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クリエイター名 |
西子 |
サンプル
<サンプル1>
「けれどもお父様、昨今の我が国の情勢は歴史上例をみないほどに落ち着いておりますわ。それもこれも、お父様のご尽力あってのものです。民は皆、口をそろえてお父様を褒め称えておりますわ」 アリアの少女らしい柔らかな声で綴られたその言葉に、アルウィンは眉間の皺を一本増やした。
アルウィンが即位したのは20歳の時だ。それから23年、かつて宗教戦争や部族闘争など内紛の絶えなかったこの国は、見違えるように変わった。 戦のせいで飢餓に苦しむ者はもういない。親を殺された子供の泣き声が街に溢れる事もなくなった。物資は豊富に流通し、人々は平和な日常の中で、平凡な生活を営めるようになった。 禍根が全てなくなったわけでは勿論ない。しかしそれでも、こんなに穏やかな状態は、この国が出来て初めてだった。 「だからなんだ」 「まぁ・・・・・そんな顔はおやめください。恐いですわ」 もう一本眉間に皺を増やしたアルウィンの低い声に、しかしマリアは笑うばかりだ。 マリアは今年で18歳になる。彼女が生まれた時、国中が喜びに満ち溢れた。王女の誕生に誰も彼もが歓声をあげ、心から祝福した。勿論、アルウィンはその筆頭である。 初めての子供。母親似の顔立ちに、自分と同じ栗色の髪。彼は娘を溺愛した。 しつけは厳しくという教育方針の妻に隠れて、アルウィンは娘を力の限り甘やかし、望むものは何でも与えてきた。おもちゃ、ドレス、宝石―――何でも、本当に何でも与えてしまったのだ。 それが間違いだったと気づいた時には・・・・・もう、全てが手遅れだった。
「だったらそこから降りて来い!お前、年頃の娘が塀になんぞ登るんじゃない!」
城をぐるりと囲む、3メートルはある城門の壁。その上からマリアは父親を見下ろした。 「や、いいけど、その場合、私向こうに降りるよ?」 「降りるな!!」 青褪めた顔で怒鳴るアルウィンに、マリアは両手をあわせ、可愛らしく小首をかしげた。 「ねぇ、お父さんお願い!見逃して〜夕方までには帰ってくるから!ね?」 「駄目だ駄目だ!俺が母さんに怒られるんだぞ!?お前が城を抜け出すたびに、俺がどれだけ大変な目にあわされたと思ってるんだ!」 「お父さぁ〜〜ん」 「駄目だ!だいたい万が一の事があったらどうするつもりだ!」 「大丈夫!力ずくで切り抜ける!」 ガッと握りこぶしをつくったマリアのあまりの頼もしさに、アルウィンは心の底から己の親馬鹿さ加減を後悔した。 マリア可愛さに、アルウィンは彼女が望むものは本当に何でも与えてしまったのだ。おもちゃが欲しいと言われれば買い与え、ドレスが欲しいと言われれば作らせ、武術が学んでみたいと言われれば師範をつけた。 護身の為にも、ある程度武術の心得をつけるのはいいかもしれないと思ったのだが、それが間違いだった。 だがまさか、免許皆伝までいくなど、誰が想像したというのだ。 ゆるいウェーブを描く柔らかく艶やかな髪。大きな瞳と小さく赤い唇に透通るような白い肌。華奢な体つきの、黙っていれば美少女な王女は、その外見にまったくそぐわない、たくましい成長を遂げてしまった。 「蝶よ花よと育て上げたのに、どこをどう間違ってこんな事に・・・・・!」 がくりと膝をつき、大げさな仕草で嘆くアルウィンに、呆れ顔でマリアは言った。 「いい加減諦めてよ。それより、もう行っていい?早くしないと、仕事に遅れちゃうじゃない」 「だから!なんで王女がバイトに行くんだって、そう言ってるんだ俺は!!」 「遊ぶお金が欲しいんだもん。公費使い込むよりいいでしょ?」 「だから!!そもそも遊ぶなっつっとるんだ!」 城の外で! 歯を剥き出しにして、アルウィンはそう怒鳴った。その姿に、普段の威厳など欠片も見当たらない。 