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クリエイター名  斎京 螢
月光夜蝶(ファンタジー)

その行く先も知らないまま、今も彷徨い続けている。

果たせなかった、ただひとつの約束を抱えて――……

【月光夜蝶】

囚われても

其処に確かに

生きている

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「リュシアン、そっち行った」

場にそぐわぬ呑気な声音を受けて、ひとつ首肯する。
片目で中空に描いた陣が青い光を発しているのを確認し、無造作に杖を天に掲げた。
目を閉じて、心の琴線を研ぎ澄ます。細く、鋭く。
空間がねじ曲がり、異界と現世を繋ぐ。
―来たれ、三界を馳せる荒ぶる閃光。雷の獣よ。
陣が目を焼く眩い光の渦を迸らせ、さらにそこから雷をまとった影が駆け抜けた。
虚空を引き裂く雷撃の刃に襲われて、周囲を取り囲んでいた魔物の群れが瞬滅する。
残党がいないかと辺りを見回して、リュシアンは一つ息をつくと傍らの獣を見下ろした。
そのしなやかな体躯は形容するなら大きな猫か豹。
全身を覆う淡い金色の毛並みに、さらに少し濃い色の稲妻に似た模様が走っている。
長い耳はぴんと尖り、口元から覗くのはきらめく牙。双眸は、沈みゆく太陽を反射する鮮やかな黄金。
召喚術士たるリュシアンが使役する、異界の神獣だ。属性は雷。

「もういい、ライフォン」

主の抑揚に欠けた声音を受けて、獣の姿が掻き消える。
冷たさを増した夕刻の風に目を細めたリュシアンの視界に、ふと極彩色が掠めた。

「よ、お疲れさん」

朗らかに笑ってそう声をかけてきた旅の連れに、召喚術士は普段から寄せている眉間の皺を一つ増やす。
結い上げた鮮やかな金色の長い髪、剣舞士の無駄に目立つ派手な衣装を纏った相手の目をまっすぐに睨んで、低い怒声を発した。

「……シンリ、また僕に全部任せたな」
「ありゃ、ばれてた?」
「…………おまえ」

不機嫌2割り増しといった体のリュシアンが述べる文句も意に介した様子もなく、シンリは飄々と笑う。
しかしその直後、さらに低くなった声を受けて、軽く肩を竦めると目を眇めた。

「仕方ないじゃん、俺の剣なんかより絶対お前の術のほうが威力あるんだし」
「そういう問題じゃない。少しは僕の身体を思いやるとかそういう選択肢はないのか」

全く悪びれた様子の無い言い草に、リュシアンはさらに表情を険しくする。
元々召喚術とは異界の精霊や神獣と契約しそれを使役するものだが、術者はまず全く異なる次元に存在する異界と現世を繋ぐのに非常に体力を消費するのだ。
それに加えてリュシアンの場合は召喚を短時間で、しかも詠唱無しに陣だけでやってのけるという離れ業ゆえに、精神力をも非常にすり減らすのである。
等々の事情を考慮した結果出た、先の一言である訳だが。
シンリはそれすらも理解したうえで、持ち前の飄々とした態度で一蹴してしまった。

「確かにそれはそうだけど、普段からそんなえらそうな態度じゃそうそう同情してもらえる訳ないでしょ」
「……じゃあ聞いてやるがお前は何で僕に同行してるんだ」

その物言いに、胡乱気に目を眇めたリュシアンが冷めた口調で突っ込む。
が、

「そりゃー、気まぐれ?」
「……………………」

聞くんじゃなかった。
超がつくほど即跳ね返ってきた答えに、リュシアンは心の底からそう思った。
一度ため息をついて視線を外し、無言でこの無為な議論を打ち切る。
既にものの陰影が判別できなくなっている周囲をざっと見渡すと、それより、と口を開いた。

「行くぞ。ぼやぼやしてると門が閉まる」
「りょーかい」

遠くに見える街の明かりに顔を向けての呟きに、シンリが軽い口調で応じる。
歩き出す二人の影が、黄昏の名残の光に照らされて長く伸びていた。

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―少しずつ、心のどこかが狂っていくような気がしていた。
だから自分は、あの場所を離れたのだ。
例えば帰る場所を失くしさまよ彷徨う事が、罰だとしても。

