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クリエイター名 |
縞させら |
通常形式小説
白く照り輝く月が、西の空にかかる。 淡い光が、大きくとられた窓から差し込む。 白い光が彩る静寂を破り、軋んだ音を立て、重々しい樫の扉が押し開かれる。そこには、月明りに照らされる少女と大剣を構える満身創痍の青年の姿があった。 艶やかな笑みを浮かべ、少女、リアナはレオナールを見つめる。 その華奪な手足を戒める枷からのびる銀鎖が、月光の中で澄んだ音をたてる。 「あなたが取っていったものを、返してもらいに来たわ」 「何のことだ」 カイナスに支えられ頼りなく立つリアナの手が、レオナールに向けて差し伸べられる。 ダンスを誘う貴婦人のように差し伸べられた、白い手。 それに応えるように、レオナールの体を焼く痛みが激しさを増す。引き裂かれるような痛みに、レオナールは胸を抑える。いや、実際に彼の体を引き裂こうとするものがある。彼の血管はその圧力に耐え切れなくなり、ついに破裂した。 破れた傷口から流れる血が煙のように宙を舞い、少女の首に穿たれた傷痕に吸い込まれていく。 「‥‥‥化け物め」 自らの流した血の赤に染まり、レオナールはリアナに憎しみに満ちた言葉を投げつける。 ヴァンピールの口付けによって刻まれる、二つの傷痕。それは吸血主を倒さなければ、癒されることはない。 それなのに‥‥‥。 「昔、父にもいわれたわ‥‥‥」 艶やかな黒髪が乱れかかる細い首筋。 そこに刻み込まれていた傷痕は、レオナールから流れ出た血を吸い込み、跡形もなく消え去った。 「父、だと‥‥‥」 ダークノーブルは、極端に繁殖力が低い。その中でも頂点に位置する力を持つヴァンピールは、特にその傾向が顕著である。 それゆえ、純血種より力の点では落ちるが、吸血により吸血因子を感染させた擬似同族を作り上げたり、下等だと彼らがさげずむ人との間にダンピールという存在を造り出したりする。 擬似同族である下僕は、ヴァンピールが持つ弱点を同様に受けつぐ。反対にダンピールはヴァンピールにとって致命的な弱点である陽光、または力を衰えさせるといわれる流れ水や大蒜などに対し耐性を持つ存在だが、ヴァンピールほどの鴛異的な生命力を持たない。 そしてリアナのように父と呼ぶ存在があるのは、ダンピールか純血種しかない。 ダンビールもヴァンピールのように吸血願望を持ち、人を吸血することがある。しかし背に漆黒の翼を持つのは、純血種のみの特徴であった。 最近、レオナールが知る限りで同族の純血種が生まれたのは、『冬の時代』の最中だけである。ダークノーブルの中でも最強の力を持ち、公の場に姿を現わさない六人の大公。その中でも最強の力を持つという吸血公の御子。 夜の祝福を受けたような美しい御子を、誕生の祝賀の末席に呼ばれた一人として、目にしたことがある。 「何故だ‥‥‥ルシフージュ様の御子である者が‥‥‥。何故我らを狩るのだ」 リアナはその問いに、凄艶な微笑みを返す。 「何故‥‥‥?」 優美な漆黒の翼が、大きく開かれる。 「私もその答えを知りたいわ。何故私が、同族を襲わなければならないのか」 月を映して輝く瞳が、レオナールを誘うように見つめる。その体から漂う甘い香り。少女の細い体を引き裂き、その身を流れる血肉を思う存分味わいたいという、誘惑にかられるほどの吸引力を持つ‥‥‥。 香りに誘われるままにふわりと足を踏み出しかけ、体に走った痛みが、その次を踏み止まらせる。 「私の血を吸いたいでしょう?」 苦痛に眉を寄せて耐えるレオナールを見つめながら、リアナは歌うように言葉を紡いでゆく。 「みんなそう‥‥‥魔には、私がとても魅力的な存在に映るのね。同族殺しの咎をおってまでも、この身を引き裂き、血肉を啜りたいと思わせるほどに」 翼が細い体を天に引き上げ、レオナールの許に運んで行く。 「けれど、私を襲ったものは、みんな私の血肉のせいで死んでいった。‥‥‥死なないまでも、酷い苦痛を味わうのよ、あなたのように」 「咎といったな‥‥‥お前はどうだと言うのだ。グルニエを、その歯牙の下に滅ぼしたではないか」 「グルニエ?‥‥‥あのルー・ガルーのことかしら?」 年相応の幼さを覗かせる小首を傾げた仕種で、リアナは思案に暮れる。 「私は、あなた達と同じことをしただけ。人以外のものでも命を繋いでいくことができるのに、あなた達は人を狩るでしょう。‥‥‥私達は、ただ飢えを満たすだけでは生きてゆけないから。狩りの欲望を満たしてくれるだけの、価値を持つものでなければ‥‥‥、この身を焼く飢えは満たされない‥‥‥」 「どういう‥‥‥意味だ」 レオナールの怒りに満ちた瞳が、高処から見下ろす少女の瞳を睨み返す。 「だって‥‥‥あなた達の血しか、私の飢えを癒せないのですもの。人では駄目なの‥‥‥。それに、あなた達が人を狩るとき、罪悪惑を覚えるのかしら? それと‥‥‥同じことでしかないのよ」 繋愕に立ち疎むレオナールに、カイナスが切りつける。 レオナールのヴァンピールとしての発達した動体視力は、鋭い剣戟を避けながらもカイナスに印された烙印を見逃さなかった。 首筋を隠すように伸ばされた黄金の髪。 彼の動きに逆らわず、乱れ散った髪の狭間から覗く、二つの赤い傷痕。 魔だけしかその吸血衝動の対象としないと、少女は言った。だとするとこの青年も、魔の血を持つというのか。 無言のまま鋭い太刀筋でレオナールに切りつける技量。重い大剣を片手で振り回すだけの膂力。たしかに魔の血を持つと思わせる、人離れした動き。 だが少女に吸血されたグルニエは、死んだ。少女の血をうけたものは死ぬというのに、何故青年は生きているのだ。 カイナスの鋭すぎる斬撃を逃れることに集中していた、レオナールの背後から伸ばされた白い腕が、首筋を掻き抱く。 その冷たさが、彼に死を予感させる。 「やめろ‥‥‥、私を殺せば‥‥‥」 「隷属した、仮初の命を永らえさせることより‥‥‥、終わらせることを、彼ら自身が望んだのよ‥‥‥」 脳髄を痺れさせる甘い香りが、強く立ち上る。 薄く削いだ水晶の欠片の様な爪を持つ、白い手。 まっすぐな黒髪が流れ、レオナールの視界を覆う。 「さようなら」 優しく鼓膜をくすぐる声。 微かな吐息。 ああ‥‥‥。 レオナールの瞳に、白く輝く月が映る。 自らが背を向け、忌み嫌う、人の守護者たるものの名。 神と呼ばれるもの。 その名に縋り、救いを求めたい。何故このような、異端の存在を許すのかと。 首筋に触れる桜色の冷たい唇。 打ち込まれる二つの灼熱の痛み。 リアナの喉が、なにかを飲み下すようにこくりと動いた。
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