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クリエイター名  有川
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【春の唄】

 はい、私は一介の鳥にございます。
 春を告げる瑞鳥として愛でられる貴人はあるものの、あの佳木にはとうてい及ぶべくもございませぬ。
 それでも、あの御方について想い語ることをお許し願いたいのです。

 あの御方は毎春、この庭園を訪れる私を心から歓迎してくださいました。
 百花繚乱の王庭の片隅にありながら、紅をまとい艶やかな笑みを浮かべる天女のごとき姿。
 早春の候、あの御方はどの御方よりも美しいのでありました。
 その方が時節になっても、沈黙を守ったままだったのは幾年前の春のことでしょうか?
 それ以降、王侯の面前であの御方が微笑まれることはなかったのでございます。
 王はたいそう嘆き、国有数の庭師を呼び寄せましたが、はかばかしい結果を得ることができませぬ。

 その理由はただ一つにございます。

「山深くにあった妾を見つけ、ここまで慈しんでくださったのじゃ。だのに、病床の兄上様に薬湯を作ってさしあげることも、慰みの歌を詠むこともできぬ。なぜに、笑むことができよう」
 あの御方にとって、王庭付きの庭師は兄とも敬う大切な人間であったのでございます。
 私も御方がため、庭師の小屋へ出向き幾度、唄ったことでしょう……。

 庭園を後にして程なく、長患いの庭師が儚くなったと風の噂を耳にしました。
 あの御方の嘆きはいかばかりでしょう。
 私は小雪まじりの雨のなか必死にはばたき、こうして、この世で最も高貴な佳木の許へ参ったのでございます。
 多くの御方が銀の大地に身をまかせ眠りにつかれる庭園で、あの御方は微笑まれておりました。
 いいえ、気がふれてしまわれたのではございませぬ。
 そうであれば、春を思わせるかぐわしい香りを散ずることなどできましょうや?

 一介の庭師に葬儀はございませぬ。彼の亡骸は、庭園の片隅の小屋から門外に出されるだけ。
 その際、麗しい佳木の真下を通るのでございます。
 その一瞬のために、あの御方はすべての力を微笑まれることに使われたのでございましょう。
 心からの笑みを浮かべたまま、冷たくなっておられたのでございます。

 風雪のなか、私の話なぞにお耳をお貸しくださり光栄に存じます。
 ああ、咽喉が凍りついて唄えなくなってまいりました。私も寸刻待たずして、あの御方の許へ参りましょう。
 それが、嬉しいのでございます。
 
 
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