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クリエイター名 |
相楽灰音 |
サンプル
忘却の花
私が犯した罪。あなたを忘れる事。 あなたが犯した罪。私を置き去りにする事。
「ごきげんよう」 「ごきげんよう」 春になれば美しく咲き誇るであろう桜の枯れ木立ちの中を、幾人もの無垢な乙女達が行き交う。彼女達は皆、深い緑色のセーラー服を纏っている。純白の襟もスカーフも、控え目な丈のスカートの裾も、むやみに翻す事なく静々と歩く。それが良き妻、良き母を育成するこの乙女の学び舎の教育方針。幼稚舎から大学まで、乙女達はこの学び舎の中で大切に、まるで温室の花の様に育てられるのだ。
卒業間近のある日の放課後、教室で、私は自分の教室で問いつめられていた。 「どうして何も言ってくれなかったの?」 目の前にいる彼女は、本当に哀しそうに悔しそうに言う。確かにアンフェアだった事は認める。私は彼女の話なら何でも聞いていたし、彼女もまた何でも私に話してくれていたのだから。 「私……私信じてたのに。まだ一緒にいられるって」 「佳奈」 苦しい。 私はそう思いながら、彼女の名を呼んだ。 「どうして」 「ごめん」 「そうじゃなくて、どうして」 「……ごめん」 覇気なく謝罪する私を、彼女―――佳奈は詰問するのをやめた。 「亜衣子ちゃん」 佳奈が私の名を呼んだ。りんとした視線で私を見据えて。 「私、怒ってるんじゃないの。ただ、何も言わなかったって事は、亜衣子ちゃんにとって私ってその程度なのかなって、そう思って」 「そんな事ない」 「じゃあ、どうして?」 詰問が単なる質問に変わる。佳奈の黒々とした長い髪が、はらりと制服のスカーフにかかった。佳奈の絹糸みたいな髪。佳奈の桜の花弁みたいな唇。私は佳奈を構成しているのひとつひとつの部位を、改めて見た。佳奈の透き通る様に白い肌。佳奈の整えられた指先。佳奈の、私を見つめる瞳。 「タイミングが、なかなか掴めなくて」 「それだけ?」 私は無理矢理笑った。 「うん、それだけ。どうでもいい人になら、いつだって言える。だから、佳奈にはなかなか言い出せなかった。佳奈は、どうでもいい人じゃないからね」 佳奈は理解はした様だが、納得はしていない様子だった。 「……でも、調理師の専門学校に行くにしたって、こっちにもあるじゃない。それを……何でわざわざ東京の学校にしちゃったの?」 咄嗟に出かけた答えを私は呑み込んで、違う答えを口にする。 「と、東京に対する単なる憧れよ。よくある話でダサダサでしょ?」
特に問題がなければエスカレーター式で短大か大学に進学出来るこの学校で、私の様に敢えてそこから外れた進路を選ぶ人間というのは珍しいらしい。当然教師にも、両親にもいい顔はされなかった。しかし反対もされなかった。そこに私はつけこんで、高校を卒業したら東京の調理師の専門学校に行く、という自分の考えを通してしまったのだ。試験はとうにパスしている。後はこの高校を卒業して、東京にひとり移り住むだけだ。
「……じゃあ、コックさんになって東京でずっと働くんだ」 「多分ね。こっちの家にいたら、学校は出して貰ってもすぐにお見合いとかさせられそーだしさ。……ま、そういう意図もあるにはあるよ」 帰り道。桜の枯れ木立ちの中を歩きながら佳奈はようやく花の様に笑ってくれた。 「確かに、それじゃ勿体無いよね」 「学費だって結構かかるんだしさ。調理師専門学校って。下手な大学並だよ」 校門の所にいる風紀の教師に『ごきげんよう』と挨拶をして、再び私と佳奈は歩き始めた。 「佳奈は、上の大学だよね?」 何故か佳奈は微苦笑して頷いた。 「……とりあえず、嫁入り道具のひとつとして、だけど」 「最近のお嫁さんもそれなりに学がいるんだよね」 幼稚舎から大学まで、十年以上も純粋培養されたお嬢様なら相手にとっても不足はないだろう。ここの学校では大学や短大は、その程度のものでしかない。殆どの卒業生が、卒業証書を嫁入り道具の中に加えてすぐに嫁いで行くのだ。 佳奈も、そうするのだろうか。 そうするのだろう。 「佳奈」 「何?」 「もしかして、もう縁談の話とか来てるの?」 「まさか」 鈴の様に佳奈は笑った。 「まあ大学出たら、来るだろうけど。……あ、結婚式には呼ぶからね。その時はちゃんとこっちに戻って来てよね?」 冗談めかして言う佳奈に、私は上手く笑い返す事が出来なかった。
