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クリエイター名  りや
女性三人称・4000字

 今日も空は清々しいほどの快晴だ。その下に広がる一面の海も深く美しい蒼を湛えていて、この船に乗ってひと月ふた月と過ぎ去ってもずっと飽きない光景のような気がする。幸いにも船酔いには縁のない体質なので、用事がない間はいつでも眺めていたいくらいなのだが。
 一階ぶん高く造られた場所から手すりを掴み、軽く身を乗り出しつつ下に目を向ける。こだわりがないので仕事をするのには邪魔だろうと、切ろうとして止められた長髪が潮風に軽く揺られた。現実的にはそんな嬉しいものでもないと知ったその感触も、わざわざ忌み嫌うものでもあるまい。帰る目処もつかない現状、適度に諦めなければ生きるのも窮屈で仕方ないというものである。
 そんなことをつらつらと思う新人のマナは顔にまとわりつく黒髪を何とか手で宥めすかし、気持ちのいい空気に浸ることを許してくれない光景を姿勢悪くぼんやりと見下ろす。
 金属同士が擦れ合う、少し耳障りな音を立てているのは元いた世界ではお目にかかる機会のなかった本物の刀剣だ。最初こそ動揺して奇声をあげた恥ずかしい思い出があるが、今となっては見慣れてしまった、一応は訓練というていで行なわれている戦いのようなもの。しかし、マナは知っている。それは何となく格好のつく名称というだけであり、実体はくだらない口論から発展した喧嘩だったり、食事の余りを賭けた不毛な勝負だったり、単に能力を競い合うものだったり。要するに、基本的には平和で何も起こらない海上生活の暇潰しだ。限度を超えなければ金銭を賭けることもルールとして認められている。マナには何かとそうしたがる彼らの気持ちはさっぱり理解出来ないのだが、それは自分が女だからか全く以て遠い環境――異世界から来た人間だからか。当人にはどうにも判然としない。
 対峙しているのは二人の男だ。一人は申し訳ないことに未だ名前が不明だが、体格がいいという言葉をこれ以上なく再現していて、相対するもう一人も決して小柄ではないのだがそう錯覚しかねないほどの差が開いているように見える。マナから見てちょうど顔が見える位置にいる青年の名前は多分もう忘れようもない。ラリエ、と呼ばれる彼は短く切り揃えた赤髪を揺らし、荷物は少ないが見物人がちらほらいる狭いステージを縦横無尽に駆けつつ、体格差を上手く活かしているようだ。船員の平均を取ってまだ細いほうというだけであって、腕の筋肉などはプロ選手のそれにかなり近く、マナには一振りすらも大変な剣を身体の一部かのように操っているが、目を惹くのは動きよりその表情だろう。
(ホント、活き活きしちゃって)
 胸中で半ば呆れ混じりに呟く。だって、まるで悪ふざけをしている子供のようなのだ。年下だろうなと思っていたら年上で、今でもあまり実感はわかない。さすがに実戦の時にあんな顔つきをしていたら人格を疑って距離を置きたくなるがそんなことはないし、赤ん坊の頃から乗船していたという話は伊達ではなく、仕事のキャリアは一回り以上年上の乗員より長かったりして頼りになるのだが。マナは忘れない。空から、といって想像するほど高くはないが降ってきたときに彼にキャッチされて、無言でいきなり胸を掴まれたことを。幻かと疑った末の行動とは思えないとマナは思う。男所帯で免疫がないといっても、それはない。
 じゃれ合いのようなものだとはいっても事故が起こったらどうするのか。と、そう心配する気持ちもなくはないのだが、言ってどうにかなる話でもない。しかしテンションが上がっている見物人と同じように盛り上がれなくて。ラリエが相手の服を浅く斬ってしまって、船長に怒られるなどと散々に野次を受けているのを眺めるのにも飽き、何かしようかなと考えながら振り返るとちょうど目の前の扉を開ける人物がいた。
「ここにいたのね、マナ」
「ごめん、何か用事だった?」
「そういうわけじゃないのよ。暇だったら話したいなって思っただけ」
 そう言って微笑むのはこの船のサブリーダー的存在であるループだ。基本は穏やかで優しい人物だが、そこはこの血の気の多い男共をまとめる役回りだけあって、締めるところはきっちり締めてくる。マナと同じ長さの蒼い髪をうなじの辺りで結わえていたり、少し心配になるほどの痩身を見るとあまりピンと来ないところだが。マナにとって頼りになる数少ない相手だ。空色の瞳は宝石さながらに美しく、見ていてもずっと飽きないくらい。
「ラリエはいつもあの調子ね」
「ホントもう。ガキっていうか野生児っていうか」
 隣に並んだループに合わせてマナも視線を甲板側に戻し、まだ決着がついていないらしいのを眺める。
「でも嫌いじゃないんでしょ?」
「……ま、まあ、そりゃあ、ね」
 絶対この人は自分の綺麗さを分かっている、と思う。慣れた仕草でウインクして言われると否定したい気力が削がれてしまって、代わりに「嫌いではないわよ、嫌いでは」と「では」の部分を強調して続ける。少し緊張しているのはこんな綺麗な顔を向けられることに慣れていないせいだ。顔を背けて咳払いをしていると上品に笑う声が聞こえたが、この際何も考えない。
