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クリエイター名 |
相原ベル |
サンプル
『姫籠』
気付いたら、また来ていた。 11番地の姫の屋敷に……。
11番地に姫が居る。 そんな噂を耳にするようになったのは、僕が10歳になったばかりの頃のことだった。 よくある噂話……そう思って、噂が出回り始めた頃にはそんな話など気にも留めていなかった。 実際、その手の話はそれ以外にも頻繁に上がっていたし、 姫なんていう時代錯誤な話のネタにも興味を引かれることは無かった。
けれど、その話はそれから1年、2年と年を経ても一向に収まることなく、 むしろ年々、その内容が具体化して行っていた。 こんな話に夢中になるなんて、皆どうかしている。 そう思っていたはずなのに、僕も……どうやら可笑しくなってしまったらしい。
あの日、初めて此処へ来た次の日は教室で質問攻めに遭った。 「ねぇねぇ、昨日あそこに行ったんでしょう?」 「姫は本当に居た?」 結局のところ、皆噂話として散々持て囃していたというのに、 実際にそこへ足を運んだのは、どうやら僕一人だけであったようだった。 結局は口裂け女やメリーさんなんかと同じ、 都市伝説の一つくらいにしか捉えられていなかったのだろう。 教室中が、僕に好奇の視線を注いでいた。 「別に、何もなかったよ。嘘なんじゃないかな、あの噂」 自分でも驚く程に素っ気なく、そして驚く程に当然に嘘を吐いていた。 そんな経験は勿論、その時が初めてだった。 しまった、もっとそれらしい話を用意しておくべきだった。 言ってから一気に、後悔の念が押し寄せた。 これじゃ嘘だっていうのが何よりも嘘臭い。
「なんだァ、そっか。そうだよね、今時姫なんかいる訳ないじゃん」 「そうだそうだ、それより昨日発売のゲームが」
けれど僕の予想に反して、勢い任せの僕の嘘は、 あっさりとクラスの皆に受け入れられた。 そんなものか。 僕は、皆の飽きっぽさと俗っぽさに呆れながらも、心の底では深く安堵していた。 これで、皆の興味もあの場所から逸れるだろう。 その内また、新しくて面白おかしい話題が皆の上へ降り懸かって、 11番地の姫のことなど、きっとすぐに忘れてしまう。 それでいい、あの場所の真実を知るのは僕一人で充分だと、 その時の僕は何故か強くそう思っていた。
時刻は夕方5時。 前にここを訪れた時と全く同じ時間だった。 屋敷の前にはやはり人気はなく、この辺で動いているものと言えば 僕以外には街路樹から零れ落ちた数枚の枯れ葉くらいのものだった。 やっぱりここはおかしい。
どこか、俗世界から切り離されているような寂れた空気が辺りを漂っている。 部外者を寄せ付けないような、張り詰めた空気が此処にはある。 実のところ、僕も今直ぐにでも逃げ出したいような得体の知れない焦燥感に襲われていた。 皆が噂をしながらも、実際には近付こうとしない理由が今、 なんとなく分かったような気がする。 けれど今の僕は、そんな恐怖心にも勝る好奇心と探求心に駆り立てられていた。
シェーンという少年のこと、一目しか見たことのない彼のことを もっと深く知りたいと、そんな欲求に今の僕は満たされている。 何にしてもあのままお終いにしてしまうのは嫌だった。 けれど、彼はもう僕のことなんか覚えていないかも知れない。 言葉を交わせたことが、奇跡なのだから。 でも……。
