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クリエイター名  りや
男性三人称・3000字

 それは不意の出来事だった。視界がぐらりと不自然に歪んだかと思うと、肉体と精神の継ぎ目が切り離されたかのように、当たり前に存在しているはずの感覚が消失する。だが所詮は一瞬のものに過ぎない。躓きかけたのを何とか踏み留まって顔をあげるのと同時、前を歩いていた同行者が振り返るのが見え、ラキは舌打ちしたい衝動をなんとか飲み込んだ。
「――どうかしたか?」
 つい先日まで自ら牢に入り、他人との交流を全て拒絶していたとは到底思えない、冴えた瞳と明瞭な発声が真っ直ぐ向けられる感覚にはどうにも慣れそうもない。太陽の光を久しく浴びていなかった肌は人外じみて白く、色素の薄い髪に不規則に散らばる紫色は酷い勘違いをした格好つけのようだが、自主的に引き篭もっていたような人間にそんな手入れをする発想があるはずもなく、ひどく不自然な天然モノである。これで女ならかえって意識することもなく接することが出来たのかもしれないが、生憎と目の前にいる同行者は男だ。それもかなり痩身ではあるものの、ラキより余程上背はあるし、声質も相当低い部類に入る。高校三年にもなって未だに中学生と間違えられるという、心底腹立たしい経験をしているラキからすれば羨ましい限りの容姿だ。本人を前にしなくとも絶対に口にはしたくないことだが。
「別に、何でもねぇよ」
 ぐっと息を詰まらせ、ほんの僅か逡巡して。半ば睨みつけるように同行者の顔を見上げて言うと彼はわざとらしいくらい嘆息してみせた。
「お前って本当に嘘が下手なんだな」
「だ、誰も嘘なんかついてねぇし!」
 動揺しているのが自分でも丸分かりの声で、言ってから後悔しても最早どうしようもない。こちらとは逆に感情のひとつも窺い知れない冷ややかな眼差しは横へ逸らされたが、言葉の鋭さは微塵も変わらなかった。人間にはそれぞれ向き不向きがある、なんて、こんな落ち着いていられる状況でもないのに暢気に思った。
「あいつに何かあったんだろう」
 問いかけるような言葉で確信を持った言い回しをされ、否定する気にもなれなかった。みたいだな、と呟くように小さく返して、少しの間を置いて自分が髪を弄っていることに気付くとラキは浅く息を吐き出した。視界に入るたびに焼きつくような虚像を残す赤は同行者の言うところの“あいつ”と同じなのが嫌で染めたものだったが、今になって思えばそれこそ反抗の証というか、相手を意識していることの証明に他ならないと気付く。失うかもしれない、あるいはじきに失うであろうこの状況でそう思うのはあまりに滑稽だが。
 双子には、特に一卵性双生児には特別な能力があるなどと半ば夢物語のように言われることがある。言葉を介さない意思疎通や同じ箇所に傷がつくなんて経験は、秘匿されながらも魔法が存在するこの世界でも有り得ないはずのことだったが、形容しがたい他の者とは違う因縁がある現実は、当事者であるラキも認めざるを得ない。そもそもラキが彼を――双子の兄を長く嫌い続けているのは生まれる前に様々なものを持っていかれた、そういう意識があるからだ。
 神と悪魔がかつて実在し、魔法と呼べるものが今なお存在するこの世界。多くの人間が正史を知らない中でラキが生まれたのは、真実を知りえ、近親婚を繰り返して力の維持を試み、それにより権力を手にした名家だった。それも余程の例外がない限りは当主として大勢の一族と使用人を抱えていくことになる血筋。だが、後継者として生まれたのは双子だった。兄は歴代の当主すら遠く及ばない膨大な魔力を持ち、弟は一族の中でも見劣りするほど弱く。力の差は歴然だったが、圧倒的な実力と才気に溢れた人物が現れたときに己の立場を危惧し、排除しようとする連中は多分に漏れず存在するもので。幼い頃から自分を貶し兄を褒め称える者と、その逆の人間という両極端な派閥に囲まれて育ったラキは、取り巻きの言うままに兄が平等に分けられるべき能力を持っていったと信じ、彼に敵意を抱いた。罵られようが無視されようが何も変わらずに、優しく接してくることがますます癇に障って彼を遠ざけた。同じようなことを考えていてもあえて逆の行動を取って、自分は自分なのだと言い聞かせて。実際、バラバラになってしまえば他人も同然だ。同じ日に同じ人間から生まれた同じ顔をした存在。それだけ。そう思っていた。――つい先程までは。
「大丈夫なのか」
「誰が? オレが?」
 皮肉っぽく、自嘲も混ぜて聞いてみる。長身のくせに痩せぎすなのは少々アンバランスな印象を与えるが、それ以上に奇妙なのは端正と評してもいい容貌が仮面を付けたようにほとんど変化しないことだろう。たまに変わることがあっても取り替えたのかと思うほど極端だ。彼の経緯を思えばやむを得ないことだと納得はしているが、慣れるかどうかはまた別の問題。家名のせいか自分の性格のせいか定かではないが、友人はそれほど多くないし、特に同世代とは付き合いが苦手と自覚している。普通の人間でもそうなのに相手はイレギュラー中のイレギュラーであるこの男だ。正直にいうとあまり居心地はよくない。早いところ待ち合わせの相手と合流したかった。彼女は彼女で色々な意味で規格外の面倒くさいタイプだが、この何とも言えない空気の緩衝剤にはなる。
「何やっても死なねぇよ、あんな奴……」
 答えを待たずに低く独り言のように零して、いい加減この状況を打開しようと歩き出した。胸騒ぎと表現するにはあまりに物々しい僅かばかりのあの現象が杞憂ではないのならば、夜の帳に沈んだこの世界で人知れず兄は死闘を繰り広げている、ということになる。そもそもこの戦争自体がひと欠片の魔力も持たない大多数の人間には知る由もないものだが、知る少数ですら全体像を把握しきれている者は両の手に余る程度。ラキは加わってまだ日が浅い部類というのもあり経験がないが、チームメンバーに死人が出ることもきっとあるはずで。もしそれが兄だったらと考えてみる。有り得ないと否定してみる。そう思う気持ちに偽りはないのに、胸には少なからず引っ掛かりを覚えた。
 今度は躊躇ひとつせず舌を打つ。自分たち以外存在していないかのような異様な静寂の中でそれはやけに大きく響いたが、ラキは弁解の言葉を何も口にしなかったし、同行者も咎めるでも揶揄するでもなく黙って後ろをついてくる。足取りは機械のように規則的で、身長差を思えばじきに追いつき追い抜かれてもおかしくなかったが彼に空気を読むなんて芸当が出来るのだろうか。
 何もかもが忌々しい。密やかに続く神と悪魔の代行の殺し合いも、権力に腐り落ちた実家も、死ぬまで目の上のたんこぶであり続けるであろう兄も、扱いづらい同行者も仲間も全てが。何より、いっそ消えてしまいたいと願いながらも捨て切れない自分が大嫌いだ。
 歩行が原因ではない、切れそうになる息を整えようと試みつつラキは歩いていく。少しでも足りないものを補おうと癖にしている魔力の収束も、元々ムラがあるのがより酷く、全く以て形を成さなかった。
(これじゃ、死ぬのは兄貴じゃなくてオレか)
 こんな世界でも死ねばそれで終わりなのは理解しているつもりだ。だがそれすらも、ふわふわと現実感がない。無意識に握っていた拳を解き目の前にあげれば、食い込んだ爪の痕が鎖のように並んでいるのが見えて、それでも血が滲んでいないことに安堵した。
 
 
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