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クリエイター名  ヒゲもっこふ
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ええ、そうなんですそうなんです。
主人とはお見合い結婚だったんですのよ。
それまでは熱愛の末に結婚するんだなんて息巻いてたんですけどね。
ええ、まあ世間も知らぬ生娘でしたから、これといって親しい殿方もおりませんでしたし、試しに会ってみてはどうか、というのが始まりで。さんざ両親に文句を言ってたのを今でも覚えてますわ。それがとんとん拍子に結婚まで行ってしまうなんて、人生ってなんて不思議なのかしら、とか思ったりもしたのですけど。
それでも、やはり最初はほとんど知らぬ者同士の同居。
息が詰まりそうになるほど無言が続いたこともありましたわ。
正直、主人も私もあまり口数の多い方ではありませんでしたから。
その度に目線だけ合ってしまって、でも中々切り出せなくて、気まずさを隠すようにお互い照れ笑い。なんて今時の高校生でもしないような、そんな関係が始めの一年位は続きましたの。
でも元来、主人は包容力もありましたし――あら、お恥ずかしい。これじゃ主人自慢みたいですわね。あらやだやだ。でも妻としてでなく客観的に見ても、主人には包容力があったんだと思ってるんですのよ。とても大らかな人ですし。
だったから、いつの間にか私が甘えるような形での結婚生活に移行するようになりましたの。私ったら本当に何も出来ないものですから。炊事洗濯掃除から何まで主人に任せっぱなし。もうあの頃はこの人がいないと私は生きていけないとさえ思ったほどなんですよ。
え? 今ですか? そうそう。そうなんですの。聞いて下さる?
今ってお釜がなくても、電子レンジでチンするだけでご飯が出来ちゃうなんて便利な品があるんですのよ。それがそんじょそこらのコンビニのご飯より美味しくて。もうかれこれ十年くらいそうしてやってますのよ。さすがに炊事くらい私が出来ないと主人も大変でしょうし。出来た妻とまではいきませんけど、主人を支えるために頑張りましたの。
結婚して五年も経つと、主人ももういい年になってまして。
昇進とかそういう言葉を、チラホラ主人の口から耳にするようになりましたの。
昇進っていう物を貰うには、こんなに遅くまで働かないとダメなのねぇって夢の中でそう何度も主人に私は相槌を打ったのですわ。そういえば、この頃の主人は何かと独り言が多かった気もしますわね。まあ、社会に出た男の方には何かと色々あったんだと思いますわ。そういう部分は見て見ぬふりをすることこそ、良妻の務めだと私はわかってましたから、それはもう知らぬ存ぜぬを決め込んだのですわ。
夫を支えることに喜びを感じ始めたのも、この頃だったと思いますわ。
それからも数年そんな感じで何事もなく生活は過ぎていきましたわね。正直幸せの絶頂というものがこんなに長く続いていいものかと、怖くなる位でしたわ。
ただ隠さず申しますと、この頃にもたった一つだけイヤな事はあったのですわ。主人のお母様なんですけど、その方が毎の月の二日。主人のいない時間を狙っては家にやってきてこう私に仰るんですの。むちまさめろどーな――ああ、これが私の本名なんですが。ああ、ご存知ありませんでしたわね。私たちの人種は、15に成人しまして、その時名前を頂くんです。その後はその名を使うようにと。ただ正式な登録名はもちろん生後間もなく名付けられた方のですから、そちらにはその名前になってしまっているのですわね。ええ、まあ、どちらも私なので構わないと言えば構わないのですわ。
ええと、で何の話でしたかしら……?
