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「新年」

新しい年が来る。

お迎えの準備で村はしばらく忙しい。

家を片付けて、
村を片付けて。

悪いことを片付けなくちゃいけない。

新しい年が来る七日前までに家を片付けて、それから村を片付ける。
そして、四日前からは悪いことを片付けなくちゃいけない。

悪いことは来る年に持ち越せないから。

早く、早く片付けなくちゃいけない。

重たい。重たい、悪いこと。
辛くて、苦しくて。

 僕は、出かける準備をしたまま、扉の手前で動けなくなって座り込んでいた。
悪いことが、重たくてなかなか動けないんだ。
今日が最後の一日だなんて、そんなことはもう七日は前から分かってる。
だけど、分かってて動けるくらいなら悪いことなんてもう十日は前に片付いててもおかしくないんだ。
 ヘリクツばかり言わないで、と鈴を転がすようなかわいい声が幻聴で脳内に響いて息が止まりそうになる・・・。
 そんな僕の横に、大きな影がどすんと座った。
びっくりしてそっちをむくと、横に座ったパパも僕のほうを見た。
「もう片付いた?」
 にやり、と笑ったパパは、何かを知ってる風だ。
「なにが」
 できるだけ、ぎくりとした心の中を気付かれないように答える。
あ、視線が逃げちゃった。
パパは、分かってる、っていう顔になる。ぽんぽん、て僕の頭を叩いた。
「ラッシェは、正直だなぁ」
 普段は昼間ずっと仕事に行っているパパも、新しい年がくる前はずっと家にいる。
村の掃除までは仕事が片付かなかったから、と昼間仕事に行って、夜片付けを手伝いに行ってた。
ずっと忙しかったはずだけど、パパの部屋をのぞいたらちゃんと片付いてた。
きっと、ママが手伝ったんだ。
「僕は、自分の部屋もちゃんと自分で掃除したよ」
 なんだかちょっと悔しかったからそう言い返したら、パパはちょっと困ったように笑った。バレたか、と言って。
「よし、ラッシェ。パパが悪いことを片付けるお手本を見せてやる」
「パパ、悪いこと、持ってるの?」
 びっくりして僕は聞いた。
パパは大人なのに、悪いことを持ってる。去年も、その前の年もパパが悪いことを持ってるなんて聞いてない。
 大人なのに、と思った気持ちが顔にでちゃったんだ。
「今年だけだよ。それに、そんなにおっきな悪いことじゃない、と思う・・・」
パパはちょっと言い訳みたいに言った。
「ママ、いつもと同じだったよ」
 今日、いつもと同じように僕を起こして、ご飯を食べて。
今は新しい年のお祭りに着る僕の服を縫ってくれているはずだ。
 ウィブのところに行くなら気をつけてね、とさっきお茶を持っていったら笑ってた。
「ママは大人だからね。にっこり笑ってても怒っていることがあるんだ。それに、ママはラッシェに怒っているんじゃないから。きっとパパが行ったら・・」
 ぶるり、と身震いしたのは、きっとわざとではないんだろう。パパは、強いけど、ママはもっと強い。だから、パパも僕も、ママには叶わないんだ。
そんなママに悪いことを持っているなんて、パパもやっぱりすごい。
 ぼくも、小さくぶるり、とした。

