|
クリエイター名 |
佐山 操 |
逢えてよかった
タイトル:逢えてよかった
昔、拾った女性から手紙が来ていた。 変な言い方かもしれないけど、彼女を僕は道端で拾った。 そんな想い出の彼女……。
昔から世話になっていた馴染みのショットバーが近々閉店すると言うので、久々に遊びに行くと、頭がロマンスグレーになったマスターが昔と変わらぬ笑顔で出迎えてくれた。
カウンターに座ると、マスターは何も言わずに僕が最初に注文していたギブソンを作り、僕の前に差し出してくれた。一通の封筒を添えて……。
「おまえ宛に届いていたよ。閉店する前でよかった」
差し出されたペーパーナイフで封を切ると、一通の絵葉書が入っていた。萩の町並みのフォトレター。 送り主を見ると、それはかつて僕が要町に住んでいた頃に、マンションの前で拾った女の子の名前が書かれていた。
当時、僕が住んでいた豊島区要町のマンションは、高松町ランプ近くの住宅街であり、当たり前の話だが、そこの地区の住人に用事でもない限りは人が来ないような場所。池袋駅とつながる要町交差点まで出なければ、コンビニもないような地域だ。 そんなマンションのエントランス前の段差に彼女は座り、ジッと空を見上げていた。
普段なら気にもしないし、今だと余計に気にもならないごく普通に見られる光景かもしれない。 でも、その時はなんとなく何かを感じ、思わず僕は感じたものを呟いていた。
「家出か?」
本当に小さな声だったにも関わらず、彼女はそれを聞きとめ、ハッとしたように僕の事を見た。
「ウチにくる?」
捨てられた子猫か子犬を見つけたような感覚。 そんな気持ちを起させるような迷いのある彼女の顔に、僕はそう話しかけていた。 実際に行き場が無くて途方に暮れていたのだろう。 彼女はうなずき、その時から奇妙な同居生活が始まった。
実際に彼女と暮らしたのは3ヶ月くらい。 出会い方以上にドラマチックなお話はなにひとつない生活だった。 一緒に住んでいたのにって思われるかもしれないけれども、僕と彼女はキスもしなければセックスもしなかった。 そんな不思議な関係生活。ある意味、それもまたドラマチックなのかもしれない。
なぜ、手を出さなかったのか……。 当時、20歳の僕でも気後れするような、翳りのある顔を見せてくれたせいだろうか……。
笑顔がとても印象的な子で、その笑顔を見たくて僕はよく話しかけていたし、笑ってもらえるように、驚いてもらえるように色々と考えていた。 彼女が何歳だったかわからないけど、マンションの屋上に誘い出してビールを一緒に飲んでたとか、そんな記憶もある。
奇妙だけど楽しい同居生活が3ヶ月たった時、唐突に家に帰ると言い出した彼女。その時、僕の生活を見続けて、それに嫌気がさしたのかと思わず勘ぐったのを憶えている。
当時の僕は、その馴染みのバーでバーテンダーのバイトをしていた。 どういうわけか、池袋の風俗店のお姉さんたちがよく出入りするお店であり、僕は風俗嬢のお姉さんたちに気に入られていた。 ホストというわけじゃないけど、気に入られていれば、当然そうした女性たちとのお付き合いもある。そんな関係を見ていて嫌気が差したのかと思っても、まぁ、仕方ない事だろう。 でも、実際には違っていた。 地元の友達に連絡を取った彼女は、両親が本気で自分を探している事を知って帰る決心をしたのだという。 その時初めて、僕は彼女が山口から出てきたという事を知った。
東京駅で彼女を見送った時、不意に彼女が訊ねてきた。
「私、いい女だった?」
僕がお付き合いしていた風俗嬢のお姉さんたちは、一緒に店に出入りして手伝いをしていた彼女にも優しく、気安く振舞っており、とても気立てのいい、色々な意味でイイ女たちだった。だから、彼女はそんな事を聞いてきたのかもしれない。
「今は、いい女かな」
僕が拾った時の彼女は、迷いが顔に出続けている表情の乏しい子だった。でも、帰宅を決めたその時の彼女の顔は、手放すのが惜しくなるほどの素敵な女性のものだった。 いや、僕の返事に見せた彼女の微笑を見たら、抱きしめてそのまま自分の手元に置いておきたい気持ちで一杯だった……。
でも、僕らはただ握手をして別れた……。
それ以来、音沙汰はなく今に至っている。 なにがきっかけで彼女が僕に手紙を出す気になったのか、それはわからない。 フォトレターの裏には、短い言葉がつづってあった。
『お元気ですか? あなたに逢えてよかった』
その後の彼女の人生になにがあったのか、知るすべはない。 ただ、一度だけ交差した瞬間を、『逢えてよかった』と言ってもらえる事ほど嬉しいことはない。
「会いに行くかい?」
僕が渡したフォトレターを見たマスターは、優しげな笑みを見せながらそう言ってきた。 会いにきて欲しいから、わざわざ萩のフォトレターをくれたと勘ぐる事も出来る。 でも、それならそこまで遠まわしにしなくても、住所を書いておけばいい。書かれていたなら、僕はすぐさま逢いに行っただろう。
手紙には差出人住所もなく、ただ名前だけが書かれているだけだった。 探しようはいくらでもあるけど、そこまで僕は無粋じゃない。
手紙を読んだ僕は、懐かしさ以外の言葉に出来ない、なにか不思議な味を感じていた。探しに行ったら、きっとその味は壊れてしまうだろう……。
ただ笑ってみせた僕にマスターは微笑みながら、彼女が好きだったファンタスティック・レマンのグラスを差し出してくれた。
想い出の女性と現役を去る素敵なマスターに、乾杯。
|
|
|
|