ああ、そうですわ。主人のお母様が仰いますのよ。
「そろそろ孫の顔が見たいねぇ。せめて私が死ぬ前に一目でいいんだよ。この老いぼれの顔を立てると思って頑張ってくれないかねぇ」
はっきり申して意味がわかりませんでしたわ。全く全然どうしたって。
何を頑張れというのかしら。きっとすでにあの時、お母様は病気が進んでらしたのですわ。あ、現在主人のお母様は精神病がもとで病院に入院しているんですの。なんでも、誰かのせいで自分の人生が狂ってしまったと泣き叫ぶらしいのですわ。正直、義理のお母様のことこんな風に申したくはありませんけれども、あんな老後はイヤですわね。
でも確かにお母様に仰られるまでもなく、子供は欲しいと思いましたのよ。でも私その折まだ世間知らずでしたもので、子供を授かるための免罪符が満期になっておりませんでしたの。こればっかりは頑張ってもどうにもなりませんもの。辛抱強く待ちましたわ。まあ、もう少しの辛抱ですよ、なんて役所の方も仰っておられたので、まあ待とうということになったのですわ。
それからもお母様の執拗で陰険な嫌がらせは続いたのですけど、まあ、良妻としてはこの位は我慢しなければと、ちょっとの間だけ耳を隠すことにしたんですの。これが結構便利で、あんなにイヤだったはずのお母様の罵詈も笑顔で応対できるようになったのですわ。和解は結局出来ず終いだったのですけれど、ああしなければ関係はもっと酷いものになってたと思いますわ。あの時ばかりは自分の手腕に惚れ惚れしたほどですもの。
それから二年くらいか過ぎて、今からだと一年ほど前のことですわね。
急に主人が独立すると言い出したんですわ。
私は今の生活でも充分だと申したんですけど、どうも主人にはお金が必要だったらしいのですわ。この頃には仕事で家を空ける日も多くなっておりましたから、きっと宿泊費やら何やらがかさみ過ぎていたんだと思います。詳しいことは、私が金銭面は管理していたわけじゃありませんので、よくわからないのですけれど、そういうことだったのですわ。
それに際して私が不安そうな面持ちで話を聞いておりましたら。君は家庭を守ってくれればそれでいい何も心配することはないああそうだ何も心配することなんてないずっと家にいればいいんだそうだそうだそうなんだ。そう主人が申したので、私の心の中に立ち込めていた黒い霧がみるみる晴れていったのですわ。この時ほど主人のことを身近に感じたことはありませんでしたわ。
なんというか惚気に聞こえてしまわれるかもしれないのですけど、妻冥利に尽きるとはこの事だと、今思い出しても笑みがこぼれてしまいますの。
年甲斐もなく、なんて思っておられるのでしょう。いいんですのよ。現にそうなのですから。ふふふ。
でも主人の後を三歩下がって影踏まず――あ、今のは昔の男女のあり方を説いた格言を用いてみたんですのよ。今の若い方はご存知ないのかしら――とまあ、そんな添い遂げ方こそ私には相応しいのだと、その日確信したのですわ。
この人について行けば、永久に幸せでいられる。
恋に恋する乙女のように、私はより一層主人に寄り添うようになりましたの。
災い転じて臓腑を抉るではないですけど、主人の思わぬ独立が二人の夫婦としての絆をより強くしたのですわ。
ですから、もはや独立など恐るるに足りずでしたわね。まあ、私は忙しそうに朝早くから家を飛び出していく主人を見守ることしか出来ませんのでしたけれど。それでも私がすべきことは家庭を守ることでしたから、それで良かったのですわ。妻のでしゃばりほど見苦しく邪魔なこともありませんもの。それからはずっと、私は玄関とにらめっこの毎日でしたわ。これが簡単なようで実は案外厳しいんですのよ。お手洗いに立つことも出来ないし、それに何より。玄関は時々しか話し掛けてきてくれないでしょう。そうすると、ついついウトウトしてしまうのですわ。しかもそんな時に限って、玄関が話し掛けてくるものですから、こちらもおいそれと気を抜いてはいられないんですのよ。でも主人の頑張る姿を思い浮かべるだけで、それら全てのことが我慢できたのですわ。お互いに頑張ってるんだもの。そんな連帯感が働いたのかもしれませんわね。
そうそう、連帯という言葉で思い出したのですけれど。
主人の独立にも、実は一つだけ壁がありましたの。薄々お気付きかとは思いますけれど、独立資金という難があったのですわ。もうあの頃は不況の煽りを社会全体が多分に受けていた頃ですから、銀行もそれ相応の担保なしでは貸し付けを渋っていたのですわ。幸い我が家には土地と農民がおりましたから、多少なりともの借り入れは出来たのですけれど。必要額にはそれではとてもとても。
ということで、主人はまたお金を工面しなければならなくなりましたの。
けれど、その問題はすぐ解決したのですわ。なぜかはよくわからないのですけど、連帯エンダウメント効果機構というものがあるらしくて、主人が当人の欄に、私が連帯の欄に「レ・モーヴェ・ギャルソンヌ」と叫びながら捺印するだけでお金が工面できたようなのですわ。あれは何だったのかしらなんて今では思いますけれど、世の中というものは色々あるのが常ですもの。要はお金が工面できれば良かったのですから、まあ問題は何もなかったのですわ。
そう私たちの幸せの邪魔をするものは何も。
それから間もなく、主人から会社が軌道に乗ったということを聞かされましたの。会社経営なんて大変でしょうに、たかだか三時間で会社を新興させてしまうだなんて。我が夫ながら、その敏腕ぶりには豚の肌が裂けて、雷鳥が立つ思いでしたわ。ただ残念なことに、それ以来今まで以上に主人は忙しく立ち回るようになってしまって、家に帰る日が目に見えて減っていったのですわ。そうなると急に独立なんてしない方が良かったように思えてきたんですの。いえ、とはいっても私が寂しいからとかそんな我侭から生じたことではありませんのよ。ただただ主人の身体のことが心配で心配でならなかったのですわ。これって妻として当然の慮りでしょう。でも私は主人から家庭を守るように言われておりましたから、主人を探すことも適いませんでしたし。ですから、結局それから主人に会ったのは三ヵ月後のことでしたの。
三ヶ月間の間?
