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クリエイター名  青谷圭
愛しき故に

   「愛しき故に」

 目の前の光景が、信じられなかった。
 だけど手の平の感触が現実なのだと訴えてくる。
 ……どうして、こんなことになってしまったんだろう。


「やぁ、セシル。おつかいかい?」
 ロイドは、明るく人懐っこい好青年だった。
 背が高く短い金髪で、愛嬌のある顔立ちは近所の女性たちにも人気があった。
「……そうです」
 だがセシルは、無愛想にうつむいたまま横を通り過ぎていく。
「何を買うの? なんならオレも手伝おうか?」
しかしロイドは振り返り、更に声をかける。
「結構です!」
「……そうか」
 にべもなく答えると、足音は不意に途絶え、沈んだ声が背後に響く。
 セシルはハッとして、思わず後ろを振り返った。
 すると、ロイドはにっこりと微笑みを返す。
「わかった。じゃあ、頑張ってね」
 ヒラヒラと振られる手に、セシルはカーッと頬が熱くなるのを感じた。
 ぐるりと背を向け、逃げるように足早に立ち去った。
 ――また、からかわれたんだわ。
 何であの人は、私にかまうのかしら。 無愛想な私のことなんて放っておけばいいのに。
 ……どうして私は、あの人に優しくすることも、冷たくすることもできないの?


「……ほんっと可愛いなぁ」
 長い髪をなびかせ、去っていく華奢な少女の背を見送りながら、ロイドはしみじみとつぶやいた。
「そんなこと言うのはお前だけだよ」
 呆れた様子で茶々を入れるのは、幼馴染のダイクだ。
「なんで。だって、可愛いだろ」
「見た目はね。……この町に来た当初は男連中こぞって声かけてたみたいだけど……」
「そのせいでオレまで信用されなくなっちゃったんだぞ! お前らみんな下心丸出しだから!」
 ダイクの言葉に、手を打って声を張り上げるロイド。
「さっきの自分の姿を見てからものを言うんだな」
「オ、オレは別に、下心なんて……」
 強くは出られず、言い淀む。
 ――確かに、はたから見たら同じなのかもしれないけど。
 それでも、見た目だけで興味を示す他の連中と一緒にして欲しくはなかった。
「でもさ、今でも彼女に声かけるヤツなんて、お前くらいのもんだよ」
 考え込んでいたロイドは、怪訝な表情で顔をあげる。
 ダイクは少しだけバツの悪そうな顔をして。
「……だって、アレだろ。セシルって孤児院育ちで、聞いた話じゃそこの神父に……」
 ガッ。
 言いかけるダイクの襟首をつかみ、ロイドは怒りの形相で睨みつけた。
「ろ、ロイド、苦し……悪かったよ! 冗談だ、言いすぎた!」
 友人の変わりように、ダイクは慌てて弁解する。
「……二度と言うなよ」
 ロイドは低い声でつぶやき、不機嫌な様子でその手を放す。
「わかんねぇなぁ。何でそれを知ってて、セシルなんだ?」
 襟首を直しながらも、ダイクは口を尖らせ疑問を投げかける。
「……彼女は、自分のせいでもないのにつらい目にあってきただろ」
「同情か?」
 ため息まじりに聞き返す声。
「違う! ……なのに、彼女は自分の不幸を嘆いたり、世の中を憎んだりはしないんだ。周りの人間を警戒したり、怯えたりはしてるけど……敵意があるわけじゃない。……本当は、すごく優しいコなんだよ」
 以前……子供が怪我しているのを見て、普段からじゃ有り得ないほどの大声をあげ、半泣きになって助けを求めていた。だけど出血のわりに軽傷だと知って、ホッとしたように微笑んだ。
 ……あの笑顔を、また見たいと思った。
 彼女を怯えさせるものを、全てなくしてしまいたいと。
 

「ロイドが? まさか。あれは結構な商家の息子だろう。セシルなんかに本気になるとは」
「そうなんですよ、それがねぇ。近所じゃ有名だし、ダイクもそうだというもんだから本人に確かめてみたんですけどね。別に嫁にもらおうって気はないらしくて。ほら、セシルも色々と噂が広まってますから……興味本位なんでしょうねぇ。恥ずかしい話ですよ」
 引き取ってくれた養父母の会話を、セシルは扉越しに身じろぎ一つせず耳にしていた。
 ああ、そうか……あのことが、噂になっていたからなんだ。
 同情? 興味本位? それとも……。  
 最後の考えは、一番恐ろしいものだった。
 ――アイツト同ジデ、獲物トシテ狙ッテイル?
 傷ついた動物を、捕食者が餌食にしようとするように。
 いいえ、人は更に狡猾だから。
 きっと優しくして、安心させて、背後から牙を剥くつもりなのだ。
 ……させない。そんなことはさせない。
 もうあんな思いは嫌だ。私は、私を護らなくちゃいけない。
 誰も護ってなんてくれない。信じちゃいけない。
 もう、誰も……。


