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クリエイター名  九流 翔
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「よぉ、久しぶりじゃん? いつ、こっち帰ってきたんだよ?」
「今朝」
 店に入るなり、顔見知りから声をかけられた。昔は心地よく感じられたそれも、今ではウザいとしか思えない。
「なあ、どこ行ってたんだよ?」
「北海道」
 カウンターのストゥールに腰掛け、バーテンダーにスコッチをダブルで注文する。
 酒を飲むようになったのはガキの頃だ。もっとも、今だってガキには変わりない。でも、昔はスコッチなんて飲まなかった。酒の味なんてわからずに飲んでいた。
 店の中は相変わらず薄暗く、酒と煙草の臭いで満ちていた。
 5年前から変わってない。客が入れ替わるだけだ。
 バーテンダーが目の前にグラスを置いた。スコッチに口をつけ、煙草を取り出した。「スコッチと煙草の煙が似合う渋い男になりなさい」人さまに話せば笑われるが、その昔、言われた言葉だ。まだ程遠い。
「どうでした? 北海道は?」
 灰皿を俺の目の前へ置きながらバーテンダーが言った。この男とも長い付き合いになる。
「たいしたことはなかった」
「決まったんですね、お墓」
「だから、戻ってきた」
 昔、惚れた女が言っていた。死んだら花畑が見えるところに埋めてほしいと。
 その時はなんて馬鹿げた話なんだろうと笑ったが、いざ女が死ぬと、その願いを叶えてやりたいと思うようになった。
 今、その女はラベンダー畑を見下ろす丘の上に眠っている。地主と交渉するのに手間取ったが、なんとか花の咲いている時期に埋葬することができた。
「また、この街で暮らすんですか?」
「この街しか知らないもんでね」
 自嘲気味に言って煙を大きく吸い込んだ。
 俺はこの街で生まれ、育った。ここで女とも出会った。
 正直、北海道で女の墓守をしながら暮らすことも考えたが、ガラじゃない。なにより、都会の薄汚い空気の中でしか生きられないような人間だ。
 墓になりそうな場所を探し、日本全国を旅してそれを痛感した。
「歓迎する人は多いですよ」
「そうだと、いいんだがな」
 呟くように答えてスコッチを呷った。喉と胃が焼けたような気がした。