ええ、もちろん玄関におりましたわよ。ええ、ずっとですわ。
そう言えば、お一人女性の方がお見えになられましたわね。なんと仰られたかしら。あらやだ。すっかりくっきり思い出せないわ。ごめんなさいまし。今日はどうも記憶の一部を塗りつぶされてしまったようなのですわ。また思い出したらお伝え致しますわね。でもその方の出で立ちは覚えておりますのよ。たしか淡い桃色の2ピースに身を包んだ髪の長い方でしたわ。腕は4本。節足動物の腕をしておられたように思いますわね。それとは異なって足はキリンか何かの長足動物の脚を流用しているようでしたわ。そのせいで玄関から中に入るときもたついておりましたもの。
そうそう、そうですわ。
その方は特に瞳が綺麗だったんですのよ。純粋無垢な青藍の瞳。
恐らくプルトニウムを量子崩壊によって圧縮して作った義眼の一種だと思いますわ。それ自体、最近では物珍しいというほどのものでもないのですけれど、あのように洗練された代物を見るのは私も初めてでしたから、興奮を抑えきれなかったのを今でも覚えているんですの。思わず奪い取ってしまおうかと思った程ですのよ。ええ、それはもうこの世のものとも思えない一品でしたわ。はぁ。
え。あ、お話の途中でしたわね。
最近ぽーっとすることが多くていけないわね。
それで、その女性の方なんですけれど、何やら開口一番妙なことを口走ったのですわ。何でもお写真を買って欲しいだとかなんとか。私、とっさには意味がわからなくて。どういうことなのか説明すればいいのじゃなくてそれともそんな説明をするだけの脳は持ち合わせていないのかしら。とお伺いを立てましたの。するとその方、急に目をあらんばかりに見開いて、血相を変えてまくし立てたのですわ。そこからは、少し言葉が黒く濁ってしまってよく見えなかったのですけれど、たぶんお写真を買わないと主人が干上がるみたいなことを仰っていたんだと思います。
それを聞いて、私ピンときましたの。これが所謂、例のアレなのだと。
さすがの私でも、それくらいわかったのですわ。
この方は、お気が確かではなかったんですの。ええ、そうなのですわ。ですから、何やら不恰好に写った自分のお写真なんかを買えなどと連呼していたに違いないのです。本来ならば、そんなもの買う義理なんてなかったのですけれど、なんだかその方が私とても哀れに思えてしまって。そこでその方の言い値をお支払いしたのですわ。幸い主人の事業も順調に草薙証券取引所の零式に上場しておりましたから、その程度のお金はわけなかったというのもありましたし。ただ一方的に搾取されるのはあまり心地の良いものではないですから、帰りがけにその方から先程の義眼を頂いたのですわ。少し暴れてらっしゃいましたけれど、まあ同情であれだけの大金を手に入れたんですもの、いいですわよね。
でそれが、今首に下げてるペンダントですのよ。
ほら、透けるような蒼でしょう。こういう透明感は中々表現できないんですのよ。って今の言葉、実は受け売りなんですけどね。ふふふ……
それからはその方、お越しになられてませんわね。きっと満足なさったんじゃないかしら。なにせ2、3年は優に遊んで暮らせるわけですもの。未だにどこかを遊び歩いておられるんじゃないかしら。あら、そういえば、今気が付いたのですけれど、私あの方からお写真を頂いてませんでしたわ。まああんなお写真あっても困るくらいなのですけれど、一応、名目上買ったことになってるでしょう。ですから、持っていないといけないような気がしてきましたわ。どうしましょうどうしましょう。
でも義眼を頂いたのだから、お写真は関係ないとも言えるのかしら。
