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クリエイター名 |
国仲りてら |
サンプル
◆依子と未来の出会い……
体育館の裏。誰もいないところ。 ――俺の仕事場。 目の前にいるのは弱っちい一年だ。そこそこ金を持っているから、いつも都合してもらっている。 顔に擦り傷があったり痣があったりするのは、そいつがなかなか素直になってくれないからだ。 「なあ、そうだろ? 人間素直がいちばんだぜ」 「う……うぅ……」 眼鏡の奥の瞳から涙がこぼれ落ちる。 泣いたくらいで何かが変わると思っているのか? 馬鹿な奴だ。 一年坊主は震える手でズボンのポケットに手を入れた。じゃらり、と鎖付きの財布が出てくる。 「い、いくら必要なんだよ」 「分かってるだろ? これよ、これ」 指を一本立てて、ちっちっ、と左右に振ってやった。 奴は細くて骨張った指を財布のスリットに入れて――。 「お待ちなさい」 やけにはっきり、場違いな声が聞こえた。 目をやると、いつの間にか、すぐそこに一人の女の子が立っていた。 有名人である。流石に俺も知っていた。だが、ここには圧倒的に不釣り合いだ。 長くて艶やかな黒髪が腰まで垂れていて、頭の上には淡い黄色のリボンが揺れて、背は……ひょっとしたら俺の半分もないんじゃないだろか。顔だって、幼い。いや顔以外も総じて幼い――。 「お嬢様がなんの用かな?」 俺は優しい声できいた。 「まさか、俺にいくらか都合してくれるっていうのかな?」 お散歩中に偶然カツアゲ現場に出くわしてしまい、生まれついた正義感ゆえ見過ごすこともできず声をかけてしまったけれど、やっぱり怖くて身体がすくんで……と、そんなところだろうと思っていた俺が甘かった。 「そうよ」 彼女はにっこり微笑んでそう言ったのだ。 「たかが一万取ったくらいでいい気になってる庶民のあなたに、お金を捨てにきてあげたのよ」 いちいち感に障るような言葉で彼女はあざ笑った。 「んだと……」 「これでいいかしら?」 と、スカートのポケットから取り出したのは、一万円札が五枚、だ。 つかつかつかつか、と近づいてきて、片手で、いかにもどうでもよさそうに俺に差し出した。 「あ、あの」 一年坊主が何か言おうとしたところに、少女はぴしゃりと命令する。 「あなたは早く逃げなさい。ここから先は私と彼の話し合いだから」 坊主はおずおずと俺と彼女を交互に見て、それから一散に逃げ出した。 「……庶民め」 助けてやった男の背にかけた少女の言葉が、妙に耳に残る。 俺と言えば、渡された五万を確かめる余裕もなく、彼女に見入っていた。 おかしい。こいつ、お嬢様だろ。それも半端じゃないお嬢様。いくつものグループ企業を傘下に持つ社長のご令嬢。深窓のお嬢様ってやつ。性格だって、引っ込み思案で優しくて、男の前に出るとものも言えなくなるくらいに肝っ玉の小さい……。俺の見ているのは何だ? クローンか? こいつ本当に、あの大森依子か? 「おい、おまえ」 依子のクローンは、俺を見てふっと笑った。 「今時一人でカツアゲなんて、やるじゃない。大抵は、大勢で一人を取り囲んで、いじめつくしてお金を巻き上げるっていうのに」 「……なんなんだよ、あんたは」 褒められているのだろうか。 いや、これは褒めてはいない。いったい、こいつの目的はなんなんだ。 「私は大森依子よ。知らないの?」 「知ってるよ。でも、俺の知ってる大森は……」 「そうよ。おとなしくって、乙女な女の子。それが私。でもね、そればっかりじゃ、なかなかお嬢様なんてやってられないのよね」 にぃぃぃっ……。 依子の口が、小悪魔めいてゆがんだ。 「知ってるわよ、私は。あんたのこと。光本未来、私と同学年。女のような名前を付けられ幼い頃から性格がひねくれる。