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クリエイター名 |
根本透子 |
クラッシュ
クラッシュ 睡魔と云うのは敵に回すと厄介極まり無い。どれだけ運転に集中しても意識が途切れる。車の通りが少ない単調な道が私の意識を眠りの世界に誘おうとする。 ステアリングを握る手が微かにぶれる。仕事の付き合いとは云え酒を強かに飲むと云う暴挙をすれば、眠気以上に意識が途切れるのは自明の理だが、如何しても今日帰らなければ成らない。娘の誕生日プレゼントが助手席でカタカタと揺れる。カーステレオの時計は二十三時を越えている。今年で五歳を迎える娘は、親馬鹿だと思われても仕方が無いが、可愛くて仕方が無い。 都心から少し離れた場所とは云え一戸建ての家を建て、仕事も生活も満足している。私はアクセルを踏み込み家路に急ぐ。眠気等は車内の空気を入れ替えれば良い。スイッチを操作し窓を開ける。春とは云え未だ夜風は肌寒い。身体が微かに身震いして覚醒して行く。時折視界が霞むのは酒の所為だが、この程度は日常茶飯事の事で気にする事は無い。今迄も飲酒で事故を起した事等が無いのだ。私に限ってヘマをする等有り得ない。気を付けてさえいれば良い。 音楽のヴォリュームを弄り音を大きくする。家迄は後三十分程度だ。私はアクセルを踏み込みスピードを乗せ夜の街を駆け抜ける。ご機嫌な気分だ。夜風を受け血が騒ぐのに任せて走っていると、携帯電話が着信を響かせる。ディスプレイには妻の名前が踊っているが、如何せ小言に決まっている。携帯を助手席に放り出し車を走らせる。もう少しで家に着く。妻の小言はその時に聞けば良い。 遠くから救急車の音が良く響く。深夜とも成れば些細な音でも良く通る物だ。 時折意識が途切れる。ビールを大ジョッキで飲み、日本酒等色々と飲んだからだろうが流石に視界がクラクラする。気を引き締めて運転しないと危ない。 視界が歪む中、意識が途切れる前に家に着く為にアクセルを踏み込む。この時間、警察が捕り物をしてる事は無い筈だ。視界が流れ、窓から入って来る風が私の体温を奪って行く。後少しで家に着く。プルプルと手が震えるのを押さえ込み頭を振る。救急車のサイレン。随分と近くで鳴っているのか矢鱈と頭に響く。 「は!」 意識が飛んでいた。私は驚き視界を上げると眼前に救急車が迫っていた。 「な!」 混乱する。必死にステアリングを切るが既に遅かった。派手なクラッシュ音を響かせて視界が回転する。車体がアトラクションの様にグルグルと周り頭をエアバックに打ち付ける。怒声と悲鳴が交錯する中、私はエアバックを押し退け何とか車外に出る。足元がふらふらと揺れる。事故を起したのは仕方が無い。後は保険屋に任せるしか無いが、飲酒運転がバレるのは不味い。上手く示談にしたい所だが、相手が救急車では如何する事も出来無い。逃げ切る可能性を色々と思案し乍救急車に近付く。私自身の怪我は大した事は無い。 「申し訳ありません……」 大人の対応として謝罪をして置けば云い。私はサラリーマン気質で頭をペコペコと下げると聞き成れた声がする。 「あなた……」 視線を上げると家に居る筈の妻が立っている。状況が把握出来無い。遠くで聞こえる怒声が映画かアニメを見てる様に他人事の様に思える。 「奥さん!」 隊員が悲痛な声を上げる。 「お子さんの容態が!」 足が震える。視界の端に見える救急車は前部がめり込み破損してガソリンが漏れている。私の愛車であるステップワゴンとぶつかったからだろうが、、互いの車両が動く気配は無い。 救急隊員が忙し無く動くのが冗談の様に見える。 「今応援を呼んでますが……」 一人の隊員が妻に状況を説明すると、妻が取り乱した様に乱れ悲鳴を上げる。 「何が……」 私が隊員の元に近付くと、隊員が顔を顰める。 「貴方、飲酒運転ですか?」 「あ……はい。申し訳ありません……」 「奥さんの話だと旦那さんらしいですが、何て事してくれたんですか!貴方の娘さん、行き成り意識を失って救急で運んでる所だったんですよ!」 嘘だ。嘘に決まっている。酒が見せる幻影の筈だ。私は現実味の無い現場で呆然と立ち尽くす中、隊員が微かに頭を左右に振り、妻が道路へと倒れた。 「そんな馬鹿な……出来心で……」 酒が身体を震えさせるのか、悲しみがそうさせるのか、私は道路に蹲り呆然とする中、車の中に置いている娘への誕生日プレゼントのオルゴールから、私の飲酒運転と云う愚かな行為を責め立てるかの様に悲しい旋律が夜の街に木霊した。
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