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クリエイター名 |
ageha. |
サンプル
長文サンプル(ノベル) title:『IMPRINTING』
++++++++++ 涙が熱いのは、感情に温められるからだろうか。
何を隠そう、この世に生を受け1日目の朝。
今から18年前。
産婦人科の隣のベッドの君に、僕は恋をした。 今思えば君がたまたま女でよかった。 2分の1の確率でえらいことになっていたかもしれない。
君は驚くかもしれないが、否、到底信じてもらえないだろうが、 たまたま他人より良い脳みそを持って生まれた僕が初めて意識をもって見たもの。
それは健やかな君の寝顔だった。
部屋が暗かったので夜だったのだろうか。
慣れない酸素、胎内のそれとは違う病院のベッドの寝心地。
『なんだここ。』
僕は混乱した。 しかしそれを表現する「言葉」を知らない僕は、 もう片方で寝てる奴の真似をして泣いてみた。
すると僕に触発され、 眠りを虐げられたもう片方の隣で寝る君は僕よりも大きな声で泣いた。 ベビーベッドの格子の隙間から、 部屋中を突き抜けるような泣き声に誘導されるように、 僕は手を伸ばしてみる。
届かなくて寝返りを打った。 ちょっとだけまた近づいた。
君は泣きながら僕の指を発見し、 必死に手を伸ばして、やっと僕の人差し指と中指を握った。 しばらくすると、君はぎゅっと指を握ったまま泣き止んで、そのまままた眠りについた。
2本の指から伝わってくる、 初めて感じる他人の体温に不思議な安心感を知り、 そして強烈な眠気に襲われた。
眠ってしまう前に、必死に首を反らして、君の名前を探した。 おなかの中で、ずっと「ユウ」と呼ばれ続け、それが自分の固有名称だと知っていた。
この子にも『それ』があるはずだ。
あった。
文字を知らなかったので、形だけ覚えた。
『おおき あい』
その5文字を頭に叩き込んで、再び深い眠りへと誘われていった。
それが僕の、出生1日目。
*** 1歳で話し出し、2歳で文字を知った。 君の名前は、ア行が多くて助かった。
そして3歳で、この気持ちに名前があることを理解した。
ところで僕は今年で18になるのだが、 運がいいことに愛とは幼稚園で再会して以来腐れ縁だ。
ただし愛は当然僕の気持ちなど知らない。 僕は近所にはちょっと頭の良い子という風に通っていたが、 愛だけは僕の異常な脳細胞のことを知っていた。
というのは、再会したときについ「おおきあい!!」と叫んでしまったのだ。
「なんであたしのことしってるの」 「どこであったの」
青二才、いや、青三才の僕はその後の愛の質問攻めに負けた。
色々とよく覚えていて根に持つ青18才の今は、 悔しいので時々「お前の寝顔は北京原人だった」やら 「羊の代わりにお前の鼻の毛穴を数えて寝た」だの言ってよく怒らせている。
「勇生。あんたの脳細胞はダイヤモンドかもしれないけど、 一般人なめんじゃないわよいつか痛い目見せてやる」
と、愛はあの健やかな寝顔も記憶の彼方に飛んでいくほど強烈な言葉をよく浴びせてくる。
が、つい先日、残念なことに痛い目はもう見てしまった。
部活帰りに見た愛のまごうことなき後姿と、 見たこともない男の背中。
同じ傘に入り、楽しげに話すその姿。
あっけなく僕の中の均衡は、それで崩れた。
生まれてこの方。
この気持ちをどうにかしようなどと考えたことはなかった。
告白などしようとも思わなかったし、もしするべき時が来て、 もしだめであっても人生長いんだからまた別の恋を見つければいいやと思った。 読んできたマンガや小説では、主人公は失敗しても必ず次に幸福は来たのだ。
だけど。人生はマンガや小説ではあり得なかった。 僕としたことが、そんなことは気にもしなかった。
昨日。やっと気付いたのだ。
僕は「刷り込み」されていたのだということに。
あまり18年苦労してこなかった僕の心に、初めて焦りと不安を感じた。 小さい頃から人より多く情報量を受け取れたため、 問題にぶつかってもさまざまな解決方が浮かんだ。
でも今回ばかりはそうはいかなかった。 初めて考えた。
僕が、これから他に目を向けられるのか?