「私のことはいいのよ! 大体あんなおこちゃま、向こうから頼まれたってお断りだし」
「……いいヤツだって思うけどね、ワタシは」
「何その意味深な言い方」
 その言葉を耳にして思うところはなくもなかったのだが、色々と思い直すことがあってマナは次ごうとした言葉を引っ込めた。顔を突き合わせて話しているとつい忘れそうになる。代わりに、このまま引っ張られることを避けようと話の矛先をループへ向ける。
「そんなことよりっ、あなたはやらないの? ああいうの」
 言って、顎の先で何か起きたのか先程よりも騒々しくなった連中を示す。
「ワタシ? ああいう感じでやったことは一回もないわね」
 それはすごくイメージどおりだ。まず格好からして荒事に向いていない。しかし顎に手を添え考え込むような仕草をしたあと、ふっと微笑んだその表情は先程とは若干違っていた。
「でもワタシも男だからああいうのは嫌いじゃないし、機会があればやってみたいかも」
 女神のように綺麗な微笑に不敵なものが混じる。顔立ちも衣装も喋り方もまるで違和感がないが、ループもこの汗臭い環境に長く居着いた男性である。そう返されることもマナは何となく予感していた。
 この面子の中だと親しい部類に入るとはいってもまだ深い部分まで理解し合えるほどの付き合いはなく、詳細までは知らないのだが、この仕事をしていれば嫌でも耳に入るレベルの商家の生まれで、格好から立ち振る舞いまで良家の子女のようなのは物心つく前から女性として育てられたかららしい。それがどういう経緯でこの船に来たのかは不明だが、船長が一枚も二枚も噛んでいるらしいとは聞いた。
 ちなみに不躾にもその姿を凝視すれば、ループが男性であることは一応、察せられなくもない。細身でも骨格は成人男性のそれなので相当緩めの服でも着ない限り誤魔化せないし、顔つきにも男性らしい部分が見て取れる、場合もある。マナは初対面の際、背が高いとは思ったがあまり気にしなかったし、体型についても力仕事を一緒にやっているから筋肉がついているんだろうとすんなり自己完結した。見た目以上の腕力はあるらしいので間違っていないのかもしれない。
「マナは、そういう男はイヤ?」
 どうにも心臓を跳ね上げさせる不敵な表情のまま問いかけられ、ぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「よかった」
 と言って、再び穏やかな微笑を浮かべるループはからかっているのだろうか。うるさくなったのを感じ、甲板での騒動に目を戻した彼の横顔に少し赤みが差しているように見える。
「……止めに行く?」
「……いえ、ワタシが出なくてもいいみたい」
 いつも落ち着いている彼が少し間を取ったことに違和感を覚え、その言葉にますます状況が理解出来ず首を傾げ。扉の奥側からドタドタと騒がしい音が近付いてくるのに気付いてようやく、マナは彼が言いたかったことを把握した。
「お前ら、今何時か分かってんのか、オラ!」
 吹き飛ぶんじゃないかと思うほど派手に扉が開け放たれる。壁とは色が違うあたり、本当にいつかどこかのタイミングで新調したのかもしれないが。爆音に思わず耳を塞いだマナはその言葉に思わず自らの左手首を見たが、腕時計はまるで機能しなくなったので部屋に置いてあることを思い出す。なので正確な時間は分からなかったが、この泣く子も黙る船長が言うからにはいつの間にか、仕事の始まる頃合いになったのだろうと分かる。
「さっさと荷物出し始めな! 遅れて困るのはアタシじゃなくて、陸にあがる時間が少なくなるアンタたちだよ!」
 燃えるような赤い髪を覆い隠すように帽子を被り船長がより大きな声を張りあげる。自身も率先して荷物を運び出すその手が厚い皮に覆われていることをマナは知っていた。銅鑼代わりに両手を叩いて彼女が促せば、ループやラリエを含めて逆らえる者など一人もいない船員たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ――もとい仕事へ戻っていく。単純に頭が上がらないというのもあるが、その台詞は彼らにはかなり堪えるらしい。何せマナが降ってくる以前の紅一点がこの船長である。潤いはもはや陸にしかない、とは熟練の船員の談。どのみちラリエが甥っ子という年齢なので華とは呼べないなどと言った若い船員は海の藻屑になりかけた。
「ループとマナも自分の持ち場に戻っときな」
「はいっ!」
 間延びした返事をしようものなら容赦なく尻を叩かれるので、威勢のいい「はい」が否応なしに身についた。なんなら背筋まで真っ直ぐに伸びる。
「運び屋ヴェーレ一味、寄港に向けて準備開始!」
 低めながらよく通る声に、男共の野太い返事が響き渡る。そのなかには一人の少女と青年と中性的な男性のものとが混じっていた。
 
 
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