現在、自他共に認める不良。腕っ節は強く、かつて二〇対一で勝ったことがあるという……」 誰もが知っている俺のうわさ話だ。だが依子の口から聞こえてくるそれは、逃げ切れない真実を知られてしまったかのような、妙な切迫感があった。 「だ、だからなんだってんだよ」 どうして俺、こいつに圧力を感じてるんだ? いつも通り、腕にものを言わせてやっちまえばいいだろ。こいつなんてただのちっこい女なんだから……。 「もっとお金欲しくない、光本」 「……なんだと?」 「私に協力してくれたら、そんなはした金なんてトイレの紙くらいの価値しかないってこと、分かるようになるわよ」 ご、五万がトイレの紙だと。 つまり、それは。もっともっと、金をくれるっていう……。 「どう? 悪い相談じゃないでしょ。私は私の手となって動いてくれる舎弟が欲しい。あなたはお金が欲しい。……どう?」 ……金じゃない、とは言えなかった。 俺が一人でいるのは誰かと付き合うのが面倒くさいからだ。自由がいいんだ。俺は一匹狼が合っているんだ。しかもこんな女の舎弟だと。冗談じゃない。そんなの、やってられるか。 とは思うのだが、実際、こうして五万を渡されて、その上これ以上の大金をくれると言っている相手を前にして、金じゃないなんて言えるわけがない。 ああ、ロンリーハートが金の魔力に屈する音が聞こえる。 しばらく、俺は無言で五万円を数えていた。一枚、二枚、三枚四枚五枚……。何度数えても、きっちり五枚。 俺は顔を上げた。 「……いくらくれる」 「私のいうことを聞いてくれたら、一回につき、これだけ」 と両手を広げて俺に見せびらかす。 ……じゅう。 十だって? どういうことだ。千円札が十枚ってことか? 「まさか千円札が十枚とか思ってないわよね?」 心底俺を馬鹿にしたような笑みを浮かべる依子。 「なっ……、じゃあ何だってんだよ」 「決まってるわよ。十万よ、十万。さすがに百万は行き過ぎでしょう? まあ最終的に目的がかなったら、一千万くらいあげてもいいけど」 「いいいいいい一千万」 一千万! 桁が違う。これは、ちまちまカツアゲなんかやってる場合じゃない。 「俺に何をさせたいんだ、大森」 瞬間、彼女は俺から視線をそらして足下を見つめた。顔にはさっと朱が差し、胸の前で組まれた指が、もじもじと遠慮がちに動いている。 「……縁結び」 小さな声で、それだけを言った。 「はぁ?」 「縁結びをお願いしたいの」 声のトーンがさっきまでと違う。これは、俺の知っていた……全校生徒の知っている、お嬢様大森依子の姿だ。 「縁結びって……」 「す、好きな人がいて、その人と私を近づけて欲しいの」 指を動かし、うつむかせた顔のまま上目遣いに俺を見る。 これぞ大森依子だ。 でも、俺を買収して舎弟にしてでもそいつと縁結びされたいって思っているのも大森依子で……。 「で、誰なんだ、お相手は」 こいつが誰を好きかなんて関係ない。とにかく、金だ。そいつと結びつければ、俺には一千万円が入ってくる。 そいつが誰であろうと、俺が一睨みすりゃあ依子と付き合う気になるだろう。この仕事、思ったより簡単だ。 「あのね、二年D組の、七森宋太くん……」 「よく知らねえけど、まかせとけよ。そいつの首根っこ掴んで、おまえと付き合わせてやるからよ」 「まあ」 依子は顔を上げると、両手をパンと合わせて、心底嬉しそうに微笑んだ。 「頼もしいわ。お願いしますね、光本くん」 ……俺の台詞の物騒さにはつっこみなしか。まあいいけどよ。
てなわけで……。 俺は依子による依子のための依子の深みに、どっぷりとはまっていくことになる。 それに気づいたのはずいぶん後なのだが。
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