ひらひらと、黒い色をした蝶が部屋を横切っていく。
しかしそれは、酷くぎこちない飛翔だった。
原因は一つ、その後ろ羽が無残にも半ばから千切れていたから。
あやうい低空飛行を続ける蝶を、リュシアンの気だるげな紅の瞳が追う。
机に肘をついて、全体的に何処かやる気なさげだ。
ぞろりと長く目に掛かるストレートの黒髪を、白く繊細な指先が掻き揚げる。
ああ、邪魔そうだな、とその様を眺めていたシンリは思った。
顎の尖った繊細な細面。すっと通った鼻筋に、鋭利な知性の煌きを宿す紅の双眸。
黙っていれば美形で通る整った造作を、常に眉間に寄せている皺と横一文字に結ばれた口元、
味気無い銀縁の眼鏡と何より全身から放つ人を寄せ付けない雰囲気が台無しにしている。

(……っとに自覚ねぇんだよな、この偏屈眼鏡は)

内心そう呟き、そっと息をつく。
口にしないのは、云ったら最後「偏屈眼鏡言うな」と文字通り雷が落ちるのを重々承知しているからだ。
彼の視界で、ついと目を細めたリュシアンが何気ない仕草で片手を掲げる。
その人差し指の先が淡く光ったかと思うと、その光の軌跡で中空にごく小さな陣を描き始めた。
―まるで当たり前のように。
風が生まれ、不可視の刃が飛んでいた蝶を両断する。
黒い羽の欠片と燐粉がぱっと散って、床に舞い落ちていった。
たった今ひとつの命をこの世から消し去ったリュシアンは、何事も無かったように涼しげな表情で。
これにはシンリの方が、思わず寝転んでいた寝台から起き上がって声を上げた。

「……ひっでぇ事するなぁ、お前」
「何を云ってる」

呆れと困惑の混じった相方の言葉に、しかしリュシアンは感情の無い声音であっさりと言う。
ついで半身を起こすと、ひらりと片手を振った。
それに応じて、姿の見えぬ風の精霊が小さなつむじ風と共に、床に落ちていた蝶の残骸を開け放していた窓の外に運び去ってゆく。
その後を追うように対硝子の奥の真紅が動く、闇の向こう側には月鏡。
冷たく無機質な白い光を彼らに注いで、ただものも言わず、けれど確かに其処に存在していた。

「月……」

無意識にシンリの唇から言葉が零れる。ん?と一瞥を向けて来たリュシアンに、此方も言葉もなく見返す。
一度ため息をついたリュシアンが、すいと視線を動かして再び月を見上げた。
ついで、ゆっくりと座っていた椅子から立ち上がる。
さら、と衣擦れの音が響いた。
夜色のローブの裾を揺らして進む、その髪を吹き込んだ風が翻す。
僅かに目を細めて、リュシアンは音もなく窓枠に寄りかかった。

「……何で、お前は」

唐突に発したシンリの問いは、しかし肝心な部分を胸のうちに留めたまま掻き消える。
音とはならなかったその意味を正確に理解して、召喚術士はつと口を開いた。

「哀れだったからさ」

死に場所を見失って、苦しみながら飛んでいた蝶。
それが哀れだったのだと、静かに綴って。
つとめて感情を消したその呟きは、―心の堰が崩れるのを、必死で押さえていたのか。
伏せがちな目、長い睫毛が影を落とす。
眼鏡の奥、普段はルビーのようだと思う、その真紅がなぜか今は血の色に見えて、シンリはひと刹那呼吸を止めた。

「似てたんだよ。だからだ」

押し黙る彼に、唐突に顔を上げたリュシアンが言い放った。
意味がわからず戸惑った顔をする相棒を見て、ふっと口の端を緩める。
その奥にさまざまな感情を隠した紅は、―けれど凪いだ水面のように静かで。
一度かそけく息を漏らすと、言葉をつないだ。

