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クリエイター名 |
無言ダンテ |
黄昏乙女
逢魔が刻、繁華街から少し離れた小さな交差点にひとりの少女が膝を抱えて座っている。 少女のつぶら瞳は、交差点を渡る人々を哀しげに見詰めていた。往来を行く人々はそんな少女に目を向けることはない。それぞれの日常をそれぞれに生きていた。 きっと私のことなんて誰も見ていない、少女はそう思った。 「こんなところで、なにをしているの」 不意に、少女の目の前に小さな男の子が座り込んだ。そして優しげな笑顔を浮かべ顔を覗き込みながらそう問う。 少女は俯き深い溜息を吐く。そして小さく小さくこう応えた。 「分からないの」 少女の言葉に男の子は首を傾げる。 「どうしてわからないの」 「それも分からないの」 「そうなんだ」 男の子の声色は、少女を何ひとつとして問い詰めていなかった。大体、それが分かればこんなところに座り込むこともない。もう帰る場所すら分からないのだから。 「でもね、ここさむいよ」 「うん、寒いよね」 「おうちはあったかいよ」 「うん、暖かいよね」 「でも、ここがいいの」 「ぅん」 「でも、さむいんでしょ」 「うん、寒い」 少女を見詰める男の子の目はとても澄んでいた。何ひとつとして穢れを知らず、ただ真っ直ぐに少女を見詰めている。それは男の子がまだ幼い故なのか。そう思うと、彼もきっとこれから現実を知るのだと、その顔に嘲りすら浮かぶ。 「おねえちゃんのかお、こわい」 「あんたももうすぐ分かるよ。腐った大人になるってことを」 「けがれたよくぼうって、なに」 「えっ」 「よくわかんない」 嘲り貶したというのに、男の子は目を輝かせて穢れた欲望の意味を少女に尋ねた。少女は思わず言葉に詰まる。こんな幼い男の子にそのままの意味を伝えていいはずもない。例え伝えたとして、そこに何の意味があるだろうか。 「おしえて、おねえちゃん」 「え、ええと、自分が欲しいもの、かな」 「あ、がったいロボのことだっ」 不意打ちのような男の子の言葉に、少女は思わず噴き出してしまった。このくらいの男の子にとって、合体ロボの玩具は確かに欲しいものかもしれない。 「君は合体ロボの玩具が欲しいんだ」 「ぅうん、ちがうよ、がったいロボでワルモノとたたかうのっ」 男の子の目は希望に輝いていた。少女にとって穢れた欲望であるはずのそれは、男の子にとっては純粋無垢な夢だった。 「そっか、ワルモノと戦うんだ。正義の味方なんだね」 「うん」 「ねえ、どうして君は正義の味方になりたいの」 その言葉を耳にした男の子が小さく俯いた。「どうしたんだろう」と見詰めていると、男の子がこう呟いた。 「おおきなおにいちゃんたちがね、ぼくのポチにイジワルするの。ぼく、がったいロボでポチをまもりたいの」 「そっか、そうなんだ」 少女はゆっくりとビルの谷間に沈む夕日に視線を向けた。私は何を守ってきただろうか。守るべき何かをもを捨ててきたように思えた。男の子はポチが大切だから守りたいと思っている。そこに何の見返りすらも求めていない。 「おねえちゃん、がったいロボって、どうやったらもらえるの」 「えっ、えっと、それは」 男の子の目は真剣だった。熱の篭った真っ直ぐなその目に見詰められていると、心が締め付けられるように軋んだ。こんな優しくて純粋な男の子に、私はなんて言葉を吐きつけたのだろうか。 男の子にとっての合体ロボ、それはつまりポチをイジワルなお兄ちゃん達から守ることができる力のこと。そんなもの、どうやって手に入れるのかなんて、私は知らない。 「頑張ってお勉強して、大人になったら手に入るよ、きっと」 「おとなになったらもらえるの、ほんとうに」 その瞬間、少女の脳裏に両親の顔が浮かんだ。二人は少女がどれだけ夢を語っても受け入れず、ただ繰り返し「勉強しろ」と言い続けた。 だが今の自分が男の子に言った言葉は、両親のそれと同じだった。