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クリエイター名 |
宮田 士郎 |
サンプル
『雪の王子様』
決して広いとは言えない公園の、塗装がはげかけたブルーのベンチに一人の少女が腰かけていた。 日はすっかりと沈んで先ほどまで子供たちで賑わっていたその場所も、今はひっそりと静まりかえっている。 周りから切り離されたかのような静寂が、少女を一層みじめな気分にさせた。 柔らかそうな唇が震えて、白い吐息がもれる。
――だって、彼女がいるなんて知らなかったんだもの。
かわいくラッピングされ、真っ赤なリボンがかけられた小さな箱を恨めしそうにみつめて、また溜息をつく。 卒業間近、最後のヴァレンタインデー。 少女は三年間思い続けた少年にチョコレートを渡して、そして告白するはずだった。 朝からそのことで頭がいっぱいだった。 授業中も先生の言葉なんて頭に入ってこなかった。 全ての授業が終わった放課後、少年が来るよりも早く下駄箱に行って、少年が去ってしまう前に声をかけて、チョコレートを渡して、「好きです」と言う。 何度も何度も頭の中で練習していた。 けれど現実は、下駄箱で少年を待つことしか許してくれなかった。 少女の知らない女の子と仲良く手をつないで、お互いの目を見つめながら幸せそうに笑う少年を見た瞬間、目の前が真っ暗になった。 朝から胸を躍らせて幸せな結末を思い描いてた自分が恥ずかしくて、少女は少年に話しかけることなく学校を飛び出した。
――馬鹿みたい。
上を向いて熱くなった目頭を、手袋をはいた手でぬぐう。 がんばってね。絶対大丈夫だよ。あんたを振る人なんていないって。 友人の無責任なエールが耳の奥に響く。
――もしかして、みんな知ってて笑っていたのかな。
いつもなら思いもしないようなことを、真剣に考えてしまう。 ぼやけた視界を再び手元に戻して、少女は悩みの種を恨めしそうに見つめた。
――これ、どうしよう。
値段も手ごろでかわいい動物の形をしたチョコレートと、ちょっと高いけど頬が落ちそうなほどおいしいチョコレート。 どちらにしようか店の中で一時間も悩んだ末に、自分の一ヶ月分の小遣いのほとんどを使って高い物を買った。 ラッピングもとびきり可愛くしてもらったのに、渡す相手がいなくなってしまってはもうこの小さな箱になんの意味もない。 想いのこもったチョコレートだから父親にはあげたくないし、かといって自分で食べてしまうと今以上にみじめになってしまう、そんな気がした。 今頃少年はどうしているだろう。 綺麗なイルミネーションで彩られた街を、彼女と手をつないで歩いているのかもしれない。 彼女からもらったチョコレートを食べて、おいしいよって彼女に微笑んでいるのかもしれない。 箱を持つ指に少しだけ力をこめると、黒と茶のストライプ模様がぐにゃりと歪んだ。
――捨てちゃおう。
少女は力なく立ち上がってベンチの側に置かれたクズカゴに向かって、ゆっくりと手を振り上げた。 この想いとともに捨ててしまおう。 そうすれば今よりもきっと、すっきりするはずだ。 でもどれだけ自分にそう言い聞かせても、その手を振り下ろすことはできなかった。 悔しくて悔しくてまた涙が溢れて、その場にしゃがみこんだ。 嫌な考えがどんどん押し寄せてきて、どれだけぬぐっても涙は止まってくれない。 その時ふと、少女は視界の先に大きな白い塊があることに気がついた。 公園の隅にぽつんと佇む、大きな雪だるま。 昨日の大雪で、子供たちが作ったのだろう。 頭にバケツがかぶせられ腕の代わりに木の枝が二本差し込まれており、かなりの力作であることが伺えるが、今となっては全身が溶けかけ、見るも無残な有様だった。 愛らしかったであろう彼の笑顔も半分ほど崩れ、なんとも憎たらしい表情をしている。
――まるで、私を笑ってるみたい。
涙でぐちゃぐちゃになった顔を乱暴に手でこすって、少女は思いきり彼を蹴っ飛ばした。 つま先に鈍い痛みが走る。 少しだけ穴があいたものの、その豊満な体には大したことではないようで、彼は何事も無かったかのように平然と、相変わらずの笑みを浮かべていた。 少女はかがんで、真正面から彼を見つめる。 溶けだした部分が砂利と混ざり合って、真っ白だったはずの彼の体は所々茶に変色していた。 あとどれだけ彼はここにいられるんだろう。 数時間か、数日か。 どちらにしても明日のこの時間には彼はもう今と同じ形をしていないだろうな、と少女はそう思った。
「これ、あげる」
チョコレートの箱を足元に置き、そしてそっと彼の頬に口付けをする。 もう涙は止まっていた。
「バイバイ」
力強く立ち上がって彼に背を向け、しっかりとした足取りで少女は歩き出す。 初めてのキスは、冷たい雪とザラついた砂の味がした。
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