 14の頃から渋谷をウロチョロするようになった。俺の年代からすれば決して早くはないだろう。
 ガキどもで徒党を組み、粋がっていた時期もあった。ヤバい目に遭ったこともある。痛い思いをしたこともある。そして美味しい思いを味わったことも。
 昔のツレは大学に行った。渋谷でヤンチャするのなんて、ハシカみたいなものだ。飽きれば、みんな普通の生活に戻って行く。だけど、俺は戻ることができなかった。
 今でも燻ぶったまま。どこかモヤモヤしている自分がいることに、ふと気づかされる。
 だから、離れることができない。この街から。
 店を出た俺は、センター街を抜けて円山町へ足を向けた。
 ホテルとクラブが林立する町。日はすっかり暮れていたが、人通りはそう多くない。この辺りに人が溢れるのは真夜中。日付が変わってからだ。
 ところどころにイラン人の姿を見かける。大抵が売人だ。
 ヤツらはすばしっこい。警察とヤクザを本能的に嗅ぎ分ける。生まれながらにして犯罪者になれる素質を持っているんじゃないかと、本気で思ったこともあった。
 イラン人を横目に歩いていた俺は、1人の男に気がついた。慌ただしい素振りで、こっちに近づいてくる。思わず舌打ちが漏れた。たいして会いたくもない男だからだ。
 男も俺に気づいたようだった。
「よう。エイジじゃねえか。今までどうしてたんだよ?」
「ちょっと旅に出てたんですよ。日下部さんこそ、どうしたんすか? そんなに慌てて」
 チンピラの日下部。盃すらもらえないチンケな男だ。それでもヤクザと関係していることに変わりはない。下手に機嫌を損ねれば、とばっちりはこっちに来る。
「おお、そうだ。エイジ、女、見なかったか?」
「女っすか?」
「おう。渋女の制服、着てる女だ」
 クソが。
 大方、どこぞで女子高生を引っ掛けてホテルに入ったはいいが、シャワーを浴びている最中に財布ごと逃げられたってところだろう。
「いや、見ませんでしたね」
「嘘じゃねえだろうな?」
「俺が日下部さんに嘘つくわけないじゃないすか。ホント、今きたばかりなんですよ」
「そうか。それじゃあ、それらしい女、見かけたら携帯に電話しろよ」
「わかりました」
 俺の答えもまともに聞かないまま日下部は足早に立ち去った。
 単純な男だ。それに物事の表面しか見ていない。テンパっていて、俺が嘘をついているかもしれないと本気で疑わない。そんなだから、いつまでも盃がもらえないのだ。
 日下部を見送った俺は、路地裏に入った。この道のほうが目的地に近いからだ。道とすら呼べないビルとビルの隙間だ。いつも暗く、薄汚く、人通りなんてない。
 ビルの谷間を抜け、表通りに出ようとしたところで、俺はなにかとぶつかった。それが女だと気づくのに一瞬、時間を必要とした。
 女は小さな悲鳴を上げ、地面に倒れた。
 俺はどうにかその場に踏みとどまり、倒れた女を見た。若い女だ。まだ10代のガキだ。紺のスカートにジャケット、白いブラウスの胸元は大きく開けられ、今にも下着が見えそうだった。
 それが渋谷女子高校の制服だと気づき、俺は日下部が捜しているのは、この女ではないかと思った。
「ったいなあ……」
 そう言って女は俺を鋭い目つきで見上げた。
 整った顔立ちをしている。モデル、とまではいかないが、ガキ向けのファッション雑誌に登場する、いわゆる読者モデルとしてなら通りそうに思えた。髪は薄く脱色しているが、派手という印象はない。かといって育ちがイイようにも見えなかった。
「どこ見て歩いてんだよッ」
 怒りを含んだ声で吐き捨て、女は辺りに散らばった物を拾い始めた。その中に男物の財布を見つけ、俺は女がなにをしたのかを察した。
「おい。おまえ、さっき日下部ってチンピラから財布、パクってきただろ」
 その瞬間、女の顔色が変わった。
 慌てて起き上がると、俺を突き飛ばして通路へ飛び込もうとする。
 だが、俺は反射的に女の腕をつかむと、力任せに引き寄せた。女は抗おうとしたが、俺に敵うはずもなく、よろめきながら立ち止まった。
「離せ! 離せよッ!」
「離してもいいが、そっちに行くと日下部がいるぞ? 捕まって、犯されてもイイなら止めないけどな」
 俺の言葉に、女は驚いた様子でこっちを見た。
「日下部の財布、パクったんだろ?」
「てめえには関係ないだろ」
「そうだな。俺には関係ない。だが、日下部のバックにはヤクザがついてる。おまえ、下手すりゃ事務所でマワされるぞ?」
 女の表情が強張った。日下部がただのチンピラだと思っていたに違いない。だが、この街で羽振りの良いチンピラは、大抵がヤクザの傘下だ。そうでないヤツは、金を払ってまで素人女を買おうとはしないだろう。
 しかし、たかが財布を盗まれただけで、日下部が慌てるとも思えなかった。中身が金だけなら、それほど固執はしないはずだ。財布の中身が気になった。
「おい。パクった財布、見せてみろ」
「なんでだよ?」
「いいから、見せろ」
 俺は女から男物の財布を奪い取り、中身を確認した。
 そして、思わず苦笑いが漏れた。財布の中には十数枚の紙幣の他に、小分けにされた覚醒剤のパケ袋が、日下部の名刺とともに入っていたからだ。
 どうしようもない馬鹿な野郎だ。大方、女にでも使わせようと思っていたのかもしれないが、警察に職質でもかけられれば一発でアウトだ。
 だが、同時に面倒なことに首を突っ込んだような気もした。
「返せよ!」
「うるせえ、黙ってろ」
 言って、俺は財布をズボンのポケットに入れた。
「おまえ、日下部に捕まるぜ」
「そんなの、てめえに関係ないだろ!? 財布、返せよ!」
「ダメだ。こいつは俺が預かっておく」
「こいつ……っ」
 そう吐き捨てると、不意に女は殴りかかってきた。
 だが、俺は軽く攻撃をかわし、歩き始めた。
「ちょっ……待てよ!」
 慌てたように女が追ってきた。しかし、俺は相手にせず歩き続けた。
 面倒なことになるとわかっていた。だが、しばらく退屈しないで済みそうだ。どこか危険な臭いに心を躍らせている、ガキのような自分がいることを俺は自覚していた。

 
 
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