まぁマリアも、己の非常識さを理解していないわけではない。父親の取り乱し方に、呆れながらも仕方がないと、溜息を一つ零した。 お忍びで城下に遊びに行く姫というのは、探せば結構いるだろう。だが、そこでバイトまで始める王族はそうそういないのではないだろうか。 しかし、他所のお姫様のように、国民の血税で贅を尽くすような真似はしたくなかったのだ。 飾りものにはならない。 それはマリアが己の立場をはっきりと理解した時にした決意だ。 アルウィンに他に子はなく、いずれこの国はマリアが迎えた婿が統治することになるだろう。その時、夫の隣でただ笑っているだけの存在にはなりたくなかった。 荒れたこの国を、父を含めた執政者達が、どれだけの苦労をもって今の状態までしたのかを、マリアはよく分かっている。 父が作り上げたものを、娘の自分が護る―――それがマリアの決意だ。 その為にも、マリアは護るものを自分の目で見ておきたかった。 そうして街に行くようになって、マリアは今の穏やかな日常を国民がどれだけ切望していたかを知った。 民の為に王はある。それはアルウィンがマリアに教えた事だ。ならば、王族であるこの身も等しく民の為のものである。民のために生きて死ぬのだ。自分が生涯をかけて護るのは、これから会いに行く人たちの平凡な毎日なのである。 それを心に刻み付けるためにもバイトは必要な事であり、決して遊びたいからだけではないのだ、決して。本当にないといったらない。本当だ。 「いくら治安がよくなったと言っても、俺は変態や変人の管理までしてないぞ!もしもの事があったらどうする気だ!?そんなんでもお前は仮にも王女なんだぞ!?危ないから、街に行くのは止めるんだ!」 「変態や変人ごときが、この私と張り合える訳ないじゃない。大丈夫よ。じゃ、本当に遅刻するからもういくね。夕飯までには帰るから!」 そう言うと、アルウィンの返事を待たず、マリアは城壁の向こう側へと飛び降りた。 アルウィンの野太い悲鳴が辺りに響き渡る。 人が来ないのが不思議なほどの大音量だったが、すでにマリアの脱走は城では周知の秘密となっている。アルウィンの悲鳴もいつもの事と、警備兵は遠目で確認する程度で、呼ばれない限りは近寄ってこようともしない。 因みに、この悲鳴を聞いた王妃が、頭を抱えて不甲斐ない夫へのお仕置きを考えるのもいつもの事だ。 降り立った城門の外で、マリアはさっと視線を巡らせた。 あたりに人がいない事を確認し、 「では、お父様。行って参りますわ。ごきげんよう」 そう言って優雅な仕草で礼をとると、はずむ様な足取りで歩き出した。 バイト先のケーキ屋はここから20分も歩いたところにある。今日は栗を使った新作のケーキを試食させてくれる約束だった。マリアは栗もケーキも大好きだ。 おまけに今日は給料日である。街は今、秋物バーゲン真っ盛り。帰りにバイト仲間と一緒に行く約束も取り付けてある。欲しい服や小物のチェックも既にばっちりだ。 マリアの顔に、押さえ切れない笑みが浮かぶ。 父親の上げる悲壮な怒鳴り声に見送られ、マリアは上機嫌で城を後にした。
それは、いつもの一日の始まりだった。いつものやり取りに、いつもの脱走劇。 マリアはこんな毎日がずっと続くのだと、そう思っていた。それが思い込みだったと思い知らされることになるとは、この時マリアは夢にも思っていなかった。
「はぁ!?花嫁修業!?ちょっと待ってよ!?何で?そんなのここでも・・・・!!」 「うるさい!期限は一年!母さんの祖国で、本物の品性を身につけて来い!」 「やだぁぁぁぁ!!バイトもあるし、この前見つけた雑貨屋だってまだ行ってないし、それに友達だって・・・・・!!」 「うるさい!うるさい!!うるさ―――い!!」 「やだやだ―――!!助けて、お母さ・・・・・・!」
