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クリエイター名  川上みなほ
サンプル


   位相


 夜の月に重なるように存在している丘の上の学校の屋上。
 二人の学生が向かい合う。
 一方は見下し、他方は見上げるように。
 九凪(くなぎ)は夜風に髪が乱されるのを感じながらも、給水塔の上を見上げ続ける。月に重なる影への視線を逸らさないために。
 風は強く、影の言葉が九凪の耳に途切れ途切れに届く。
「九凪ぃ、遅かったじゃん」歌うような声。
「ちょっとね、ごめ」
 九凪はパーカーの袖を握り寒さに肩を震わせていたが、学校指定の学生服を纏った彼はいつもと変わらない余裕さに満ち、見下すように腰掛けていた。片膝に同じ側の肘を付き、そこから伸びる腕が支える掌に彼自身の細い顎が乗せている格好で、彼は笑う。
 珍しい銀色の髪の毛が靡いて、九凪は綺麗だと思った。
「ちょっと? 嘘つくなよ」
「大分だったかな」九凪は肩を持ち上げておどけて見せたが、「問題はそこじゃないよ」一方で彼は一転して表情を失くした。九凪は浮かびかけた笑みを無理矢理押し込める。
 彼を怒らせるのは得策ではないからだ。
 けれど彼はすぐに興味を失ったように、「まぁいいや」と九凪から視線を逸らした。彼の視線の先には手摺に向こうがよく見えた。暗く広がる校庭。
「ねぇ、君今いくつだっけ?」九凪に横顔を向けたまま彼。
「十八になったかな。この前」逸らさないまま九凪。
「ふぅん。それじゃあさぁ」彼はそこで区切り、九凪を見て、「君が殺した人はいくつだった?」笑った。
 九凪の動きが消えた。
 震えていた肩さえも。
 代わりにだろうか、九凪の唇がわなわなと震った。
「十二だった」
「当たり」
 誰にも見えないところで彼は口の端を大きく上げて笑った。自分で作った謎かけが誰にも解けなかった時のような、得意げな顔だった。
「生きていたら、今日で十七になっていたことは知ってた?」
 九凪は何も言えない。
 彼は給水等の上から、上半身を乗り出すように九凪の顔を覗き込もうとする。
「その人の名前は覚えている?」
「か……狩……馬、……む」
「ストーップ」彼は給水等の上から飛び降りた。
 高さ3メートルほどのそれを、何の苦も無く彼は着地。
 寒さだけのせいではないほど、ひどく肩を震わせている九凪に彼は一歩一歩踏みしめるように悠然と近付く。両腕を軽く広げて、九凪を受け入れようとするかのように。
 けれど九凪はその仕種に怯えた。触れようとする彼の手を振り払い、柵の手前まで走った。柵を掴み、その先の闇を見る。これ以上逃げようもないことを知ると、柵を後ろ手に彼を見る。
 居直ったような、ほの暗い眼で。

「狩馬、向伸」

 彼は高らかに笑った。
 勢いよく踏み込めば秒数以下で近づける距離まで歩いて。
「ストップって言ったのにぃ」
 彼は九凪を見た。風にふためく九凪の髪の間からは、臆病な自分を隠す苛烈な視線。彼は面白くて口を吊り上げる。開き直った図太さが可笑しくて。けれど九凪を見る眼だけは笑わない。
 手摺を掴む九凪の手に力が入ったとき、瞼が閉じた束の間の闇の間、彼は九凪の喉元を押さえ込む。理解の追いつかない九凪の上半身が暗く広がる闇にさらされた。
 息のよく通らない喉から、九凪の声が漏れるように響く。
「……あ、いつは、自分から……死んだ、避けられたはずなのに……笑ったんだ……それで」
 九凪の眼には月がよく見えるはずだ。
 煌々と照るそれを見て、何を思い出しているのか。
「それで、目を開けたときにはもう、血まみれの……」
 銀に光る月の光は、彼の顔さえもぼやかしている。
 それに溶ける銀の髪。あいつと同じ吊りあがった口の端。
「そうだ」
 掴む手が、こんなに寒いのに汗ばんで滑りそう。
 足が、ほんの些細なきっかけでコンクリートと離れそう。
「死んだんだよ、向伸は」
 九凪は手摺から手を離す。自分の首もとの彼の手を掴む。
 この状況で、九凪は放心したように彼の眼を見る。
 細められた彼の眼は、振りほどけない手の力に対し、自愛に満ちていて脊髄に針金を通されたような怖気が走った。不安に掻き立てられる。
「向伸?」
 九凪の手が彼の頬に触れようと伸びたが、彼は力を込めて柵を軸に九凪の体を持ち上げた。ほんの数ミリ動かしてしまえば、九凪の体は闇に攫われ消えてしまう。
「九凪ぃ、さよならの時間だ」
 二ミリ。
「……嫌だ」
 九凪の顔が歪む。
 眼は見開き、眉間に皺が寄り、唇が震う。
 彼は九凪の耳元に口を近づけて囁く。
「バイバイ九凪ぃ、楽しかったよ」
 四ミリ、たったそれだけで可動する九凪は、両手を広げた闇に飛び込もうと宙を舞う。
 遠ざかっていく月に重なった彼。
 月があまりにも眩しくて、彼の表情は見えない。
 それでも、月の光に透けて見える銀の髪だけが、九凪の口元を緩ませた。
 
 
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