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クリエイター名 |
いずみ風花 |
+++ 漂流者 1 +++
+++ 漂流者 1 +++
アスファルトから照り返す熱を、車が走る度、歩道へと熱風を撒き散らす。 もう、夏が来るのだ。 日差しもキツイが、照り返すビルや、車道からの熱の方が暑いんじゃないかと、夏が近づくと思う。 紀野咲也は、昼下がりの空気の止まったかのような国道を、歩いていた。 家まで、バスを降りて、たっぷり二十分は歩く。 いつもは、自転車でバス停まで通っているが、連日の暑さにか、朝パンクを見つけた。おかげで、一時間目は遅刻だった。 期末試験の遅刻は痛い。 だが、得意の数学だったので、なんとか、平均点はいったのではないかと思う。問題は、二時間目の社会だ。大学受験にそんなに影響しないとはいえ、散々だった。まあ、まだ、一年半あるし、もう終ったので考えないコトにする。 ぽたり。 汗が額からあごを伝って落ちる。 行き交う人は、まばらだ。 歩いているのは、咲也ぐらいで、国道を走る車もまばら、たまに歩道を走るのは、自転車に乗った、おばさんだ。レースの日傘に、帽子をかぶり、長いシャツを着て走っている。見るだけで暑さ倍増だ。そう、母親に話したら、たっぷり三十分ほど、その必要性を語られた。反論するのは、まずそうだったので、冷蔵庫からジュースをふたつ取り出して、母に手渡し、さもありがたそうに聞いた。母は嬉しそうだったが、やっぱり、見るからに暑いよな。と、思う。 まるで、陽炎が立ち昇りそうな、長い国道の先をぼんやりと見る。 この時間は、植えてある街路樹は、木陰を自らの根元だけにしか作らない。 まだ、冷蔵庫にジンジャーエールはあったろうか。 母親が飲んでしまっていないといいのに。 と。 信号の向こう側の洋服の安売り店の前に、異様な男性を見つけた。 異様だと、思った。 服装はサラリーマンと大差無い。 今はやりのクールビズ。 水色の半袖シャツをきちんと淡いグレーのスラックスに収め、手には黒いA四サイズの鞄を持っている。 普通だ。 それでも、咲也は異様だと思った。 彼の周りには、黒い空間が人型に彼を包んでいたのだから。
青年は、じっと車道を見ていた。 数えるほどしか通らない車だったが、それでも、まったく皆無とはいかない。去年リフォームが終ったばかりの真新しい車道を好んで通る車は少なく無い。 その、真新しい道の中央分離帯が、ぼこり。と、泡だった。
「えっ?」
思わず声を出した。 それはそうだろう。灰色とも、黒ともつかない、ひとの拳ほどの泡が直径一メートルほどの範囲で湧き上がったのだから。
その、小さな声に反応して、黒い空間をまとった青年は、咲也に振り向いた。 整った顔だったが、とりたてて、特徴も無い。髪は長いわけでも、短いわけでも無い。まるで、スーツの宣伝に出てくるような顔。年齢は、三十路いっているだろうか。 切れ長の眼元に、笑い皺が寄った。
信号は、赤から青に変わっていた。だが、咲也は、泡に視線を取られて動けなかった。 ぼこり。ぼこりと湧き上がる泡の上を、車が何台も、何の躊躇も無く通り過ぎて行く。 目の錯覚かと、目をこすっても、咲也には見える。 超常現象や、心霊現象など、生れてから十七年、身近に起こったコトなど無い。 そういう話しは、好きだし、TVの特番なんかは、一生懸命見た。小学校のトイレの個室には、よっぽど切羽詰らないと入らなかったし、一人で音楽室にも行かなかった。霊感の強い友達に、あきれるぐらいに何も無いと、太鼓判を貰って寂しかったコトもある。でも、そういう子等の話は、結局、本人しか見えなかったり、聞こえなかったりするものだから、何処まで本当だったのかと、今では、多少スレてきた気持ちの方が大きい。 なのに、何故、見たくてしかたなかった小学生の頃では無く、今更。
「閉じると、思ってごらん」 「へっ?」 「ドアを閉じる。そんな風に」 「オレ?」 「そう」
信号は、すでに、赤に変わっている。 青信号で渡ってきたのだろう、青年が、咲也の前で軽い微笑みと共に、語りかけてきた。 だが、その内容は、すんなり頭に染みこまなかった。
「まだ、開いたばかりだから、早く」 「だ…だって」 「閉じるんだ」