「どうするの?」
寒くもないのに震えた体を抑えるために、ぎゅっと両手に力が入る。
「いいか、ラッシェ。悪いことを片付けるのに大事なのは正直になること。それからちょっとした心配り」
 そういうと、パパは胸のポケットから、小さな包みを取り出した。
長細い、箱。すっぽりとパパの手のひらに隠せてしまいそうな小さな箱にはママの好きなピンクと赤のリボンが、きれいに巻きついててくるくるしてる。
飾りについてる赤い木の実がキラキラしてる。
「こころくばり?」
「そ。相手を喜ばそうという気持ち。と、・・・お詫びの気持ち」
「僕もウィブに必要?」
「ラッシェの悪いこと、によるなぁ」
「パパはどんなことしたの?」
 うっ、と言葉に詰まったパパが腰を浮かしかけたから僕は必死でしがみついた。
「ね、どんなこと?」
「うーん。・・・そんな、たいしたことではないんだ、よ」
「でも、ママに悪いことなんでしょ?」
「わー、こまったなぁ」
 のほほんとしたパパの声はあんまり困っているようには聞こえないし、少々本当に困っていても、ここは僕を助けると思って話してもらわないと僕が困る。
 じっとパパの碧の目を捕まえて無言のまますがった。
パパは、こういうのに弱いんだ。
「ラッシェ・・・なんだかママに似てきたね」
「ありがとう。ママにもこの間言われたよ。『パパと同じこと言ってる』って」
「そうか」
「うん」
「・・・」
「で?」
「うわぁ、親の威厳とか台無しだなぁ」
「いまさらいいよ、そんなの」
「そうか・・・じゃあいいか。実はね・・・」
「じゃあいいか、じゃないでしょパパ」
 僕とパパは揃って背筋がぴん、と伸びた。
「「マ、ママ・・・」」
おそるおそる僕とパパが振り返ると、ママは腕組して僕らを見下ろしていた。
にっこり笑っている。
いつも通りのママ・・・
「ラッシェ?」
じゃない。名前を呼ばれただけで僕は思わず起立して気を付けの姿勢になった。
「ハイ!」
「ウィブのところに行くのではなかったかしら?」
「行ってきます、今すぐに。もうこれから」
「うわ、ラッシェずるいよ」
 僕は、パパのほうはあえて見ないようにしてママに敬礼してぐるりと体の向きを変える。「あなた」とパパを呼んだママの声はなんだかちょっとつめたい感じがした。
「ハイ!」
パパが返事をする。
僕は、それ以上その場所にいられなくて、背中を向けたそのまま扉を開けた。
内扉の向こうで外に出るための準備をする。
家の中から、暖かな空気が滲み出てここも外よりは暖かなはずだけど、それでも頭のてっぺんからつま先までが空気の冷たさにびっくりしてさっきとは違う身震いをした。
上着を着て、マフラーで顔半分と首元を詰めて、手袋をはめる。
帽子と耳当てで防寒は完璧。あとは靴のまま、外履きに足をねじ込むと、準備完了だ。
むぎゅ、と右足が入った。
もぎゅ、と左足も勢いよくねじ込む。
「さて、と」
重装備に重たくなった体に力をこめるために僕は一人で気合を入れる。
「うりゃっ」
 最近、ウィブのおかしな掛け声がうつってしまった・・・。
扉を寒風に負けない力でゆっくりと引きながら、開いた隙間から外にでた。
「ふにゃっ」
 閉めるときにも気合が必要だ。
 しっかりと扉が閉まったのを確認して、僕は庭を横切る。パパの努力の甲斐あって、庭から表の通りにちゃんと雪が掻き分けてある。
快適快適。
 空は、雲はあっても晴れ。
雪は昨日から降っていない。
冬の風に勢い良く押されている雲の流れは足早で、隠れていた太陽がその雲が流れた後に取り残されたように顔を出す。
キラリ
 キラリ
太陽の光は、すばやく辺りに走って、雪を照らした。

