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クリエイター名 |
ALF |
サンプル
●森精
鬱蒼と茂るジャングル。生に満ちたはずのそこに、今あるのは銃声だけだった。 彼は、襲い来た‥‥もしくはただ通り過ぎようとしただけかも知れない敵を、冷静に撃ち殺していた。 ジャングルと一体化して身を隠し、彼を見つけられずに無駄な足掻きを見せる相手に向かって銃爪を引く。それだけで全てが終わった。 彼にとってそれが全てでもあった。 小さな国。思想による対立。大国の介入。泥沼の戦争。産み落とされるがごとく、ジャングルに降りた自分。ジャングルと一丁の銃‥‥それが、彼の全てだった。 彼は、もう一度銃爪を引いた。リアサイトとフロントサイトポストの延長上にいた兵士が、もんどりうって倒れる。 彼は表情一つ変えない。 まだ若いと言えるアングロサクソン。手入れされる事無く伸びた髪と髭。そして汚れきった軍服。それが、彼がどれだけの月日をジャングルで過ごしていたかを教える。 彼は最後の銃弾を放った。敵の最後の一人が倒れる。彼はその事を喜ぶでもなく、また誇るでもなく、ただ銃を下ろしその場で目を閉じた。 「‥‥どうして?」 彼の耳に声が届く。彼は、電撃に打たれたかのように銃を構えると周囲を見回した。 何も見えない。神経を集中させるが何も聞こえず、また何の気配も感じられない。 彼は‥‥銃を構え、歩き出した。ジャングルは誰も居らず‥‥それでいて何かの気配を漂わせながら彼を包み込んでいた。
ジャングルの木々の隙間、彼は偽装網で巧妙にカモフラージュされたその空間にいた。 倒した兵士から奪った銃弾。ライフル。手榴弾やら何やら。彼は、それらを一つ一つ、丁寧に整備し始めた。何度も繰り返し、もはや間違えようもない作業をまたも繰り返す。 殺した敵から得た物。次の敵を殺す準備。何の疑問もなく、その永劫にも繰り返すことの出来る行いを今日も続ける。 「‥‥どうして?」 ‥‥声が聞こえた。彼は銃を手に取ると偽装網の隙間から周囲を見回す。ジャングルの中、誰もいない‥‥ 「どうして?」 背後からの声に振り返った彼は、そこにいた白い人影を反射的に撃った。 一瞬、心が軋む。驚いたような顔をして後ろに倒れる少女の姿が目の前をちらつく。 小麦色の肌の、まだ幼い少女‥‥あどけない目と、胸から吹き出す血。綺麗に揺れる長い黒髪。 だが‥‥ハッと我に返った彼が見ると、彼が撃ったものがいた筈のそこには何一つありはしなかった。 「どうして?」 また声が聞こえた。彼は、反応することすらなく、何もないその場所を見つめていた。
雨が降り出していた。ジャングルは今日も、何一つ変わっているようには見えない。 だが彼は、自分が敵一個小隊ほどに囲まれていることを知っていた。 その事には何の感慨もない。敵がいればそれを殲滅する。出来なくても自分が死ぬだけ‥‥ 彼はただ、ジャングルと一体となって身を隠し、敵の動きを探ろうとする。 音。臭い。気配から動物の動きなども重要な情報源になる。その全てを逃さない。雨は音と臭いを消し去るが、それでも条件は敵も自分も一緒だ。いや‥‥彼の方に地の利はあるか。 敵は、彼の位置を特定できずに、網で包み込むかのように動いている。ならば、その網の目をかいくぐり、叩く。さほど難しい事ではない。 彼はついでにと、薄汚れた背嚢を隠れ場所から引きずり出した。そして、中に入っている飯盒の様な形の物‥‥クレイモア地雷を確認する。 そして彼は隠れ場所を出て、雨にぬかるむジャングルの中を、音も立てず足跡も残さずに小走りに駆けだした。 やがて、場所を見て彼はクレイモア地雷を使ったトラップを手早く‥‥そして巧妙に仕掛ける。持ってきたクレイモア地雷が一つもなくなる頃、彼は包囲網の外側へと出ていた。 