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クリエイター名  綾塚るい
『斎宮天女』

■『斎宮天女』(一部抜粋)


 深くため息をついて悶々としていた私の耳に、ふと人のざわめく声が届いたのは、丁度宴も終りにさしかかっていた時だった。
 気付けば、何事かと宮内に集っていた者達も簾を開けてそちらの方を見遣っている。そのざわめきに、私もゆっくりと蹴鞠をしている連中の方へ視線を向けると、皇子達を取り囲む様にして人だかりが出来ていた。
「何事だ?」
 普段は混乱に巻き込まれるのを嫌って、決して騒動の見物になど入ったりしないのに、何故かその日は好奇心に誘われて、輪の方へ足を運んでしまった。
「河島兄上!」
 騒ぎの近くまで歩み寄った時、良く見知った顔の皇子に声をかけられた。近づいてくるのは、私の義母弟、志貴皇子だった。私とは三つ離れていた筈だから、まだ齢十三だろうか。父上に似たところなど少しも無く、穏やかで人懐こい。
「今までどちらにいらしてたんですか?探していたのに」
そう言って、私の目の前で立ち止まった志貴は、この寒空の下顔を火照らせて、額にはうっすらと汗を滲ませている。どうやら志貴も蹴鞠に参加していたらしい。
「何処って、宮内で酒を飲んでいたよ。少し前から渡りで酔いを覚ましていたけどな。それより志貴、何だこの人だかりは?」
「それが……」
 私の顔を見た後、戸惑ったようにちらりと人だかりの内に出来た空間を見遣る。
その視線につられる様にして私もそちらをみると、

――― あれは……

 その騒ぎの中心にいたのは、私達にとって従兄弟にあたる叔父上の息子、第二皇子と第三皇子だった。
「蹴鞠で草壁皇子が負けたのは、大津皇子がわざと鞠を受け難い様に投げたからだと、群臣の一人が割って入ってきたんです」
 転んでしまったのか、地面に座り込んでいる草壁と、それを無表情に見下ろしている大津の間で、何人かの群臣達が言い争っているのが見えた。酒が入っている所為もあるのだろう。混乱は既に収拾がつかなくなっている。
「そちらの皇子の不甲斐なさを、こちらの所為にするなど、言いがかりにも程がある!」
「不甲斐ないとはどう言うことか!先に非があったのはそちらであろうに!」
 今にも飛び掛らん勢いで、群臣共が怒鳴りあっている。当の本人達よりもむしろ、周りを囲んでいる者の方が、騒ぎを大きくしているようだった。
「下らんな」

――― 蹴鞠ごときによくここまで熱くなれるものだ。

 感心すると言うよりも半ば呆れた様に独り言を呟くと、その声が志貴の耳に届いたのだろう。義母弟はため息交じりで私に言った。
「『下らない』と言うのは兄上の口癖ですね。何かあると何時もそうおっしゃる」
「……そうか?」
「そうですよ。まだ若いのに年寄りじみた事ばかり考えているのでしょう。悟るのも良いですけど、もっと前向きに物事を考えられないんですか?」
「悪いな、この性格は産まれつきだよ」
 幼い義母弟に説教口調でそう言われて、私は苦笑した。義母弟なりに私の事を思ってそう言ってくれているのだろう。
「何がおかしいんですか!」
 そう言って怒る志貴の頭をぽんぽんと叩いて、
「まぁ、教訓として受け取っておくよ」
 と笑いながら告げると、むすっとした様に志貴は唇を尖らせた。
 彼らしい拗ね方だ。
 その仕草をみて、ますます私は可笑しくなってくる。
「志貴、子供じゃないんだからそう拗ねるなよ」
「拗ねてるんじゃありません!義母兄上が私の話をちっとも聞いてくださらないから怒ってるんです!」
 志貴が頬を膨らませて目を逸らす。どうやら本格的に義母弟の機嫌を損ねてしまったらしい。ぽりぽりと頭を掻きながら、此れは素直に謝っておいた方が良いかなと考える。幼いとはいえ、穏やかな人間程怒ると怖い。
「そうだな、今のは俺が悪かったよ」
 妙に真面目くさってそう言うと、志貴はぎょっとした顔で私を凝視した。
「何ですか突然……気持ち悪いなぁ」
「気持ち悪いとは何だよ。せっかく謝ったのに」
 言うと、志貴はつんとすました顔で腕組をする。やはり何処か説教臭くて、思わず笑いがこみ上げてくる。
「憎まれ口を叩いている方が義母兄上らしくて良いんです。らしくない事はしないで下さいよ。ああ、鳥肌が……」
「お前……」
 本当に同じ父上の血を引いているのかと疑いたくなる程、志貴は明るい性格をしている。元来悟りがちな私と、皇位争いに巻き込まれて、常に神妙な顔をしていた大友に比べて、志貴は比較的自由に育てられたのだ。それが性格にも顕われているのだろう。
「全く、矛盾してるなぁ」
 言うと、ここぞとばかりに志貴が答える。
「すいませんね、この性格は産まれつきなんですよ」
 ふふんと鼻を鳴らす志貴が可笑しくて、お互い顔を見合わせて吹き出した。