難しいですわね。こういう潰々交換っていうのも。でもこんな良いものが手に入るんでしたら、もう一度してみたくもあるのですわ。これは主人には内緒ですわよ。こんなことが知れたら、主人に怒られてしまいますもの。飽くまでも一夜限りの過ちなのですわ。家庭を守る意味もありましたし。
主人が家を空けていた三ヶ月間に訪問なさった方は、私が覚えている限りではそれだけですわね。まあ姿の見えない方々は省略しておりますけど。それは数え様がないので、構わないですわよね。ですわよね。それではやはりその女性だけですわ。他のどなたもいらっしゃられてはおりません。何せ戸口で見ていたのですから間違いありませんわ。
主人が帰った後も、目新しい訪問者はいらっしゃられてないと思いますわ。
当の主人が帰宅したのが、今から一ヶ月前のことで。たかだか一ヶ月前の記憶に関してですから、私の記憶は些かも曖昧な所はないのですわ。まあ生まれてこの方、ものを忘れたことなど一度たりともありませんでしたけれども。それでも曖昧だななんて思うこともあったりなかったりあったりなかったりなのですけれど、この一ヶ月のことだけは断じて確実に明確にそれでいて軽快に覚えているのですわ、私の身体が。ですから言い切れますの。主人はこの一ヶ月誰ともお会いしてはおりませんことよ。
あら、そう言えばそうですわね。主人は一ヶ月外出もしておりませんわ。
まあ長期休暇にでも入ったのだと思いますわ。あれだけ人数も増え大きくなった会社ですもの。そろそろ主人が楽をしてもいい頃合なのでしょう、きっと。私としましても、今まで離れ離れになっていた寂しさを埋めるには丁度いい機会だと思っておりますのよ。今日もこれから主人のためにメルヴェイユを作ろうかと思っているところですの。
あらやだ。もうこんな時間。
そろそろ私、失礼しても宜しいかしら。
あら、まだもう少しいないといけませんの。
ちょっと大概にして頂けますかしら。もう彼此二時間近くここでお話を致しましたでしょう。幾ら温厚な私でも許容限度というものがありましてよ。ああ、そうですの。そういうことならば、もう少しお付き合い致しますわ。ええ、物分りは良い方ですのよ。そちらもお仕事大変でしょうし、一市民としてご協力するのは当然のことですわ。あらいやだ。お世辞を言われても何も出ませんことよ。でも今度自宅に遊びにいらして下さいな。主人と一緒に歓迎致しますわよ。いえそんなことないですわ。主人も一ヶ月前から首を長くして待っているんですのよ。今日だってきっと首をもっと長くして待っていることだと思いますもの。ええとあちらの別室に移動するんですの。私こちらでも宜しくてよ。そうですのね。あの方々はご一緒ではないのかしら。まあ大変ですこと。
「では、そちらの刑事さん方、ごきげんよう」

――バタン――

「なぁ」
「ん?」
「今の話、調書に書けると思うか?」
「書けるだろうけど、提出は出来ないだろうな」
「でも被害届出てるんだよな?」
「ああ、出てるから、こうやって取り調べしたんだろ?」
「どう思う?」
「どう思うって?」
「あんな老人が、20代後半の女性の目玉を――暴れる女性の眼球を素手で抉れると思うか? オレには到底思えないんだが」
「供述書の間違いじゃないか。そう言いたいのか?」
「いや、もう何がなんだかわからなくてな。とりあえず、あの人は何であんな状態で歩けるんだ? いやあれはそもそも人なのか?」
「日本語は話してたよな」
「だよなぁ」
「むしろボクはあの人の旦那ってのがどんななのか気になるけどな」
「オレさ、なーんかイヤな予感するんだよな、この話」
「でも放っとくわけにもいかないだろ」
「うん、そうなんだ。でももう今日は何もしたくない」
「ああ、それに関してはボクも同感だ」
 
 
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