そんなことをウジウジ考えていたって堂々巡りを繰り返すばかりだ。 そういうのは、僕の性に合わない。 ――ガシャンッ
僕は自分の考えを振り払うように、背の高い真鍮の鉄柵を乱暴に掴んだ。 門には、当然重々しい錠前が掛けられている。
「誰だ?」 けれど、その音のお陰で先日同様に庭で佇んでいた彼の気を引くことが出来た。 「シェー……ン?」 けれど、姿を現せた彼は、僕の記憶の中の彼と大きく異なっていた。 薄紅色の裾の広がった光沢のあるワンピースドレス。 パフスリーブになった袖口は肘のかなり上の辺りで切られている。 この季節にしては妙に寒々しい格好だった。 背の高い芝生に埋もれた足には 深紅のエナメルのストラップシューズが填められているらしい。 はっきりとそれが分かったのは後になってからのことだったけれど、 萌葱色の間に2箇所だけ、深い紅色が差している。 何にしてもそれは、酷く不自然な風景だった。 けれど、それは僕の心を酷く魅き付ける美しい光景でもあった。 「タミヤ……ケイタ?」
僕が声を上げてから数秒の間を置いて、ゆっくりと振り返ったシェーンは、 口の内で噛み締めるように…… 数日前に知ったばかりの僕の名前を確かめるようにゆっくりと紡いだ。 声が、微かに震えていた。 けれどそれは、僕が突然姿を現したことに起因している訳ではないようだった。 紫の瞳が僅かに濡れて揺れている。 若しかして、泣いていた? それとも、今にも泣き出しそう? 僕はシェーンの表情を測りかねて、 鉄柵を握り締めていた手を力無くズルズルと下ろした。 彼が何故あんな表情をしているのか分からない。 分かったところで、僕が彼にしてあげられることなんて一つもないのかも知れないけれど。
「何故、また来たんだ。こんなところに来ても、 お前達が面白がるようなものは何もない」
シェーンは、数秒前まで保っていた表情を一転させると、 今度は鋭い視線を僕に投げ掛けて来た。 「何を言ってるの?僕はそんなつもりで来たんじゃないよ」 本心だ。 面白がって、何度もこんなところまで来るほど僕だって暇じゃない。 それに誰かを陰で笑うようなことは一番嫌いだ。 「なら、他にどういう理由があれば、此処へ2度も来ることになるんだ?」 「それは……」 けれど、何故と問われれば応えようがなかった。 なら、何故僕はまた、此処へやって来てしまったのだろう。 「やはり、そういうことか」 黙り込む僕に、早合点してしまったシェーンは視線に鋭さを無くし、 今度は傷付いたような悲しげな表情を浮かべて俯いた。 何故? 何でそんな表情をするの?
「違うよ、僕はただ君にもう一度会いたいってそう思っただけだよ。 もう一度君に会って、もっと君のこと知りたいってそう思ったんだ」 それは間違いなく、僕の本心だった。難しいこととか、シェーンの事情とか、 そんなものは一切知らないけれど、 シェーンが困っているのなら僕が助けてあげたいと思った。 それはすごくおこがましい考えなのかも知れない。 けれど、僕は一目彼を見た瞬間から彼に夢中だった。 だから少しでも彼の役に立てればと思う。
さっきの表情、本当に泣いていたのだとすれば、物凄く気になる。 誰に泣かされたの? 何で泣いていたの? 何がそんなに悲しいの?