いつの日か、佳奈は誰か知らないひとの元に行ってしまうのだ。私に幸せそうに笑って、手を振って遠くに行ってしまうのだ。 ―――そして。
「亜衣子ちゃん窓側に座りなよ。ちゃんと故郷の風景、目に焼き付けとかなきゃ」 「……そだね」 卒業式の数日後、東京に旅立つ私を佳奈は空港まで見送ってくれると言ってついて来てくれていた。家では昨夜にささやかなご馳走が振舞われた位で、その後はあっさりとしたものだった。もっとも後で聞いた話、私が家を出た後、母は泣いていたそうだが。 空港までの特急列車の車内で、私と佳奈は色々と話をしていた。学校での思い出話や、もっと昔の思い出話。そしてこれからの事。過去と未来が交錯する点に、私達ふたりは立っていた。しかしその点である今現在の事については、私達ふたりは触れられずにいた。 「でもさ、格好いいだろうね」 「? 何が?」 「亜衣子ちゃんのコックさん姿。女のひとがそういう格好するのって、結構いいかも」 「そうかな」 「写真、送ってね」 私は曖昧に笑った。 「確かに、花嫁衣装より私にはコック服の方が似合うかもね。じゃあ、佳奈の花嫁姿を見に行く時、私はコック服で行こう」 「あはは」 冗談とも本気ともとれる話も、次第に尽きて来て、私達は次第に無口になって行った。そうなって初めて、重くのしかかって来るのは、今現在私達が置かれている状態。後、数時間で訪れる、しばしの別れ。 「あ、亜衣子ちゃん。見て」 不意にその沈黙を破って、佳奈は窓の外を指差した。 「学校の桜、見えるよ」 「本当だ。卒業式の時はまだぱらぱらしか咲いてなかったのに」 丘の上の母校の桜は、もう八分咲きだった。薄い薄いピンク色の綿雲の様な桜の花に、白い校舎が包まれていた。 「きれいだね」 「そうだね」 特急列車はあっと言う間に私達からその風景を奪ってしまった。 少し落胆したかの様に、立ち上がっていた佳奈は通路側の席に腰を降ろした。 「東京は、もう桜は咲いているのかな」 「まだじゃない?」 「じゃあ、亜衣子ちゃん、今年は2回お花見出来るね」 暖かいこの街から、桜前線が北上するよりも早く私は東京に行ってしまう。佳奈はそれを言っているのだろう。 私は何故か言葉を失って、そのまま流れる車窓を見つめていた。 佳奈もそれから何故か何も話しかけて来なくなった。 黙ったまま、私達は別れの時に近づいていた。
空港は、季節柄多くの人で賑わっていた。中には私と同じ境遇の人もいるのだろう。 「それじゃ、ひとまずしばらくお別れだね」 「……そうだね」 搭乗手続きが始まって、私はバックを持ち直した。 「ええと……」 佳奈は言葉を探している様だった。別れの言葉ではない、他の言葉を。 アナウンスと人々のざわめきの中、私達は沈黙した。 いつもなら話しても話しても足りない位なのに、今は、話しかける言葉すらお互いに見つけられない。その間にも、時間は刻々と削り取られているというのに。 「……佳奈」 搾り出す様な声で、私は佳奈を呼んだ。やっとの事で出した声だった。佳奈はかすかに潤んだ瞳で私を見据えた。 「私の事、好き?」 ごく自然に唇からこぼれ出た言葉に、私自身が驚いた。何故こんな時にこんな事を彼女に訊くのだろう。 佳奈は頷いた。黙って何度も頷いた。その弾みで、床の上にぱらぱらと涙がこぼれた。それでも佳奈は、何度も何度も頷いた。 「うん……うん。好きだよ。亜衣子ちゃん、大好き。だから、たまにはこっちに帰って来て、私に会ってね。ううん、ただ思い出してくれるだけでもいいから。ね?」 