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クリエイター名 |
柚木薫 |
月の下で
「あなたはいつだってそうだわ。そうやって自分のことばかり主張して、他人の意見なんか聞こうともしない、最低の愚物ね」 エリカのいつもの饒舌にすこしうんざりしながらもわたしはそれに反論すべくまた口をひらこうとしたけれど、でもまた口を閉じた。 そんな行為をすこしおもしろがって見ていた。エリカはわたしにさらに言う。 「別にあなたのことを否定しているわけじゃないの。いつもいってるでしょう?私はあなたに好感を持っているのよ。好感をもつ相手をどうして突き放すの?私の言っているのは『警告』よ」 「『警告』?」 やっと口から搾り出すように声をだしてエリカの声を反芻すると、その整った口を少し歪ませながら、 「そう。『警告』。あなたは少し私に依存しすぎ。私よりも『現実』をみなさい。私なんかよりも、ね」 それだけ言うとエリカ口に微笑みを称えたまま、机の上のあるすっかり冷め切ったコーヒーを口に運ぶ。 そんな光景を「無駄だ」と思いながら、「これは必要だ」と誰かが、わたしの中でそう言っている気が……多重人格じゃあるまいし、こんな抽象表現で逃げようとは思わない。結局は誰でも不安定になれば、安定を求めて、安心を得ようとするのだろう。 「わたしはエリカのようにはなれない。けれどもより人間らしいとは思うわ」 そう、するりと言うと、エリカはティーカップから顔をあげ、少し驚きに目を見張り、そしてバカにするような、ただ単に本当に面白そうに笑い、そしてそれがひとしきり収まると、
「それは正解よ。でも『それ』を私にいうのはナンセンスだわね」
そう言って上を見上げる。 私も上を見る。 巨大に輝く月がわずか5キロの位置に壮大に位置して、その存在をわたしたちに示していた。
第一章 そびえる塔
僕がいつものように窓からなんとも気の抜けた穏やかな景色を、ベッドからぼんやり見ているといつもより早く千鶴さんがやってきた。 「あら。今日は起きるの早いのね」 そんなどうでもいいことをいい、にこにこしながらがらがらと点滴セットを押して僕の個室病棟に入ってくる。 「そういう千鶴さんは今日は早いんですね」 「え?」 マジでキョトンとされた。またか。もう慣れてるというか、少し遠い目をしたくなる気分になりながらも僕は言う。 「ちゃんと、患者回診順番、見ました?」 僕がそういうとさらに千鶴さんはそのかわいい系の顔をキョトンとして、んー……、みたいな黙考が十秒ほど続いた後にかなり慌ててナース服のポケットからメモを取り出して。 「……」 固まった。ちっこい背のその小さいからだをまるで彫刻のように凝固させて、僕は突っ込むべきか、慰めようか悩んでやめておいた。そもそもこの系統の人はいくらいってもどうせ忘れる、と思うし。 「あははー、先に407号室が先だった」 「……鈴木さんか。なんで肝炎患者と間違えるんすか」 「まぁ、別にこのまま注しても大丈夫だったから結果オーライってことで」 「いや、だめでしょ! それ普通の補水液じゃないし! 専用の薬はいってんでしょ!? ていうか結果オーライ……?」 「うん、薬だから入れちゃってもよくなるかなぁーって」 「あんた本当に看護師かよ!」 とまぁ、こんなやりとりはしきりにして、千鶴さんは確信犯のような顔を僕に向けてがらがらとふわふわした髪をたなびかせて出て行った。 いや……、本当に遊ばれているのかもしれない。毎度ながらのこの天然っぷり、天然? いやいや、あれは天然というか健忘症の域を超えているともおうけど、それに僕が突っ込みをいれるというパターンにしきりに楽しい顔をするしな。それをあの子犬のような容姿でむしろいい! なんていうカルト的な人気あるのはどうにも僕は目を細めざるをえない。 というかこの思考自体何回目だか。 そんなわけで僕はまた千鶴さんが来るまで病室の窓から見える景色に目を凝らし始めた。
東京湾中央部に高く、高く。宇宙まで続いている塔がそびえている。
東京都の西、田京区に三機の大型輸送機が墜落するという大惨事が起こったのが約三ヶ月前だ。 輸送機が、田京市の郊外にある東京支都国際空港に三機連なって着陸するはずが、滑走路からおよそ五百メートルあたりからエアラインコースを離脱。市街地に向けてまさにつっこみ、航空自衛隊の迎撃機が着く前に市、中心部近辺を自機もろとも焦土にした。 死亡者数は約五十万人以上、けが人は三万を超えた。正確な数字は未だにわかっていない。 最初はそのドイツ籍の航空機に何があったのか、国連と機体メーカーの調査団が派遣され、それと平行に市民からは国に責任追及する声と裁判への弁護団結成など、とにかく混乱と混沌と困惑が二ヶ月ほど続いた。 その波及は内閣までにいき、不信任をおそれた現内閣は救済措置を取るために国家予算から、被害者家族全員へ救済金を送る、救済措置特別法案を提出、可決するまえにフライング気味にそれを被害者たちに送った。 そしてもっとも深刻だったのが、けが人以上に後遺症をもつものが現れたことだった。一番多いのがPTSD、心的外傷後ストレス障害。過去に多大な恐怖を体験したりするとその後にそれに類するストレスをうけると身体に異常をきたす。それに続いて、記憶障害、記憶の喪失、四肢の不随、多重人格障害が多く見られた。