その日の夕食、マリアに突きつけられたのは、母の祖国から送られてきた手紙だった。 そこには、祖母の秀麗な文字で、アルウィンの申し出を快諾するとの旨が書かれてあった。 マリアの脳裏に、厳格が服を着たかのような祖母の姿が浮かんで消える。 絶対に嫌だと、助けを求めて巡らせた視線の先、母親の表情にマリアはぴしりと凍りついた。 穏やかな微笑を浮かべ、彼女はマリアを見つめている。 ニコニコニコニコニコと―――――額に大量の青筋を浮かべて。 細められた目からは、殺気さえ感じられた。 無言で視線を母から父へと戻す。 アルウィンは青褪めた顔で、ただじっとマリアを見つめていた。 その目は雄弁に語っている。命が惜しくば頷けと。 蛇に睨まれたカエルの二人は、へらりと引きつった笑みを浮かべ、祖母への手土産について話を進めた。
こうして、ついに堪忍袋の緒を切った両親の思い付きにより、マリアはこれより一年花嫁修業に出る事となった。 ずっと続くと、根拠もなく信じていた楽しい毎日。 唐突に壊されたそれに取って代わったのは、花嫁修業という、想像しただけで退屈そうな日々だった。 だが――― 「マリア、ついでに花婿の一人や二人見つけて来なさいね」 見つかるのは花婿ではなく、お家騒動や、臣下の陰謀だったりと、無駄に波乱万丈な一年を過ごす事になるのだが―――この時のマリアには、知る由もなかった。
<サンプル2>
一体俺の何が悪かったってんだ。 身動きの出来ない体で、ぼんやりと天井を眺めながら、俺はこれまでの人生に想いを馳せた。 父親はサラリーマン、母親は専業主婦という一般家庭の長男に生まれつき、酒や煙草はもちろん、窃盗や殺人なんかも起こさずに、それなりに真面目に生きてきたつもりだ。 視線を天井から前に落すと、ニヤニヤと笑う、汚い顔が見えた。 耳だけじゃ飽き足らず、口や鼻、眉毛のところにまでピアスをつけている。かっこいいぜ兄ちゃん。アフリカの原住民みたいだ。顔つきは彼らよりも数段劣ったアホ面だけどな。 角材を手に、うろうろとしている奴の仲間は、ピアスはしていなかったが、頭がアフロだった。ソウルフルな黒人兄弟は今ごろ草葉の陰で泣いている。 うんざりと重い息を吐き出すと、気分は一層落ち込んだ。 成績は中の下。優等生ではないし、品行方正とも言いがたいが、どこをどう間違っても、こんな所に連れ込まれて縛り上げられるような事をした覚えはねぇ。 「それもこれも全部テメェのせいだ。何とかしろよコラ」 「慎・・・・・ごめんね、そうだよね・・・・・全部マミが可愛すぎるのが悪いんだよね・・・・・」 ごめんね、と続いた言葉は、ヘタな罵詈雑言よりよっぽど俺の神経を逆撫でしてくれた。 「おい!そこのクソピアス!いい加減、縄を解きやがれ!どんだけ待たせるんだよ!?そろそろ帰らねーと、夕飯ぬかれちまうだろうが!!」 「誰がクソだコラァ!!つーか、10分かそこら待たされたくらいでキレるんじゃねーよ!てめぇみてぇのがいるから、最近の若者はキレやすいとかなんとか」 「やめろってアホ、落ち着けよ。お兄ちゃん、もうちょっと待ってね〜カズの奴もうすぐ来ると思うからさ」 イカレた外見の割りに、妙に常識的なツッコミを放つピアス男を、アフロが片手間に宥めてそう言った。 高校の帰り道。 今日は特に予定もなく、かといってどこかで遊ぶ気にもなれなかった俺は、真っ直ぐに帰路へとついた。最寄の駅から家へと続く道の途中、そこで悲劇は起きた。 人通りの少ない裏道に、ピアスとアフロがマミにナイフを突きつけて俺を待ち構えていたのだ。 その時俺は正直、奴等のその卑怯さより、マミの上げていたわざとらしい悲鳴の方が不愉快だった。できる事なら全てを見なかった事にしたいほど、とても非常に。 しかし残念ながら、女が捕まってるのを見て無視できるほど、俺はまだ腐ってはいなかった。 そうして、今にも崩れそうな廃ビルの一室に連れ込まれ、今に至る。 「ねぇ〜マミもう飽きちゃったよぅ。帰ってい〜い?」 いいわけねぇだろ諸悪の根源。 