。
「うん。月はあたしも好きだもの」
「そうですか……。そうそう、月と言えば今宵は満月でしたね」
「綺麗に見えるかなあ……」
「見えますとも、きっと」
 クレシアはそう言い切った。


 満月が銀色に輝いていた。だがそんな中にも闇は存在する。一人の男が闇に隠れるようにして、屋敷に近付いていた。
「あの屋敷か……」
 男は街でこの屋敷の情報を仕入れていた。父親の遺産を受け継いだ娘が、一人のメイドと共に暮らしていること。それは男にとって願ってもない情報だった。
「へへ……所詮は女子供。いざとなれば……くく」
 舌舐めずりする男。男は各地を転々とし、強盗などを繰り返していた。そんな男にとって、この屋敷は格好の獲物だった。
 屋敷のすぐ近くまでやってくると、男は侵入口を探し始めた。一般的に大きいとは言えないが二人で暮らすには少々大きいこの屋敷、簡単に忍び込めるだろうと男は思っていた。だが、それは甘い考えだった。
「……誰です、そこにいるのは」
 男の背後から声がした。慌てて振り返る男。そこには一人のメイド――クレシアの姿があった。
「……へっ、メイドか」
「誰です、答えなさい」
 静かに繰り返すクレシア。
「生憎と名乗る名前は持ち合わせてないんだ、俺は」
 口を曲げ、卑しく笑う男。
「そうですか……なら、今からあなたを敵とみなします」
 ゆっくりと男に近付いてゆくクレシア。
「大人しくこの場から立ち去るのであれば、それでよし。でなければ……」
「でなければ、何だって言うんだ?」
 男はゆっくりと右手を背後に回した。隠してあるナイフをつかむために。
「――排除します」
 クレシアは男をまっすぐと見据え、言った。
「ああ、そうかい!」
 男が大きく踏み込んだ。右手を前に出して。ナイフがクレシアの胸を貫く。
「…………!」
 声も上げず、そのまま後ろの地面に倒れ込むクレシア。
「へへっ……ざまあみろ」
 男がニヤリと笑った。クレシアはぴくりとも動かない。ナイフが刺さったままの胸からは、血が次から次に流れている。
「しかし……いい女だよな」
 クレシアをじろじろと見下ろす男。目を見開いたままのクレシア。
「行き掛けの駄賃だ……いただいてくか」
 ニヤニヤ笑いながら、男はクレシアの上に被いかぶさる体勢になってゆく。スカートに手をかける男。
「へへへ……味あわせてもらうぜ」
 スカートの中に手が伸びようとした瞬間、クレシアの口が動いた。
「……そういうわけにはいきません」
「何っ!」
 飛び退く男。クレシアはゆっくりと起き上がる。そして、胸のナイフを引き抜くとすっと男に向けて投げた。とっさにかわす男。後方で乾いた音を立て、ナイフが落ちた。
「普通なら死んでいるところでしたね」
 クレシアはくすりと微笑んだ。血はもう流れてはいない。
「…………!」
 信じられない物を見るような目の男。
「……そんな目で見ないでくださいな。ほら、今宵は満月。月の魔力が最大に満ちている夜。何が起こっても不思議ではありませんから。ほら、あなたは聞いたことがありませんか。そう……遥か昔に不老不死になった女性の物語を」
「そ、そんな……ま、まさか……」
 男の身体が震え出した。この現実を信じたくないのだろう。
「『月巫女』……そんな名前で呼ばれていますか、世間では。さほど知られてはいないものの……ムーン・クレシア・ルニシスという名前がありますがね、一応は」
 ゆっくりと男に近付いてゆくクレシア。
「ひ……ひいぃっ!」
 恐怖で逃げ出そうとする男。クレシアはすかさず指を鳴らした。途端に男の足が止まる。必死に前へ前へ出ようとするが、ぴくりとも両足は動きはしない。
「あ……足が! 足がぁっ!」
「……影を縛らせていただきました。逃がしは、しません」
 クレシアはなおも男に近付いてゆく。そしてゆっくりと右手を胸元に持ってゆく。ぼう……と銀色の光がクレシアの右手に集まり、それはナイフほどの大きさになった。
「遺産目当ての愚かなる者どもからシーラお嬢様をお護りするため……また、私の正体に気付いていたにも関わらず、私を普通の人間と変わらずに接して下さった御主人様の御恩に報いるためにも……」
 男の口をぐっと左手で塞ぐクレシア。
「んーっ! んーっ! んーっ!」
「ムーン・クレシア・ルニシスの名において……あなたを処刑します」
 クレシアの右手の光が、一気に男の胸を貫いた。激しく血が飛び散り、クレシアの手を、顔を、服を汚した。哀れな男は――すぐに動かなくなった。
 満月は一段と銀色の輝きを増していた。


 月はやがて隠れ、再び太陽が現れる。朝方、クレシアは花壇で花の世話をしていた。シーラが側にやってくる。
「クレシア、何やってるの?」
「おはようございます、お嬢様。実は新しく種を蒔こうかと思いまして」
「そうなんだ。綺麗に育つといいわね」
「大丈夫ですとも。きちんと肥料も準備しましたから……」
「へえ……やっぱりお花のことはクレシアに任せるといいのね。これからもお願いするわね」
「ええ、分かりました」
「ところでクレシア、朝食はまだかしら?」
「分かっていますとも、お嬢様。すぐに参りますから、食堂でお待ちになってくださいませ」
「分かったわ。じゃあ待っているわね」
 屋敷に戻ってゆくシーラ。少ししてクレシアも屋敷に戻ってゆく。途中で花壇の方を振り返り、クレシアは静かに微笑んだ。
 クレシアの視線の先。色とりどりの花が咲き乱れる花壇の中には、新しく土を掘り返したような場所があった――。


【END】
 
 
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