今度は、彼自身が狩る側‥‥彼は、背後に回られたとも気付かずに前進を続けている敵の残した痕跡‥‥折れた小枝や、雨で消えかかっている足跡を追う。と‥‥ 「‥‥どうして?」 声は背後から聞こえた。彼は銃撃をかわすために身を転がし、素早く背後に向け銃を構える。 だが、そこには誰もいない。 「どうして? どうして貴方は‥‥」 雨音に混じる声。彼は上を見上げた。木々の伸ばす枝葉が造る緑の天井とただ降りしきる雨。そして、声もまた降る。 「どうして貴方は、そんなにも泣いているの?」 彼は、その声を敵とは判断しなかった。ただ、騒がれて自分の位置を知られるのが拙いとそう思う。だから彼は、その場を離れる事にした。 彼は声に背を向け、敵を追って走り出す。 声はその背中に最後に聞いた。 「どうして貴方は逃げているの‥‥?」
彼は、彼自身を追っているつもりであろう敵分隊に背後から忍び寄ると、手榴弾を放る。 分隊の兵士達がそこに落ちてきた物に気付いた時には、それは炸裂し致命的な威力を持つ破片と爆風を撒き散らしていた。巻き込まれた者に死‥‥死を免れた者も深い傷を与える。 それが分隊にもたらした混乱の中、彼は背後から正確な射撃が加え、何人かを倒す。分隊長が身を隠すよう兵士達に指示を与えたのが見えた。 彼はその分隊長を撃った。頭から血が吹き出し倒れる分隊長。混乱の中、悲鳴と盲撃ちで応射する銃声が響く。 見当はずれの銃撃に彼は何ら危ぶむことなく、冷静に撃ち返えしていった。 そして、銃弾が最後の兵士を撃ち抜く‥‥その時、彼の視界の端に人影が入った。彼は反射的にその人影に銃を向け、銃爪を引く。 そこにいたのは、一人の幼い少女。褐色の肌と黒く長い髪を持つ少女は、あどけない目をしながら銃弾に倒れる。 「‥‥‥‥っ!?」 思わず彼はそこに駆け寄った。子供を撃つ‥‥今更、どうでも良い事の筈だった。 その銃で、ナイフで、敵と見なせば如何なる者をも殺してきた。女子供を殺した数も両手の指では数えられない。だが、彼は気付いた時にはそこへと走っていた。 そして‥‥そこに少女の姿はなかった。 「‥‥‥‥」 彼は無言で、少女の倒れていた筈の地面を見続ける。 不思議だった。気分が悪かった。何故自分が、敵に姿を晒す危険をおかしたのかがわからない。 そして何故、自分の身体が震えているのか‥‥ 「あれは‥‥確か‥‥」 「思い出した?」 声が聞く。振り向く先、そこには先程銃弾に倒れたはずの少女が居た。 「貴方を思いだした?」 少女の問いかけに彼は答えず、腰の拳銃を抜き取ると少女の胸に銃弾を撃ち込む。 「‥‥‥‥」 「怖がらないで? 思い出す事を‥‥」 少女は何事もなかったかのようにそこにあり、ただ穏やかな笑みを浮かべて彼を見る。 「貴方は‥‥」 少女の声と同時に銃声が鳴る。彼は、もう一度銃弾を放った。 少女の笑みが哀しげに曇る。 「‥‥‥‥どうして?」 「幻に用はない」 そう言う彼は、全身が震えているのを感じていた。 どんな敵に会った時も、恐怖を感じることはなかった。彼にとって、敵を殺す事も、自らが死す事も等価値であり‥‥興味のない事であったから。 だが、この少女は彼を破滅に導く‥‥そう感じるが故に彼は震えていた。 「消えろ幻!」 彼がそう叫んだその時、それほど離れていない場所で聞き慣れた音が響いた。 トラップに仕掛けたクレイモア地雷の炸裂音。それは、彼が戦場にいることを思い出させる。 ここでの戦闘の音は、もちろん他の敵にも聞かれていたはず。その場に止まる事は、敗北を意味していた。 彼は少女のことを無視すると、接近してきたであろう敵を待ちかまえるのに最適な襲撃点へと走り出す。 彼が走り出した後‥‥少女の幻影はその姿を薄れさせて消えた。ただ少女は、消え去る前に彼に向かって問いかける。 「どうして貴方は貴方を殺すの?」
