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クリエイター名  入江旭
サンプル

●サンプル「砂の花びら」より抜粋/冒頭部分
●オリジナル小説/恋愛要素・シリアス&あまあま風味
(読みやすいように適当に改行しています)

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「不束者ですが、どうぞよろしくお願い致します」
そんな古風な挨拶と共に深々と頭を下げたのは、どう見てもまだ十代半ばの少女だ。
佐倉貴幸は、玄関先で右手に鍋つかみを嵌めた格好のまま、
最近お茶の間を賑わすようになった若手映画俳優のように、隙なく整った顔を僅かに顰めた。

(―知らないな。どこの家の子だ?)

見覚えのない訪問者を不躾なほどたっぷりと見つめた後で、
今度は全身を品定めするように観察し直してから、ついつい緩んだ午後の思考を切り替える。
重箱の隅をつつくようにして記憶の中を探し回り、
膨大な知人リストから該当しそうな人間の名を上げては潰していく。
しかし、少女はそのどれにも当てはまらない。

では、と、一呼吸置き、相手にそうと分かるほど、貴幸は不機嫌そうに秀麗な眉を寄せた。







遠縁が多い貴幸にとって、今回のような出来事は日常茶飯事になっている。
友人たちには住所を大ぴらに明かしていないのだから、
こんな所まで訪ねて来るのは、やはり何かしら繋がりのある縁故の者だろう。

始祖から現当主まで、本家の実家どころか分家の末流に至るまでの家系図を、
それこそ親子関係と婚姻関係さえをも含めて丸暗記させられたが、何しろ数百年分だ。
若い脳細胞とはいえ、記憶の片隅に綻びが生じても不思議ではなかった。

(苗字・・・この子は何て名乗った?)
元々関心がないため、ちょうど焼きあがるグラタンの出来具合に意識を向けていたせいで、
貴幸は迂闊にも挨拶の肝心な部分を聞き逃していた。
ともかく、もし彼女が親類の一人ならば、
自身が様々な制約で縛られた身分上、多少は相手のバックに配慮して話の相手をしなければならない。
その後でこの場を引き取ってもらうのが一応のマナーだ。
けれど、そんな無駄な手間と時間をざっと見積もるだけで、更に眉間に皺が寄ってしまう。

「はじめまして」と前置きすることがなかった少女は、こちらをよく知っているらしく、
言葉の少ない男の冷たい態度にも、取り留めて大きな不安を感じてはいないようだ。
彼女が祖父や父親から、意図的に情報を与えられていることを踏まえて見ると、
間にワンクッションを置くこともなく、突然訪ねて来ても悪びれた様子がないのは、
自分を優しい人とでも誤解するようなエピソードを散々吹き込まれている弊害によってだろうか。

(・・・追い返すのに一時間もあれば十分だな)
貴幸はようやく自身の心情的問題に蹴りを着け、
目の前で小首を傾げる子供が、どこか訪問先を間違っているというささやかな希望を消した。

「あの・・・佐倉様のお宅はこちらで合っていますよね」
「・・・」
無口を装ったために、沈黙を破って問いかける声が少し心もとない。
だがそれは、貴幸本人を怖がると言うよりも、
出掛ける先を誤って、それに気づかずに堂々と挨拶してしまったのかもしれないという心配の仕方だった。
「お返事がないので不安になってしまいました。どうなんでしょう?」
「ああ、ここで合っているよ」
まさか意地悪で「違う」とも言えず、静かに頷く。
「良かった・・・!」
ホッと安堵の表情を浮かべ、少女はもう一度きちんと住所の確認をし出したが、
貴幸が今のマンションに引っ越してきてからまだ一月と経たない。

適当に、以前の住人が大して珍しくもない同姓を持つ人物ということにして、
人違いだと告げて一階にあるエントランス脇の管理人室を教えてやればいいのに、
理想は現実を裏切る。
親族との間に嬉しくもない暗黙の了解がある限り、そんな風に安易な方へ逃げるわけにもいかず、
貴幸はパフォーマンスの意味も込めると、今度こそ大仰にため息をついた。
 
 
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