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クリエイター名 |
縞させら |
一人称形式
明けない空は、玻璃にも似た天蓋を仄白く照らす月のみを抱いていた。 星の光を隠してしまうほどの、皓と冴えた光。その冷たさに、月光の下を歩く自分は、心が乱れてしまう。 自分は何かを探していた。その思いは確かなのに、その何かが思い出せない。思い出せない何かが必要だと思う。その記憶だけが、今にも凍えてしまいそうな自分を歩かせていた。 踏みしめる大地は薄氷のように脆く、暗い森は静寂に満ちている。全ては、月が司る死という眠りに落ちたかのように思える。それほどに、この世界には命の息吹が、暖かさが感じられない。世界が、長過ぎる夜のもとで静かに壊れていくようだった。 どこまで自分は、どれだけの時を歩き続けてきたのだろう。 ここが世界の果てなのか。 覗き込むと、その底さえ見えず、また対岸さえ見えない断崖の縁に、いつしか立ち尽くしていた。 頭上には紺青に沈む空が広がり、足下にはそれより深い闇がある。断崖に立つ者を谷底に吹き落とそうとでもするような追い風は、肌を切り裂く冷たさだけを持っていた。体だけではなく、月の冷たさに凍えた心までも、その風に容易く切り裂かれてしまいそうだ。 ふと、眼下に流していた視線を誘われるように上げる。 視線の先には、にじむ光が浮かんでいた。月の光ではない。暖かく、柔らかな光。懐かしさを覚える暖かさに、固く強張っていた表情が和らぐ。 光が薄れると、そこには一人の人が浮かんでいた。 細くしなやかな手足を緩やかに投げ出し、抱き上げられた姿勢で、宙に浮かび眠る人。 投げ出された手に、壊れ物に触れるようにこわごわと触れる。柔らかな手は、しっかりした肉の質感と温かさを持っていて‥‥‥。 見つけた。 その手の温かさが、冷えきった心と体を温めていく。 この人だ。 思わず微笑みを浮かべる。 早く目を開けてほしい。 そうすれば、この人をなんと呼べばいいのかも思い出せるだろうから。 確かに指先に触れる鼓動。 その薄い目蓋が、閉じられた唇が、わずかに震える。遠い空の彼方が、薔薇色の光を帯び始める。 長い夜は、今、終わろうとしていた。
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