t-onとは こんにちは、guestさん ログイン  
 
総合TOP | ユーザー登録 | 課金 | 企業情報

 
 
クリエイター名  沢見槙絵
サンプル

『霧の果て』

 はじめは、ただの一匹だった。
 いまから五〇年ほど前のこと。幻獣と名づけられた異形の獣が一匹、錬金術師の工房から逃げ出した。その生き物は、驚異的な順応力と繁殖力によって、瞬く間に眷族を増やした。
 幻獣は、昼夜を分かたず、人を襲い、街を破壊し、国を滅ぼした。
 己の所業を悔いた錬金術師は、その後間もなく、自裁して果てたと伝えられる。
 人間たちは、それらに抗する確実な手立てを見出しえないまま、現在に至る。


 濃い霧の立ちこめる森の中を、男は一人歩いていた。
 もともと、人が行き交うことも稀な道である。天候のせいもあって、森に棲むものの気配さえしなかった。
 陰鬱な、薄気味悪くさえある空模様だったが、男の足取りは軽く、表情は悠然とさえ言える。
 二〇代後半と思しき、日に焼けてパサついた黒い髪と、黒檀色の眼をした、剽悍な風貌の男だった。
 羽織ったマントの上からでも伺える、硬い筋肉の隆起する頑健そうな肉体。腰に下げた幅広の剣。外見から容易に察せられるように、男は傭兵だった。
 幻獣が徘徊し、あるいは席捲するいまの世の中、それらを倒せる者であれば、食い扶持には事欠かない。単独で幻獣を仕留められるとなれば、尚更。
 まして、男……レガートは、『幻獣殺し』の二つ名を持つ伎倆である。
 国軍に招かれたこともあった。市長にかなりの好条件を提示されたこともあった。留まってくれるよう懇願されたこともあった。
 だが、レガートが一難去った場所に、それ以上逗留することはなかった。
 男は、ただひたすらに、幻獣を狩る。
 不意に、レガートは眉を顰め、立ち止まった。
 遠くはない場所に、幻獣の気配と、それとはまったく異なる闘気を知覚する。
 軽く瞑目し、気配の源を探る。
 確かな位置を探り当てると同時に、レガートは疾駆していた。

 そこにいたのは、赤黒い巨大な幻獣だった。伝説上の生き物、ドラゴンに似た姿をしていたが、禍々しさと凶暴さは、比ぶべくもない。
 異様な怪物の正面で、臆することなく対峙している、はるかに小さな存在、即ち人間が、先刻感じた闘気の持ち主であろう。
 レガートに背を向ける格好だったが、己の腕ほどの長さの剣を両手に構えたその人物が少女であることは、体形から伺い知れた。
 赤黒い幻獣の足元には、おそらく少女が倒したのだろう、二体の幻獣の屍が折り重なっていた。
 空を裂く勢いで振り降ろされた幻獣の爪を躱し、少女は見事に跳躍すると、空中で身をひねり、レガートの前へと降り立った。
「見ていないで、逃げてくださいっ……!」
 苦しい息の下から、少女は切迫した声で鋭く叫んだ。
 淡い色合いの髪と空色の瞳を具えた、整った顔立ちの少女だった。年の頃は、十四、五歳といったところか。
 笑えば、さぞかし可愛いだろうに。
 少女の表情がひどく険しいのは、状況だけに当然のものだった。にもかかわらず、レガートは、場違いにそんな感慨を抱いた。
 己の生命も危うい局面で、自分を『護ろう』とする少女に、レガートは我知らず、哀切の念を覚えた。
 動こうとしないレガートに、少女は苛立ちのこもったきつい視線を投げた。
 形のよい口唇から、今度は怒鳴り声を上げようとした。だが、レガートが、彼女の脇をすり抜けてゆくほうが早かった。
「いけない……っ!」
 少女は速やかに後を追い、恐慌まじりの声で制止する。
 レガートは構わず抜刀し、力強く地を蹴ると、少女の身ごなしの上をいく飛躍を披見した。
 首を擡げ、咆哮する幻獣の頭部に、厚刃の剣が一撃を叩き込む。
 夥しい血飛沫と、壮絶な怒号を放ちながら、幻獣はのたうち回った。
「止めだ、嬢ちゃん」
「はい!」
 レガートの闘いぶりに見入っていた少女は、再び剣を握る手に力を込め、暴れ狂う幻獣に向かって行った。