マミに突きつけられていたナイフは、予想通りただの脅しだったようだ。その証拠に、今俺の隣に腰かけているマミは、拘束もされておらずまったくの自由だ。 しかも尻の下にはご丁寧にアフロのガクランまでひいてある。 その上、喉が渇いたやら腹が減ったやら言っては、ピアスをコンビニに走らせているのだ。何の関係もないのに、縛られて汚い床に座らされている俺とは、えらい違いである。 ・・・・・・・分かってはいたが、ほんと、女じゃなかったら半殺しくらいにしてもいい所業だろコレ。 マミとは家が隣同士で、それこそ赤ん坊の頃からの付き合いだ。 サラサラとした癖のない髪に、大きな目。確かに顔はいい。街を歩けば、ナンパにスカウトはあたり前らしい。 だが性格は、それら全ての長所を差し引いてもどうしようもないくらいの最悪さ加減なのだ。 その顔のよさを利用して、マミはあちこちで男をひっかける。しかも、ひっかけるだけひっかけて放置プレイだ。誰とも付き合おうとはせず、ただ自分に惚れた男を満足げに眺めては他所へ行く。たぶんカズ君とやらもその一人なのだろう。 だからこういう事は、実はしょっちゅうだった。俺をマミの彼氏だと勘違いしたアホどもが、こうやって因縁をふっかけてくるのだ。心外もいいとこだ。こんな性悪と付き合うくらいなら、俺は僧になる。 「ねぇ慎〜夕ご飯抜きになっちゃったら、ウチにくればぁ?ウチ今日ハンバーグだってぇ」 「うるせぇ!俺はハンバーグよりロールキャベツの方が好きなんだよ!!」 「へぇ〜慎のとこ、今日はロールキャベツなんだぁ。いいなぁ〜おばさまのロールキャベツおいしいよねぇ。後で食べに行くから、マミの分も残しておいてねぇ?」 「残すかボケ!来んな!!」 こういうマミの言動が、アホな男達に勘違いをさせるのだ。それを分かっていてやっているのだがら、タチが悪いにも程がある。 マミは俺に迷惑をかけることを何とも思っていない。いや、むしろ喜びを感じているフシさえあった。 ――――ああ、殴りてぇなぁコンチクショウ。
「へぇ〜あんたが慎?女みたいな顔して人の女に手ぇ出すなんて、やるじゃん」 そろそろ本気でキレかけた頃、わざとらしい感嘆の声が耳に届いた。 扉のない出入り口。ようやく現れた男は、その壁に背を預けてこちらを見てニヤニヤと笑っている。 痛んだ金色の髪。耳と口にはピアス。手に蜘蛛のトライバルタトゥ――。 言っちゃ悪いが、カズ君は予想通り頭の軽そうな顔をしていた。 「出してねぇよ、こんな性悪。テメェの勘違いだ。とっととこの縄を解きやがれ。テメェのSMゴッコにつきあってやるほど俺は暇な人生送ってねーんだよ」 「マミ。こんな男のどこかいいんだよ。俺のがいい男だろ?なぁ、付き合おうぜ?」 無視かよチャラ男。 「えぇ〜でもぉ、マミ、もう、慎じゃないとぉ、満足できない体に」 「黙れ」 言葉半ばで遮ったが・・・・・・遅かった。 ほんのりと頬を染めたマミのおぞましい台詞に、男の顔色が一瞬で変わった。怒りに真っ赤に染まった顔で睨んでくるカズ君に、俺はうんざりと肩を落とした。 「おい・・・・・テメェ、よくも俺の女に・・・・・」 「そもそもお前の女じゃねぇだろうがよ。分かったよ、殴り合いでも何でもしてやるから、縄とけよ。それとも無抵抗な相手じゃないと恐くて殴れねーか?」 「うるせぇ!」 俺の言葉に簡単に逆上し、男は荒い足取りで部屋を横切ると俺の胸倉を掴み上げた。 単純だなカズ君。 拳を振り上げ、奴が俺を殴り飛ばそうとした瞬間――― 「ッグ・・・・・・!」 カズ君は綺麗に決まった俺のアッパーに、無様に後ろへと倒れこんだ。 「カズ!?テメェ、何で・・・・・・」 「黙れよ、うるせぇ」 体に纏わりつく縄を後ろへ放り立ち上がる。 ようやく自由の身となった俺を、カズ君は顎を押さえて愕然とした表情で見上げた。その後ろで、俺はちゃんと縛ったとか何とか、聞かれもしていないのにピアスが喚きたてる。