そうなった人は普通の市民だった。普通の学生にサラリーマンに普通の主婦。 それなのに急に『そうなってしまった』。
だから墜落した輸送機に何が積んであったのか、原因解明が次に取りだ足され、その原因解明の前に患者たちはその度合いに見合った病院、施設、専門研究所に送られていった。 その数は田京市人口の約半数。
国連が代表してその原因を発表したが端的にいうと『積んでいたのはナノマシンの素体とするもので、ドイツ側からは国家機密のもので公開できません。ですが、それが原因で例の後遺症が起こるとは医学的見地からみてもありえないとご承知のはずです』
この他人ごとののような、しかも濁した調査結果に今度はNGO団体やら東京都民やらかならの数が不満をもらしてそれぞれ行動した。 原因は未だに謎としていまでも争いは続いている。 あの事故で得られたものは救済措置金と『田京症候群』と後遺症の総称が与えられたことだけ。 そして僕が失ったものは日常と家族と記憶。
事故のことはわかるが、なぜかそこから小学生時代までの記憶がすっぱり抜け落ちているんだ。 なぜだろう。 僕は再び、リニアカーが行き来する外を見つめる。その塔を見つめる。 なぜだろう。あの塔が、すごい懐かしい気分になるのは。
第二セクション、レベル?Wのゲートを認証してくぐり、無機質な白い廊下を早歩きで通り過ぎていたとき、 「碧!」 振り返ると、同じ研究室の安藤由紀子に呼び止められた。由紀子はちょっといらただしげにゲート前に立ち止まると、認証を三回も間違え、さらにわたしに走りよってくる途中に二回もこけそうになってやっと目の前に来た。 「……なんでそんなに急いでるの?」 はぁはぁ、と息を切らして、でもなんだかすごい面白いものを見つけた、とでも言いたげなきらきらした目でわたしをみてくる。由紀子はわたしより少し低い背を揺らしながら日本人離れした整った白い顔を破願して、 「何言ってるのよ! あなた、呼び止めてもどんどんいっちゃうでしょ! 同期だし、これから一緒に講義に行こうって事くらい察しなさい」 「はぁ」 「だいたい碧は、ここに来きた新人の中でもあんまり元気のいい部類ではないのよ。なんか気になるって言うか」 「はぁ」 「みんなも心配してるんだぞ? ん? 一番遅れてるんだからさ」 「……はぁ」 わたしがどうにも、いや、由紀子のテンションに普通についていけないので気の抜けた返事を繰り返していたら案の定、オーバーリアクション気味にガクッと頭をさげた。後ろに結い上げた長い茶色の髪が見える。 別に由紀子とは同期で、同じ国で、このセクションに配属されたのが共通の理由で、それ以外なんとも思わない。 「ま、いいわ。あなたがそういう人だってのはわかってるし。行きましょ、指導指揮が待ってるよ」 随分と軽い声でいうと先に歩き出し、二メートルほど前に行った所でわたしがついてこないことに気づいて不思議そうに由紀子が振り返ってきた。 「どうした?」 「なぜ、わたしに構うの?」 わたしがそういうと由紀子は少し眉をひそめ、でも少し悲しそうな顔になって、 「心配だからじゃない」 そのまま本当に泣きそうな顔でわたしを見てくる。人口の風がわたしの髪を揺らして、そして口を開く。 「心配? そういわれてもわたしは困る。だって心配というのがなんなのかわからないから。どうしてあなたがわたしを心配するの? わたしはあなたが嫌いじゃない。
でも好きになる理由もない。
心を治すと言っているけどそれを学習して、記憶が戻っても、なにがかわって何が得られるのかがわからない。例えそれがわかったとしてもそんなものは欲しくない。
また『あんな』おもいはしたくないから。
じゃぁ、心って何?
じゃぁ、精神と心を『安定に』、『正常に』すれば普通なの?
普通の境界線は、どこ? 誰がその定義の線引きをするの? 例えしてもそれは『正常』なの?」
わたしはゆっくりと、急ぐことなく声も張ることなく、考え付くまま言葉に出す。
「普通でも異常でもいいわ。わたしにはエリカがいるもの」
わたしの言葉を聞いている由紀子はやはり今にも泣き出しそうだった。
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