 少女が幻獣に止めをさした後、レガートは彼女とともにその場を離れ、座りやすそうな大樹の根元で休息を取ることにした。
「あの、ありがとうございました」
 ようやく精神の昂ぶりが鎮まってから、少女は礼を述べた。
「いや、おれの勝手でしたことだ。余計な手出しとは思ったんだがな」
 少女は静かに首を振った。
「私は、リアラといいます」
「レガートだ」
 告げられた名前に、リアラは軽く目を瞠った。
「違っていたら、すみません。もしかして、『幻獣殺し』の異名を持つ方ですか?」
「そう呼ばれることもあるな」
 レガートは口の端を僅かにつり上げ、苦笑した。
 しかし、直ぐに表情を改める。
「ひとつ尋ねるが、おまえさんもこういったことを生業にしてるのかい?」
「はい」
 短く首肯いて、リアラはいらえを返した。
「このご時世に、敢えて生命を危険にさらすんだ、よくよくの事情があるんだろうなあ」
「……私の家は、騎士の家系だったんです」
 独り言めいたレガートの呟きに、何かしら感じるところがあったのか。リアラは、静かな、それでいて深い哀しみを湛えた声で、身の上を語りはじめた。
 彼女の生家は、西方の都市国家に七代続く騎士の家系だった。
 家長である父の最初の子として生まれたリアラは、長子継承の家憲ゆえに、後継者として厳しく、またたいせつに育てられた。
 いまの世の中にあっては平穏といえる日々はしかし、七歳の時に、都市が幻獣に蹂躙されたことで激変した。
 騎士たちの奮戦により、幻獣を退けることは叶ったものの、数多の生命が奪われ、都市は壊滅的な打撃を被った。
 リアラの父もまた、この戦で帰らぬ人となった。
 都市の復興にあたっては、叔父が生き延びた一族をまとめる役を務めた。しかし、叔父も他の人々も、既にリアラを長として遇するようになっていた。
「皆が、必死の思いで、私を一人前にしようとしていたんです。私は、その心に報いるつもりでした」
 そう言って、膝にのせていた手を、リアラはきつく握りしめた。
 彼女の誓いは、四年前、十一歳の時に、一族の悉くが幻獣に殺されたことで、永久にはたせなくなった。
「それからずっと、独りで幻獣を倒して歩いてるのか」
「はい。軍や騎士団に志願したこともありましたが、門前払いでした」
「見る目のねえ担当官にあたっちまったんだな」
 レガートの軽口に、リアラは微かな笑みをこぼす。
「幻獣が憎いか?」
 真摯な低い声で、レガートは問うた。
 そこに込められた、容赦のない真剣さに、リアラは、はっと顔を上げた。
「幻獣を倒し続けるのは、奴らが憎いからか?」
「……違います」
 重ねられた問いに、リアラはゆっくりと答えた。
 幻獣を憎む気持ちは、無論ある。幻獣に対する憎しみと怒りは、あの日から少しも褪せることなく、胸の内に存在する。
 だが、彼女を突き動かすのはそれらの感情ではなかった。
「償い、なのかもしれません。もう、永久に報いることのできない、私を愛し、護ってくれた人たちへの……。生命を懸けて、私を生かしてくれた人たちへの」
 膝の上で握りしめた拳が、小刻みにふるえた。
「いま生きている人たちが、少しでも安心して暮らしてゆけるようにするために、幻獣を倒すこと。それが、私にできる、精いっぱいの報恩です」
 荒事を好まぬ、心ある人ならば、少女の頑ななまでのひた向きさを、諌めたかも知れない。だが、レガートはそうはしなかった。
「こいつは、おれの意見なんだがな」
 レガートは立ち上がると、リアラの隣に腰を下ろした。
 覗きこむように見つめてくる黒檀色の瞳を、リアラもまた見つめ返す。
「自分の負い目は永久に返せないと、心の底からほんとうに解っている奴は、そのことで負い目を支払ったことになるんじゃないかな」
 空色の、澄んだ瞳が揺れた。
「おまえさんを愛してる人たちには、おまえさんが彼らの思いに、どんなに報いようとしてるか、ちゃんと伝わってる」
「ほんとうに、そうでしょうか……?」
 問い返す声は、ひどく震えていた。
「ああ」
 嗚咽を堪えるためか、リアラを口元を両手で覆った。堪えきれなかった涙の滴が、零れ落ちる。
「……あの、ここで、あなたの傍で、泣いても……、いいでしょうか?」
「もちろんだとも」
 膝を抱えて蹲ると、リアラはそこに顔を埋めた。
「リアラちゃん」
「リアラでいいです」
 少女は、律義に顔を上げて言った。
「せっかくの機会だ。もう少し盛大に泣いたらどうだい?」
 戸惑うリアラに、レガートはマントを脱いで被せると、その肩をあたためるように抱いた。
 広い胸に顔を埋めたリアラは、あふれる涙も、洩れ出る声も堪えずに、ひたすら泣いた。

 ふるえる身体を抱き留めながら、男は思う。
 この少女の道のりが償いならば、己の道行きは復讐なのだ、と。
 レガートは、親を知らない。生き別れたのか、死に別れたのか、それすら知らないし、確かめようとしたこともない。
 幼い頃から人にない力を発現していた彼は、罵倒され、打擲されて育った。
 平穏や慈しみとは無縁の日々の中で、己自身に誓っていたことがある。自分を忌避し、怖れる連中が危惧しているような力の使い方は、断じてしないと。持って生まれたこの力は、連中の予測に反した、誰かの幸福のためになる使い方をしてやると。
 心を決めてすぐに、彼はその方途を見出した。
 それが、幻獣を狩ることだった。


 心のままに泣くことができたリアラが、マントの下から、気恥ずかしそうに顔を覗かせるころには、立ちこめていた霧はすっかり晴れ、木々の隙間から、午後の日差しが差し込んでいた。
 レガートは勢いよく立ち上がり、大きく伸びをしてから、リアラを見遣った。
「この後、行き先のあてはあるのかい?」
「いいえ。一先ずこの森を抜けて、近くの街で、また情報を求めます」
「そうか」
 唐突に、レガートはその武骨な手を、リアラの前に差し出した。
「あの……?」
 意図をはかりかねて、空色の瞳が、数度瞬いた。
「一人よか、二人の方が何かと都合のいいこともあるだろ。いやでなけりゃ、同道してくれないか?」
「……いいのですか? 私、ご面倒かけることの方が、多いかもしれませんが?」
 レガートは、痛快そうに笑った。
「だとしたら、却っておもしろい。それに、そのうちおれの話も聞いてもらいたいしな」
「……ご一緒します! させてください、ぜひ!」
 リアラは、差し伸べられた手をしっかりと取り、憂いなく笑った。
 それは、レガートが予想した以上にすばらしい笑顔だった。
 
 
©CrowdGate Co.,Ltd All Rights Reserved.
 
| 総合TOP | サイトマップ | プライバシーポリシー | 規約