柔らかい口調で、今度は命令調。 さっきまでの、特徴の無いリーマン青年の面影は無い。 切れ長の目に黒々と光る瞳。 茫洋とした顔立ちが引き締まって、どこかの俳優のように男前だ。 黒い空間は、どうやら、咲也も取りこんだみたいで、まわりの景色が、暗く、まるでビデオの彩度を落としたようにうつった。 この異常は、間違い無く、この青年がらみなのだ。 咲也は、頭に血が上るのを感じた。 初対面の人に命令口調で指示されるなんて、むかつくコトこの上無い。人間には、言葉を尽くして説明する技があるだろうがと、思ってしまうのだ。 親はともかく、えらそうに人に指示する人間が、咲也は大嫌いだった。すぐに、軽い戦闘モードに入ってしまう。特に秀でた体力がある訳でも、頭脳がある訳でも無い、万年帰宅部な咲也の無意味な反論が、上手く行ったコトなど、片手にも満たないのだけれど。
「あんたがやればいいだろっ」 「あれを開けたのは僕じゃないから」 「オレじゃねえしっ!」 「ま、そうなんだけど」 「わけわかんねっ!」 「わからない方がいい」 「はあっ?」 「ドアを閉じるんだ」
ぼこり。ぼこり。
泡は、次第に大きくなる。範囲も、もうすぐ、車道から歩道に達するだろう。 それでも、見えているのは、自分と、どうやらこの得体の知れない青年だけのようだった。 そして、あんまり考えたくも無かったけれど、自分も他の人に見えていないか、見えにくくなっているようだ。横を通り過ぎる自転車が、ぶつかりそうになっても運転者のおばさんが、振り向きもしなかったのを見て思った。 普通は、おばさん達は、ぶつかりそうになる前に、やたらとベルは鳴らすし、ぶつかりそうになったら、ひと睨みも頂くのだ。それが無いなんて、変だ。 思わず、まじまじと、青年の顔を見る。 吸い込まれそうな瞳っていうのは、本当にあるのだなと、気のせいか、美形度がアップしているかのような錯覚まで感じてしまっている。 怒っているドキドキが、妙な方向へと曲がりそうで、ちょっとイヤだ。
「な…何かの宗教ですかっ?」 「宗教だったら、良かったんだけどね。で?君は閉じるコトを、考えてくれない訳だ?」
苦笑する美形は、心臓に悪いほど、キレイだ。 でも、しかし。 咲也は溢れ出す泡から、逃れようと、後退る。
「すんなり、はいそうですかって言えるほど、子供じゃないんで」 「行方不明者になりたいのか?」 「UFOに誘拐?」 「生憎、小さくて、目の大きい宇宙人に知り合いは居ない。じゃ、無くて。…あの泡に呑みこまれたくないなら、扉を閉じるんだ。あれは、君を見つけた。もう、何処まで逃げても追ってくる」 「はいぃ?」
美形も、UFO番組を見ているのだろうか。 さらりとかわされ、続けられた言葉は、よくあるホラー映画の、よくあるパターンの、よくある言葉だった。 だからこそ、イヤにすんなりと身に染みた。 怖いコトになるはずの言葉なのに、つるりと言ってのけられて、目が点になる。
「もう少し、早く僕が君を見つけていたら、良かったんだが」 「ええとおっ!」
後退ったハズなのに、その場から、すこしも動けていなかった。 なのに、今では大人の頭ほどもある黒いような灰色のような、とろりとした光沢の泡が、足元に来ていた。
ごぽり。
買ったばかりのスニーカーにかかる。 この、泡の上を、何台もの車が通過して行ったのを見ている。 泡は、車に何の痕跡も残さなかった。 けれども。
粘着質の液体が、足元に広がった。 その泡がはじけると、果物の熟し過ぎた、腐敗臭寸前の、甘く、くどい匂いが鼻についた。 助けを求めて、顔を上げると、表情を変えない美形と目が合った。 美形は、微笑んで、軽く首を傾げた。傾げるな。似合うけど。絶対、三十路はいってるハズなのに。
「あ〜。そろそろ、さよならかな」
超常現象やら、心霊現象やらと無縁だった自分、さようなら。 咲也は、やけくそになって、ドアを想像した。
「閉じりゃいいんでしょ。閉じりゃっ!」
ドアというより、扉。 こないだ見た映画の、でっかい城壁についてる、でっかい門。 鎖を鳴らして、跳ね上り、何十人もの人が内門を閉め、みあった重た い、でっかい閂で、音を立てて閉めた。
その途端、悲鳴のような声が聞こえた。 それは、悲しみ、惜しむ声。 何故。どうして。
―――帰ってきてはくれないのか。
ぎりぎりと、胸が痛んだ。 帰らなくては、いけなかったのではないのか。 誰が? 自分が。
あまりの、せつなさと、息苦しさに、ひざをつく。 もう、アスファルトには、湧き上がる泡は無い。 甘く漂う匂いも無い。
顔を上げると、真っ黒な瞳の青年が、見下ろしている。
彼は…誰だ。
オレは…誰だ。
咲也は、熱の立ち上る歩道に倒れた。
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