彼は敵が見える茂みに身を潜めると、トラップの不意打ちに負傷し後送されていく兵士達をまず最初に狙った。しかも、負傷している兵士ではなく、それを運んでいる兵士を。 彼の銃撃に、負傷した兵士の傍らでもう一人が死んだ。支えを失い、投げ出された兵士が悲鳴を上げ、死んだ仲間の名を呼ぶ。 その声には、兵士の他の仲間も気付いた。それは当然の反応。攻撃を警戒しながらも、負傷した兵士の元へと行こうとする。 それは全て、彼の予想通りの行動だった。 ただ冷静に銃爪を引く。踊るように倒れる敵、敵、敵‥‥殺戮に時間は掛からない。 彼は、付近の敵全てが死んだことを確認すると、ただ一人生き残った負傷兵に歩み寄った。 「何なんだお前は!?」 反撃をする事も出来ず、ただ逃げようと雨で泥と化した地面を這いずる兵士。その恐怖に歪んだ声が、ただ耳を通りすぎる。 「く、くるなぁ! 人殺し!」 彼は、ナイフを抜くと兵士の喉の上を滑らせた。兵士は悲鳴‥‥傷から漏れ出す空気の音を鳴らし、喉を押さえてその命を終える。 彼は、その死体に興味なく背を向けた。 「貴方の名前は‥‥?」 その声は、たった今、背を向けたばかりの場所から聞こえてきた。振り向く彼の前、死んだ兵士の身体をそっと支える少女の姿がある。 少女は重ねて聞いた。 「貴方の名前は?」 彼は思わず答える。先程殺した兵士に言われたばかりの自分の名。そして、いつか言われた言葉‥‥ 「‥‥人殺し」 倒した敵の赤い血が雨に流れ、泥の上に拡がっていく。それがどうしてか彼の目に付いた。 そして‥‥その赤さが、燃えていく手紙の幻視に重なる。 『もう貴方を愛せない』 その手紙を見たのは何時の事だろう。 『さよなら』 どうしてなんだろう。 『貴方は人殺し‥‥』 手紙のその文字が最後に炎の中に消え、幻視もまた消える。そこには、死んだ兵士と悲しみの表情を浮かべた少女だけが居た。 「どうして、殺すの?」 「敵だから‥‥」 答える彼の声は、まるで自分に言い聞かせて居るかのようにも聞こえた。 少女は、倒れた兵士の傍らから離れると、彼に向かって歩き始める。 「違う‥‥どうして貴方自身を殺してしまったの?」 心がザワリと波立った。開けてはならない扉に触れられた‥‥そんな感覚。いや、恐怖。 「思い出して‥‥貴方の名前は?」 少女は続ける。何気なく聞くその言葉に、彼の心臓が凍り付く。 「あぁ‥‥‥‥」 彼は恐怖を露わにした‥‥その時、彼の腕に焼け付くような痛みが走る。 見ると、そこからは血が噴き出していた。気付けば、背後から銃声が聞こえる。 長居をしすぎた‥‥そう悟る前に、彼はその場から逃げだした。兵士としての反射的な行動‥‥だが、銃撃が無くても彼は逃げ出していただろう。他でもない少女の幻影から‥‥
ばしゃばしゃと、彼が泥水を跳ね上げる音が暗いジャングルの中に響く。 彼は逃げながら、自分の腕の止血を終えた。銃弾は上腕部を貫通している。決して軽い傷とは言えない。 それでも彼は銃を放さず、ジャングルの中を走る。時折、後ろから加えられる銃撃に、牽制射撃を返すのも忘れない。 その内、十分に引き離したのか敵からの射撃はなくなった。だが、彼は足を止めることなく、ただひたすらに走り続けていく。 逃げる彼を苦しめていたのは、敵の存在でも、腕の傷の痛みでもなかった。 「どうして? どうして貴方は怯えるの? どうして貴方は貴方を殺してしまうの?」 耳について離れない声が囁き続ける。 「思い出して‥‥」 「止めろ! 止めろ! 止めるんだ! 何故だ! どうしてつきまとう!」 彼は息を荒げながら、暗いジャングルの中に叫び返す。もはや、それが敵を呼ぶ行為だと気付くこともなかった。今はただ、幻の少女の声に抗いたかった。 だが、少女の声は甘く、優しく囁き続ける。 「‥‥苦しいんでしょう?」 彼はその言葉に首を横に何度も振った。少女の声を否定する‥‥その度に心が疼いた。 「哀しいんでしょう?」 「そんな事はない! あるわけがない!」 彼の叫びに、声が答える。 「わかるわ。