不意に悟る。両親もまた、今の私と同じように「勉強をして大人になれば手に入る」と伝えたかったのだと。 夢を見ているだけ叶うというのならばそんな楽な話はない。大切なのはそれを叶える為に必要な全てを学ぶということ。 「ぅん、もらえるよ。でもね、頑張ってお勉強した子しかもらえないの。だからお勉強、頑張って」 「うん、さんすうきらいだけど、ぼくがんばるっ」 男の子はにこにこと笑いながら、少女の隣に腰を下ろした。少女はそんな男の子の頭を優しく撫ぜる。 「ねえおねえちゃん、がんばっておべんきょうしたら、パパもかえってくるかな」 不意に、男の子の表情が曇る。そのあまりにも哀しげな表情に少女は言葉を失った。男の子のこの言葉だけでは、その理由が分からない。 「お父さん、いつからいないの」 「ずっといないの」 「そっか」 「ぼくのこと、きらいなのかな」 「そんなことないよ」 「どうしてわかるの」 「そ、それは」 男の子の問いに答えることができない。男の子のことすらも何も知らないのだから当然だ。 それでも―― 「お父さんのこと、好きなんだよね」 「うん、だいすき」 「なら、きっとお父さんも君のこと、大好きだよ。だからきっと帰ってくるよ」 「ほんとうに、かえってくるの」 「うん」 精一杯の笑顔を向ける。するとじっと見詰めていた男の子は嬉しそうに微笑んだ。そして少女に抱きつく。 「ぼく、きらわれてないんだ」 「子供を嫌う親なんていないよ」 その瞬間、また脳裏に両親の笑顔が浮かんだ。小さい頃、まだ「パパ」と呼んでいた頃、私は大きくなったらパパのお嫁さんになると本気で考えていた。今では笑い話だけれど、それだけ父が好きだった。 母とは友達みたいになんでも話し合えた。初めて彼氏ができた時も、母は「よかったね」と笑ってくれた。 いつからあんなに擦れ違うようになったのだろう。どうしてあんな言葉を吐き捨ててしまったのだろう。 本当はどこかで知っていたのに、分かっていたのに、父と母に愛されていることを。ふたりはきっと、私の夢を応援していたからこそ、「勉強しろ」と叱りつけてくれていたのに。 気がつくと頬を涙が伝っていた。それはとてもあたたかくて、とても優しかった。 「おねえちゃん、どうしたの」 「なんでもないよ、ごめんね」 「やっぱりさむいんでしょ、おうちにかえろうよ」 「帰りたいんだけど帰れないんだ。私、お父さんとお母さんと喧嘩しちゃって」 「あのね、けんかしたらごめんなさいすればいいんだよ」 「それはそうなんだけど」 少女は俯くとまた深く溜息を吐いた。夢も何もかもを捨て去ろうとしたあの時、あの言葉を吐き捨てた瞬間、両親が見せた哀しげな顔を忘れることができない。 あんな言葉を吐き捨てておきながら、ふたりの元に戻ることなんて許されるはずがない。 裏切りは安易に赦される罪ではないと思う。 「おねえちゃんもパパとママのこと、だいすきなんだよね」 「ぅん、大好きだよ」 「だったらおねえちゃんのパパとママも、おねえちゃんのことだいすきだよ」 その言葉に思わず男の子の顔を見詰めた。男の子はそのまっすぐな目を向けながら優しく微笑んでいた。 「だから、おうちにかえろうよ」 「ぅん、そうだね、帰ろう」 少女は男の子と共にゆっくりと立ち上がると、もう一度男の子の頭を優しく撫ぜた。 「ほら、もう真っ暗になっちゃったよ。おうちに帰らないとママに怒られちゃうぞ」 「うん、じゃあおねえちゃん、またね、ばいばい」 綺麗な笑顔を残し、男の子は暗がりを駆け帰っていった。 「ぅん、ばいばい」 少女は頬に残る涙を拭うと、夜空を見上げる。そしてその姿はゆっくりと薄れ、何者もいなかったかのように掻き消えた。 交差点の信号の側に花束が供えられている。花束に添えられたカードには「愛しているよ」と記されていた。
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