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クリエイター名 |
溌麻冬鵺 |
A氏の場合
A氏という友人がいる。 彼と僕とは同級生で、クラスが同じになったことはなかったがそれなりに親しく付き合っていた。恐らく、柔道を共に習っていたからだろう。 冬の寒い日などは裸足になるのが辛かったものだ。冷え性の僕はよく彼を追いかけてはその素足を踏んでいた。A氏は「NO〜!」といったような悲鳴をあげながらジャンプして逃げる。ジャンピングホッパというのも彼の自称だ。 その彼と久し振りに会った。僕は驚愕した。 A氏の顔色は人のものとも思えないくらいに青く、彼を見たものの脳にturn paleという熟語をひらめかせるくらいであった。しかし、体調を崩したというのでもないのだそうだ。彼は記憶通りの声音で何でもなさそうに語った。 「いやー、いいバイトがあってね」 一体この顔色とアルバイトに何の関係があるのだろうか。調子も悪いだろうに、働いていていいのか。更には、この年齢でバイトか。僕は怪訝そうな顔になったと想像される。けれども僕も社会人だ。聞いていいことと悪いこととの区別くらいついている。僕は黙り込んだ。 「中華料理店で働いてるんだわ」 油っこい料理を近くにおいておいて大丈夫なのだろうか。それに、働く、にも多くの種類がある。今の僕の沈黙は、南極に行ったところ北枕しか出来ないと知ったときのようなものだ。深く沈思黙考。 「お兄さーん?」 「うん、それで?」 あまりに薄い僕の反応を不思議に思ったのか、A氏が僕の目の前で手を振ってみせる。彼は爪が綺麗だ。ただ記憶の中の彼の手よりも、現在のそれは血色が悪いようだ。彼は苦労しているのだ、そう思う。 無意識に話を促してしまったことを不覚に思いつつ、この居心地の悪い会話を続行させる。 「でね、やってる仕事がキョンシーなんだけど」 キョンシー? キョンシィ……? ひょっとして、あれだろうか。 両手を前に差し出してぴょんぴょん跳ねる、死人の。 「コスプレか何かで?」 「ノンノン。正真正銘キョンシー」 「でも君は生きてるじゃないか」 「そう見えるだけなの」 そして彼は詳細を話しだした。床まで奔騰かは……基、何処まで本当かは分からないが、何でも中国で修行を積んだり治療を受けたりしたらしい。そこまでしてキョンシーになりたいか、と僕は少々悪寒がするくらいだった。詮索したいのは山々だが、ぐっとこらえる。 「良かったんじゃないか、やりたい仕事が出来て」 「それがね〜、また大変だったのよ」 プロのキョンシーになるまで長い時間がかかった、とA氏は話す。具体的には店のマスコットキャラクタにしてウエイタをするらしいのだが、どうも普通のウエイタとは違うようだ。だが僕にしてみればキョンシーにプロもアマチュアもない。何なんだプロって。そう思うが僕は黙っている。昔なら大いに追窮しているところだ。 「最初は食事を運ぶのも大変でさー、ジャンプしながらだったからスープとかこぼれるわけ。床は汚れるし店長には怒られるし、散々でさあ」 それが徐々に慣れていき、今では何一つ落とす事なく運べるらしい。さぞかし珍妙だろう、と僕は友人の就業中を思い描く。貧弱な僕の妄想力も刺激されていた。 「で、良かったら一回来て欲しいんだけど」 などと言われるものだから、ますます堪難い。何を堪えるかは、ともかく。 実際に行ってみた。 A氏は確かに人気だった。光沢のある中国服で現れた時こそどうしようかと思ったがそれは間違いであった。そんなもの序の口にも勝らない。彼はプロ、凄腕のキョンシーだった。僕は感動さえした。 彼が注文を取りに行く。客はまずそれだけで大喜びだ。特に何もしていないが彼らの目は釘付けになる。これはまあ普通だ。 料理を運んでくる。勿論ジャンプしながらだ。あれだけ激しく動いているのに水さえこぼさないのにはプロの誇りを感じた。真似出来ない。真似出来たところでなんの役にも立たないかもしれないが、それは気にしてはならない。 お会計をする。鮮やかな銭さばきを見せる。もうここまでになると、彼はキョンシーになるために生まれた(死んだ?)のではないか、否そうに違いないと誰もが確信する。 そしてサービスの記念撮影。嬉しげな客と写真を撮る彼。素晴らしく輝いている。 ただひとつ勿体ないのは、写真に写った彼は跳ね続けているために折角輝いてもぶれているということだった。
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