一人やかましく唾を飛ばすピアスに、しかしカズ君もアフロも無反応だ。こちらを睨みすえ、二人は一歩後ずさった。 「黙れってクソピアス。ほらご遊戯の時間だぜ?俺の貴重な時間をこんな所に浪費させやがって。テメェらの体でたっぷりと払って貰うからな」 両手をバキバキと鳴らすと、男達の顔がいっせいに青褪めた。 「きゃぁ!カラダで払えなんて・・・・・慎ってば、ヤ ラ シ イ」 「変な想像も妙な声もやめろ」 「マミ変な想像なんてしてないよぅ!ちょっとした冗談じゃない〜そんな恐い顔で睨まないでよ〜」 目を潤ませて怯えてみせるその顔に一発入れる事ができたなら・・・・マジ、性転換でもしてくれねぇかな、こいつ。 心情のままに横目で睨むと、マミは怯えたフリを止めてにこりと笑った。 「だぁって、慎があんまりかっこよかったから・・・・・お姫様のピンチに颯爽と立ち向かう騎士みたいだよ!」 美人局に限りなく近いこの状況で自分を姫ときたか、このアホ。 「あ、でも、この前もヤクザ屋さん病院送りにしたばっかりでしょ〜?大丈夫?あんまり頻繁だと、おじ様だってもみ消し大変なんじゃない?」 「大変なのはテメェの頭だ」 俺の父親は警察官だ。その影響もあって、俺はガキの頃から空手を習っている。おかげでそこらのチンピラごときなら楽にブチのめせる程度の実力はあった。 それをマミがきっと誇張して話しておいたのだろう。殴られたと言うのに、カズ君もその他二名も非常におとなしい。先ほどまでのデカイ態度はどこへやら。殴り返すどころか、罵声すらない。 ・・・・・情けないにも程があるだろ、あんたら。 気をとりなおし、俺は硬直している三人に顔を向けた。 マミもむかつくが、こいつらの性根の腐り具合も同じくらい腹立たしい。 積み重なっていていたストレスを笑顔に変換して顔に張り付けると、アフロが慌てて踵を返した。 「あ、待てよコラ!」 「テメェ!逃げんなぁ!!」 続いてピアスとカズ君も、口々に叫びながらその後を追う。 残念な事に捨て台詞はなかった。実はこんな事があるたびに、俺は密かにそれを期待しているのだが、実際に覚えていろ等の台詞を聞いたことはない。 「おい」 遠ざかる奴等の背に、笑顔で手を振っていたマミを振り返る。 半眼で見下ろすと、マミは無駄にデカイ目を瞬かせ首を傾げた。 「誰がヤクザ病院送りにしたって?コラ」 「だってぇ〜ああ言った方が早く終わるかなぁって。マミもう飽きちゃったんだもん」 俺の親父は警察官だ。近所の派出所でおまわりさんをしている。もちろん、事件のもみ消しなんてできないし、させたこともない。 「ほら」 「ん」 差し出された小さな白い手に、小さなカッターナイフを落す。縛られる前、マミにこっそりと渡されたものだ。刃は小さいが、縄を切るくらいは十分に出来た。 「お前、たらしこむにも、もうちょっと相手選べよ。俺に余計な災厄をまわすんじゃねぇ」 「えぇ〜マミ、たらしこむなんてしてないよぉ〜。相手が勝手にマミのこと好きになるんだもん」 ―――ほんと、できるならいっぺんマジで殴りたい。 本日2度目の溜息は、自分でも嫌になるほど疲れが滲んでいた。 「帰るぞ・・・・・」 「うん。後で借りてたCD返しにいくねぇ」 「ならついでに、この前のDVD貸してくれ」 「ああ、あのエグイやつ?いいよぉ。ロールキャベツ一つねぇ」 「やらねぇって。俺の取り分が減るだろが」 「大丈夫だよぉ。おば様いつも多めにつくってるじゃない」 下らないやり取りをしながら、廃ビルの階段を下りる。コンクリートに反響する声と足音が、妙に耳に痛かった。
マミとの腐れ縁も今年でもう17年目だ。来年の18歳の誕生日には切れていることを切に祈りながら、俺はマミと二人廃ビルを後にした。
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