|
クリエイター名 |
マツサガシン |
サンプル
絆(キズナ)は、大きく息を吸ってビルの下を見つめた。何処までも広がるビル、ビル、ビル。その中でもひときわ高い高層建築の屋上に彼は立っていた。灰臭い風が喉と鼻腔を不快にくすぐる。奴らだ。あの腐敗と狂気の入り混じった無機的な臭い。 『死星獣、コードD8……市街地区を灰化させながらなおも進行中!』 『当該誘導地点まであと予測演算二分三十秒。エフェッサー、準備はいいか?』 黒の上下で固めたスーツの胸ポケットに下げた小型無線機から、複数の通信が入り混じって流れてくる。 ──ここは、戦場だ。 それも絶望的なまでの。人間には恐怖と、圧倒的な駆逐感が与えられる場所。そんな中で空虚に地雷や、砲弾の炸裂する爆音がまるでゲームの中の世界のように途切れ途切れに聞こえてくる。灰の臭いに混じって、喉を焼きそうな火薬臭がする。その事実だけが、これが現実であることを示唆する唯一の要素だった。 息を吸って、無線機についているボタンの一つを押す。そしてまだ若い、兵士というにはあまりにも小奇麗な顔をしている青年は声をあげた。 「こちらはこちらで死星獣を補足次第消去します。皆さんはそろそろ退避してください」 『了解した。幸運を祈る』 押し殺した声の応答と共に、一方的に無線が切られる。そして市街地の上空を飛び回っていた細身の戦闘機が六機、一斉にビルの隙間から空に向かって上昇を始めた。しかしそのうちの一機だけが方向を変えて他とは別の場所に方向を変える。 そしてその翼に搭載れている機関砲から、次の瞬間雨あられとビルの向こうに弾丸が発射された。突き刺さる鉄の狂気により、整ったビル群が吹き飛び、砕け散り、あたりに爆音と猛烈な砂煙が巻き起こる。 『バ、バカ野郎! 離脱命令が聞こえなかったのか!』 (新兵が無茶を……) 心の奥で舌打ちをして、強く歯を噛む。離脱して欲しいと言ったのは相手を気遣ってのことではない。彼らの兵器は役に立たないということを遠まわしに言ったに過ぎないのだ。おそらくそれに憤慨した新米兵士が独断で動いたのだろう。無線から響く隊長と思われる人物の怒鳴り声を耳の端に受けながら、絆は砂煙から目を逸らした。 ──あの戦闘機は、もう駄目だ。 予測ではなく、事実。 そう思った時、霧のように砂煙が晴れた。そして瓦礫と化したビル群の合間を滑るようにして異形の物体がゆっくりとその体躯を表す。 死星獣だった。 今回の個体は異常なまでに巨大だ。目測でも二十……いや、三十メートル近くはあるだろうか。まるで何と言うのか、そう。適当な語句を探すことが出来ないがアメーバと言えば一番近いだろうか。怪獣映画に出てきそうなグロテスクすぎるその化け物は、吐き気を催す光沢を発揮しながら善導運動を繰り返し、前に進んでいた。 攻撃による損傷はカケラも見られない。 それにも増して異様なのは、その巨大なアメーバが七色の、虹の色をしていることだった。頭と思われる部分から尻尾の部分まで、綺麗に水晶のように透き通りながらぬめった体躯を震わせている。 逃げろ。 そう叫ぶ暇もなかった。 死星獣の背中に当たる部分から、アメーバ状の体が一部分だけ槍のように伸びて鋼鉄の戦闘機を易々と貫通する。しかし突き刺されたそれは爆散するでもなく、数秒後……まるで超高熱に晒されたかのようにどろりととけた。そして垂れ下がる端から細かい、砂色の灰となって空中に散っていく。 「離脱してください!」 殆ど叫ぶように、絆は無線に向かって怒鳴っていた。数秒間の間をおいて、かすかな歯軋りの音と共に 『……了解』 という隊長の声が響く。 巨大アメーバは背中から突き出た槍を元に戻すと、再びこちらに向かって動き始めた。立ち並ぶビルなんて目に留めてもいない移動だった。それはそうだ。化け物が触れた部分はなぎ倒されてなどいない。