貴方を見ていたもの‥‥」 「何なんだ‥‥」 聞こえる声に足を止め、彼は銃を構える。 ‥‥誰もいない。ジャングルの中、何処にも誰もいはしない。ただ雨音と声だけが在る。 「わかるわ。貴方の声を聞いていたもの‥‥」 「何なんだ!」 声が聞こえた。彼は、その場に向かって銃を向けると、銃爪を引く。 「貴方は何に怯えているの?」 「放っておいてくれ!」 どこかにいる‥‥その声にめがけて彼は銃の銃爪を引き続けた。 「どうして?」 声は聞こえる。マガジンが空になるや彼はすぐさまそれを交換し、改めて撃ち続ける。 「貴方は助けを求めているのに、どうして?」 雨音と銃声。その音に混じる少女の声に彼は叫び返す。 「止めろ! 放っておいてくれ! 思い出させないでくれ! 忘れさせていてくれ!」 その叫びは、無意識に発したもの‥‥故に真の心からの叫び。叫んでから彼は、自分が何を言ったのか理解できずに戸惑う。 「思い出す‥‥忘れる‥‥」 何を? その答が出ない。だが、少女の声はその答がわかっているかのように囁く。 「何が怖いの? 怯えないで‥‥」 何処まで走っても耳元で囁く声に必死で首を横に振り、彼はまた闇雲に走りだした。 すぐに泥に足を取られて転んだ。それでも身を起こすとすぐに、走り続ける。 「誰も貴方を傷付けたりはしないから‥‥」 「嘘だ!」 もう心は疲れ果てていた。その奥底にあるものが浮き上がろうとしていた。 それを無理に押さえ込むために彼は叫び、茂みを駆け抜ける。 そして‥‥その先にあったものに行く手を阻まれ、彼は足を止めてしまった。 そこにあったのは、信じられないほど大きな一本の木。天を支える柱にも見えるその巨木の根本、少女がそこで彼に微笑みかける。 雨の降る中、そこだけは雨に濡れることなく、仄かに暖かい光を放ってすらいた。 「‥‥いらっしゃい。抱きしめてあげる。慰めてあげる。だから、泣かなくて良いの」 「嘘だ‥‥」 そう言いながらも彼は、少女に向かって魅入られたかのように歩き出していた。少女の笑顔の中にある暖かさに、冷たく冷え切った身体と心が、逆らう事が出来なかった。 今まで押さえ込んでいたものが溶けだしていくような感覚をも憶える。 「嘘だ‥‥」 それでも彼は、自分を守る為に呟き続けた。 「嘘だ‥‥嘘だ‥‥」 「‥‥大丈夫。ここは痛くないから。苦しくもないから‥‥」 少女が腕を伸ばす。歩み寄っていた彼の身体をその腕は絡め取り、柔らかな暖かさの中に包んだ。幼い子供のように抱かれて彼は、その手から銃を落とす。 「寂しかったのね? 辛かったのね? 自分が自分でいると、苦しくて仕方が無くて‥‥だから逃げたのね?」 「‥‥‥‥」 押さえていたものが溢れた。それは‥‥涙。 「優しい子‥‥」 少女は彼を強く抱きしめた。 少女の胸を涙で濡らし、彼は思い出す。 敵を殺すことが怖かった。それが人間なのだと知っていたから。 その事実を誤魔化そうとすればするほど‥‥殺す事を正当化しようとすればするほど耐えられなくなった。だから、何も考えないようにした。 自分が自分でなくなれば‥‥辛くない。 その代わり、大事なものがどんどん失われていった。殺人機械になればなるほど、人間の自分を忘れていった。 そしてある日‥‥全てが終わった。 誤魔化せなくなった。人間に戻れと言われた。 いつか聞いた声が脳裏に響く。 『帰れるんだ』 「僕は帰りたくない」 いつか聞いた声に頭が痛んだ。 『戦争は終わったよ』 「まだ終わっていない。まだ‥‥」 何処かで聞いた言葉を思い出すことをまだ心が拒んだ。 『もう戦わなくて良いんだ』 「僕に戦場を下さい。でなければ‥‥」 その願いは叶えられなかった。そして叶えられた。だから彼はここにいる。 「僕に戦場を下さい。でなければ殺して下さい」 彼はジャングルに帰ってきた‥‥唯一安らげる場所へ。そして、彼の望み通り、彼を殺してしまえる場所へ。 