 *


「それにしても……」
 一通り笑いが収まった頃、私達は再び混乱の輪へと視線を向けた。
 草壁と大津。何度か宮内で顔を合わせた事はあったが、直接話をした事が無かったので、彼等がどんな人間なのか私は知らない。
「大津皇子は本当にわざとやったのか?」
 とりあえずありきたりの事を聞いてみる。
「いいえ。単に草壁が滑って転んだだけです。言いがかりを付けてきたのは、石川の人間ですからね。讃良皇后の息がかかった者ですよ」
「……なるほどね」
 志貴に言われて、大いに納得する。
 讃良皇后は草壁の母親だ。以前より、后妃は我が子可愛さに、他の皇子を蔑ろにするきらいがあった。特に草壁のすぐ下の義母弟、大津皇子の事となるとその態度はあからさまで、それが讃良や草壁の舎人にも影響を与えるのだろう。
 ふと、群臣の一人に目を遣ると、その腰にさしている剣に手を当てているのが解った。どうやら相当険悪な雰囲気になっているようだ。
「このまま放っておくのはまずいかもしれんな。血が流れることは避けたい」
「高市皇子を呼びましょうか?あの方なら皆退くでしょう」
「そうだな」
 志貴に告げて、彼が叔父上の長子、高市皇子を呼びに走ろうとした瞬間、

「いい加減にしないか!」

 群臣の怒鳴り声の中、子供の高く凛と澄んだ声が辺りに響いた。
 小さな子供の一喝に、一瞬その場が静まり返った。

――― 一体誰だ?

 今まで怒鳴りあっていた群臣達を含め、私達も思わず振り返って声を発した者の姿を探し、その中央に立つ少年へ視線を向けた。
 大津皇子だった。
 声の相手が誰だか分かると、群臣等は大津から一歩退いて、何事かとばかりに彼を凝視する。しかし、当の本人は、周囲の視線が一斉に自分に注がれても少しもうろたえることなく、一寸先でしゃがみ込んでいた草壁の前まで進み、彼に手を差し伸べた。
「立てるか?」
 その声に一番驚いたのは、手を差し出された本人だったのかもしれない。今まで泣きそうだった草壁の顔が、驚きと戸惑いでいっぱいになっているのが私にも解った。
「大津様!」
 群臣の一人が訝しげにそれを咎める。しかしその声には何も返さず、彼は伸ばしかけた手を戻そうとする草壁の腕をつかんで、ぐいと引っ張った。
「あまり長く座り込んでいると冷えるよ」
「……あり…がとう」
 顔を少し赤らめながら、草壁は呆けた様に大津を見つめる。そんな義母兄の姿を見て、大津は困ったように微かに微笑んだ。
「泥を払ったら?そこまでは面倒見れないよ」
 言って、草壁の衣についた汚れに視線を向ける。その言葉に、草壁は慌てて布に付いた土を払った。
 そして、義母兄のそんな姿を見届けた後、大津は厳しい顔付きで、今まで眺めているだけだった群臣や私達野次馬の方へ向き直ると、
「黙って聞いていれば大の大人がそろいもそろって。父上の御前だ、控えなさい」
 自分を庇っていた臣を諌めた。

――― 驚いたな。

彼はまだ十歳のはずだ。その歳にして、これだけ他人を惹きつけ、威圧出来るものだろうか?
そうして、その次の瞬間ふと思った。

――― 誰かに似ている……

大津の澄んだ瞳は、全てを見据えている様で、それは自分の知っている誰かを彷彿とさせた。

――― あの瞳は父上と同じモノだ。

冷酷で、その命が尽きるまで自分の欲を通そうとした父上に……だが似ているのに、彼からは父上に感じた畏怖や嫌悪は少しも感じられなかった。むしろ親しみを持てそうな気がしてくるのは何故だろう……
「この者等は貴方を侮辱したのですよ!皇子は悔しくないのですか!」
 沈黙を打ち破って、怒りを顕に皇子へ食って掛かったのは、大分稚臣という大男だった。先の抗争で大津を守り、陥落する直前の宮より皇子を救い出した手柄もあって、少々図に乗っている処がある。長矛の名手だが、武人故にその性格は短慮なのかもしれない。
 彼の言葉に大津がどう答えるか、私はいつの間にか腕を組んで、様子を伺っていた。
「言われたのは私で稚臣ではないだろう?私の事で熱くなってどうする」
「しかし!」
「悔しいからという理由で稚臣は人を殺すのか?」
「それと此れとは話が別ではありませんか!」
「同じ事だよ」
 間髪入れずに皇子にそう言われて、思わず稚臣はたじろいだ。
「武器で人を傷つける事と、言葉で人を傷付けるのは同じ事だ。何よりお前は武人だろう。感情で行動に走るのは良くないぞ」
「…………」
 数少ない言葉だけで、自分より数倍も小さい皇子を相手に、大男は何も言えなくなった。
 口惜しそうに大きな手を握り締めて視線を落とす、そんな彼に、
「でも稚臣」
 と名を呼んで、大津はその幼い顔に満面の笑みを浮かべて礼を言った。
「俺の為に怒ってくれて嬉しいよ。有り難う」

 恐らく、その態度に驚かされたのは私ばかりではなかっただろう。自分を庇った臣を先に諌め、その気まずい雰囲気の中これだけの微笑みが出来るだろうか?幼いが故に取れる行動なのかもしれないが、それでも皇子のこの行動は、周囲の人間を静めるのに十分すぎる力を持っていた。

「全く……」
 しばらくして、笑いを含んだ様な稚臣の野太い声が周囲に響いた。
「貴方にはいつも驚かされる」
 稚臣は軽く両手を上げて、参りましたとばかりにため息を吐くが、その表情には微塵の不満も表れていなかった。むしろ自分の主のそんな態度を見て、行く末が楽しみだと言わんばかりの満足そうな笑みを浮かべている。
「そちらも少しは慎みなさい。今日は蹴鞠が主な目的ではないはずでしょう。宴が争いで終わるなんて父上に失礼です」
 くるりと向きを変えて、大津は草壁についていた臣へ一言だけ言葉を放ったが、もはや小さな皇子に口答えをする人間など、誰一人としていなかった。


<一部抜粋 了>
 
 
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