真っ赤な目をして、佳奈は私を見た。 私は曖昧に頷いた。 「ありがとう。じゃあ……そろそろ時間だから」 「うん。気をつけてね。……あ、あとこれ」 涙を拭って、佳奈はバックから小さな紙包みを取り出した。 「亜衣子ちゃん、あんまりこういうのつけないと思うけど」 包みの大きさから、どうやらアクセサリーの類の様だった。確かに私はあまりそういったものは身につけない方だが、佳奈から貰うものならそれでも嬉しかった。 「わざわざありがとうね。送って貰って、その上こんな気つかわせちゃって」 「いいの」 佳奈は泣き笑いの顔で首を横に振った。 「私、亜衣子ちゃんの事、大好きだから。だから、いいの」 そっとその包みをバックに仕舞うと、私は佳奈の頭をそっと撫でた。私より背の低い、色白で美人な佳奈は、いつも私の側にいた。私にはとても不釣合いな、いい親友だった。そして彼女は、こんな私を純粋に好いてくれていると言う。 「それじゃ、元気でね」 私のあまりにも陳腐な別れの言葉に、素直に佳奈は頷いた。 そして私は、まるで彼女を振り切るかの様に無理矢理雑踏の中に紛れ込んだ。一度も後を振り返らずに。 ―――振り返って佳奈を見たら、そのまま動けなくなってしまいそうだったのだ。
飛行機の中で佳奈がくれた包みを開けた私は、思わず苦笑してしまった。 「馬鹿……私、穴あけてないって……」 中に入っていたのは、ローズクォーツのピアスだった。
その春から私は東京でひとり暮しをしながら、調理師の専門学校に通い始めた。男子の多いその学校で、世間で言う『彼氏』というものも出来た。勉強はハードだったが、それなりに東京のスクールライフをエンジョイしていた。レストランでアルバイトをしたり、週末にはデートに出かけたり。所謂青春群像がそこにはあった。ついでにピアスの穴をあけて、いつも佳奈から貰ったローズクォーツのピアスをつけていた。それだけで、佳奈といつも一緒にいる様な気がして安心出来たのだ。 勿論、郷里の女子大に通う佳奈からも、月2・3回のペースで手紙が来たり、時には電話があったりした。学校の仲間とは一歩離れたつき合いしかしていなかった私にとって、佳奈からの連絡はほっとする機会でもあったのだ。
しかし、その佳奈からの連絡はその年の6月からぱったりと跡絶えてしまった。 初めは佳奈にも大学の付き合いがあって忙しいのだろうと思っていたのだが、それが3カ月も続くとだんだんと不安になって来る。こちらから手紙を出したり、電話をしようともしたのだが、どうしてもそれは先送り先送りとなっていった。故郷も、そして勿論佳奈の事も大切でなくなってしまったのではなかった。しかし私の頭の中での優先順位はいつのまにか東京での生活や人付き合いが優先されていったのだ。そして何より、そうして躊躇している間に本当に気後れしてしまうようになってしまっていた。 きっと佳奈にだって向こうでの付き合いや都合もあるだろうし。 私が少しの間、佳奈の事を忘れていたからといって誰も責める事はないだろうと。
私は私自身をそうして許し続けていた。
しかしそんな私に対する罰は、速やかに準備され、そして呆気なく下された。
2年生に進級する前の春休み、私の元に1本の電話が入った。 佳奈からの電話はもう期待していなかった私は、実家の母親からだろうか、と何気なく受話器をとった。春休みだし、どうせ向こうで見合いしろとか言う話だろう、と。 しかし次の瞬間、私は愕然とした。 「……おばさん……ですか?」 母親は母親でも、佳奈の母親だった。 佳奈の母親は、静かに、しかし涙混じりの声で話し始めた。 「入院!? 佳奈が!? それって、怪我なんですかそれとも……」 問いかけた私に、佳奈の母親は長い沈黙の後答えた。 その答えに、私は持っていた受話器を床に取り落とした。