「‥‥‥‥戦いの中なら忘れていられるんだ」 「だから、ジャングルに逃げたのね? 私の中へ‥‥人がまだ獣として生きられる場所へ」 少女は‥‥少女の姿をした何かは、彼に向かって母のように微笑みかける。 その笑顔に、彼は一人の少女を重ねた。 「君は‥‥君は僕が殺した‥‥」 「思い出してくれた?」 最初の戦場。撃った。倒れたのは民間人の少女だった。小麦色の肌の、まだ幼い少女‥‥あどけない目と、胸から吹き出す血。長い黒髪が、嘘のように綺麗に揺らいでいた。 ゲリラだったのかも知れない‥‥そんな言い訳をした。誰も気にしなかった。むしろ誉められた。ただ、自分だけは確信していた。あの少女が、ただ巻き込まれただけだった事を‥‥ 憶えていた。憶えていたからこそ、それは忘れていた。憶えているには辛すぎるから。 「そう‥‥私の姿は貴方の最初の棘。貴方が一番忘れたかった、その姿」 「殺したんだ。君は驚いたような表情を浮かべていた。君が敵だったかもわからない‥‥でも、違うと思った。僕は人を殺したんだと思った」 「それももう、終わりにしましょう? もう哀しまなくて良いの。貴方を殺さなくて良いの。苦しみの時は終わりにしましょう?」 誰もくれなかった許しの言葉‥‥それを彼に囁く少女。 「貴方は私の中で生きる獣‥‥貴方に安らぎをあげる。夜に大地を駆け生に足掻き、昼を巣穴で恐怖に耐える貴方に安らぎを‥‥森の心を聞く貴方に私の祝福をあげる」 少女は森の意志‥‥いや、少女は彼の弱さが見せた幻影なのかもしれない。 ‥‥違うのかも知れない。そうなのかも知れない。だが、少女が与えてくれたのは、言って欲しかった言葉、求めていた安らぎだった。 「終わりにしても良いの?」 「貴方は貴方なの。他の何でもないの。貴方を殺さないで‥‥貴方は貴方なの」 少女は彼の頬を撫で、そして身を離した。その身体をフワリと宙に浮かせて少女は聞く。 「教えて? 貴方の名前は? 貴方の名前をちょうだい‥‥」 彼が見上げる先、巨木の中に吸い込まれるように消えていく少女。その姿を追うように、彼は巨木にすがりついた。 「僕は‥‥僕の名前は‥‥」 彼はようやく思いだした。自分が人間であったことを。そして自分の名前を‥‥ 「僕は‥‥」 そしてその時、彼の胸を背後から銃弾が射抜いた。彼の口から血の塊が溢れる。同時に彼は、何か二言三言、巨木に向かって囁いていた‥‥
「‥‥はい、目標は射殺しました。これで任務を終わります」 兵士が通信機に向かって報告を送る。 任務に当たっていた兵士達は目標を追撃、巨木にすがりついていた目標を射殺した。 この追撃を指揮していた小隊長が呟く。 「‥‥戦争終了後、軍を脱走。ジャングルに潜み、ありとあらゆる人間を殺し続けた殺人鬼か。最後にはうちの小隊20人を殺した‥‥」 どうして、彼がそんな行動に出たのか? それは、戦争後遺症などと言う言葉で片付けられてしまうだろう。だが、軍人である小隊長自身、わかっている事はあった。 「彼は‥‥戦争を終わらせることが出来なかったのだろう。彼一人が何時までも戦場にいたのだろうな‥‥」 自分も一緒なのかも知れない‥‥そんな事を考えながら、小隊長は巨木に目をやる。そこで死んでいる彼の方に。 「だが、不思議だ‥‥彼はどうしてああも安らかに死んだのだろう‥‥」 そこには巨木を抱きしめるかのように身を預け、背中を血に染めた男の死体があった。 死に顔は、予想に反し狂者のそれではなく‥‥むしろ、極普通の若者の顔に見えた。 人殺しや兵士には浮かべられない死に顔だと‥‥小隊長はそんな事を考えていた。 「‥‥どうして?」 そんな囁きが小隊長の耳に届く。 「? 誰か何か言ったか?」 その問いに、兵士達は皆首を横に振った。訝しげに首を傾げる小隊長にもう一度声が届く。 「‥‥どうして貴方は‥‥」
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