「そんなおかしな理屈、聞いたことないぞ。お前と俺が話したのはたった一瞬、 ほんの数分だけじゃないか。それも一度切り」 シェーンは、どこかムキになっている様子だった。 あるいは必死に自分の中の別の感情と葛藤しているかのような…。 けれど、ちゃんと僕のことを覚えてくれていた。 「でも、僕は本当に……君のことが気になって仕方ないんだ! シェーン……何故君は、泣いていたの?」
ガシャンッ、ガシャンッ
僕は鉄柵に飛び付き、夢中でそれを揺り動かしていた。 何故君と僕はこんな柵で隔てられなければならないの? 俯いたままのシェーンは僕の言葉にビクンと肩を揺らした。 やっぱり泣いていたんだ。 僕は驚きの表情を顔一面に張り付けたままの彼の顔を見て、そう確信した。 彼は僕がやって来る直前まで自分が泣いていたことを隠し通せると思っていたのだろう。 けれど、やはり誰が見てもシェーンが泣いていたのは明白だ。 シェーンはそうして暫く怪訝そうな表情で僕を見詰めたまま その場に凍り付いてしまった。 僕とシェーンの間に、沈黙を嘲笑うかのように冷たい冬の風が吹いた。
2人して、何を黙りこくっているんだい? 外は寒いよ。早くお家へお入り。
僕には風が、そうして僕達を囃立てているように思えた。 僕はともかく、腕の大部分を外気に晒しているシェーンは、 身体の芯まで冷え切ってしまっているのではないだろうか。
そうして僕がシェーンへ視線を向けると、 シェーンは驚く程近くにまで迫り来ていた。 正しくは門のところまでやって来ていた、というところだけれど シェーンの思わぬ行動に僕は驚き、反射的に鉄柵から両腕を離してしまった。
鉄柵から手を離してしまった身体は、当然、自然の摂理に則って、 地面へと転がり落ちた。 「痛た……」 どうやら腰を強か打ち付けたらしく、立ち上がろうとすると尾?骨辺りに 電流の流れたような痛みが走った。
キィィ 打ち付けた腰を擦っていると、金属が擦れる音と共に、 目の前の門がどんどんと僕の前から遠ざかって行った。 これは、一体……? そう思って顔を上げると、そこには背の高い鉄柵に、 ぶら下がるようにしてしがみついているシェーンの姿があった。 僕達のような子供には少し高い位置にある門の把手を めいいっぱい背伸びして握り締めている。 門は、僕から遠ざかっているのではなく、ゆっくりと左右に開いているのだった。 片側を開けばもう一方も勝手に開く仕組みになっているらしい。 真ん中が細く開け放たれた門から懸命に手を伸ばしたシェーンは、
「早く」 と、短く言って僕を門の内側へと招き入れたのだった。
「普段なら、絶対に開かないんだがな」 庭の片隅の用具入れらしい小屋に身を滑り込ませたシェーンは、 薄暗い室内の端へと腰を下ろすと膝を抱えるような格好で僕に隣りへ座るようにと示した。 「そうなの?」 確かに、門には立派な錠前が付いていた。 けれどどうやら、今日はその錠前が開いていた。 普段なら絶対にそんなことはないらしいのだ。 「そうじゃなければ俺が逃げるだろう」 淡々と紡がれるシェーンの言葉には、どこか引っ掛かるようなものがあった。 「逃げるって……何故?」 此処はシェーンの家であるはずだ。 それなのに、逃げるというのは一体どういう理屈なのだろう? 何か事情があるのだろうか?この、格好も。 「俺は此処では、人間として扱われていない。人形、とでも言うべきか。 奴は俺をベッドにでも縛り付けておかなければ、俺が逃げるかもしれないと 思っているらしいが、俺は逃げない。もし、俺が逃げたりなんかしたら……」
シェーンの顔が見る見る青褪めて行く。 やっぱりこんなの尋常じゃない。 これって、若しかしなくても……監禁、って言うんじゃないのか? 此処の主人か、シェーンの実親なのかは分からないけれど、 鍵を掛けて逃げられないようにしているということは、 裏を返せば鍵を掛けておかなければ逃げられてしまうような仕打ちを シェーンにしているんじゃないのか?