「やぁ、セシル。今日はどこにお出かけだい? オレも一緒に行ってもいいかな?」
 いつもの調子で、明るく声をかけるロイド。
「……ロイド」
 だがセシルが足を止め、返した言葉に拍子抜けする。
「い、今オレの名前呼んだ? すげぇ、セシルがオレの名前呼んだよ! しかも足を止めて! とうとうオレの思いが通じたかー!」
 子供にようにはしゃぎ、騒ぎ立て、それからもう一度セシルに向き直る。
「って、思いたいとこだけど。どうしたの? なんかいいことでもあった?」
「……」
「あ、いや。そうだよな、意味なんてなくてもいいや。気まぐれでもいいんだ。こうして話ができるだけで、オレは嬉しいから」
 戸惑いを見せるセシルに、ロイドは懸命に会話を続けようと努力する。
「……話す人なら、私以外にも沢山いるでしょ」
「そうじゃなくて! オレはセシルと話したいん……」
 言いかけて、ロイドはハッと口をつぐむ。
 下手に気持ちを吐露すれば、信頼を得るどころかまた警戒されるかもしれない。せっかく話してくれるようになったのだから、それだけは避けたかった。
「セシルとも、話したいんだよ。君がどんな人で、どんな考え方をするのか、まるで知らないからね」
「……そう。じゃあ、ついてきて」
「え?」
「するんでしょ、お話」
 あまりにも唐突な変化に、ロイドは戸惑いを覚えた。
 いつもの彼女なら、関わることを避けてとっくに逃げているはずなのに。
 奇妙に思いながらも、ロイドは彼女の後に続いた。


 セシルが連れてきたのは、薄暗い納屋の中だった。
「……セシル? どうしてこんなところに? 怪談でもする気かい?」
 わけもわからず、辺りを見渡すロイド。
「……神父様がね」
 突如口にされた言葉に、ぎょっとする。
 それは、セシルにとって禁句のはずだった。
「神父様が、言ったの。悪いコにはおしおきが必要だって。納屋に連れてきて……セシルは悪いコだから、おしおきしなくちゃいけないって……」
「……セシル!」
 背を向けたまま、自分を守るように両肩をつかむその姿は、あまりにも痛々しいものだった。
「セシル、やめろ。いいんだ。そんなこと、言わなくてもいい。思い出さなくてもいいんだよ」
「……やっぱり、知っていたのね」
 うつむいたまま、つぶやく声はかすれていた。
 自嘲めいたその言葉が、深く胸に刺さる。
 あまりに脆く、儚くて……今にも消えてしまいそうに思えたから。
 ロイドは、セシルを抱きしめた。
 安心させてやりたかった。彼女を、護ってあげたいと。
「大丈夫だよ。もう、大丈夫だ。ここには怖いものなんて何もない。オレが、そんなものは排除してやるから……」
 どすっ。
 わき腹に、鈍い痛みがあった。
 肉を裂いたものが引き抜かれ、床に赤いものが飛び散る。
「……な、何で……」
 血に染まったナイフを手にしたセシルの表情は、あまりにもうつろだった。その瞳には何も映ってはいない。
「やっぱり……やっぱり、同じ。アイツと同じ。安心しろっていったのに。お父さんになってくれるって。そうやって、私を騙して。食い物にしようとしているんだ!」
「違う! オレはそんな……そんなんじゃない。ただ……」
「触らないで!」
 弁解のため、差し出した手がナイフで切りつけられる。
「……わかった。触らない。もう、触ったりしない。君が怯えるようなことはしないよ。絶対に……だから、怖がらないでくれ」
 ロイドはできるだけ優しく、穏やかな口調で言った。
 わき腹と手の痛みの中、微笑むことはたやすくはなかったけれど。
 それでも、彼女を怯えさせないよう精一杯の笑みを浮かべた。
「嘘だ! 嘘、嘘。嘘ばっかり! 私が世間知らずだから! 私がバカだから、私が他の人となじめないから、誰からも好かれていないから! 簡単に騙せると思ってるんでしょう!? だから私なんかに近づいてきたんでしょう!?」
 セシルは言葉と共にナイフを振り上げ、何度もロイドに振り下ろした。
 その度に血が飛び散り、うめき声があがる。
「……だ、騙したりなんか……しない。傷つけたりなんか、するもんか。信じてくれ。オレはただ、君に……」
「ああぁあぁぁあ……っ!!」
 ザシュッ。
 幾度も腕や背中を切りつけていたナイフが、ついに首筋を切りつけ、勢いよく血があふれ出す。
「……笑って……欲しかっただけなんだ。セシル……護れなくて、怯えさせてばかりで、ごめん……」
 力尽き、床に倒れこむロイドと共に、カランとナイフが床に落ちる。
 セシルの頬を、涙が伝った。
 ……怖かった。憎悪よりも嫌悪よりも、ただ強い恐怖だけがあった。
 愛情を得られるはずの両親に捨てられ、救ってくれたはずの神父からは無残な仕打ちを受けた。
 信じてまた、裏切られるのはつらすぎた。
 自分よりも大きな身体が、強い力が、低い声が。
 自分とは違う……男であるということが、怖くて仕方なかった。
 ――だけど、何よりも怖かったのは。  
 どれだけ冷たくしても声をかけることをやめず……だけど決して強引ではなくて。
 私を呼ぶ声。明るくて優しい笑顔。
 本当は、嬉しかった。だけど、どうしていいのかわからなかった。
 彼は男で、恐怖の対象になるはずで。
 なのに、声が聴きたくて。その手に触れて欲しいと思う自分がいた。彼を信じたい、傍にいたいと願う自分が。 
 彼がもし捕食者なら、自ら口の中に飛び込んでいく獲物ほど滑稽なものはないのに!
 どれだけ否定しても、いつの間にか膨らんで、心を支配していく気持ち。抑えきれない想い。
 ……その感情の呼び名を、私は知らなかった。
 ただ、怖くて。……怖くって……。
 
 
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