(胃癌でね、もう手遅れで……全身に転移していて) (手術も出来ない状態で……6月から入院しているんだけど) (今まで生きているのが、奇跡だってお医者様が) (佳奈は知らないの。でも、悟ってはいるみたい) 私は無我夢中で郷里に戻った。電車と飛行機を乗り継ぎ、走って走って佳奈のおばさんとの待ち合わせの、私鉄の駅の改札に向かった。 「亜衣子ちゃん。わざわざありがとうね」 改札で出会った佳奈のおばさんはそう言って笑っていたが、明らかにやつれていた。私は言葉を失ったまま、佳奈のおばさんの車に乗った。 「コックさんの勉強してるんですってね。大変なんでしょう? ごめんなさいね、折角のお休みなのに」 「……いえ」 車は市内で一番大きな病院に向かった。 「……佳奈がね、最近やけにあなたに会いたいって言うようになって。我儘言うもんじゃありませんって言えばすぐに黙るんだけどね」 「我儘じゃ……ありません。でもどうしてもっと早く伝えてくれなかったんですか? そうしたら……私……」 「佳奈が亜衣子ちゃんに心配かけたくないからって言うから。……でも、もう私もね、耐えられくなって」 おばさんの声は震えていた。 「佳奈が望む事なら何でもしてやりたかったのよ。でも、佳奈は何も欲しがらない。唯一欲しがったのは、亜衣子ちゃん、あなたともう一度会う事だったから。だから佳奈には黙って連絡したの」 「そう……なんですか……」 車を駐車場に入れ、私は佳奈の病室に案内された。そこで私は自分が手ぶらなのに気づいた。 「お花でも持って来れば良かったですね」 「いいのよ。あなたが来てくれれば佳奈はそれで」 おばさんは近くの休憩用の椅子に座った。 「……会ってあげて」 私は頷いた。そしてバックからローズクォーツのピアスを取り出すとそれをつけた。
ドアを開けると中は真っ白く眩しかった。 そして、か細い声がした。驚愕と焦燥の混じった声が。 「亜衣子……ちゃん……?」 ベッドに佳奈は横たわっていた。 白かった肌はますます白く、ほっそりとした身体はますます細く、そしてその身体にはチューブがあちこちに差し込まれていた。 「夢……」 「夢じゃない。おばさんから電話……あって……それで」 佳奈は起き上がろうとしていたが、もうその力さえ、今の彼女にはない様だった。 「ごめんね……勉強とか……忙しいのに……」 「今は春休みだから、いいよ。専門学校生の春休みって結構長いから」 無理矢理笑う私に、佳奈もかすかに笑んだ。痩せ細った身体はもはや別人の様だったが、その表情は間違いなく佳奈だった。花の様に笑う、佳奈。 「ピアス……つけてくれてたんだ……」 私の耳元を見て佳奈が言った。その言葉に私の心の隅が鋭く痛んだ。 「……うん。いつもこれつけて、佳奈の事思って頑張ってたんだよ、この1年」 嘘ではないが、一部は嘘だ。つけていなかった時期があるのだから。 「……ありがとう……。どう? コックさんの勉強……大変?」 「まあね」 「どんな勉強するの? やっぱりお料理一杯作るんでしょ?」 何も食べられず、ただ点滴で命を繋いでいる人間にするには酷な話題しかない私は、黙ってしまった。確かに実習は多い。色々な料理を作る。しかしそれを今の佳奈に話す事はあまりにも残酷で。 「……気にしないで。私、分かってるから」 「何、を?」 「だから聞かせて。聞きたいの。亜衣子ちゃんがどんな事、この1年間して来たか。私が……癌でここに入院している間、どんなお料理を覚えたのか……」 身体中の血が、凍りついた様な錯覚にとらわれて私は絶句した。 「もう……長くないの……。桜の花も多分もう見られない……。死ぬ前に……亜衣子ちゃんに会えて良かった。だから、だから聞かせて。私の、最後の……お願い」 悟ってはいる、と聞いてはいた。 しかし、本人が『死』を口にするのは確信している、という事だ。
