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クリエイター名 |
蒼鳩 誠 |
サンプル
『 rainy days 』
しとしとと降り続く雨が、時折ひさしを打つ。 木で作られた温かみのあるカウンターに椅子。その他の備品。照明は穏やかな橙色をして店内を照らしている。静かに奏でられているカフェミュージックはどこまでも心地よい。 大きな窓を雨粒が伝う。ウィンドウ越しに見えるテラスが雨に濡れている。やはり木で出来たそれらは濡れて茶色く変色し、目に映る景色はまるでセピア色。眺めて軽く息を吐き出すと、少女は湯気を立てるカフェオレのカップに手を添えた。大きな白いマグカップから掌にじんわりと伝わる熱に、心が和らぐ。視線をカウンターの中へ戻し、カップに口付ける。程よい甘さが口内に広がる。同時にコーヒー特有の匂いが鼻に抜けた気がした。 「ねぇ、マスター…」 少女は垂れてきた長い髪を耳にかけ、カウンターの中で食器を磨き続ける店主に声を紡いだ。聞き受けた店主は視線を少女にやり、柔和に微笑む。その顔は店主と言うには幾分か若く、外見は20代前半に見える。四つ葉のクローバーの刺繍のなされた黒いエプロンと店の空気があればこそ店主にも見えようが、少し軽装をして街を歩けば学生にも見られかねないほどの容姿だった。 店主はそのことに気付いているのかいないのか、はてまた気付きながらも黙認しているのか、にっこりと微笑んで少女に聞き返す。彼は笑うとより幼く見える。 「なんですか?」 棘のない声だ。空気にすっと染みるような、穏やかで温かみのある声。高くも低くもない。少女はこの声が好きだった。 「ずっと雨……降ってるね」 途中、もう一度カップにくち付けてカフェオレを飲むと、ゆっくりとそう零す。マスターはウィンドウに顔を向けると、 「そうですね」 同意の言葉を示して、食器をぴかぴかに拭く手を止め、雨の降る様をしばらく眺めた。それ以上何も言わないマスターと雨を、少女はつまらなさそうに見て、息を吐き出す。また垂れてきた髪を鬱陶しげに耳へかけて、 「たいくつ……」 半目でマスターを見据えながら言えば、彼は苦笑して少女を見た。 「そうですね」 また同意の言葉を言えば、少女の唇は『ぶう』と突き出される。まるで会話が発展しないことへの文句、雨に対する文句、両方を言いたげな目をマスターへ向ける。カウンターの、いつものお気に入りの席に座り、肘をついてマスターを見つめる少女の黒髪は湿気を吸って少し膨らんでいた。それも気に入らないのだろうか、先ほどからしきりに髪に触れている。 どうしようもない事に駄々をこねる子どものような少女の様子に、マスターは苦笑して静かに言葉を続けた。 「でも……」 「でも?」 紡がれた中途半端なものに、少女が首を傾げて反芻する。マスターはその間、持っていた食器を置き、背を向けてオーブンから何かを取り出していた。あちち、と言う声が零れる。少女が不思議そうに見やる中、マスターは振り向き、小さな小皿に載せられたそれを少女に差し出しながら微笑む。 「でも、こんな穏やかな日もいいでしょう?」 甘い匂いが香る。目の前に置かれたのは出来立てのチョコクロワッサンだった。微笑んで「ね?」と同意を求めるマスターとチョコクロワッサンを見やり、少女は口を三日月の形に変えた。 ここのチョコクロワッサン。通称チョコクロは絶品だった。 「……確かに」 ふふ、と零れた声は柔らかく、空気に溶ける。 「今日は特別にご馳走して差し上げます。どうぞ召し上がって下さい」 「ありがとう。いただきます」 先ほどの態度とは打って変わって、少女はマスターの言葉を聞くや否や、皿の上に手を伸ばした。
まどろみたくなるような穏やかな空気。 カフェオレとチョコレートの匂いが微かに混じる甘い空気。 お気に入りのカフェでのひととき。
確かに、悪くはない。
窓の外、雨の止む気配はまだ遠い。
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