|
クリエイター名 |
緋宮 維織 |
夢の終わり −土方歳三−
夢の終わりは、近付く炎の気配がもたらした。
「副長、こんな所にお出ででしたか」 ひかえめな声は、側仕えの隊士。手に提灯を提げている。その火の灯りと辺りの暗さから、もう疾うに戌刻を過ぎているのだと知った。気付けばだいぶ冷え込んでいる。外套を羽織っていてよかったと立ち上がれば、まだ少年の隊士は安堵の表情を見せた。 「斉藤先生がお探しです」 「そうか」 まだぼんやりと霞がかかったような頭を上げてみれば、ここが厩舎だという事に気付いた。どうやらうたた寝をしていたらしい。確かここを訪れたのは夕刻前だったと思う。思案しながら歩き、そういえば今夜は斉藤から報告が上がる予定であったのを思い出した。随分と寝過ごしたものだ。 「お風邪を召されます。お戻り下さい」 どうやら自分を散々探したのだろう。この寒い師走に隊士は汗をかいている。それでも口元は笑っていた。 「まさか厩舎にいらっしゃるとは。お探し申し上げました」 「すまない。少し、考え事をな」 「発句なら、局長には黙っております」 「言うな、鉄之助。馬の側で句などできるものか」 「土方副長なら、と思いましたので」 軽口を叩くのも付き合いが長い証拠なのだろう。鉄之助は入隊後すぐにこの副長付きとなった。幹部にはお抱えの小姓や側仕えを持つ者も少なくない。それほど人が増えたのだ。思えばこの隊は結成から今日まで、手に余る程の膨張を遂げている。下級隊士の顔はまだ覚えていないし、いつの間にかいなくなった隊士もいる事だろう。最早、そんな些細な事に構ってなどいられないのだ。時代が、動き始めている。 「参りましょう」 鉄之助の後に続いて厩舎を出る。辺りは暗闇に包まれ、屯所の灯りが少し遠くに感じられた。肌に風が冷たい。京都の冬はいつになっても慣れない。 「わたくしは、ここで」 幹部の部屋へと通じる道の手前で、鉄之助は提灯をこちらに向けた。ここから先は伍長以下の進入は禁止されている。提灯を受け取ると、鉄之助は一礼した。表門から屯所の奥へと向かうのが彼に定められた道順。 鉄之助の姿が見えなくなるのを確かめ、部屋へと戻る。いくつか部屋の前を過ぎると、進んだ廊下の先に男が腕を組んで柱に寄りかかっている。斉藤だった。 「あまり、隊を離れないで頂きたい」 開口一番そう告げる顔は、それでも苦笑していた。どうやら厩舎にいた事は知れているらしい。 「考え事さ。最近は頭痛のネタが多くてな」 「てっきり馬の題で発句かと」 「どいつもこいつも」 言いながら二人で角を曲がる。途端に斉藤の気配が鋭くなる。組一の暗殺剣の使い手だけはある、と妙なところに感心すると斉藤は察したのか足を止めた。 「簡潔に言う。監察方から報告が上がってきている」 続きを促せば、斉藤の手から書状が渡された。 「なるほどな」 用件は分かっていた。そして、その後の判断も。 「どうする気だ。斬るのか」 「さぁな」 そうは言いながら、結果は自明だ。斉藤は軽く笑う。 「三番隊はいつでも動ける。総司には、」 「いい。黙っていろ」 斉藤は「承知だ」と頷く。 これは、自分が独断で進めているのだ。総司には関係ない。 「後で、山崎を俺の部屋に」 「もうそこで待ってる」 それだけ言うと、斉藤は背を向けた。気配はあっという間に遠ざかっていく。 こうして幾度も、自分は内密で事を進めた。邪魔な者を排除し、闇へと葬ってきたのだ。局長に余計な手間をかけさせるわけにはいかない。そして、総司にも。 (これは、俺の仕事だ) この組織を育てていくためには、汚い仕事も多い。それを、あの二人の目に晒すのは最低限でいい。局長として全ての隊士の尊敬を集めなくてはならない近藤勇と、無垢でおよそ世間というものを知らぬ沖田総司には。 これは、生と死の狭間なのだ。 そして、痛いほどの現実。 見たくも無いモノを視て、知りたくも無いコトを識る。 そうでなくては勝てぬ。この、動乱の都で。 己さえも、殺して。 「でなければ、負ける」 即ち、死だ。この狼たちに、敗北は許されない。 名誉のためでも、君主のためでもなく、何よりも「誠」のために。 俺は、この命をなげうつ覚悟を決めたのだ。多摩で武士に憧れていたあの頃に抱いた儚い想い。今はそれさえも、捨てたのだ。 「……夢など、要らぬ」 ただ、この胸の誠のために、走るだけだ。 ただ、命果てるその瞬間まで。
|
|
|
|