『あいつ以外の女が今まで目に入らなかった』この僕が?
僕の脳みそが、あの寝顔を、あの笑顔を、 あの憎憎しげな暴言さえも忘れられるというのか? 無理な話だ。 僕はこの脳細胞ゆえに、初めて見た「君」にインプリンティングされていたのだ。 君が僕の指を握ったあの瞬間、僕は脳細胞に、愛に恋するよう命令されたのだ。 あぁ。しまった。
将来あいつが結婚をして、子供を産んで。 幸せな生活を築いていってるその間にも、
僕はやっと知ったこの痛みを胸に生きていくに違いない。
脳内に、間抜けな顔で愛についていくヒヨコな俺を思い浮かべてみた。 自分で言うのもなんだがそのヒヨコ、
健気で一途で馬鹿だった。
しまった。もう遅い。受験勉強さえ手につかない。 自慢のダイヤモンドの脳細胞は、今は英単語1つ飲み込んでくれない。 自分の部屋の、数学2B参考書を枕に、机に突っ伏した。 18年ぶりの涙に、cosθが滲んでいく。
しかし久しぶりに声をあげて泣こうかというその時、がらりと僕の部屋の戸が開いた。
顔をあげると、それは母親でも妹でもない女性、 あまりにも驚きすぎて一瞬、それが愛だと気づかなかった。
「うわスゴイ顔」 その声が発せられた瞬間、 ヒヨコも受験勉強も覚えられない英単語のことも数学2Bもcosθも全部頭から吹き飛んだ。 びっくりしすぎて椅子を倒しかけた。
「あ、愛!」
愛はその毛染め液知らずのセミロングをかきあげ、 とんかつののった皿を2B参考書の上に置いた。
今度は油でtanθが滲んだ。
状況が飲み込めない僕に容赦なく愛が口を開く。
「……もしかしたら、って思ったの」
いつもは機関銃のように暴言が出るその口から、
予想外に普段より少しゆっくりとした速さで声が零れ落ちる。
「な……」 「昨日あんたあたしを見たでしょ」 なんで知ってんだ。 「あれ彼氏じゃないわよ」 なにが言いたい。 「あんたあたしがそれほどまでに鈍いとでも思ってたの」 ていうかなんでここに居んだ。
「おばさんがね、あんたが晩ごはん食べないからなんとかしてくれって言ってきたのよ。 あんた自分の母親にもばれてんじゃないのもしかして本当は馬鹿なの?」
もしかしなくてもバレてんのか?
僕の言いたいことはすべて喉の奥に流れていくのに、 愛は僕が聞きたいことを超能力者さながら淀みなくしゃべる。愛の顔は紅潮していた。
「……あたしだってあんたの今の顔でやっと確信したのよ」
「そんなに……ひどい顔してたか」 「北京原人よりね」
それはちょっとショックだ。
耳まで赤いはずの顔をじっと見られるのがイヤで、2B参考書で顔を隠してしまった。
「あんたのそんな顔、はじめて見たわ。 いつも余裕しゃくしゃくで、こっちの心中なんてしりゃしないんだから。 その脳細胞、無駄遣いしてんじゃないの」
そろそろいつもの機関銃の調子が戻ってきたようだ。
「何しに来たんだよ」 一歩間違えると愛想つかされるかもしれないこの言葉に、ついしまったと思ったが、愛は笑って言った。 「女は気持ち次第で好きな人の足音も聞き取れるということを、ある馬鹿に教えに来たのよ」
…やばい。それは知らなかった。 僕の脳内で幸福のバーゲンセールが始まりだす。 下げることのできない口角を見られたくなくて、 参考書を使い物にならなくなるまでぎゅっと握り締める。
悔しいので、記憶力が良く根に持つまだ青18才の僕は、
顔が冷えたら「お前の寝顔は実は天使のように可愛かった」とでも言ってやろうかと思う。
「ねぇ、顔あげなさいよ」 「いやだ、あと5分待て」 「じゃぁその間にあんたのとんかつ貰うわよ」 「それは困る!」
情けないことだが、きっと一生僕はヒヨコのままなのだろう。 それでもいいか。
お前はいつだって、振り返ってくれるんだから。
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