踏み潰されてもいない。ただ先ほどの戦闘機のように、静かに、ゆっくりと灰になって空気に散っていくだけだったのだから。 ナメクジが通った後はそれが分泌する粘液が残される。本質的には全く違うが、イメージでは似たようなものだ。通った後に何もない、ただの灰の道を広げながら怪物が向かってくる。 普通ならパニックに陥り何とか逃げ出そうとするものなのだろう。だが絆にとって、そのような光景はあまりに何度も体験しすぎているものだった。 青年は息を吸うと表情を引き締め、後ろを向いた。ビルの頂上には彼しか立っている人間はいない。しかし他に、広いそのスペースを半分以上も覆い隠す機械が設置されていた。まるで象のような白い流線型のフォルムを太陽に光に煌かせている。外見的には戦車に近い。だが特徴的だったのは、砲身が中央に人間の大人大のものが一つ、そして四方八方、いたるところにつけられているということだった。その機械の頂上にあたる部分に青いクリスタル素材で覆われた操縦席がある。そこには絆よりも五、六歳以上幼そうな女の子がゆったりと腰を下ろしていた。白い簡素な病院服を着ている彼女の腕や足、果てにはこめかみには操縦席の壁から伸びているコードの先端が、点滴の針のように無数に突き刺さっている。 絆は息を吸うと巨大な砲身を登り、少女が入っている部屋を覆うクリア素材を指先で軽く弾いた。途端に音叉を叩いたかのような静かな音色が反響し、女の子は目を開けた。 「雪(ユキ)、死星獣が来てるんだ。またやってくれるか?」 しばらくの沈黙。そして雪と呼ばれた少女は大きい目を細めてニッコリと笑った。 『絆がそう言うんなら、いいよ』 壁面に設置されているスピーカーから細い、蚊の鳴くような声が響いてくる。 『帰ったら……』 「……ああ」 微笑む彼女に対し、俺は頷いて見せた。その瞬間、心がズキリと痛んだ。 「一緒に、アイス食べような」 『うん』 また、笑顔。心がまた痛む。それを無理矢理押し殺して絆は、雪が入っている操縦席の背後に設置されているボタンを操作した。するとその場所がシェルターのハッチのように開き、中にまた別の操縦席が現れる。体を滑り込ませてシートに腰を下ろすと、自動的に雪のものと同じようにクリア素材が機械内部から出てきて上を覆った。 <チャンバー内、規定加圧クリア。エネルギー抽出ゲイン全てオールライン。バーストを開始できます> 壁のスピーカーから管理AI、つまり機械の音声が現在二人が乗っている機動戦車『月光王』の状態を告げる。絆は飛行機の操縦席のような周りを見回し、慣れた手つきで計器類を操作しながら口を開いた。 「エネルギー抽出開始。座標点を割り出し後全てを最適化、エンクトラルラインの起動計算をマニュアルに。全ての設定をニュートラル」 <了解。エネルギー抽出、開始します> AIの声と共に、前部に値する雪の操縦席を覆うクリア素材が段々と金色に輝き始めた。それに応じてスピーカーから流れてくる彼女の吐息が苦しそうに荒くなる。なるべくそれを聞かないようにして、絆は迫り来る死星獣をにらみつけた。 エネルギーを示す計器の一つに設置されているメーターが物凄い勢いで満杯になっていく。十秒も経たずにAIの声がまた聴こえた。 <エネルギー抽出完了。最適化を開始します。冷却ジェネレーション起動。コアシステム許容量を八十七倍でオーバーしています> 引き金を握る。照準を合わせる。ただそれだけのこと。両手で握ったグリップに、それだけのことなのに何故か手の平から噴出した物凄い量の汗がにじむ。 <最適化完了。撃てます> 淡白な声。機械の声。お前に何が分かる。お前が何をしてくれる。 「……気様らがいるから……」 思わず呟いていた。目が飛び出さんばかりに見開き、迫ってくる異形のアメーバを視線で射抜く。 そして絆は、引き金を引いた。
|
|
|
|