私は黙ったまま、そっと佳奈の顔に自分の顔を近づけた。 そして、佳奈の乾いた唇をなめ、そのまま口づけた。 ―――佳奈は、目を閉じた。嫌がる素振りは、全く見せなかった。 軽く舌を絡め、そして唇を離す。 佳奈は笑っていた。 「知ってた。亜衣子ちゃんがピアスの穴あけてない事。わざと……だったの。試してたの……。亜衣子ちゃんがどれ位私の事……好きなのか……」 穏やかに微笑んで、佳奈は私を見上げて、そしてゆっくりと目を閉じた。 「ごめんね。ありがとう。亜衣子ちゃんの気持ち、今のキスで分かった」 私は頷いた。 「ファーストキス……亜衣子ちゃんで良かった。男のひとみたいだった……凄く優しくて……気持ち……良かった……」 その佳奈の言葉に、私はひとつの確信を得た。 きっと、私は。 「亜衣子ちゃん……」 「何?」 佳奈はもう骨と皮だけの状態になった手を差し伸べて来た。私はその手をそっと握り締めた。 「格好いいコックさんになって……自分のお店開いて……たくさんの人に一杯美味しいお料理を食べさせてあげてね……。私が食べられなかった分……まで……」 「……うん。分かった。約束する」 そんな事言うな、なんて偽善的な言葉はもう出なかった。それが佳奈の最後の願いなら、私はそれを素直に叶えようと思った。
―――その日から3日後の深夜、佳奈は静かに息を引き取った。
私は奇妙な期待を自分にしていた。 通夜、葬式、全て参列した私は泣くのだろうかと。 大切な親友を永遠に失った私は泣くのだろうかと。 しかし、佳奈の骸が焼き払われてしまっても、涙は一粒もこぼれなかった。
神様の存在を私は信じていないが、もしいるとしたらそいつはとても我儘な奴だ。 自分の気に入った、心の清い人間を早く自分の元に戻してしまうのだから。 ―――そして、私の様な人間がこの薄汚れた地べたに取り残されるのだ。
佳奈の葬式の次の日、私は通っていた高校を訪れていた。たかだか1年振りなのに、何処か懐かしい。 (桜の花も多分もう見られない……) とうとう佳奈は、この8分咲きの桜を見る事もなくいなくなってしまった。 もう、この世の何処を探しても、佳奈はいない。 落ち込んだ夜に励ましの電話もかかってこない。 可愛いレターセットで手紙が届けられる事もない。 ―――佳奈は死んだのだ。
私は警備のおじさんに卒業生である旨伝えて校内に入れて貰った。 そして桜の木の下に向かう。 暫く漫然と薄ピンク色の花を眺めていた私は、不意にそれまでしていたローズクォーツのピアスを外した。 そして、ゆっくりと桜の木の下の地面を掘り始める。始めは近くに落ちていた木の枝で。土が柔らかくなって来てからは、手で。 ゆっくりゆっくり掘り進める。 20センチ程掘った所で、バックからレースのハンカチを出す。高校3年のクリスマスに、佳奈とお揃いで買った妙に少女趣味なハンカチだ。
(佳奈には似合うけど、私には全然似合わないなぁ) (そんな事ないよ。亜衣子ちゃんだって女の子なんだから) (そうかなぁ) (うふふっ、でも嬉しいね。初めてだね、お揃いの物持つの)
私はそのハンカチを穴の底に敷き、その上にローズクォーツのピアスを置いた。そして丁寧にハンカチでそれを包む。 そして、その上に掘り起こした土をかぶせ始めた。 その手の上に不意に、ぽたりと熱い水滴が落ちた。 私は構わず土をどんどん穴に埋め戻した。その間中、ぼろぼろとその水滴は土の上、手の上に落ち続けた。 途中、耐えられずに泥だらけの手で目元を拭った。当然顔は泥だらけになった。化粧も落ちた。土が完全になくなった頃には、私はその場にうずくまって、何事か大声で泣き叫んでいた。自分でも理解出来ない何かを、喉が切れんばかりに。
専門学校を卒業する頃には、もう私の耳にピアスの穴はなかった。ずっとつけていなければ自然と埋まってしまうのだ。 しかし、佳奈という大切な人が私にいた事実は消える事はない。 そして、佳奈が教えてくれた、私についての大切な事実も。
私があなたを忘れた罰は、あなたが私を置き去りにする事だった。 忘れる事は悪い事。 捨てる事も悪い事。
―――そして、ひょっとしたら。 誰かを愛する事すらもまた。
―了―
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