「似てたんだ。……死に場所を見失って苦しんでる様が、―僕に」

心の拠り所も帰る場所さえも全てを失って、癒しきれない無数の傷を抱えたままあてもなく彷徨う。
そうなる前に死んでいたほうが楽だったのだと、自嘲の笑みさえ浮かべながら。
まるで日常会話の延長のように含みもなく、ただ事実だけを淡々と述べるそぶりで述懐する彼に、シンリはただ声もなくその人形の様に整った顔を見つめているだけだ。
揺れる緑柱石の色に気づいたリュシアンが、笑みをわずかに悪戯なそれに変える。
ついで寄りかかっていた窓枠から背を離すと、腰に片手を当てて斜の構えでシンリを見返した。

「さて質問だ。……お前は、何にも囚われないで生きるのと、何かに囚われてでもひとつのものを目指して生きる、
そのどちらが自由だと思う?」

――それは、彼があの場所を離れて旅に出てからずっと抱き続けていた問いだった。

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――約束を、したのだ。
とてもとても大切なひとと、最初で最後の、たった一つの約束をした。
そして自分は、それを果たせないまま、その人を失ってしまったのだ。

『じゃあ、約束だよ、リュシアン』

目を閉じればいつでも思い出せる、懐かしい声。
それはあの時と変わらずに、どこまでも優しく、けれどそれ故に胸を責める。

『キミと――……』

信じていた。ずっと傍にいると。
握った手の暖かさ。屈託無く笑った穏やかな瞳。
絶対に失くせなかった、それなのに。
嗚呼、それなのにあの優しい笑顔は、声は、永遠に失われてしまったのだ。

だから彼は今も彷徨っている。果たせなかった約束を抱えて。

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何ものにも囚われず、ただ生きる道と。
何かに囚われても、そのために生きる道と。
果たしてどちらが自由なのか。
ひどく重い問いを放ってから、リュシアンはただ無言でシンリの返答を待った。
見返す緑が揺れる。決して混ざらぬ色が交錯する。
永遠にも似た沈黙の後、シンリが漸く口を開いた。

「ん―……ちょっと難しすぎて俺にはわかんねーや。俺、お前みたいに頭良くねーし」

けろりと笑うシンリに、問いを発した張本人は呆れたように肩をすくめる。

「……訊くだけ無駄だったか、そうか」
「うっわ何その言い方ムカツク」

言葉とは裏腹に大して気にした様子もない彼に、リュシアンはただ嘆息交じりに苦く笑った。
一呼吸後、シンリが再びつづった言葉が耳朶を打つ。

「んな小難しい事云わんでも、好きに生きれりゃ自由だと俺は思うけど?」

何気ない口調で綴られた言葉に、紅が微かに揺れる。
―難しいとか言った癖に、どうしてこうも簡単に僕の望む答えを出してくれるのかな。
そう、答えはこんなに近くにあったのだと、今更ながら気づく。
けれど本当なら簡単に気づくその真実が、一番見失いやすいのだ。

「いいなお前は、そういう単純な思考回路で」
「……いい加減怒るぞ俺は」
「怒れ怒れ、ただし僕にはお前の文句とか聞いてやるつもりも暇も一切ないからそのつもりで」
「お前、それじゃ意味ないんだってーのっ」

半眼になる相方に茶化す口調で、リュシアンは逆鱗に触れるどころか引き剥がした。
喚くシンリをまあ落ち着けと片手で制して、わずかな皮肉を含ませて、しかし穏やかに笑う。
ふと視線を再び窓の外に向ければ、僅かに赤みを帯びた深夜の月。
ついと窓枠に滑らせた細い指に伝わる冷たさ、穏やかな静寂を楽しむように目を細めて。
凛と涼やかな月光は、見えない旋律のよに流れて音もなく窓から滑り込み、二人の少年を包む。


―冷たく輝く白銀の月、その光に誘われ舞う漆黒の蝶が一匹。

ひとたび夜が明けるなら、その影さえも昼の残酷なまでの明るさに紛れ掻き消える。

それは脆い人の心にも似て酷く儚く、それでも。

―確かにそこに生きている、ただそれだけの。

たった一つの真実があれば、良かったのに。

[Fin]

 
 
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