「それで、ずっと一人で頑張っていたの?」 寒さか恐怖か、シェーンの肩が小刻みに震えている。 きっと、此処へ僕を招き入れるのだって相当の勇気が必要だったろう。 「…………珪太」 シェーンは今にも泣き出しそうな表情で顔を上げると、 縋るように僕の腕を掴んだ。 きっとこうして、縋る相手も泣く場所も シェーンには与えられていなかったのだろう。 僕は袖口を掴むシェーンの腕を引くと強く抱き締めた。 こんな気持ちになったのは、その時が初めてだった。 僕の胸へ顔を埋めたシェーンは、決して顔を上げようとはしなかったけれど、 胸の辺りに広がる湿った感触が、シェーンが泣いているのだと、 無言のままに告げていた。 いいよ、シェーン。君が泣き止むまで僕はいつまでもこうしているから。
日はいつの間にか落ちて、辺りは静寂と暗闇に包まれていた。 夕飯の時間を破ったのも、今日が初めてだ。 シェーンは泣き疲れて眠ってしまっていたようで、 僕の腕の中で暫く規則正しい呼吸を繰り返していたけれど、 ピクリと小さく肩を揺らして、瞼を擦りながらゆっくりと顔を上げた。
「珪太、何でお前が……?」
シェーンは、直ぐには状況が理解出来なかったらしく何度も瞳を瞬いた後、 腰の辺りに手をやるとウエスト部に巻き付いているリボンに掛かっていた 金色の懐中時計を取り出してカチリ、とそれを開いた。 短針は既に8の所を示していた。 「お前、こんな時間だぞ。……お前には、帰る場所も お前の帰りを待っている家族もいるんだろ?」 「……うん、そうだね。だけど……こんな状態の君を放っては行けないよ」
僕は無意識に、本当に何かに引き寄せられるように、 シェーンの綺麗に手入れされた艶のある黒髪を左手で掻き上げて、 露になった白い額に口付けていた。 シェーン、がこんな格好こそしているものの、男の子であることも、 男の子が男の子相手にこんな感情を抱くのがおかしいということも、 僕自身理解してはいた。 男の子相手は勿論、女の子を引っ括めても、 誰かにこんなことをしたいと思ったのはこの時が初めてだった。 シェーンは、何も言わずに僕を見詰めたまま、スッと一筋の涙を零した。 僕達に、別れの刻が近付いて来ていることを、 僕の拙い口付けから悟ったかのように。
「もし、君がもう二度と此処へ来るなって言っても……」 僕は、自分の首に巻いていた白のマフラーを引き抜くと、 シェーンの肩にそっと掛けた。 「僕はまた、必ず此処へ来るから。それは、約束の証だよ」 こんなもの、何の証にもならないかも知れないけれど……。 「……勝手に、しろ」 それでもシェーンは、大きく頷いてマフラーの端を強く握り締めると その場にスクッと立ち上がり、僕の目の前へと小さな手を差し出した。 僕が、その手を取るとシェーンは小屋を這い出し、 門のある場所まで駆け出した。 直ぐに息を上げて、今にも立ち止まりそうな速さで。 それでもシェーンは走ることを止めようとしなかった。
ストラップシューズの踵の辺りに赤くなっている箇所が時折覗いた。 それでも、シェーンは駆けていた。 この屋敷の庭は、子供には広過ぎる。 門まで、こんなに距離があったなんて。 「早くしないと、あの人が帰って来る。俺はどうなってもいいけど、 お前が危険な目に遭うのは絶対に嫌だ……ッ」
キィィ、 入った時と同じ音を立てて、大袈裟な鉄柵が開き、 僕はそこから這うようにして外に出た。あまり堂々としていると、あの人に見つかってしまうかも知れないと シェーンが言うのだ。 「お前がまた来るって言うなら……」 重い門を引きながら、シェーンは叫ぶように声を上げた。
「俺も、頑張る。諦めない」 僕は、シェーンの言葉に大きく頷いて、暗闇の中でも伝わるように めいいっぱい大きく手を振った。 「約束するよ!きっと……また、会えるから!」 「うん……うんッ……」
約束は、必ず守るから。 僕は胸の内でそう繰り返しながら家路を急いだ。 「ッ……すみません、暗くてよく見えなくて」 大通りと合流する三叉路に出たところで、誰か、身体の大きな人とぶつかった。 鼻の頭を強かに打った僕は赤くなった鼻を擦りながらそう言って顔を上げた。 「前を見て歩かなければ、見落とす物は数多ある、気を付けることだ」 「……はぁ」 白髪の、威厳のあるその初老の男性はまるで呪文のような言葉を吐いて、 僕が来た道へと消えて行った。
キィィ それから暫くして、あの屋敷の方から例の金属が擦れるような音が 聞こえたような気がしたけれど、僕の空耳だったのかも知れない。
end…
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