キラリ
 キラリ 
   キラリ
眩しい。

思わず目を閉じて、手袋で光を遮った。
閉じたまぶたのうらで、さっきの光が焼きついてキラキラと踊っている。
きれいだけど、ちょっと痛い。
僕は、それが薄れていくのをじっとまって、そして、ゆっくりと目を開けた。
「・・・びっくりした」
「なにに」
「天使がいるのかと思って」
 素直に言ったのに。
ただ驚いて、見開いていた視界いっぱいにブルーが広がった。
何かが顔面に投げつけられたのだ、と気付いたのは、衝撃が痛みに変わって、よろめいた僕が尻餅をついたときに握った何かを認識してからだ。ブルーのリボンがかかった、プレゼントのような包み。でも、それが何か、と考えるよりも、僕は見えているものが意外すぎて自分の目と脳みそを疑った。
さっきの幻聴の続きだろうか。
「ウィブ?」
突然目の前に現れた天使のような少女は、寒さに赤くなった頬と鼻に加えて目元まで赤くして僕を見下ろしている。
 無言のままに差し出された手を借りて、僕はゆっくりと立ち上がった。
どうやら幻覚ではないみたいだ。
お互い、手袋を通していてもふんわりとしたウィブの感触と熱が伝わってくる気がする。
「・・・どうしたの」
 まず聞くべき疑問にようやく行き当たって、聞いた。
もごもごと声がこもるので、マフラーを口元まで引き下ろす。
「・・・」
答えがない。
「今から、ウィブのところに行こうと思ってたんだ」
「どうして?」
逆に聞き返されてしまった。
「・・・」
決意を固めたはずだったのに、声に、言葉に、ならない。
がんばれ、僕。あまり励みにならない強さのない励ましを自分に送る。
「ごめんなさい」
 僕があまりにヘタレなせいで誰かが、代弁してくれたのかと思った。きょろり、と思わず見渡したが、言ってくれそうな人は見当たらない。しかも、どうやら言ったのはウィブのようだ
「へ?」
「・・・って言いに来たの。悪いこと、今日中に片付けないといけないでしょ」
 ぷい、と横を向く。
「ウィブが、僕に?」
「そうよ」
「・・・なんで?」
 くわっ。
と、いう表現がぴったりだ。
ウィブは目と口を開けるだけ開いて、驚きと憤りを同時に表現してみせた。
ある意味、技だと思う。
いや、そんなのんきなことを思っている場合ではなく。
「だ、だって。今日は僕が悪いことを片付けにウィブのところへいくつもりだったから」
「どうしてラッシェが謝るの」
「この間、ウィブをおこらせちゃっただろ・・・」
その時のことを思い出すだけでツキン、と心が痛い。
 ウィブは、呆れた、と顔に書いて、でも口には出さずにいてくれた。
そして、笑う。
 柔らかく、柔らかく。
 その柔らかさが僕に向けられたものなのかな、と思うとそれだけで頬が熱を持つ。
「ばかねぇラッシェは」
 柔らかさは、やっぱり幻覚なのかな、と思う・・・。けれど、それは一瞬だった。
 ふわり、とウィブの長い金の髪の感触が頬に当たる。
ふわり、として、ぎゅっ、としてもらっているのに全く重さや負荷はなくて。
僕は、無意識に腕をまわしながら、羽を抱きしめてるみたいだ、と思った。
「この年も、たくさんたくさんありがとう。次の年も、またラッシェと一緒にいられることが嬉しいわ」
 ウィブは、悪いことを片付けに来た、といった。きっと怒らせてしまった僕より、怒ってしまったことを悪いことだ、と思ったのだろう。
とんでもない。

僕は、それこそ羽が生えて、いや、羽なんてなくてもどこかに飛んで行ってしまえるくらいにはごきげんで幸せにされてしまった。
もうすぐ終わってしまうこの年にこんな幸せをもらうなんて。
これって次の年に持ち越ししてもいいものなのかな。

悪いものは、次の年に持っていけない。
けど、こんないいもの、この年だけで終わってしまうのはもったいないよ。

「ウィブ」
今年、僕とウィブの身長にほんの僅かな差ができて、ぎゅ、てするときには必ず僕の腕が上になるようになった。
だからどう、ってわけじゃないけど。
この一年が、これまでの一年と同じように自分の中に積もってきてる、その実感。
 たくさん言い続けた大好き、の代わりに名前を呼んだ。
「ウィブ」
「・・・なに」
「ウィブ」
「なによ」
腕の中でくすくすとウィブが笑う。
「ウィブ」
「はぁい」
「この嬉しい気持ちをいつか君に返せたらと思うよ」
「・・・・・・待ってるわね」
 ウィブは笑わないでそういって、でもやっぱりすぐにくすくすと笑い始めた。

新しい年がくる。

真白な年が開けて。

僕らに未来が広がる。
明日も、その次も。ずっとずっとこの雪景色のように真白な未来。

そこにいる僕と、傍にいるウィブ。

新しい年がくる。

両手を広げて、おもいきり優しい空気を吸い込んだときのような爽快感が僕いっぱいにひろがった。
 
 
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